第四十七話
薄暗い地下。ひんやりとした冷たさを感じる。地上の光が届かない代わりに別の光源体に照らされている。そんな神秘的な空間に魅了されていた。
「やっぱり、間違いじゃなかった。ジークの言っていた通りだ」
貴族派の潜伏場所となっていた住居。建物は破壊されていたが、例の紋章が刻まれた地下部分だけは綺麗に残されていた。
「ペンダントが光り出した時は驚いたけど、これなら証を持っているだけで出入りは自由だ」
見た目は普通のペンダントである。転移と結びつけるのは難しいと言える。だからこそ長年誰にも気付かれることなく彼らは活動出来たのだろう。
「それにしても……凄いなこれは。有事じゃなければゆっくりしたかったけど」
今はやるべきことがある。可能な限り情報を持ち帰り、信頼出来る人物へ託さなければならない。この国の兵士として民を守るのだ。
「これは驚いたな。ゼーファ様の仰る通りになるとは……」
「⁉︎ だ、誰だ⁉︎」
庭園と思われる場所からゆっくりとこちらへ歩を進めてくる青年。二十代程の年齢で身に付けている服には公国時代の国章が刻まれている。立場を明白にするにはそれだけで十分であった。
「ここに来たということは、我らの同胞なんだろうな。歓迎しよう」
「確かに血筋を辿ればそうかもしれないけど、僕はこの国の兵士としてここに来た」
「焦ることはない。色々と気になることがあるんだろ?」
視線の先には巨大な宝玉が祀られている。魔法に疎いクラッツでも分かる。尋常ではない魔力を感じる。
「ジルクだ。君と同じ貴族の家系となる。さて、何から語るべきかな」
「……あなた方が何をしようとしているのか。今はそれだけが気になります」
常に剣は帯刀しているが単身でこの場にいることに変わりはない。かつてない緊張感がクラッツを包んでいた。
「端的に言えば元のあるべき形へと戻す、といったところだ。ホフラン卿が話していただろう?」
「革命……ということか。一方的な武力を用いた」
「酷い言われようだ。君は歴史を学んでいないのか?」
舞台俳優のような語り口で言葉を紡ぐが、視線は決してクラッツから離さない。
経験則で分かる。自分よりも格上であると。
「その言葉、そのまま返すよ。今も貴族が治めている国は他にも沢山ある。それが答えです」
「悲しいな。優れた血筋も持ち主次第では劣化してしまう。今の君のようにね」
(飲まれたら駄目だ。追い詰められているのは彼らの方なんだ)
単独でこの場にいるが、どのような経緯で来たかジルクは知らないはず。ならば上手く勘違いさせて、可能な限り情報を引き出すとクラッツは内心意気込んでいた。
「不思議な力で強くなっても数では劣る。時間制限のある武力で国の統治を維持出来るはずがない」
「御明察。ホフラン卿でそれは無理だろう。だが、我々は違う。半端な力と意思ではないのだよ」
(……ハッタリではなさそうか)
「ところで、背後にあるこの宝玉……君は何かご存知かな?」
ジルクが示した巨大な宝玉。存在感を放つその物体に自然と視線が引き寄せられる。
「我々はこの宝玉の完全制御に成功した。それが君の求める答えだよ」
「意味が分からない。それで力を得ているということか?」
「端的に言えばね。……遥か昔の時代、この地を治めていた水神と呼ばれる神がいた。この宝玉はその遺物なのさ」
ジルクが神話を語り聞かせるように説明を続ける。イグノートの発祥に重要な意味を持っていると述べる。
「運河の中心に出来た水の都市。強大な自然の力を小さき人がコントロール出来るはずもない」
宝玉の力によって運河をコントロールする。だからこそ長年水害に襲われることなく国が存続してきた。
「……そんな話聞いたことがない。その役目は街に張られた結界や魔道具が担っている」
「そうなのだ。その重要な真実が歴史と共に葬られている。深くも考えず大粛清を行った弊害だ」
国のルーツを貴族のみが把握していた。だからこそ水面下で準備が出来たのだとジルクは語る。
「この力を使えば運河を思いのままに操れる。……例えば、気まぐれで島一つを沈めることも出来るという訳だ」
