9-夢幻に喚ばれた雷光・後編
アイアン・メイデンやぬいぐるみの軍隊は引き、軟体動物達や血の武器の乱舞は今にも存在がなくなる消滅間際。
人としての形を失った雷閃は、消えゆく者たちの欠片を浴びながらカクカクと世界を雷で染め上げる。敵の物量が減るのに比例して増えるのは、雷を帯びた鉱石だ。
それらは庭石のようにポツポツと顔を出すと、辺り一帯に雷の膜を広げて継続的に敵を攻め立てていく。
同時に、狙撃や言霊、大剣の一撃を阻む防壁にもなり、また雷閃が飛ぶ方向を瞬時に切り替える役目も持っていた。
攻防一体である雷のフィールドの中、まさに雷そのものである少年だったものは世界を駆ける。
世界はすべて雷に上書きされ、彼自身もスピードに振り回されてギザギザにしか動けていないくらいなのだから。
マシューの洗脳など、そもそも届かない。
ヨハンの大剣など、遅くて当たらない。
フランツの狙撃など、当たった瞬間に避けられる。
自分すらも壊す勢いで暴れる、災害の如き雷は、今こそ器の未熟さを超えて、本来の格の違いを思い知らせるように死者達を圧倒していた。
「ジル・ド・レェ、アルバートを殺してなお、この力……!!
追いつけない、身を守るので精一杯だ!」
「私の言霊も、すべて雷鳴にかき消されてしまうな」
「あはは……俺なんて、近づかれたら何もできないですよ」
この世界の中では、死者達などただの的だ。
ヨハンだけはギリギリのところで攻撃を防御し、耐えられているが……残りの2人は、ただ運任せに逃げるしかない。
言霊による地面の隆起、当てずっぽうに撃った弾丸で軌道を無理やり変更するなどで、運良く攻撃が外れることのみに賭けて逃げている。
実験の結果、人体改造によって引き上げられた偽物と、覚悟によって己の身1つで成った本物。その格差は残酷なほどで、圧倒的すぎてもはや戦いではなかった。
点在する鉱石を辿ることで、雷はさらに無駄を削ぎ落としたスピードで彼らを囲う。逃げているとは言ったが、逃げた先にもすぐに回り込むので、破綻するのも時間の問題だ。
「〜っ!! これ、もう、無理かなぁ!!」
「製造番号6、フランツ・シュミット……処理」
特になすすべのなかった狙撃手――フランツは、やはり最初に防戦が破綻して潰れる。
雷という的はそもそも光っているし、感じ取る最善の射線も速すぎてぶつ切りなのだから、当たり前だ。
ライフルは大根ように輪切りにされ、引火した弾薬の楽園の中で、彼自身もバラバラにされてしまう。
狙撃手だからか、わざわざ目を優先して潰していたという、かなりの徹底ぶりだった。
「くっ、フランツ・シュミット……!!」
「……ふむ。流石にこれは終わりか
本来ならば、あの小娘をさらに追い込む、もしくは殺してペオル様にセイラムを収束させたかったのだが」
蘇った中でも、同じ処刑人協会の同僚だったフランツの死に、ヨハンはかなり動揺した様子を見せる。
大剣を振るう手がブレ、掠った雷に顎を吹き飛ばされて地面へと叩きつけられていた。
だが、もう1人の処刑人協会のメンバー……そのトップである元会長のマシューは、やはりまったく気にしていない。
顔色一つ変えずにその末路を見届け、自分自身に迫った死も無表情で受け入れている様子だ。
そんな彼に、雷は間髪入れずに肉薄していく。今さら言霊になど、なんの影響も受けないのだから。
彼は真っ直ぐに接近すると、壁になっている隆起した地面を破壊し、形だけ適当に紡がれた言霊を雷鳴でかき消し、催眠術師の首を断つ。
「製造番号4、マシュー・ホプキンス……処、理……!!」
「マシュー、様ッ……!!」
立て続けに仲間が殺され、殺戮機械だったはずのヨハンは、生前の死に際と同じく感情的に表情を歪めた。
