14-無慈悲なる殺人集団・前編
「敵の姿は見えず、しかしこの中にいると……
そう、あなたは言うのですね?」
塔の上から荒れる天候を眺めていたスーツに白衣姿の男性――フランツ・シュミットは、ライフルスコープから目を離して背後に問いかけた。
彼の視線の先にいるのは、体のラインがはっきりわかるようなパンツスーツを着ているスレンダーな女性だ。
彼女は礼儀正しくフランツに聞かれると、塔の柵から身を乗り出しながら頷きかける。
「えぇ、その通りよ。特別指定魔女、アグネス・サンプソンが呼び出した悪魔がこの周りにだけ生んだ嵐がこれ」
「はぁ……目的は俺の妨害ですかね。
これはもう、本隊はだいぶ本部に近付いていそうだ」
確信を持っている様子で女性が答えると、フランツは意外にもすんなりと信じて肩を落とす。
処刑人協会でもそれなりに上の立場にいる人物のはずなのだが、他の3人とは違ってあまり癖がない。
再び塔の外へ視線を向けると、嵐が吹き荒れる地上をのんびりと眺め始めた。彼は軽い調子で言っているものの、彼らの目の前で起こっている嵐の強さは異常だ。
女性はこの塔の周辺にのみと言っているが、その分雨や風で地上どころか隣に建っている建物の屋根もまともに見えない程のレベルである。
彼の言う通り本隊が近くに来ていても見えるはずがないし、肝心の嵐を起こす元凶やアグネス・サンプソンの姿も見えやしない。当然、寒さで狙いも中々定まらないだろう。
狙撃手にとっては、これ以上ないくらいの悪環境だった。
だというのに、処刑人はダラダラと弾丸を弄びながら、あまり特徴のない顔を面倒くさそうに歪めている。
「アグネス・サンプソン……追加された特別指定でしたっけ。
はぁ、嵐なぁ。すごく俺への対抗意識を感じる。ところで、敵の能力なんて俺今まで聞いてないんですけど」
「言ってないもの。今の私はシャルルから依頼を受けている立場だから、依頼主の不利になるようなことは、ね?」
「はぁ、魔女認定者の差し金であると。
なんだか、いまいち信用できない情報になりましたね……」
「ジョン・ドゥの名において、嘘はないわよ」
さらに口をへの字に曲げるフランツだったが、パンツスーツの女性は自らの名を告げることで証拠とする。
情報屋ジョン・ドゥは、この國で情報といえば誰と聞かれたら、唯一名前が上がるような絶対的なプロだ。
今までも一度依頼を受けさえすれば、虚偽報告などすることなく完璧な結果を残してきた。
そんな相手が、今は別の依頼主の元にいるとはいえ、自身が司る情報を伝えてきているのだ。
情報の信憑性は、脚を動かせば前に進めるという常識と同等と言っても過言ではない。
もっとも、ジョン・ドゥという人物は毎回姿が変わっているため、性別すらも不明なのだが……
女性の雰囲気は紛れもなくジョン・ドゥである。
ゆらゆらと揺れるフランツは、苦笑しながら口を開く。
「ははは……あなたが本当にジョン・ドゥなのかすら、俺にはまったくわかりませんよ。ただまぁ、どうせこれはどうにかしないといけませんし、少しは頑張りますかね」
「えぇ、最悪弱らせることができればいいわ」
「シャルルの餌を作る気はないですよ」
「わかっているわ。私も、彼女はあなたが殺すと思う」
「……あー、なるほど。これは、できれば重罪人ではないことを祈るしかないですね」
まだ仕事があるのか急ぎ足で去っていくジョン・ドゥを尻目に、フランツ・シュミットはライフルを構える。
敵の姿は見えない。だが、これだけの嵐を、情報通りならばこの周囲にだけ正確に展開しているのだ。
アグネス・サンプソンはともかくとして、元凶の悪魔自体は十中八九この近くにいることだろう。
彼は肉眼で怪しげな影を探して目を凝らし始めた。
「意図的な嵐、悪魔、魔女認定者……最初は普通に天気が悪くなったのかと思ったけど、見方を変えればわかりやすいね。
怪しいのは……あれとあれと、あれ。多分……鳥と悪魔。
んー似てる。似てるけど……多分あれかな。
風が強いけど……うん、角度はこの辺で……」
大体の目算を肉眼で済ませたフランツは、続けてスコープに標的を合わせてじっくり観察していく。
怪しい3つの影は、距離的にどれも鳥以上の大きさ。
おそらくはわざと似せている悪魔だが、彼にかかれば簡単に正体を看破することができている。嵐で軌道がブレることも考慮し、彼は軽い調子で引き金を引いた。
「お、当たった」
果たして、弾丸は悪魔と思しき影に命中する。
ケガの具合ははっきりとは見えないが、明らかに胴体に派手な負傷をしている様子だ。