「⁉︎ 馬鹿な、そんなことをすれば大勢の人が……」
「数で劣ると言ったな? 別に構わんさ。いくらでも調整可能だ」
(この感じ、本気だ。人の命を何とも考えてない)
「武力で脅すつもりか……? そんな国が上手くいくはずがない」
「嫌なら国から出ていけばいい。無理強いはしないさ」
二人の主張は平行線をたどる。
「どうやら時間の無駄のようだ。……それで、君は何を望む?」
「あなた方の身勝手な行いを止めます。その為にきた」
(応援を呼ぶ時間は無い。僕がやらないと……)
剣を抜くクラッツ。兵士に支給されている一般的な片手剣。バランスが良く扱いやすい代物だった。
「この場を預かったのは私だが……仮に私を葬ったところでどうするつもりだ? 同胞はもう止まらない」
「あなたを倒して拘束します。それからのことは後から考えればいい」
ジルクの右腕に青い光が現れる。水の魔力によって象られた片手剣を生成する。クラッツが持つものと同じような形をしていた。
(僕がやるんだ。今、この僕が……)
「魔法剣だ。綺麗だろう……この青さが君の血で赤く染まらないことを願うばかりだ」
「兵士として扱かれてきたんだ。絶対に、負けるもんか……!」
言葉とは裏腹に手足が震える。剣の切先がガタガタと揺れ足には力が入らない。
(怖くない。鬼教官の指導の方がよっぽど恐ろしかった)
入団試験は不合格だったが人数の関係で補欠として兵士の一員となる。
訓練では剣に魔法に体力、気力。座学含め全てがダントツで最下位だった。何度も怒鳴られ、時には除隊を促されることもあった。
出自の関係で不当な扱いを受けることは兵士になっても変わらなかった。
(思い返せば嫌な思い出ばかりだ……)
逃げるという選択肢もある。命を張る必要もない。それでも引かないのは大切な人達を守りたいという想いからだった。
(僕が国の役に立ったと知れば、父さんや母さんも喜ぶぞ……)
「主からは丁重に持て成せと指示があった。お相手しよう」
(絶対に守るんだ。もう無能なクラッツじゃない)
「い、行くぞ……! わぁぁーー!」
負けられない戦いが始まる。
✳︎✳︎✳︎✳︎
イグノート共和国の議事堂に国家元首を始めとした国の代表が集まり議会が開かれていた。
そこに割って入ってきた集団。ワーテルで騒ぎを起こしている反乱分子の姿があった。
「以上が我々からの要求、いや提案とでも呼ぶべきだろうか?」
演説のように自らの立場や計画、国の在り方を説いているのはゼーファ・フォンラヴチーノ。貴族派と呼ばれる反乱組織の指導者であった。
「提案だと? 物は言いようだな……テロ組織め」
白髪を束ねた鋭い目付きの男性。イグノート共和国の代表である国家元首とゼーファが相対していた。
「歴史を振り返ればどちらが野蛮であるか。貴公らの名誉の為に今は控えよう。さて、リーデル殿、答えは頂けるのだろうか?」
「……脅しに屈指はしない。お前達の発言には何の根拠も無い」
我が物顔で議会に乱入してきたゼーファ達。
護衛を任された兵士が対処しようとしたが、超常的な力により強化された貴族派の前に無力であった。
「この国の未来の為に手を取り合う……分かり合えなくて残念だ」
「従わなければ島を沈めるだと? 神にでもなったつもりか外道め」
乗り込んできたゼーファ達以外にも貴族派は存在していた。議員や護衛でもある兵士にまで根は伸びていたのだ。
手練れの兵士であっても仲間の裏切りまでは予想が付かず、背後を取られ戦局は一気に傾いた。
「これだけの同胞が存在する。この結果が民の答えとは思わんかね?」
「お前達全員の顔は覚えた。必ず報いを受けさせる」
毅然とした態度で拒絶するリーデル。国の代表として、民の代表として引けを取る訳にはいかない。
「⁉︎ 何だこの揺れは……」
二人の問答が続く中、地面が大きく揺れ建物が軋む音が聞こえる。両陣営の者達が狼狽えるがただ一人、ゼーファのみが笑みを浮かべていた。狂気じみた笑顔であった。
「クッ、クハハハハ! ついに時は来た! 見事に道化を演じてくれたようだな! 愚かな異国の少年よ!」
