7-ル・スクレ・デュ・ロワ
雷閃によって吹き飛ばされたピエールは、なおも馬車に鎖を巻き付けてくっついてくる。
もちろん、雷閃の攻撃は止まりはしない。
それなのに、彼はさっきよりも本数を増やして、どれだけ雷に打たれてもへこたれず、にやにやと2人の美少女を舐め回すように眺め続けていた。
「うふふ、うふふふ。照れなくていいのに〜! それとも、新手のプレイ? どちらにしても僕は受け入れるよ!」
ボロボロになってなお、頬を染めて表情を緩めている彼に、シャルロット達はもう気持ち悪さを超えて悍ましいものでも見るような目をしている。
とはいえ、マリーは雷閃の後ろにいるし、馬車を操縦してもいないのでまだマシだった。
より悲惨なのはシャルロットで、彼女は不躾な視線に曝され続ける上に馬車を御して真っ直ぐ進まなければいけない。
どれだけ舐め回すように見られても体を隠せず、気持ち悪くて体が震えても仕事を放棄できないのだ。
そもそも、くっついてくる変態のせいで馬車の制御が難しくなっているので、彼女は震える声で拒絶していく。
「気持ち悪いって言ってるのに、何なの君は!?」
「だってだって、シャルロットちゃんが表に出てきているんだよ!? そんなの、次いつになるかわからないじゃない!!
この機会を逃しちゃいけない。そんなの、世界が許さない。
ちゃんと隅々まで可愛がってあげないとね!」
「可愛がるってなんだよ、もう!!」
本体は引き剥がせないものの、定期的に伸ばされる鎖は雷閃が弾き、決して中には入らせない。
外を通ってシャルロットに触れようとするものも、無理やり弾いているのでこの場は停滞していた。
だが、停滞しているのはこの馬車の中の状況だけだ。
不安定にガタガタ揺れながらも、外では着実に目的地までの距離を縮め、到着が近くなっている。
右に左にと激しく揺れながら、最終的に馬車は目前に迫っていた倉庫へと突っ込んでいった。
「ごめん、突っ込む! マリーを守って!!」
「任せて」
「あーっ!! なにマリーちゃんに触ってるの君!?」
「ばいばい」
マリーを支えている雷閃を見て、ピエールは目を剥く。
今までもずっと自分から守っているのは見ていたはずなのだが、なぜかショックを受けているようである。
彼は倉庫に対応することができず、その隙に馬車は力尽くで引き剥がすように倉庫の壁へと突っ込んだ。
「何事!?」
「うわぁ、なんだなんだ!?」
直後、鳴り響くのは馬が壁を蹴り破る轟音と、中にいた人達の驚く声、予定通り引き剥がされるピエールの悲鳴だ。
中の人達には災難だったが、変態は馬車の上辺りでプラプラしていたので、どうにか離れることに成功する。
雷閃はマリーを抱きかかえて激突前に一度脱出しているし、シャルロットは危ない瓦礫をパパパッと払い除けているので、彼女達はどうにか無事だった。
馬車も凄まじい音を立てているが無事に着地し、倉庫の中央で急停止している。
「雷閃くん!」
「うん」
一度止まった馬車の御者台から、シャルロットは倉庫に降り立った雷閃に呼びかける。変態を引き剥がすことには成功したが、あれはまだ無事だ。
きっとまた鎖を巻き付けて引っ付いてくるだろう。
そしたらまたあの舐め回すような視線と言葉に苛まれることになるので、できるだけ速く逃げなくてはいけない。
幸いなことに、ここは目的地であったマリーの知り合いがいる場所だ。マリーが彼女達に声をかけさえすれば、足止めは勝手にしてくれる。
ニヤリと強かに笑うと、シャルロットは倉庫にいた人物達に幼馴染みの姿を見せながら呼びかけ始めた。
「おーい、デオン! ワタシ達ちょっと変態に追われているんだけど、助けてくれないかな? ありがとー!」
「はい……? っ……!! 貴様、シャルル・アンリ・サンソ……
いや、シャルロット・コルデーか。勝手なことを!!」
「とても申し訳ないのだけれど、私からも頼むわ!
デオン、助けてくれないかしら?」
「マリー様……!! はぁ……仕方ないですね、お任せを」
勝手に了承したことにされて礼まで言ってくるシャルロットに、パンツスーツ姿の女性――デオンは当然反発する。
しかし、中から顔を出していたマリーが頼むと、すぐに首を縦に振って快諾してくれた。
ピエールは既に何本もの鎖を放っているが、彼女が足止めを請け負ってくれた以上、それらはもう馬車には届かない。
ふわりと鳥のように舞った彼女のレイピアによって、すべて弾き飛ばされ、移動できない彼は1人敵地に残されてしまう。
「……はぁ、置いてかれちゃったか。残念だけど、代わりに君が相手してくれるんでだよね、シュヴァリエ・デオン?
