9-満月の下で死は笑い
シャルル達が動き出したのとほぼ同時刻。
怪しげな霧に包まれた首都・キルケニー……その高所では、灰色の髪を風になびくようにワックスで固めている紳士が、ナイフを弄びながら立っていた。
その目は眼下の人々とは違って正気そのもので、その表情はこの状況を何とも思っていないように笑顔。
泣き叫び、怒り狂う人々の声を聞きながら、虚空に向けて穏やかな口調で語りかけている。
「さぁ、遊ぼうかシャルル。我が弟子よ。
生まれながらに死と近かった僕と、この國に歪められて死となった君。どちらが、よりセイラムを体現できるのか……
最後のゲームの始まりだ」
遠くを見つめる目が捉えるのは、キルケニー付近の集落にて巻き起こる死の奔流。そして、これを治めようと4人の殺人鬼を探すシャルル達の姿だった。
彼らの最終的な目的は、ジャック自身を殺すことだというのに。それを理解しているはずの紳士は、むしろそれを喜んでいるような態度で柔らかく微笑んでいる。
この異常事態にあっても、死を生んでいる状態であっても、命を狙われている状況にあっても。彼は一貫して、どこまでも温厚な紳士だった。
しかし……しかしだ。
ありふれた日常に生きているような温和な男は、誰よりも死からかけ離れたような男は、次の瞬間には屋根の上から消え失せる。
「ひゃははははっ、殺せ殺せ!」
「くそっ、魔女共を、処刑しろ!!
ウィッチハントが滅びた今、我々こそ正義だ!!」
「……」
ジャックが現れたのは、さっきまでの一応は安全だった高所ではなく、狂気に飲まれた人々のど真ん中。
正気を失っている人々の中でも、特に率先して殺し合っている者ばかりが暴れ回る、危険地帯のど真ん中だ。
そんな、わずかでも気を抜けば即死んでしまうような地獄の中で、相変わらず柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「っ……!? 何だあんたは!?」
「ギャハハ、よくわかんねぇけど獲物が増えたぜ!!」
いきなり現れた男の姿に、人々はもちろん驚く。
だが、殺すことを楽しみ始めた者からすれば、単に殺せる人間が増えただけに過ぎない。
これは魔女狩りなのだと……不安をぶつける人殺しを正当化している者よりも、遥かに素早く状況に適応していた。
各々の手に持つ武器を振りかぶり、穏やかに立ち尽くす紳士に向かってその凶器を……
「……え?」
「魔女を止め、ろ……?」
「……」
ジャックは変わらず紳士的な笑顔で、手を後ろで組んだままただ立っている。それなのに、人殺しを楽しんでいる人々の手は消え失せ、彼を傷付けることは叶わなかった。
「ギャァァァァァァァ!?」
「なんだ、何が起こった……!? ぐわぁ!!」
続けて、近くにいたものはジャックの歩みに合わせて次々に切り殺されていく。後ろに落ちているのは、巨大な水たまりを生んでいる血の海と、輪切りになった手や刺し身のように薄く切られた血肉……
より霧が濃くなり、潜在的な恐怖を呼び起こすキルケニーには、さらなる混乱と狂気が渦巻き始めていた。
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『トム、状況はどうだ? 予定通りの敵とぶつかれるか?』
同時刻、シャルルの家付近で最も高い建物の屋根の上。
オペレーターを任されているピーピング・トムは、手元にある無線から聞こえるシャルルの問いを受けていた。
「そ、そうだね……」
最終的な指示を出すのは、基本的にシャルルだ。
そのため、状況を聞かれた彼は双眼鏡で素早く各地の情報を読み取って、ただそれを伝える。
「キ、キルケニーの霧が目に見えて濃くなってる。た、多分ジャック・ザ・リッパーが、い、いるんだと思う。
ほ、他の地域だと……キルケニー南の集落に、斧男。
巨体に見合わないスピードで殺しまくってる。
東西はわからないけど、すごい騒ぎだ。
魔女、屠殺者、怪人が、1人以上はいると思う……」
『なるほど……ジョン・ドゥの情報と照らし合わせると、東が魔女、西が屠殺者、神出鬼没の怪人はどこにでもか』
『じゃあ、俺様は東側の集落に行けばいいんだな?』
『ぼくは西かな』
『おう、任せたぜ。俺は南の斧男を越えて、首都だ……!!