✳︎✳︎✳︎✳︎
「どうやら、ここまでのようだ」
地下で戦闘を繰り広げていた両者。ジルクは戦闘前と変化は無いが、クラッツは地べたに倒れ伏している。衣服が切り刻まれ、至る所から出血している。
「ま、て……」
勝敗は明らかである。
それでもクラッツは地面に這いつくばりながらジルクの足を掴む。
「もう、よしたらどうだ? 君はよくやった」
剣は根本から折れ魔力も底を突いた。残された武器は己の身体のみだったがそちらも限界だ。
「み、んなを……守る、んだ」
辛うじて開く片目でジルクを睨み付ける。途切れそうな意識を執念で繋ぎ止めていた。
「……いい加減にしろ、裏切り者がッ!」
ジルクに蹴り飛ばされるクラッツ。地面を転がりながら壁にぶつかることでやっと停止した。
「同胞は迎え入れろとの指示だったが……構わんだろう。この者からは貴族たる気品を感じない」
自身の魔力と加護と呼ぶ力を合わせた水魔法を形成する。次第に魔法は安定し、鮫のような見た目となる。
「本物の魔法はね、命が宿ると言われている。私の魔法が命を得ているのか……身をもって体感してくれたまえ! ――アクアルカンナ!」
(本当に、ここまでのようだ……)
膨大な魔力を内包した魔法がクラッツに迫る。
必死に立ち上がろうとするが体に力が入らない。体力も気力も限界を迎えていた。
(ごめん、父さん母さん。結局僕は昔のままだったよ)
脳裏に浮かぶのは幼き頃の記憶。
いじめや仲間外れは日常茶飯事。仲良くなっても出自が明るみになれば、すぐに周りは離れていった。
弱い自分を変えたくて必死に足掻いた。勉強をして、体力を付け、魔法を学んだ。結果は散々ではあったが決して諦めなかった。
周りに認められたいという想いはいつしか、大切な人達を守りたいという想いへと変化していた。
大人になってから気付いた。知らず知らずのうちに支えられていたことを。数は多くはないが理解者がいたことを。
(そうだ。これは彼がくれたチャンスなんだ……)
出会って数日の関係にも関わらず記憶に深く刻まれている自称貴族の少年。
自分と違い常に堂々としていた。周りに何を思われようが関係ない。確固たる意思を感じた。
(みんなを守るチャンスをくれたんだ。一人の人間として彼は見てくれたんだ)
体が重い。もうほとんど前は見えない。それでも意識が途切れないのは、彼から勇気を貰ったから。
「ぜ、絶対に……負けない」
魔法は目前にまで迫っていた。巨大な鮫の大顎がクラッツを襲う。鋭利な牙によってクラッツは粉々に砕け散ってしまった。
「え? あ、れは、僕……?」
「そう思うのなら、相当焼きが回っているな」
ジルクに蹴り飛ばされ壁まで移動していたクラッツ。その壁には血痕がある。確かに自分はあの場にいたはずだ。だが今は数メートル離れた位置にいる。そして目の前には口の悪い外国人の少年がいた。
「どう、して……君が、ここに?」
「勘違いするなよ。俺は俺の為だけに動く」
「本当に……口が悪いよ……」
意識を失ってしまったクラッツ。表情は心なしか安堵しているように見える。
「これはこれは、また新たな客人が来るとは。……だが忘れてはいないか? 私の魔法はまだ継続中だ!」
生きているかのように器用に旋回していた大鮫。そのままジーク達目掛けて突っ込んでくる。今度こそ、その大顎で獲物を噛み砕くために。
しかしその顎がジークに届くことはなかった。興味が無さそうに視線を向けただけ。にもかかわらず大鮫は凍てつき霧散してしまう。
「何か言ったか?」
「……馬鹿な、何をした?」
渾身の魔法だった。クラッツという存在を跡形もなく消し去るために行使した魔法。それが一瞬のうちに消されてしまった。
「返すぞ」
油断はなかった。常在戦場を常に心に抱いていた。だが姿を見失い、気付いた時には目の前にいた。
悪役の放つ強力な蹴りによりジルクは庭園の端まで飛ばされ、壁にめり込むことでなんとか停止した。
勝負にすらならなかった。
「それで国を取れるのか? くだらんな」
その呟きに応じる者はいない。
青き光に照らされた空間で何が鈍く光った。




