3-最悪へと向かう歯車
殺人鬼とモーツァルトの演奏により、混乱と不安、狂気などのままに殺人者の國と化したセイラムで。
まだ残っている数少ない処刑人の少女は、涙を流しながら、壊れ切った表情でフラフラと街を歩いていた。
深い夜の闇が手を伸ばすのと同時に、彼女には目に痛いほど鮮やかな赤や吐き気を催すほど濃厚な香りが襲いかかる。
しかし、誰一人として彼女自身に直接襲いかかる者は存在しなかった。既に死んだマリーとはまた質が違うが、たしかなカリスマを持っていたことで、こんな状況でもまだ敬われていたのだ。
いや、この状況だからこそ敬われているのかもしれない。
なぜなら少女は――数多の悲劇の元凶となったアビゲイル・ウィリアムズという諸悪の根源は、最悪の狂言師として人々に力を与えることができるのだから。
「あたしが、力を与えた人が、殺し回っている……
あたしが、力を与えたせいで、優位に立って……あたしは、こんな地獄を作りたかった訳じゃ、ないのに……」
とはいえ、彼女は戦う方法を教えた者を操れる訳では無い。
本当はただ身を守るためを教えたとしても、狂った人々は力に溺れて人殺しになってしまっている。
これまでは、恐怖を紛らわせようとして集めたことで、魔女認定を受けさせてしまったり、抗う力を与えたことで、より凄惨な死へと進ませてしまっていたが。
現在は直接、悲劇を撒き散らす元凶へと変貌させてしまっていた。その、事実が。間接的とはいえセイラムを終わらせたという現実が、彼女をさらに追い詰めていく。
「処刑人協会は滅び、殺人鬼も全滅した!!」
「もう俺達を縛るものは何も無いぜぇぇぇ!!」
「好きに殺せ、好きに暴れろ!!」
「俺達は、やっと自由になったんだぁぁ!!」
「あは、あはは……あたし、は。それでも、助けなきゃ。
マリーが死んじゃったなら。もっと、身を守る力を」
空には肉の枝、本部跡地には肉塊の巨木。
また人々を恐れさせそうなものは、増えているのだが……
ペオルはシャルロット達に気を取られているため、まだ矛先は彼らに向かっていない。一部の者は怯えているが、多くの者が自由と殺しを楽しみ始めていた。
だからこそ、苦しんでいる住民以外のものなど見えていないアビゲイルは、さらに手を加えて狂気を加速させてしまう。
諸悪の根源、最悪の狂言師として。
「大丈夫、大丈夫よっ! この地獄を生き抜けば、きっと!
みんなが安心して暮らせる、より良い未来に……!!
どんな時でも、あたしは味方だから!
最後まで希望を失わず、抗いましょうっ!」
「アビゲイルちゃんが味方してくれるなら……
私達も、生き残れるかしら? あの、魔女を殺して」
「そうだ、力に溺れた者を殺せぇ!!」
「あんな暴力的な奴らは、滅ばないといけないんだ!!」
まだ醜悪な肉塊に怯えている人も多く、セイラム國民の全てが殺し合いに参加している訳では無いが。
各地で起こる戦いに関しては、明確に悪化した。
本来は善意によって行ったはずが、実際には悪意によるものとしか思えない現実になったことで、少女は純粋に首を傾げている。
「あら……? なぜか、殺し合いが悪化したような……
でも、きっと大丈夫よね! だって、少なくともみんな自分の身は守れるようになったんだから」
より凄惨な未来は、すぐそこに。
醜悪な魔人が打ち倒された後、きっと彼らを抑えるものは本当に何一つ残っていないだろうから。
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見事に説得されたキッドは、醜悪な肉塊の待つ協会本部跡地に直行する。だが、その目的は戦闘であり、説得をしたトムは足手まといにしかならない。
彼はあくまでも、サポートメインの情報屋なのだから。
まだ役割が残っているとしたら、それは当然後方支援ということになる。