こいつはトロいから放置でいいが、怪人は雷閃が潰せよ。
一般人じゃ、少し気を逸らしたくらいじゃ逃げ切れねぇ』
『任せておいて』
視覚情報に関してはずば抜けた能力を発揮するピーピング・トムの力によって、シャルル達の作戦は決定される。
位置的に、まだ見えていない範囲も多いのだが……
現場の状況を元に、適宜更新されていくことだろう。
元凶を滅ぼし、人々を正常に戻すため。
そして、マリーを殺してデオンを壊した恨みを晴らすため。
独善的に処刑する、彼らの戦いが始まった。
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「あ〜、好きに殺せるってとても気持ちがいいねぇ」
目標を見定めたシャルル達が、今にも敵と激突しようとしていた頃。最奥にあるキルケニーでは、好き放題人々を虐殺していたジャック・ザ・リッパーが晴れやかに笑っていた。
背後に放置されている、刺し身の皿のような死体も、料理の材料をまとめてあるような細切れの死体も、彼はまったく気に留めない。
吸血鬼と化したアルバート・フィッシュのように食べることなく、ただ綺麗に殺すためだけに。
あまりに巧過ぎる鮮やかな殺し方を、披露し続けていた。
彼という殺人鬼の出現に、魔女とされる殺人者も魔女を追う処刑人の役割を羽織った者も、皆一様に逃げ惑う。
しかし、さらに濃くこの街を包み込む霧によって、誰一人として街からは逃げられない。
付近の集落では、まだ暴走している者も残っていたが……
ここキルケニーにおいては、もう全員が被捕食者として怯えるだけである。
とはいえ、もちろん例外はいた。
それは、ジャックやシャルル、そして彼らの仲間たちのように、ちゃんとこの死に慣れている者。
セイラムの住人のように諦めて目を逸らしているような慣れではなく、渦中に飛び込んでなお正気を保つ精神力を持つ者だ。
「やぁ、ジャック」
霧に惑わされることなく彼の前に現れたのは、シャルルの見た目をした少女だ。しかし、彼女はギロチンどころか武器も一切持っていない。その正体はもちろん……
「やぁ、ジョン・ドゥ。情報操作は完璧かい?」
少し前に、情報屋としてシャルルに雇われていたはずの幼女――ジョン・ドゥだった。その姿に惑わされることなく、正確に正体を看破したジャックに、彼女は得意げに笑いかけている。
「もちろんさ。私はこの國1番の情報屋だからね。
積み上げてきた信頼のお陰で、だーれも私を疑わない。
事実、情報は正しいし依頼主の情報も売っていないんだ。
疑う理由がない。疑う余地もない。あははっ!」
「しかし、その正しい情報はその時点でのもの。
アルバートの時と同じく、既に依頼者がいたとしても、情報を流すことを命じられていれば味方のフリをできる。
情報戦っていうのは、調べることだけじゃないんだぜ?
シャルル。ちゃあんと騙さないとねぇ」
すべての情報を支配し操作していたジョン・ドゥ……そしてジャックは、悲鳴が響き渡る霧の街で笑い合う。
最初から……そう、最初から。彼らは仲間だった。
依頼主と情報屋ではなく、本当の意味での仲間。
ジル・ド・レェの情報を、処刑人に流した時も。
シャルルの依頼で、軟体動物達の調査をした時も。
アビゲイルのサバトを会長に流し、善意を悪意に変えた時も。アビゲイルと一緒にシャルルを嵌めた時も。
シャルルの依頼で魔女組合について調査した時も。
吸血鬼化した者達による、失踪事件を公のものにした時も。
シャルロットの依頼を断り、犯人を暗示した時も。
シャルルの依頼で、ル・スクレ・デュ・ロワに合流させる形で失踪事件を続けさせ、未解決事件にした時も。
処刑人協会――ウィッチハントへの反乱を、放置していた時も。
そのすべての時に彼らは通じ合っていた。
この國で起こったすべてが、彼らの思惑通りの出来事だ。
もっとも、ジョン・ドゥはプロの情報屋。
仲間だからといって、仕事を蔑ろにすることはないのだが……それすらも、分かり合っている彼には関係ない。
「俺もお前からシャルルの情報は聞けない。
けど、俺はあいつが俺達の情報を聞いていることを知っている。それがわかれば、どう動くかも……ねぇ?」
自分達の情報を伝える。それが望みであり、依頼という形で為されたのだから。予想も容易いというものだ。
セイラムを懸けた殺し合いは、ジャック・ザ・リッパーの手のひらの上で転がされる形で動き出していた。