強い怒りや恨みは――自然に打ち勝つほどの感情は、神秘にとって力の源。雷閃のように正の感情であれば聖人と成るが、それが負の感情であれば……より上限の高い魔人と成る。
保つのが難しい決意や強めることが難しい覚悟とは違って、負の感情ならば強めるのも簡単だ。
つまりは、現在のヨハンに起きたのはそういうことで。
人為的な操作によって作られたものとはいえ、仮にも魔人と成っている彼なのだから。
彼は自分以外が殺されたという現状には力を強め、それこそ本物の神秘と肩を並べるほどの格を得る。
改造により元からあったずば抜けた身体能力に、より規模が大きくなった環境や他者への変化。
それらを駆使して、人の枠を超えて雷そのものと成っている少年に、その力を叩き込……
「いらないよ、そういうのは」
「ぐはぁッ……!! なぜ、私は、私はぁ!!」
明らかに力を増していたヨハンだったが、雷閃はそれすらも正面から叩き潰す。大剣を弾き飛ばし、切り刻み、手のひらを突き出すだけで自分の数倍はある巨漢を地面に叩きつけていた。
最強にして最後の処刑人も足掻くが、問題にもならない。
迸る雷によってねじ伏せ、ビキビキと彼の体を崩壊させていく。
「君がどれだけ強い負の感情を持っても、僕は自分すら破壊する覚悟で君達の相手をしている。いや、実際に僕は消滅しかかっている。死ぬの覚悟と、生きて仇を討つ恨み。
比べるまでもないでしょ? 話にならないんだよ、君じゃ」
「私はぁ、望まれるままに殺し、殺す、殺す!!」
「君はいつもそればかりだ。それこそ、この歪んだ國らしさなのかもしれないけど……滅ぶためにあるそれに先はない。
だから君達は、決して僕やシャルルお兄さん、シャルロットお姉さんに勝てはしないんだよ」
「ウォォォォォォッ、嵯峨、雷閃ーッ!!」
さらに力を強めた雷閃は、凄まじい雷撃で大地を砕く。
ねじ伏せられているヨハンは動けないが、2人は同じように空中へ投げ出された。
「すべてを赦す聖者になれずとも、我は泰平の世を守る救者とならん。この腕こそ、世界が辿る未来の輝き。
邪悪を排す守護の雷、人民の仰ぐ至高の救雷である」
雷閃が覚悟を紡ぐ毎に、雷はさらに輝きを増して迸る。
溢れ出る輝きは不思議と柔らかく、春の日にそよぐ風のようだ。
ただし、それは善良な者に限った話。善人には穏やかな光でも、悪人にとっては全身を蝕む雷でしかない。
食い千切られるような痛みの中、ヨハンは螺旋を描くように打ち付ける雷に幾度も斬られ、溶けるように消えていった。
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「……あなた、どういうつもりですの?」
まだ、雷閃と醜悪な魔女会がぶつかり合っていた頃。
軟体動物が溢れ返り、雷が敵の隙間を縫うように通っている中で。
彼女は、同じ醜悪な魔女会の一員である少年によって、物陰に連れ込まれていた。本来なら、マシューたちと一緒に敵と戦わなければいけないのに、それを途中で放り出す形で。
いや、訂正しよう。もはや、少年は醜悪な魔女会の一員とは言えない。同胞だったはずの彼によって、正常に暴走させられたいた彼女――エリザベート・バートリーは、戦いを中断させられたのである。
「どういうつもりもなにも、最初に言った通りだよ。おれは意味を残すんだ。そのために、やるべきことをしてる」
険悪なエリザベートとは対照的に、裏切り者の少年――ルイは涼しい顔で宣う。まったく悪びれない態度を受け、彼女は信じられないものを見ているようだった。
「ジョン・ドゥもシャルルも、それを復讐するという意味で捉えていたようなのだけれど?」
「そう思われた方が、自由に動けるでしょ?
