第六話
賑やかな店内。大勢の客でごった返した酒場はマハットでは有名な大衆居酒屋の一つ。そこにクラッツとエリスの姿があった。
「……大方の事情は分かったよ」
「納得してないって顔してるわね」
「当然だよ。幾らなんでも酷すぎる。確固たる証拠がないのに犯罪者扱いだなんて……」
極力ジークの名を出さずに会話を進める。酒場の喧騒が二人の声を打ち消してくれるが何処に誰の耳があるかは分からない。ジークの批判はあちこちであっても擁護の声など、どこにもない。万が一、会話を聞かれてしまえば間違いなく耳に残るだろう。そうなれば騎士団に情報が伝わる可能性が出てくる。
「この国でラギアスはそういう扱いなのよ。アンタの国はどんな感じなの?」
「根強い差別が昔からあるよ。二年前はクーデターまで起きたし……」
「……何かヤバそうね。貴族が存在しないって不思議だけど、それはそれで色々事情があるのね」
多くの国を通って遥々ディアバレト王国までやって来たクラッツ。長旅続きで疲れはしたが久しぶりにジークに会えると考えたら頑張れた。だが、いざ入国してみれば話題は剣聖殺しの悪徳貴族の話題ばかり。その渦中の人物がジークであると知った時は驚愕したものだ。
大統領であるリーデルからジークは難しい立場にあることを聞いてはいたが、想像以上の悪感情が王国内には蔓延っていた。
「それでアンタは何の目的でディアバレトに来たの? 観光だけが理由とは思えないけど。救国の英雄って何?」
「話せば長くなるんだけどね……言葉の通りの意味さ。僕やイグノートは彼に救われた。だからいつかは必ず恩を返したいと思ってる」
「……その為にディアバレトまで来たの?」
「今回は少し違うよ。彼の状況把握と意思の確認かな。後は個人的にこの国を見てみたかったんだ」
ディアバレト王国とイグノート共和国に正式な国交は存在していない。そもそも距離が離れ過ぎていることもあり、魔道具を介した通信すら出来ないのだ。手紙を送るにもジークの家柄によってあらぬ疑いをかけられる恐れもある。善意のつもりがジークにとっては迷惑となれば本末転倒である。イグノート共和国側からすれば慎重に動く必要があった。
「事情があるようだけど悪意は感じないわね。……今は一旦置いておきましょう」
「ありがとう。彼の同意を得られたらちゃんと説明するよ。それで……彼は今何処にいるんだい?」
クラッツが今一番知りたい本題をエリスに投げかける。
ディアバレト王国でジークは凶悪犯として指名手配されている状況。協力者がエリスしかいないならジークは現在一人ということになる。
「そうね……大丈夫とだけ今は言っておくわ。用心するに越したことはないでしょ?」
周りに視線を向けながら小声で話すエリス。後で案内すると短く答える。
「了解だよ。……それにしても意外だったな。僕はてっきりブラッドさんと一緒かと思っていたんだけど」
思い起こされるのは二年前の記憶。
貴族派と呼ばれる反社会勢力との戦いに協力してくれた二人の外国人の存在。無骨な見た目をした全身真っ黒の鎧を纏った武人と異様に口が悪い少年と内戦を戦い抜いた。クラッツ自身大したことはしていないが、一人の兵士として国を守れたことを誇りに思っている。
「ブラッド? 誰よそいつは?」
「あれ……知らない? いや、まてよ……」
そういえば呪いの装備? とやらに囚われていたとジークが話していたような気がする。本人の意思とは関係なく戦いを求めてしまうと。だから暴走したブラッドと戦闘する羽目になったと忌々しく吐き捨てていたことを思い出す。名前も違うと言っていた記憶もあるがはっきりと覚えてはいない。ジークは最低限のことしか話したがらないからだ。
「何か物騒な名前ね。男の人かしら?」
ブラッドを知らないエリスからすれば当然の疑問。女性だと答えようとするが思い止まる。人のプライベートな話題を軽々しく話すべきではないし、そもそもブラッドにしても中の人物にしてもクラッツは深く知らない。
「えっと……どうだったかな? あはは……」
ブラッドは口数が少なく近寄り難い雰囲気があり、中の人物は会話は出来るが接した時間は少ない。ジークにお礼をすると言い、直ぐにイグノートを旅立ってしまったこともあり、少ししか会話が出来なかったのだ。
「どうだったって……アンタ馬鹿なの?」
