悪役令嬢、なのだそうです
「付け入る隙しかないぞ、あの坊ちゃん」
「アレクシス様のことを坊ちゃんだなんて。失礼よ、セバスチャン」
言い方こそ無礼なので注意を促したが、内容には同意せざるを得ない。
アレクシス様とアリス様が一緒にいる姿が、学内で頻繁に目撃されるようになったからだ。
乳母のいるジェローム子爵家とアレクシス様は家族ぐるみの付き合い。
現在も頻繁に行き来しているそうだから、アリス様がアレクシス様に懐くのも不思議ではない。
だが、噂が噂だ。
アレクシス様に他意がなくとも、ジェローム子爵令嬢を特別に贔屓していると思われてしまうだろう。
もしかして、アレクシス様は噂をご存知ないのだろうか。
いちど話し合う必要がありそうだ。
「えっ、そんな噂が流れてるのかい」
学内のカフェテラスで落ち合ったアレクシス様は、初耳だと驚いた。
「しかし、ジェローム子爵家との交流はいまに始まったことじゃない。だいたい、仮にそんな話があったとして、僕にとっても子爵家にとってもメリットがないだろう」
なぜそんな話が出回るのかわからない、とアレクシス様は本気で不思議がっているようだ。
たしかに、子爵家は長男が後を継ぐことが決まっているし、一人娘で入婿を必要としている我が家とは事情が違う。
王太子にお子様がお生まれになる前なら、王妃になる可能性に賭けて、我が娘を王子妃にと望んだ家もあったかもしれない。
だが、いまさらそんな事を考える家はないだろう。王太子妃のお腹の中には早くも第二子がいるとのことだ。
アレクシス様側からしても、降下後、臣下として一から実績を積み上げていくよりも、高位の貴族に婿入りした方が都合が良い。
「まことにおっしゃる通りですが、そう理屈では考えられない者もいるのです。殿下の親しさに加えて、子爵令嬢の魔力の高さや美貌が説得力を与えているようで……」
アレクシス様は、片眉を吊り上げた。
「いまだに伴侶には魔力の高さが云々と言っている輩がいるのか。嘆かわしい」
「彼女の能力は規格外ですから。致し方ないかと」
「しかしそれにしても、美貌と言うなら……その……君の方が……」
アレクシス様は何かを言いかけて、なんでもないと首を振った。
隣でセバスチャンがボソリと、
「ヘタレ」
と呟いた。
何か殿方同士にしか通じない事情でもあるのだろうか。
「とにかく、彼女に対して妹以上の感情は一切ない。それはわかってくれるね」
「もちろん、それは承知しておりますが……あの、少しばかり距離をおいてお付き合いいただくわけにはいきませんの」
「距離?」
「ええ、あまりそのように親しくなさると、誤解を呼ぶと思うのです」
どうにもうまく伝えられないわたくしに、セバスチャンが助け船を出す。
「いい加減そいつを撫でくり回す手を止めないと、説得力がないって言ってるんだよ」
「えっ?」
アレクシス様は驚いた様子で、慌てて手を引っ込める。
「いや……これはその、アリスとは昔から子爵家でよく遊んでいたし、習い性というか…………すまない」
アレクシス様はしどろもどろに言い訳をする。本当に無意識だったようだ。困ったお方。
アリス様は本当にお可愛らしく、庇護欲を掻き立てる。
そばで構ってほしそうに見つめられれば、頭のひとつも撫でたくなる衝動はわからなくもないのだ。
けれど、アレクシス様が特別に贔屓なさっているように見えては、困ってしまう。
ならば……
「……ならば、わたくしも共に、アリス様を愛でれば良いのでは?」
「お嬢!?」
アレクシス様だけがアリス様を構うから、妙な噂が立つのだ。
ならばわたくしも一緒に可愛がれば何も問題ない。名案では?
