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虚の天秤  作者: 榛原朔
五章 月光死域
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14-月夜は陰りゆき

ジャック・ザ・リッパーという男は、死や処刑がありふれたものになっているこのセイラムにあってすら、誰よりも殺しを楽しんでいる異常者だ。


どれほどの狂気に染まっても、どれほど完璧にセイラムを象徴していても、これまで彼以上にセイラムを体現できた者はいないだろう。


そのため、彼の刃が迷ったり鈍ったりすることはない。

たとえ家族や友人が相手でも、自らに死が迫ってきていても、殺人鬼は愉しみのために人を殺す。


モーツァルトの呼吸や食事が、演奏であるのと同じように。

切り裂きジャックの呼吸や食事は、人を殺すこと――もっと言えばどれだけ巧く鮮やかに殺せるか試すことなのだから。

……この名を持つのであればそうしろと、魂が叫ぶから。


だから今宵も、やることは同じだ。

手ずから育ててきた愛弟子を、いつもと変わらない日常の中であるかのように穏やかな笑顔で、あっさりと殺す。


それだけで、この國にまつわるすべてが終わる。マシューと処刑人協会が滅びた今、セイラムと死を体現できるのは彼で確定する。そのようにして、終わる……はずだった。


「ぐッ……!? ギロ、チン!?

こんなものまで、投擲武器にしてるのかい君は……!?」


ナイフを突き出していたジャックの背後から炸裂したのは、頭部に追い打ちをかける巨大なギロチンだ。

シャルルが手前に引いている槍の柄に引かれたワイヤーで、ここまで誘導されてきたらしい。


もちろん、いくら細くてもワイヤーは目に見えるのだが……

街が霧に包まれていること、左目が潰れていること、武器や槍の穂先、シャルルに気を取られていたこと。

様々なものの積み重ねによって、警戒を突破することができたのだろう。


圧倒的な質量をまともに受けたジャックは、目をぐるぐると回しながら呻いて体を傾ける。

流石に撃破まではいかず、体勢を立て直そうとしているものの、これで戦況はさらにシャルルに傾いた。


「ギャハハハハ!! 投擲で終わるか、メイン武器だバーカ!!

相棒からもらったコイツで、テメェを殺す!!」

「まったく……いい仕事をするよフランソワ」


ギロチンと挟み込むようにして、シャルルはナイフを振るう。倒れ込んでいることで、既にギロチンはジャックの体から滑り落ちるように外れているが、着地点は槍だ。


たとえ最強の殺人鬼が相手でも、ふらついている敵を逃げ場を奪うことくらい容易い。彼は槍を蹴り上げると、ワイヤーの外れたギロチンを足で操る。


飛んできた質量をそのままに右へ、自由に方向を選べる自分はナイフを持って左へ。前後からの挟撃に続いて、左右からの挟撃を繰り出す。


「ふはっ、全身が凶器じゃないか!! いつの間にか殺してる僕とは違って、自分の意思だけでここまで!?

とても面白い!! そんな君を、殺したい!!」

「君って、私のこと?」

「……!?」


ついに左腕を潰され、右腕もナイフに貫かれたジャックは、目の前で小首を傾げている少女を認めて目を剥く。


見事な立ち回りで自らを刺してみせた少女は、最後の処刑人だからこそ届いたはずの凶器の担い手は、ただ心が壊されてしまっただけの普通の少女。


処刑人ではないどころか、ただセイラムに心を砕かれただけの被害者でしかない少女――ノインだった。

本来ありえない人格の登場に、ジャックは今まで以上の驚きを見せている。


「はぁ!? 主人格!? 君はただの女の子だよね!?

精神的な問題であるシャルロットとは違って、単純に技術がなくて殺しが出来ないはずだよ!?」

「……体は、同じものだから」

「おいおい、君は馬車をいきなり渡されて、その直後に完璧に乗りこなせるとでも言うのかな? 無理なんだよ、そういうのは。最低限はその機能を使ってきてないと」

「……どっちでも、よくない? 私は、もうあの子達に責任を放り投げない。殺しも、不殺も、私自身が背負う。

あなたが、有罪なのか無罪なのかも、私が裁く」


目に見えて狼狽し、ナイフを抜くこともギロチンを放り投げることもせずに対話を続けていたジャックは、ただの少女が見せた覚悟に目を細める。


さっきまでは常に穏やかな紳士だったはずなのに、打って変わって殺人鬼の顔だ。潰れた目、砕けた腕、裂けた足……

いたる所から血を流しながら、不気味に目を光らせていた。


「へー、そりゃすごい。で、判決は?