ただ否定しなかっただけさ」
「自由にって……わたくし達は、自我こそ残っていますけど、その方向性は殺人に定められているはずですわ。
あなたの言っていることは、意味がわかりません」
「おれは製造番号2。このエンジェルナンバーが意味するのは、心の声に従ってください。本心に従うことのできるおれは、誰にも命令されない。後から植え付けられたものなんかじゃなくて、本当におれがしたいことをするんだよ」
「っ……!? そんな……」
ようやくはっきりと裏切り者だと認知したエリザベートは、身構えて飛び退る。既に引き上げていたアイアン・メイデンとぬいぐるみの軍隊は、この低範囲に。
刺々しい拷問具やふわふわの綿が詰まった腕を、ルイに突き付けるように差し出していた。
その様子を見ると、ルイは軽く苦笑してから一歩踏み出す。
「安心して、おれは君と妹の関係性を知ってるから。少ーし複雑ではあるけど、あの子を悲しませることはしない」
「わたくしは、今まで握られていた生殺与奪の権を……!!」
「本当にそれを1番に望むのなら、おれが何をしても君は人を殺す。そうじゃないなら、本心に従うことができる。
これは、ただそれだけのことだよエリザベート」
「っ……!!」
表で神々が壮絶な戦いを繰り広げている中、少年少女は物陰で静かに地味な戦いを繰り広げる。ここで言う地味とは、実際に目に見える戦況の変化が少ないということだ。
エリザベートは眷属を使って抵抗するが、ルイにはほとんど通用していない。いや、本来ならば、本当に見た目通りの結果であるのならば、効いているはずなのだ。
しかし、どういう訳か彼はまったく止まらない。
攻撃は不思議とまったく外れないにも関わらず、どれほどの負傷を受けても最初と変わらない動きをしていた。
どれだけ体に穴が空いても、血が流れても。ずっと穏やかな瞳で自分を見つめてくる少年に、エリザベートは心底狼狽した様子で口を開く。
「あ、あなた、痛くないんですの……!? そんな状態で……」
「悲しいことに、こういった扱いには慣れていてね。
あの子が処刑人として訓練を積んでいる間、おれはずっと拷問を受けていた。痛いけど……動けてしまうんだ」
「っ!!」
すべての障害を乗り越えたルイは、そのままほっそりとした指を差し出す。優しく触れるのは彼女の額。
人を殺せと、殺戮のためにの傀儡になれという縛りは、これにて解かれる。ここから先は、彼女がどうしたいかの問題だ。
「それで、君はどうしたいの?
自分の意志で、人を殺したい?」
「……ふっふっふ。おーっほっほっほ!! そんな訳がないじゃありませんの! わたくしは数千年続く偉大なる吸血鬼一族の正統なる血統である吸血姫!! 生き血をすすり、下々の方々に恐怖を振りまくヴァンパイア!! 生殺与奪の権は取り戻しましたが、それを無意味に振りかざすのは美しくありません!! わたくしは、必要な時に美しく殺すのですわーっ!!」
「じゃあ、君達は味方だと思っても……?」
ペオルから解放されたエリザベートが威勢よく宣言していると、直後に近くの地面が雷によって吹き飛び、弱々しい声が聞こえてくる。
慌てて振り返ってみれば、そこにいたのは敵である死者達を尽く討ち果たした雷――雷閃だ。彼は今にも砕け散りそうなほどひび割れ切っており、何もしていなくても端々から光の粒が空気に溶けていっていた。
「っ……!! あなた、雷閃ちゃん!?」
「あれ、ちゃんと見えてなかったのかな?
ともかく、正常に戻ったのならよかった。
僕はもう無理だけど、2人はあの3人を助けてあげて」
「そんなっ、あなたあの子にお別れもなしに……!!」
「ここでお別れは寂しいけど、僕は役割を果たしたよ。
苦難はいずれ乗り越えられるもの。お兄さん、お姉さん。
この先、もっと辛いことが待っているかもだけど、みんなも頑張って。……次に会えるとしたら、何百年も後なのかな?
でも、大丈夫。守護は、いつまでも君たちのそばに……」
エリザベートはとっさに駆け出し、抱きしめてこの場に止めようとするが、その手は間に合わず空を切る。
彼女の腕の中から、雷の粒は空に向かって飛び立っていた。
その魂は、きっと幻想を越えて。本来の時代に戻るのだ――
光の粒を目で追って、彼女達は空を仰ぎ見る。
それに気がついた人は、きっとほとんどいないだろう。
國中で殺し合っている住民達も、他の戦場で戦っている者達も。唯一、エリザベートたち以外に気が付いたのは、最初からこの結末を知っていた者だけ。すなわち――
「――善性の片割れが、この國を去った」
跡地の広場を見下ろせる高所に、其の者はいた。
白い外套を身に纏っている吟遊詩人であり、過去の人物である雷閃をこの時代に送り込んだ張本人。
時空の旅人――クロノス。
ルネッサンスリュートを奏でる彼女は、散りゆく雷の粒子を見つめながら独り言ちる。
「この時代には成長したあなたがいる。それはあなたがまだ死なないことの証明。ありがとう、あなたの役目は終わったわ。あなたがいるべき時代へと、おかえりなさい」
雷閃の体は崩れ、空の彼方へと散っていった。
それは何人もの人が確認した、純然たる事実である。
しかし、まだ本当の意味で死んだわけではないのだと。
死ではなく消滅……この時代から退去しただけなのだと。
そう、彼女は語っていた。そして同時に、彼女自身の身体も段々と薄れていく。
時空の旅人である少女は、1つのターニングポイントであるこの場だけを見届け、再び時空の狭間に消えていった。