「嵐は止まないね。だけど弱まった。命中箇所への負傷具合や動き的に、あれは魔女じゃなく悪魔。結構丈夫だし、普通に逃げようとしてるね。速いけど……直線的で……」
一旦銃口を下げたフランツだったが、まだ嵐が止まなかったことや敵が逃げようとしていることから、再び射線に捉えて発砲する。
今回の命中箇所は腕。若干嵐が弱まってきていることから、弾丸は真っ直ぐに飛んでいって腕を弾き飛ばしていた。
「あれ、しぶとい……」
しかし、なおも悪魔は逃げようとしている。
地上のある一点に向けて、それはフラフラと飛んでいた。
「向かう先は地上、近場にいると思われる召喚者……
なるほど、あれがアグネス・サンプソンか。
ありがたいことに、重罪人ではなさそうだ。
だけど、残念ながら位置的にヘッドショットは厳しいなぁ」
フランツが肉眼で捉えたのは、そこまで離れていない建物の屋上に身を隠している女性の姿だ。
それも、彼の狙撃をちゃんと警戒しているらしく、屋上の上にも屋根がついている場所にいた。
貫通させることが脳天も狙えるが、一瞬で貫通できるような薄い屋根でもないので、音で驚いたはずみに逸れる可能性が高いだろう。
もし直接狙ったとしても、当てられるのはせいぜい顎までで即死は難しい。彼は少しおかしなところで悩み始める。
「顎……は流石に罪が軽い子が受けるべき苦痛じゃないよね。
当たれば動いて頭見えそうだけど。心臓は角度的に腕を撃つことになるし、悩ましい。せめて楽に……足撃つかぁ」
狙う場所を決めたフランツは、もう悪魔などそっちのけで射線を合わせ始める。狙うは足。痛みでしゃがむことを信じて正確無慈悲な射撃をお見舞いした。
「む、頭が出てこない。警戒してて偉いけど、これは……」
だが、アグネスはしゃがみ込んだりすることはない。
ヨロヨロと屋根の奥に引っ込んでいき、同時に悪魔も彼女がいる屋上に到着する。
そのわずか数秒後。首都キルケニーには、彼女が身を潜めている建物を中心にして大規模の嵐が広がっていった。
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マシュー・ホプキンスの右腕であるヨハン・ライヒハートは、立ち塞がった魔女認定者の死体の中で一人立つ。
足元は血の海に。しかし、どれほど手際良く殺していたのか、白いシャツと白い手袋には一滴のシミもない。
選択したばかりかのように、真っ白いままだ。
その立ち姿からも、ことの顛末は明らかである。
この場に集まっていた魔女は100人近くにまで上っていたが、彼はたった一人で彼らを無傷で虐殺していた。
とはいえ、彼の前に立ち塞がった軍隊は、壊滅こそしているものの、全滅はしていない。
血の海の中からは、完全に絶望しきった表情をしていながらも、なお立ち上がってくる男の姿があった。
「はぁ……君以外の魔女認定者は殺したぞ。
一人で私を足止めできると思っているのか?」
「お、俺は……俺は……お前の、足止めを……」
機械的な虐殺を行ったヨハンに問いかけられたイザボーは、歯をガチガチと鳴らしながらも足止めをやめなかった。
彼は完全に恐怖に呑まれている。だが、どうあれ彼は無実で魔女認定を受けたのだ。
彼を通しても苦痛を回避できることはなく、彼を通さなくても苦痛を回避できることはない。であるのならば、せめてより良い未来のために、彼は立ち塞がるしかないのだろう。
流石にうんざりした様子のヨハンも、いつもの機械的な表情を崩して語りかけていく。
「私はお前を無視していく。お前は仲間の手助けもなしに、足止めはできない。せめて私の感情を逆撫でするな」
「俺はッ、特別指定された魔女だぞ!! 協会一の処刑人が、ただタフなだけの特別指定を見逃すのかッ!?」
最終通告を出すヨハンだったが、それでもイザボーは震えながら足止めを続ける。もう後がないからか、彼は互いの立場を揶揄した挑発まで口にしていた。
そこまで言われれば、当然ヨハンも放置はできない。
致命傷を与えても傷が治る異端な魔女に、本気の殺意をぶつけながら大剣を向けていく。
「……ふぅ。わかった。貴様はたしか、蝙蝠のような悪魔に体を治してもらっているのだったな? 仕方がないから、自ら死を望むまでとことん付き合ってやる」
「ひっ……」
「貴様が望んだ通り、足止めは成功だ。誇るといい」
腰を抜かして倒れるイザボーだったが、今更ヨハンが止まることもない。逃げ出す彼の頭は、目を逸らしたくなるような輪切りとなって、中からは脳や血肉が飛び出してくる。
それでも、悪魔によって体はすぐに完全回復していく。
100人以上いる死体の真ん中という地獄の中で、死を選ぶまで続く殺害が開始された。