心優しい女の子である君は、僕を無罪にする?」

「そんな訳、ない……!!」

「あはは、なぁんだ」


食いしばった口から、絞り出すように紡がれた声に。

殺人鬼は朗らかに笑う。


最後までちゃんと殺し合いが続くのならば、もう決着はついたも同然だ。今から抗ったとしても意味はない。


貪欲に殺しを追い求め、反撃して死を呼ぼうとしていた手足は、糸が切れたように動きを止めた。

殺意が消えた瞳は、歓喜に満ちた色を見せて柔らかい少女の唇が紡ぐであろう言葉を待つ。


「マリーを殺したお前なんか、有罪で死刑だ!!」

「口先だけじゃなかったの」

「ギャハハハハッ、悲しいなぁジャック・ザ・リッパー!!」


ノインが判決を叫ぶと同時に、その体に現れるのは人殺しの人格――シャルル・アンリ・サンソンだ。

凶暴に笑いながらも涙を流す彼は、左腕を潰していたギロチンを引っ張ると跳ね上げ、まずは殺人鬼を制圧していく。


「この國の善性は、もう欠けちまった……

これ程虚しい処刑はねぇなァ!!」

「笑えよシャルル、楽しい楽しい殺しの時間だぜ!?」


街の霧を消し飛ばすように、ギロチンは上段からジャックの頭蓋を叩き割る。笑顔は、最後まで殺人鬼にのみあった。




~~~~~~~~~~




この國を混乱に陥れた殺人鬼たちの中で、最も殺人が巧いのは間違いなくジャック・ザ・リッパーだ。

仮に殺し合ったとしたら、必ず彼が生き残る。


しかし、最も強い者が誰かと言えば、それは雷閃と対峙しているキングズベリー・ランの屠殺者だろう。

まともにぶつかって勝てずとも、強さというただ指標ならば。より上の順位に置かれるのは、彼女だ。


彼が殺し合いに負け、霧が少しずつ晴れ始めている頃。

とっくに廃墟と化していたキルケニー西側の集落では、神秘同士、最後の激戦が繰り広げられていた。


「歪みは戻らず、邪悪は断ち切れず。

それでも僕は、天を斬る!」


相対するのは、ただ力に特化した者達だが、まだ幼い雷閃にとっては何よりも厄介な相手だ。

素早さで圧倒していたとしても、火力が足りない。

どれだけ斬ったとしても、倒し切れない。


ほとんど一方的に斬られ続けている、キングズベリー・ランの屠殺者とニューオーリンズの斧男は、全身を真っ黒にしていながらも笑い、食い下がっている。


「僕が必要とされているのは、ここじゃない。

けれど、あの子達の助けになれるのなら!

僕は、喜んでこの身を捧げよう!! 我が名は嵯峨雷閃(さがらいせん)

いずれ彼の国に立つ、人類の守護者なり――!!」


掲げられた刀には、夜を上書きするかの如き眩さの雷が纏われる。これまでの高速移動、螺旋の軌道、無数の斬撃により、斧男は動けない。


たとえ、少年が力を貯めるために静止していたとしても。

限界以上の力を使っていることで、ひび割れて肌の下から雷の光が漏れ出ているとしても。


ボロボロの体を繋ぎ止めること以外、何も出来ずに。

ただぼんやりと、その姿を見上げていた。


「あ、あぁ……おで、殺す。でも……綺麗、だ」


夜を真っ二つにし、そのまま世界を断ち切るような勢いで。

雷閃の一撃は振り下ろされる。

散々この雷に耐え、暴れ回っていたニューオーリンズの斧男は、為すすべもなく消し飛んだ。


すべてを出し尽くした少年は、燃え尽きたような有り様で空に浮かぶ。もう、ろくに意識など残っていない。

それでも……まだ、この場には討ち果たすべき敵がいた。


「アッハァ!! すっごい!! まぶしい!! きれい!!

そのぜんぶを、ぶっこわしたぁい!! アッハハハ!!

殺させて? あなたをあたしに、殺させてぇ!?」


蹴りの威力だけで空を飛んでくるのは、先程の一撃にすら耐えた殺人鬼。とっくにハンマーを手放しているというのに、その小さな手だけで尽くを破壊し尽くさんとする鏖殺幼女――キングズベリー・ランの屠殺者だ。


もちろん、彼女だって無傷ということない。

斧男と同じく真っ黒で傷だらけ。加えて先程の一撃を受けたことで、胴は細くなり手足も幾分短くなっていた。


それなのに、狂気の幼女は破壊を求める。

半分以上意識が飛んだ状態で、その欲求だけで最も壊し甲斐のある少年へと向かっていく。


「恨みとは、正しく晴らされるべきもの。邪が悪化した病。

だけど、空虚な君は、ただの悪。そんな君を、僕は……」

「雷壊すの、楽シイ!! 國を壊すの、楽シイ!!

あなたを壊すの、楽シイィィィ!!」

「無慈悲に、斬り捨てよう。悪鬼退散……破邪の鳴。

天地を均すは、我が轟雷。しからばこれは、神の罰」


ひび割れ、抜け殻のような少年は、もうこの場に存在していないかのような柔らかさで刀を振るう。

雷光は煌めかない。雷鳴は轟かない。

弱々しい雷は、ただ幼い少女のみを静かに貫いた。


「……はれ? からだ、ない」

「さようなら、演奏に狂わされた人。

そして、ごめんなさい。いくらお兄さんの友人だからって、あの人を信じたぼくがばかだった……」


雷閃に両断された体は崩れ、屠殺者は跡形もなく消えて落ちていく。それを目で追いながら、少年も静かに落下し始めていた。


薄れゆく彼の視界に映るのは、段々と陰りを見せる満月。

最後まで耳に届くのは、不安定な人々の感情をさらに掻き立てるような不穏で激しい音色――リスト-死の舞踏だ。



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