エリスから冷めた目を向けられる。エリスの言う通り自分でもおかしいとは思うがこの話題を深掘りするべきではない。……何となく女性というワードは避けた方がいいと直感で感じたからだ。
「何か怪しいわね……」
「いや、その……そう! この話は元気になった彼から聞きなよ。はい! この話題は終わり、お終い!」
「……何急に騒いでいるのよ。気持ち悪いわね」
「⁉︎ 前から思ってたけど君も失礼だねホントにッ!」
自分の尊厳を貶めることで何とか話題を逸らすことに成功したクラッツ。ジークが元気になったら文句を言ってやろうと心に誓った。
「それで、これからどうするの? 騎士団と真正面から戦うなんて言わないよね?」
「そこまで無鉄砲じゃないわよ。でも現状手がないのも事実なのよね……」
一国の武力の象徴である騎士団。そこから目を付けられている状況下で冤罪を晴らし無実を証明する。中々に厳しい状況である。
「一度国から出るのも手だと考えているのよ」
「なるほどね。だからマハットにいたんだね」
地図を広げて位置関係を確認する。地方都市マハットは王都から随分と離れており、騎士団の影響もスピリトと比較すれば小さいだろう。身を隠すには持ってこいであり国境沿いの街も近い。
「でも……根本的な解決には至らないわ。アイツの怪我は普通じゃないのよ」
視線を落とすエリス。その表情は不安気である。
「アイツが本調子になれば、敵なんて何処にもいないわ。国を相手にしたって負けはしないわよ」
「さすがにそれは……って言いたいけど十分ありそうだよね彼なら」
イグノートを運河に沈めようとした神竜と対等に戦えるジークならやりかねないと得心するクラッツ。だがそのジークは今まともに動けない状態にあるらしい。
「この国には神聖術があるんじゃないのかい? それを使えば……無理か。王族しか使えないんだったね」
「……色々あるのよ。神聖術には頼れない」
ワーテルで神聖術について話をしたことを思い出す。ジークがディアバレト王国について語る時の顔は何とも言えない表情であった。怒りや憎しみとは違うまた別の何か。あの時ジークが抱えていたモノをクラッツが理解することが出来ていれば、今のジークの現状は変わっていたのかもしれない。
「となると……マリア教会しかないんじゃないかな?」
「この国でジークを素直に治す神官はいないわよ。それに並の神官じゃ無理よ」
「だったらマリア教会の総本山、マリアシティに行こう」
マリアシティ。マリア教会の総本山であり、最大規模の大聖堂が存在する宗教国家である。
「そこで無理なら誰にも治せないよ。それこそ神聖術にでも頼らないと」
「……私は信徒じゃないわよ。それに遠すぎる」
地図を示すエリス。今いるマハットはディアバレト王国の西に位置する。マリアシティを目指すのなら国の東から国境を越える必要がある。位置関係からして国を横断する大移動。かなりのリスクとなるだろう。
「国を出るのなら何処から出ても一緒だよ。だけど彼を治療する手段がないなら何処にいても同じ。なら、可能性のある方にかけるべきだ」
「――東に向かうなら必然的に王都にも近付くことになるわ。どう考えても危険。関係のないアンタを巻き込むことに「関係あるよ」」
「彼は僕の友人だ。覚悟は出来てる。一人なら厳しくても二人でなら……」
神と謳われた竜を前にジークとブラッドは逃げることなく二人だけで戦った。関係のない国を守る為に命を賭して戦い打ち勝ったのだ。
ジークに出来たのならクラッツにも出来るはずだ。なにもリヴァイアサンを相手にするのではない。相手は騎士団ではあるが戦う必要はないのだ。上手く逃げて国を越えるだけ。難易度は雲泥の差である。
「まぁ戦力的には期待出来ないと思うけど。今回みたいに案は出せるし買い出しにだって行けるよ」
「……そこは強がりなさいよ情けないわね。そうね……分かったわ。アンタに賭けるわクラッツ」
「任せてよ。僕は弱いけど運はとてもあるんだ」
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騎士団本部にエルティアと彼女が引き連れている二人の部下の姿があった。彼女らは話をしながら出立の準備を進めていた。
「連隊長、本当に大丈夫なのですか? 私も報告書を読みましたが、内容がかなり異なっていましたが……」
「私も見た見た。アレはヤバいでしょ」