「な、なによ…!」
にじり寄るわたくしに、アリス様が警戒感を示した。
だが、わたくしはその触り心地の良さそうな頭頂部に魅了されて、アリス様の拒絶に気付くのが遅れてしまった。
「やめて! 触っちゃいや!」
さきほどまでアレクシス様に撫でられるがままだったアリス様が、わたくしの手を振り払った。
振り払われた際に爪が当たったのか、手のひらに軽く血が滲んだ。
「お嬢! っこの女……!!」
わたくしが怪我をしたことで、敵意を見せるセバスチャン。
アリス様は怯えて、アレクシス様の背後に隠れてしまった。
「やめなさいセバスチャン。急に触ろうとしたわたくしが悪いのよ」
わたくしはアリス様に謝罪をしたが、アリス様からは顔をそむけたきり反応がなかった。
嫌われてしまっただろうか。悲しい。
念の為と医務室まで同行してくれたアレクシス様は、やはりお優しい。
これ以上刺激しないようにと、アリス様とは少し距離を取り、目線を合わせないようにしていた。
この時、アリス様はわたくしをじっと見つめていたそうだ。
思えば、この時からターゲットにされていたのだろう。
その後、アレクシス様は人前でアリス様に構い過ぎるのを自粛した様子だったが、彼女から寄ってくる分には好きにさせていた。
メラニー様と二人で遊ぶときは、たいてい彼女の家に訪れる。
公爵家にお呼ばれするのは気を遣う、とメラニー様が言うので。
メラニー様同様、彼女の家族も気さくで人当たりの良い方たちなので、わたくしは喜んでお邪魔させてもらっていた。
いつものように彼女の自室に通され、給仕がお茶を出して立ち去ったところ。
メラニー様は難しい顔でこう切り出した。
「例の噂、放置してたらまずいかもしれない」
そう言って一冊の本を差し出した。
『妖精姫と王子の秘密』
そう題された本は、巷で人気の恋愛小説なのだとメラニー様が言う。
「ちょっと前からこの手の話が流行ってたのよね。継子いじめを受けたりして、報われない境遇のヒロインが、最後には王子のような身分の高い方と結ばれて幸せになる、という話」
「そうなの? 割と昔からある題材のように思うけど……それがどうしたの」
「最近の作品には、『悪役令嬢』と呼ばれる主人公の障害になる令嬢がでてくるのが特徴なの」
たいていが身分も能力も高く、優れたご令嬢だという。
ヒロインは王子と巡り合い、恋に落ちるが、それに嫉妬した令嬢が、ヒロインに危害を加えようとする。
「ヒロインから見て悪い、悪役にあたる令嬢だから、悪役令嬢ということね。理解したわ」
「そう、それでこの本なのだけど、ここに出てくる悪役令嬢があなたによく似ているのよ」
そう言ってメラニー様は悪役令嬢の特徴を教えてくれた。
プラチナブロンドに、淡い紫の瞳。公爵令嬢という地位。
確かに見た目上の要素だけ見れば重なっている。
「しかもヒロイン側の容姿も、あの子爵令嬢によく似ているのよね」
ストロベリーブロンドの髪、深い海の底のような青の瞳。妖精姫と称される神秘的な美貌。
珍しい外見だというのに、こうも似ているとは。
「なるほど、これは読者ならばお話のモデルだと思ってしまいそうね。……と言うことは、つまり」
「そう、あなた、悪役令嬢だと思われているわ」
なんということでしょう。いつの間にかわたくし、ヒロインをいたぶる悪の令嬢になっていました。
悪女というからには、それはもう悪いに違いありません。
あられもないドレスを纏った妖艶な姿で、大勢の殿方を魅了したり、湯水のようにお金を使って美味しいものを食べ放題したり、権力者を籠絡して政治を裏から操ったりするのでしょう。
「……どうしてちょっと嬉しそうな顔をしてるの」
怪訝な顔をするメラニー様。そうですね、こうしてはいられません。
「メラニー様、わたくし悪女について、もっと知る必要があると思うの」
「悪女じゃなくて、悪役令嬢ね。いいわよ、この本はお貸しするわ」
そして帰宅すると早速、『妖精姫と王子の秘密』を読み始めたわたくしは、その面白さにすっかりのめり込んでしまった。
「まあ、なんてことでしょう」
空が白み始めるまで読み耽ってしまったわたくしは、悲鳴をあげた。
妖精姫と王子が悪役令嬢に婚約破棄を突きつけ、悪役令嬢はこれまでの罪の償いとして修道院送りを言い渡される。
悪役が退場し大団円かと思いきや……
そこで唐突に話は途絶えていた。
「続きがあるだなんて、聞いてませんわ!」