指名手配犯でも、女の子なら大歓迎さ」
一度シュルシュルと鎖をしまったピエールは、二箇所の壁に穴が空いた倉庫で対峙している者に話しかける。
この場にいるのは3人。
周囲の喧騒など気にも止めずに一番奥でくつろいでいる、赤や黒を基調としたどこか禍々しいワンピースを着た少女。
再び倉庫の壁を突き破っていった馬車を唖然と見つめている、金髪のチャラそうな青年。
そして、今まさに立ち塞がっているパンツスーツ姿の女性――シュヴァリエ・デオンだ。
彼女は回転しながらふわりと着地すると、汚物を見るような目で凛として言葉を紡ぐ。
「私を前に、よくもそんな口が叩けるものだね。
……一応言っておくけれど、私はあの3人とは無関係だ。
しかし、君のことは知っているよ。余計な言葉はいらない。
あくまでも同じ女性として、女性の敵から彼女達を守る」
「あははは、大丈夫大丈夫。シャルロットちゃん達と君達に繋がりがあるだなんて、これっぽっちも考えちゃいないよ。
彼女達は、運良く指名手配犯を見つけた功労者……でしょ?」
あまり重要ではないように念押しされた事実に、ピエールは頬を赤く染めながらも、含みのある言葉で返す。
デオンやシャルロットにとって最悪の事態は、会ったことが彼にバレてそのまま協会に告発されること。
また別の心配や気持ちの悪さが生まれたが、その心配がないと確認できた彼女達の間には、わずかな緩みと反動のように膨れ上がっていく緊張感があった。
「そして君は、指名手配犯に返り討ちにされる雑魚さ」
「うふふ、いいね〜。そういう強気な娘をわからせるのが、何よりも唆るんだ♪ 男装の麗人とか、なおいいよね」
「気持ちが、悪いッ!!」
蜘蛛の巣のように広げられる鎖を前に、デオンはレイピアを煌めかせて処刑人に向かっていく。
手数にはあまりにも大きな格差があり、薬品に濡れるそれは少し触れただけでも致命的になる……のだが。
「ふぅ、紙一重でした」
わずか数分後。
倉庫の中には無様に倒れ伏すピエールと、泰然とした態度でレイピアを払うシュヴァリエ・デオンの姿があった。
一振りで刃についた薬品を吹き飛ばした彼女は、そのまま懐からハンカチを取り出してさらに念入りに薬品を取り除いていく。
そのハンカチは即刻処分。レイピアとそれをしまうことになる鞘も、後でさらに追加で洗うことが確定である。
「はぁ……本当に、これが興奮していて助かりました。
少しでも触れるとアウトだなんて、理不尽極まりない」
「でも、君なら媚薬も効かなそうだけどな〜」
「スウィーニー・トッド、そこへ直りなさい」
外野から放たれた軽薄な言葉に、デオンは極寒よりも冷たく感じる瞳で壁際にいる青年を睨み始める。
一見冷静そうに見えるが、確認するまでもなく明らかに激怒していた。女性の敵を相手に男性が傍観を決め込んでいたのだから、怒るのも無理はない。
その様子を見た青年――スウィーニー・トッドは『ひえぇっ』と声を漏らしながら大袈裟に両手を上げて驚いて見せた。
「そこって……媚薬の中? いやー、勘弁してくんない?
俺はそいつみたいな変態じゃねぇから、媚薬の海に沈みたくはない。ていうか、君も速く移動しなよ。痴女なの?」
「……!!」
「ぎゃーっ!? ごめん、ごめんなさいっ!!」
場を和ませようとでもしたのかかなりあけすけな軽口を叩いてきたトッドに、デオンは一瞬でレイピアを抜いて向かっていく。
足元には薬が水たまりを作っていたのだが、飛ぶように舞う彼女には一滴もかからず、ほんの一呼吸で彼に鋭すぎる突きを御見舞していた。
かなり派手に言葉を間違えたとはいえ、一応何もしていないトッドからしたら堪ったものではない。
彼は両手を上げたままの格好で胴体を曲げて、脇腹の真横を貫く刃物に目を飛び出して驚いている。
「申し開きはありますか?」
「だ、だからごめんって!! ほんと、もうしません!!
ごめんなさいっ!! 許してくださいデオンちゃん!!」
「……ちゃん?」
「デオンさんッ!!」
「よろしい。では、トムに連絡を。3人を追ってください。
次の隠れ家は覚えていますね? 誘導もあなたが1人で」
すぐさま土下座をする彼を冷たい目で見下ろしながら、彼女はシャルロット達を追うように命令する。
すると、パッと顔を上げた青年は顔を青くして最後の部分を復唱し始めた。
「へ……!? ひ、1人で!?」
「何か異論が?」
「ありませんッ!! 謹んでお受けいたしますッ!!」
さらに威圧されたことで、トッドは床に額をぶつけるほどに頭を下げる。ガンッ……と物凄い音を立てから、ガバっと体を起こして仕事に向かっていった。
その背中を見送ってから、デオンは未だリラックスした様子でくつろいでいる少女に呼びかけていく。
「……あなたもそろそろ動いてください、エリザベート。
ここはもう協会にバレたので変えますよ」
「わかっていますわ。ですが、わたくしは常に優雅に。
血のワインを飲みながら、威厳を持って向かいます」
急ぐよう声をかけられた少女だったが、それでもソファから立ち上がることはない。ワイングラスに入った赤い液体を揺らしながら、優雅に微笑んでいた。
すると、その言動にため息をつくデオンはそっと一言。
「……それ、ぶどうジュースですよね?」
「けほっけほっ、なんてことを言うんですの!?」
彼女の指摘を受けた少女――エリザベートは、涙目になって咽ながら抗議の声を上げていた。