二人の女性騎士が不安そうに、そして軽そうに各々の感想を述べる。連隊長に与えられる執務室で今後の話をしていた。
「私に言われましてもね。セルシアは私が何かしたように思っているのかもしれませんが、実際何もしていませんよ」
ハーレス隊の報告書。あれは改ざんというよりは一人一人の認識の違いや恐怖心に悪感情が複雑に重なった結果、あのようになったとエルティアは分析している。
ジーク・ラギアスの指名手配にしてもそう。ラギアスは国中に敵を作りすぎたのだ。
「ハーレス連隊長も運が悪い。出来の悪い部下を持つのは大変ですね」
「大変って……分かっているなら何故止めないのですか?」
「国中に情報が広がった以上は誰かが動かないといけないでしょう? 無罪、冤罪は関係ありませんよ」
机に広げた地図を見ながら対象の動きを予測する。
報告によればラギアスは忽然と姿を消したらしい。転移魔法の第一人者である賢者と同じ魔法を使えるのか。可能性としてはおかしくない。彼らは面識があるという情報も入っている。
「つまり……流れに乗ったと?」
「はい、乗りました。盛大にね」
「うわっ、サイテーじゃんそれ」
上官に対して砕けた口調で会話をするガーベラ。不真面目な態度が目立つが仕事は何気にこなす。意外と嫌いではない人種である。
「ガーベラ。いい加減その態度を直してください。もうエルティアさんは連隊長なんですよ」
「え〜、だって腹黒だよ。仕方ないじゃん」
ガーベラの態度を指摘するセルシア。こちらは真逆で生真面目である。普通に嫌いではない。
「面白そうではありませんか。国中から嫌われたラギアスの御曹司であり、あの公爵家が肩入れする若者ですよ」
冒険者の世界に突然現れた麒麟児。国を裏側から何度も救ってきた影の英雄。今では公爵家の単体最強戦力として名を馳せるにまで至ったAランク冒険者。
賢者や次期公爵に銀の聖女と関係を持ち、騎士団のシュトルクやブリンクから一目置かれる存在。次から次へと内容の濃い情報が出てくる。
「彼は本当に興味深いですよ。調べれば調べるほどその行動はこれまでのラギアスと大きく矛盾しています」
「そんなにイイ男なの? めっちゃ嫌われてて逆にウケたんだけど」
「さぁ? 面識はありませんからね」
ガーベラの発言を聞いて顔を赤くするセルシア。彼女は生真面目でありウブでもある。だが興味はあるのか耳だけは傾けている。
「ルーク小隊長は親交があるようですよ。今度聞いてみたらどうですか?」
「えー、あの生意気な小隊長と仲がいいの? あいつ何かキラキラしててマジ眩しくて苦手かも」
うへーと顔を顰めるガーベラ。派手な見た目に反して貞操観念は高い。若い女性騎士がよくルークの噂をしているがガーベラの目には留まらないらしい。
「とにかく、黒や白は関係ありません。それは上が決めること。――大捕物といきましょう」
副団長代理であるシュトルクからは他の部隊を動かす許可は降りている。というよりは許可せざるを得ない。ここで難色を示せば立て直しの真っ最中である騎士団の改革に支障をきたすからだ。
「は〜い。どうするセルシアちゃん? ジーク・ラギアスが色男だったら? 告る?」
「なッ⁉︎ 何で初対面の男性に想いを告げるのですか⁉︎ 大体任務なんですからもっと真面目に」
「……任務外なら告るの? カゲキ〜」
「⁉︎」
ガーベラに揶揄われ顔を真っ赤にするセルシア。普段からこの二人はこのような感じではあるが頼りになる部下である。天才であるルークと比べれば霞んでしまうが、二人とも実力を持った若き騎士である。
「さて、行きますか」
三人の連隊長が注目するジーク・ラギアス。騎士団で今一番注目されているルーク・ハルトマンと同い年の貴族。――気になることが多すぎる。
(ルーク小隊長は紛れもなく天才ですが……真っ直ぐでしかない。それでは騎士団は変わらないでしょう。永遠に)
改革が必要なのだ。これまでの常識を覆す革命が。地位や立場関係なく悪を斬れる存在が。
(本当に楽しみですね。私にも見せてください。反英雄の力を……)
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「二人とも、これは僕の我儘だ。二人は……」
「何言ってんだ。俺達は小隊なんだから一緒に行くしかねんだよ」
「そうだな。国軍の一人として、指名手配犯を追うのは何も間違ってはいない」




