最終話:可愛すぎるなら、やっぱりゆるされてしまうの
学園を卒業して数年。
わたくしは結婚し、公爵位を継いだ。
とはいっても、まだまだ先代である父の助けなしでは回らない。
実質は実地で後継者教育を受けているようなものだ。
「家庭を持ったんだ。いつまでも年寄りが幅を利かせていては、アレクシス殿だってやりにくいだろう」
父はそう言って笑う。毎週末、朝早くから嬉しそうに出かける父を見て母は、
「趣味の釣りに割く時間を増やしたくなっただけではないの」
と疑ってかかった。
真意はともかく、王家から入婿になったアレクシス様への遠慮があるのは本当のことだろう。
社交シーズンを迎え、わたくしたち一家は王都に来ていた。
アレクシス様は、陛下への謁見という名の里帰り中だ。
夫の居ぬ間に、わたくしは女同士で楽しむべく、メラニー様をお招きした。
「リックちゃん、随分大きくなったじゃない」
我が家の長男、リックはもうすぐ二歳になる。
しっかりとした足取りで邸じゅうを走り回るリックを追いかけるメイドたちには、苦労をかけている。
子供の成長はあっという間ねと感心する、メラニー様。
「そういうメラニー様だって。もうすぐなのでしょう」
まん丸に膨らんだお腹を優しくなでながら、メラニー様は微笑んだ。
「ええ、予定ではあと一、二週間だって」
産婆には、腹が前に張り出しているから、男の子ではないかと言われたという。
「男の子なら、リックのいい友達になれそうね。楽しみだわ」
「あんまり期待しないで。夫も義両親も、跡継ぎが産まれるって大騒ぎなんだから。これでもし女の子だったらって、心配になっちゃうわ」
メラニー様は肩をすくめる。
「心配なんていらないわ。女の子なら、可愛らしいからと、もっと大騒ぎになるだけよ」
そうかしら、とメラニー様は疑わしげだが、わたくしは確信している。
メラニー様の夫である伯爵令息は、かつて学園でメラニー様を恋慕の目で見つめていたクラスメイトの方々のひとり。
自分は不美人だから殿方には好かれないと思い込むメラニー様を、何年もかけて情熱的に口説き落としたのだとか。
彼の愛妻家ぶりは有名な話だ。
愛するメラニー様が生んだわが子となれば、男女どちらであろうと溺愛されるのは間違いない。
そういえば、とわたくしは尋ねる。
「先日二コラ様にお会いしたって聞いたわ。彼女、元気にしてた?」
「ええ、夫が大学に行く用事があるっていうから、ついて行ったの」
二コラ様は、魔力の大きさを活かせる研究職にお就きになった。
魔法での農作物の品種改良が主な研究テーマだそうで、メラニー様の夫も農地に植える品種のことでよく相談に行くらしい。
メラニー様は二コラ様と久々に恋愛小説の話などにも花を咲かせたらしい。羨ましいことだ。
「アリス様も元気に飛び回っていたわ。彼女はいま、大学のヒロインね」
ハムスターにしては長年生きているアリス様だが、何と言っても二コラ様の使い魔だ。
これからもご長寿ハムスターとして、愛され続けていくことだろう。
「そういえば、セバスチャンの姿を見ないわね。彼、どうしたの」
「うちに居るわよ。リックから逃げて隠れているだけ」
「ああ、なるほど……セバスチャンも大変ね」
メラニー様は気の毒そうに言った。
「そろそろ、何とかしてあげないとね。彼、気苦労でそろそろ禿げ上がっちゃいそうだわ」
「禿げてもセバスチャンなら可愛いと思うけど、大事にしてあげてね」
久々に会ったことで話し込み過ぎてしまった。
遅いからと夕飯を勧めるが、夫が心配するからとメラニー様は帰って行った。
自室に戻ると、リックがセバスチャンを部屋の隅に追い詰めていた。
「おい、俺のひげを引っ張るのはやめろ。聞いてんのかこのガキ」
「せばすちゃ、かーわいいねーー」
てしてし、と叩いているのかなでているのかわからない仕草でセバスチャンの頭に触れるリック。
「うるせー。おしめも取れてないようなガキに、可愛い呼ばわりされる筋合いはない!」
シャー、と威嚇の声をだしつつも怯えたようにプルプルと震えているセバスチャン。よほど子供が苦手なのだろう。
「リック。セバスチャンと遊ぶのはもうおしまいですよ」
そう言ってセバスチャンを抱き上げると、リックは両手を挙げた。
「ぼくも抱っこすう。せばすちゃ抱っこすう」
「また今度ね。お夕飯のデザートにマーシャがプリンを用意していたわよ。いらないの?」
「ぷりん食べう!」
リックがプリンに気を逸らした隙に、セバスチャンは全速力で走って逃げた。
リックが寝付いたころに、アレクシス様が返ってきた。
玄関からまっすぐとリックの眠る寝室に向かい、寝顔を確認すると部屋着に着替えに行った。