すなわち、無事を確認したシャルロットを除いた残り2人の仲間……その片割れである雷閃の確保と、戦線復帰だ。
双眼鏡で異常なほど視覚情報を収集する彼でも、物陰にいる人を確認することは出来ない。
最後に確認できたのは勝利と同時に落ちる姿で、その後現在まで前線に復帰していないのだから、おそらく相討ちに近い状態なのだろう。
そのため彼はキッドと分かれた後、雷閃をむざむざ殺されないため、できれば戦ってもらうため、キルケニー西側の集落に向かって走っていた。
「はぁ、はぁ……ぶ、無事でいてね、雷閃くん。
僕は戦えないから、ま、守れる気はしないけど……
そ、それでも。放っておいていい理由には、な、ならない。
ちゃんと、む、迎えに行くから……!!」
首都に限らず、現在のセイラムでは誰も彼もが殺し合いをしていて絶賛暴走中だ。身を守る術をもたないストーカーは、ひたすら逃げ続ける。
とはいえ、戦えないだけで視覚情報をキャッチする能力は誰よりも高い。流れ弾も陰から襲いかかろうとしている者も、そのすべてを回避して進む。
周りにいるほとんどの人が殺意を向けているが、それでも。
彼は誰にも捉えられることなく、希望の雷の元へと向かっていた。そう、誰にも捉えられるはずがなかったのだ。
「やっほー、ストーカーくん」
「……!? ジョン、ドゥ……!! ガハッ……」
いつの間にか接近していたジョン・ドゥは、視覚情報で他を圧倒しているはずの彼を容易く貫く。
ジャックは殺されたので味方になったが、彼はまだ殺されていないので、最後の殺人鬼として。
視覚情報の差で負けていても、そこで劣る代わりにその他のあらゆる情報に精通していることで、警戒を掻い潜り。
死んだマリーの姿で、数少ない正気を保った味方をナイフで刺殺していた。
「名無し顔無し中身なし。すべてが伽藍の私が登場よ。
視覚では負けていても、他は雑魚なんだもの。
あなたが私に勝てるはず、ないわよね。
ノイズになるから、退場しなさいな」
邪魔な情報屋を殺した彼女は、そのまま彼の跡を継いで雷閃の元へ。まだギリギリ最後の一歩を踏み出せずにいる人々を煽りながら、作り物の笑顔で歩き始めた。
「ジャック・ザ・リッパーの代わりは、私が務めるわ。
みんな、たくさん殺しましょうね!
殺しとは、太古の昔から行われてきた存在を懸けたゲーム。
何よりも心を動かす、楽しい行為なのだから!」
誰もが死んでいくこの國で、命の価値がとことん低いこの國で。彼女の言葉は、アビゲイルのカリスマにも匹敵する程の甘言だ。
迷いなく紡ぎ出される音色に、人々はさらに正気を削られて狂気に堕ちていく。東から西へ。首都から郊外へ。
伝播する歪みを引き連れ、彼女は雷閃の元に辿り着いた。
「あらあら。雷閃ちゃんったらお眠なのね。
じゃあ、このまま永遠に眠っていてもらおうかしら。
この子なしで、シャルちゃんが打ち勝てるかはわからないのだけれど……仮に負けても、セイラムはペオルが体現するでしょうからね。何も、問題はないわ……」
ひび割れた状態で気絶し、瓦礫の中に横たわっている雷閃を見つめながら、ジョン・ドゥは独り言る。
彼を大切にした、マリーの姿で。
彼を愛した、マリーの姿で。
しかし、その刹那。ゆっくり歩み寄り、少しずつ距離を縮めている彼女達の間には、不自然な揺らぎが発生した。
「……!? これは、一体……いえ、これがそうなのね。
幻想に閉じられたこの國に、きっと世界を揺るがすこの時代に、過去から嵯峨雷閃という強大な神秘を送り込んできた時空の旅人……!!」
驚きつつも瞬時に理解する殺人鬼の目の前で、揺らぎは次第に強くなっていく。空気を揺るがし、地面を震わせ、時空を歪ませていきなり現れたのは――!!
「……」
白い外套を身に纏っている、小柄な少女。
ルネッサンスリュートを片手に、悲しげに微笑んでいる吟遊詩人だった。




