1-死の香りを落とす日々
先週、18時に投稿したのですが、(12時には他のものを投稿していたので、流石に間を空けた方がいいかなと)ブクマが1つ剥がれたので深夜に出すことにしました。
処刑人協会――ウィッチハントの会長であり、上司のマシューから直々に休暇をもらったシャルルは、仕事を追われることなくのんびりと日々を過ごしていた。
しかし、だからといって必ずしも心穏やかな日々を過ごせるという訳でもない。かと言って、もちろん殺伐とした日々を過ごしているという訳でもないのだが……
少なくとも、シャルル・アンリ・サンソンとしては、あまり喜ばしくない状況だと言える。
のんびりと過ごしているのに、あまり喜ばしくない状況。
その理由は単純で、朝起きると、雷閃かマリーのどちらかが絶対に枕元で寝顔を眺めているのだ。
既に数日経った今朝も、目が覚めると家に押しかけてきている少女――マリーの顔が目の前にあった。
「……」
「……」
どちらかが枕元にいるというのは、もう毎日のことで慣れたものなのでシャルルも驚きはしない。
気の抜けた寝言を漏らすこともなく、パチっと目を覚ますと目の前でニコニコ笑うマリーと無言で見つめ合う。
「……おい」
「なぁに?」
「なぁにじゃねぇよ。毎朝見に来んのは……まぁいいとして、何で起きた後も見つめてきやがるんだ」
起きていることはわかっているはずなのに、マリーはいくら待っても視線を外すことなく見つめ続ける。
しばらく彼女を睨んでいたシャルルは、やがて痺れを切らしたように飛び起きて文句を言い始めた。
だが、毎朝見に来ることを容認してしまっている辺り、もうかなり毒されているようだ。
同い年であるはずの善良な少女も、相変わらず黒いローブを着たまま寝ている幼馴染みに、変わらず保護者のような態度で微笑みかける。
「それは当然、あなたが大切で可愛いと思っているから‥」
「うーるーせーえー、ガキ扱いすんじゃねぇよ。
俺はお前と同い年の16歳で、背もお前より高いんだ。
それが何だ、幼子を見る母親みたいな対応しやがって」
マリーの返答を遮るようにまくしたてるシャルルは、随分とご立腹のようだ。パパッと長い白髪を整えると、彼女を置き去りにしてちゃっちゃと部屋から出ようとする。
しかし、されている本人が幼子を見る母親みたいな対応……と言うだけあって、そのまま行かせることはない。
風呂は前日に入っているので、服についてとやかく言う必要はないにしても、朝食がまだなことは確実だ。
バシッとその細い手をとって、腰を引いた体勢で引っ張られながらも、必死に外出を引き留めようとしていた。
「待ってシャルちゃん、あなた朝ごはんがまだでしょう?
今起きたものね。雷閃ちゃんと一緒に食べましょう?」
「おいこら、引っ張るな。俺は食欲ねぇから勝手にやってろよ。それに俺は、今あんまあいつに会う気ねぇんだ」
「どうして? 一緒に暮らしているなら、顔を合わせるのは当たり前でしょう? あの子も寂しがってるわ」
「少なくともお前は何故かいるだけだろ。いい加減帰れよ。
それに、あいつだってただの居候だ。
急に親子みたいな雰囲気を出してくんじゃねぇ」
起床後すぐに家から……より正確に言えば雷閃から逃げ出そうとするシャルルだったが、マリーを力尽くで振りほどくことはない。
彼女の場合、振りほどくと普通にケガをしてしまいかねないので、家族ごっこを拒絶しながらも、延々と引っ張り合いに付き合っていた。
「私は合鍵を持っているのだから、ここで寝泊まりするのはそうおかしなことじゃないわ。それに、血のつながりだけがすべてじゃないもの。あなたと過ごせないのは私も寂しい」
「合鍵を渡されたとしても、自分の家があるのに毎日こっちはおかしいだろうが。俺は寂しくねぇから、雷閃に構え」
「あなたとも、一緒にいたいの」
「いーやーだー」
シャルルは処刑人なのだから、当然荒事には慣れている。
その上これは、殺し合いや揉め事などですらない、恋人であれば痴話喧嘩だと言われるような、くだらない口論だ。
ケガをさせたくないとはいえ、本気で拒絶しているのならば最悪の場合、無理やり引き剥がすくらいわけないだろう。
だが、うだうだと文句を言いながらもなぜかそこまではすることなく、引っ張り合いは終わらない。
何だかんだ家に来ることを受け入れていることから、彼女を大切に思っていることは明らかだったが、予想以上だったらしいシャルルは、結局朝食に連れて行かれていった。
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「はぁ、散々な目にあったぜ」
マリーによって、雷閃との朝食に連行されてから数時間後。
ようやく逃げ出すことに成功したシャルルは、その辺を適当にぶらつきながら、とある湖へとやって来ていた。
しかし、雷閃とついでにマリーから逃げ出してきたはずが、ここにいるのはシャルル1人ではない。
もちろん誰かと一緒に来た訳ではないので、最初からこの場にいた人物ということになるのだが……
ともかく、ここには休暇中の処刑人以外の人物がいる。
近くに人気がなく、ひたすらに涼しげな水の音や自然の香りが満ちている自然の中で出会ったのは……
「で、何であんたがここにいるんです?」
「ふ……よもや後から来た子に文句を言われようとはね。
だが、私はただ気晴らしに来ただけだ。気にしないでくれ」