「隣国への表敬訪問、ですか?」
ダイニングテーブルに向かい合ったアレクシス様は、軽い夜食をとりながら本日の謁見の内容を切り出した。
「ああ。先日の豪雨被害の対応で、主だった王族たちは手が空かない。一度は断ったようなんだが、隣国からせっつかれているようでな」
隣国は年に一度、他国の来賓や国内の有力者を招いて建国記念の式典を行うのだが、今回はとくに力を入れているという。
なんでも、国王がことさらに可愛がっているという末の王女が十七歳で成人を迎え、その祝いを兼ねているというのだ。
周辺国の要人が欠席になることは、王家の威信をかけて絶対に阻止したいのだという。
もう王族ではないんだが、僕が一番暇そうだと思われたんだろう、とアレクシス様が語る。
「爵位は君が継いでいるし、僕は身軽な入婿だ。一応元王族ということで、隣国の体面も保たれるというわけだ」
「まあ。隣国への訪問はどのくらいかかるのかしら」
王都からだと、行って帰ってくるだけでもそれなりに日数がかかるだろう。
「二、三週間というところだ。だがまあ、断ろうと思っている」
可愛い君とリックを置いて出かけるわけにはいかないだろう? アレクシス様は茶化すように言うが。
「でも、お断りなんてできるんですか」
王族が動けないから、アレクシス様まで話が回ってきたのでしょうに。
アレクシス様は、少し困った顔をして、諦めたように言った。
「……あんまり気持ちいのいい話じゃないし、君には黙っていようと思ったんだが。実は君との婚約が決まる前に、末の王女との縁談の話があった」
とはいえほんの子供のころの出来事。当時は互いに何かを思うこともなかったはずだ。王女とは顔合わせまでにも発展しなかったのだから。
それで話は終わったはずだった。
アレクシス様は十六歳ごろに、王女とはじめてお会いになったという。
それから、王女に促される形で、何度か手紙のやり取りがなされた。
「当時は気にも留めていなかったが、いま考えればあれは恋文だった」
トーマスのたとえ話に出てきたオーデリアを口説こうとする他国の王子を、荒唐無稽な想像だと一蹴したのに、自分が口説かれているとは気づきもしなかった。
あとになってアレクシス様は愕然とした。
「結婚してから文が届くようなことはなくなったが、婚約者がいると知っていて恋文を送ってくるような相手だ。どんな理由を付けてでも、断るつもりだよ」
もう君を悲しませるようなことはしたくないからね。少し遠い目をして、アレクシス様は微笑んだ。
「おうまさん、ばいばーい」
にこにこと乗ってきた馬車を見送るリック。
正装に身を包んだリックは、今朝から「とうしゃまみたい」と上機嫌だ。
隣国の王都までの道のりは、幼いリックにとってはじめての長旅だった。
旅の道中、体調を崩すこともなく終始馬車に乗れてご機嫌な様子だったリックに、わたくしたちはホッとした。
リックの魔力量も、わたくしと同じくらいであることがわかっている。なのでもしかすると、この歳の他の子たちよりもたくましいのかもしれない。
ちなみにセバスチャンは王都の公爵邸でお留守番中だ。
リックから解放されマーシャに甘やかされて、羽を伸ばしていることだろう。
本日、末の王女様の成人の儀が執り行われる。
この式典後の宴に、夫とわたくし、リックの三人で参加することになっている。
「今更だけど、本当によかったのかい。嫌な思いをさせてしまうかも」
アレクシス様が心配そうに尋ねる。
「大丈夫です。小さな子供を連れた幸せそうな夫婦の間に割って入ることができる方は、そうそういません」
アレクシス様が隣国訪問を断るつもりだと言ったあと、わたくしは断らずに自分とリックを連れていくようにとお願いした。
アレクシス様がおひとりで行くことで、ありもしない疑いをかけられる可能性があるのだとすれば、親子三人で行けばいいのだ。この状況では疑いをかける方が難しいでしょう。
「それに、もし王女様にあなたへのお気持ちが残っているとしたら、わたくし許せませんもの。きっちりと希望をお捨ていただかないと」
少しワクワクしている自分に、我ながら苦笑した。
「ふふ。わたくし、思ったより悪女のようです。王女様がわたくしたちを見て、悔しがってくださったら、少し気味が良いと思っているんですもの」
底意地の悪い顔をしていないだろうか。少し心配になって尋ねる。
「あなたは、悪女のわたくしでも愛してくださる?」
アレクシス様はわたくしを見て、空色の瞳を眩しそうに細めた。
「もちろん。こんな可愛い悪女なら、いくらでも大歓迎だよ」
そう言って、わたくしの額に優しいキスを落とした。