黒いスーツにマントを羽織っている、身長が2メートルはある細身の男――ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだ。
湖畔に建てられたガゼボにいる彼は、これほど自然に囲まれた場所だというのに、相変わらずピアノを弾いていた。
こんな日に限って外出しているようだが、ここでもピアノを弾き続けるのならば、なぜ来たのか甚だ疑問である。
常に協会の奥でひたすらにピアノを弾いているはずが、なぜか外で出会ってしまった演奏者に、シャルルはムスッとしながら反論していく。
「気にするなだぁ? こんなとこでもピアノ弾いてるようなやつを気にしねぇとか、無理に決まってんだろ」
「はっはっは、それはそうだ。うん、実にご尤も。
しかし、先に来たのは私なのでね。嫌なら君が帰り給え」
「嫌とは言ってねぇよ。何で協会の奥に引きこもってる人が、ちょうど俺が来た日にここにいるのかと聞いてんだ」
湖に響き渡るのは心地よい音色であり、出会すのは喜ばしいことではないながらも、不快感を覚える類のものではない。
シャルルは彼の言葉に鼻を鳴らすと、隣にあるベンチに腰を掛けながら問いかけた。
その問いを受けたモーツァルトは、ピアノを弾く指を止めることなく口を開く。
「それは知らないよ。気まぐれに外へ出たら、君が来た。
それだけのことさ。私だって、別にあの場所以外で弾かない訳ではないからねぇ。私達は気が合うんじゃないかい?」
クスクスと笑いながら答えるモーツァルトに、シャルルはより一層不機嫌そうにムスッと顔を歪める。
どうやら、彼の返答はあまりお気に召さなかったようだ。
とはいえ、やはり拒絶するほど嫌な訳では無いようで、それ以上は特に何も言わずに柵に寄りかかり、湖を眺め始めた。
「……なぁ、モーツァルト」
「なんだい、サンソン」
しばらく演奏を聞きながら、黙って湖を眺めていたシャルルは、やがて顔を向けることなく呼びかける。
声をかけられたモーツァルトも、変わらずピアノを奏でる指を止めずに返事をしていた。
「あんたは何でピアノ弾いてんだ?」
ガゼボの外からは、湖の水が奏でるさざ波の音色や木の葉が奏でる音色。ガゼボの中からは、長閑な光景が脳裏に浮かんでくるかのようなほのぼのとした音色が響き渡る。
そんな、処刑や殺人とは程遠い平和な世界の中で、シャルルは何でもないことのようにポツリと呟くように問いかけた。
「ふふふ、私にそれを聞くのかい? もちろん、私が生きる意味だからだよ。私は、数ヶ月演奏だけをして生きることもある。演奏は私の生きがいであり、食事であり、呼吸だ。
だから私は、ここでもピアノを弾くのさ」
「楽しそうで何よりだな、お気楽ノッポ」
「ふはっ、なんだなんだ? 君は思い悩んでいるとでも?」
唐突に罵声を浴びせられ、モーツァルトは思わずといった風に吹き出す。もちろん、ピアノを弾く指は止まらない。
だが、彼の奏でる音色は先程よりも心なしか弾むようなものになっていた。
「別に。少しモヤモヤするだけだ」
「ははは、だからこんなところに逃げてきたのか!
ふむ……そういうことなら、少し訂正するしよう」
笑う演奏者は、処刑人の気を晴らすかのようにテンポがいい音色を奏でる。相手は何も反応を示さず湖を眺めているが、音を遮断することなどできない。
彼は気にせず小気味よい音色を響かせながら、しかし真面目な表情で言葉を紡ぐ。
「私はたしかに、食事を抜いて演奏を続けることもある。
まったく苦には思うことはない。とはいえ、それだけに熱中することが楽という訳でもない。演奏は心安らぐものであり、同時にとても過酷な苦行だ。ふと休みたいと思った時、私はこうして自然の中に身を置くことにしている。
自然の中にも奏でられる音はあり、また別の視点を得ることもあるからだ。それはきっと、処刑でも変わりはしない。
仕事としてやっている中で、もしも辛く感じた時。
他のことをすることで見つめ直すことが可能だ。
食事でも、こうして音色に心を預けることでもいい。
無心で行ってきたことは、果たして自分にとってどのような意味を持つのか。少しはわかるだろうさ。
もっとも、君にとってはわかりきったことだろうがね。
まぁ、モヤモヤしているのならこれも良い機会だ。
処刑以外のなにかを見つけるのも、良いと思うぞ」
モーツァルトは音色と共に言葉を紡ぐ。
長く、真面目な言葉ではあるが、それは音楽と同時に流れることで自然にこの世界に浸透していくようだった。
無言のまま湖を眺めながら、水や木々が奏でる音色、演奏者が奏でるピアノの音色と言葉に耳を傾けていたシャルルは、やがて彼に視線を移して笑いかける。
「よく喋るな。音楽家なら音楽で語れよ」
「ふはっ、せっかく助言をしてやったというのになぁ」
カラッと笑いながら毒舌を発揮するシャルルに、またしてもモーツァルトは吹き出す。ピアノの音色は途切れない。
湖畔に建てられたガゼボでは、何の動きも意味もない平穏な日常が紡がれていた。
「そういえば、私はたまにボートで浮かぶこともあるんだ。
後で一緒に浮かびに行くかい?」
「一人で行ってろよ」
楽しげにシャルルを誘うモーツァルトだったが、そのお誘いは迷う素振りすらなく切り捨てられる。
風が彼らの髪を揺らす中、2人はただ湖畔で同じ空気を吸っていた。




