第三十九話
常に濃い魔力に包まれているヴェルデ樹海。人間が寄り付くことのない魔物の世界。その楽園に君臨する王の片腕は失われていた。
先日樹海に現れた人間の集団。我が物顔で樹海を進む無法者達に配下は次々に殺され楽園は血の海となった。
生まれながらにして特別な存在であり樹海の主であるオーガキング。ここまで好き勝手にされれば黙って通す訳にはいかないと卑劣な人間達に襲いかかった。
不思議な気配を持つ人間の結界に高度な魔法による攻撃。どれも劣等種たる人間からは考えられない力ではあったが王であるオーガキングの脅威にはなり得なかった。樹海を覆う濃い魔力の中で生き抜いてきた屈強な肉体には無意味だったのだ――赤く輝く一太刀以外は。
生まれて初めて経験した痛みにより冷静さは失われ樹海中を暴れ回っていた。意識が戻った時には片腕が斬り落とされていることに気付いた、気付いてしまった。
王たる存在の片腕が劣等種の人間によって奪われる。そのようなことはあってはならない。奪われたのなら奪い返す。――人間共の国を攻める。
樹海に存在する魔物を全て集めた。外の世界の魔物とは比較にならない精鋭中の精鋭。我が軍をもってして人間共を蹂躙するのだ。
手始めに近くの街を狙い、ゆくゆくは我が片腕を斬り落としたあの剣士に復讐する。周りにいる人間もその家族も全てを奪う。必ず後悔させてやる。
復讐に駆られるオーガキング。これから軍を動かそうとしていた矢先に感じた一つの気配。樹海には存在しない音と臭い。――これは人間の物!
土足で再び踏み入れた愚か者を蹂躙する為に軍を率いて向かう。視界に入ったのは先日の馬車よりも小ぶりな物に乗る一人の人間であった。
「オオ、オオオォ!」
馬車の行手を阻むようにオーガキングとその配下が人間の前に現れる。恐れをなしたのか馬車は止まっていた。
先日の人間共と違い一人のみ。たったこれだけの命を蹂躙したところで復讐心が満たされることはないが、だからといって見逃すつもりもない。許可なく我が国に立ち入ったことを後悔させて殺す。どのように痛ぶろうかとオーガキングが思考していた時に人間が口を開く。
「何だ貴様らは? 邪魔だ消えろ」
配下達は何を言われたのか理解出来ない。だが知能にも優れたオーガキングにはそれが分かった。この人間は我らを侮辱していると。
「オオオォォォォォオオオオオ!!」
「口を開けるな。悪臭が散るだろうが」
「⁉︎」
これだけの軍勢を前にしても変わらぬ不遜な態度。命知らずの愚か者なのか単なる馬鹿なのか。だが、理由はどうでもいい。王を見下す存在を生かしてはおけない。
オーガキングの命令により魔物が一斉に人間へ襲いかかる。樹海に住む多種多様な精鋭が劣等種へ牙を剥く。――絶望の底に沈みながら死ね。
赤い目を閉じ断末魔を待つ。――人間の苦しみこそ至高の瞬間。我が軍の進撃はここから始まるのだ。
「?」
いくら待てども人間の悲鳴は耳に入らない。それどころか鼻につくのは死の香り。何故か同胞の血の臭いが辺りに漂っていた。
「魔物も現実逃避をするのか……まぁどうでもいいが」
聞こえるはずのない人間の声。そんなはずはないと目を開くと赤一色がオーガキングの視界を塗り潰す。
百を超える軍勢が一瞬にして亡き者にされていた。
――化け物。これは……勝てない。
勝負にすらならなかった。拳を合わせる前に理解してしまった。生物としての格の違いを。
そこからは判断が早かった。残った軍勢の全てを化け物に向かわせオーガキングは走り出す。樹海の奥地を目指して。
配下の叫び声が耳に入るが振り返ることはしない。これは必要な犠牲である。王である自分が生き残ればチャンスは必ず訪れる。――その時までこの屈辱を忘れさえしなければ。
「おい……何をしている?」
道を塞ぐように前方に現れた先程の人間。魔物の軍勢と戦っているはずの人間が何故か目の前にいた。汚れ一つない綺麗な姿で。
「グウォォォォオオオオオ!!」
この一瞬で配下の全てを殺したのか。あり得ないと頭では理解するが本能がそれを拒絶していた。このまま背を向け逃げたところでこの化け物は必ず追ってくる。――なら、ここで仕留めるしかない。
剣士を捉えることの出来なかった剛腕を目の前の化け物へ振りかぶる。あの時躱されたのは他の人間の補助があったから。対して目の前の人間は一人。――この距離なら外すことはない。
「どうした? もう終わりか」
目の前にいたはずの人間が忽然と消え、背後から聞こえる蔑んだ声。遅れてくる痛みにより転げ回る。残っていた片腕まで斬り落とされていた。
「⁉︎ グギギャャャォォォォオオオオオ⁉︎」
見えなかった。躱されたことにすら気付けず腕を失っていた。
「他に何か無いのか?……見た目だけのゴミ屑か」
すれ違い様の一太刀。あの剣士よりも早い剣。
キングオーガが抱いた怒りはいつの間にか恐怖へ変わっていた。
目の前の化け物が魔法を紡ぐ。この魔力に満ちた樹海よりも濃い死の魔力。恐怖により逃げようとするが足は竦み動かない。
「じゃあな、哀れな畜生。――ネヴェレスト」
地面から突き出すように空へと伸びる巨大な冷剣。先日戦った人間の魔法を通すことのなかった体を氷の剣は無慈悲に貫く。寸分の狂いもなく心臓を穿たれたオーガキングの意識はここで途切れることになった。
「隻腕の魔物……何処かのマヌケ共の取り零しか?」
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地方都市オーステンで復興作業に勤しむルークと小隊の一員であるスキニーとナハル。彼らは合間の休憩を取っていた。
「……」
「あん? どうしたんだよルーク?」
「体調が悪いのか? なら少し休んだらどうだ。俺達だけでも問題ない」
ナハルの発言に顔を顰めるスキニー。文句があるのではなく、無理をしているルークに対して少し怒っていた。
「いや、そうじゃないんだ。ただ……」
嫌な胸騒ぎがする。そんな気がしたと説明するルーク。
「……そういう直感は大事にした方がいいと聞いたことがある。連隊長に報告するか?」
「やめとけよ。あいつに言ったって馬鹿にされて終わりだろ。……死霊術で確かめた方がまだマシだ」
「作業に戻ろう。今出来ることを進めよう……」
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街道を行く公爵家の家紋が刻まれた馬車。総勢六名を乗せた豪華な馬車はフィーニス領を目的地に進んでいた。
「やっぱりこれが普通だよな。もう樹海は沢山だ」
御者台から安心した様子で馬を走らせるヴァン。心なしか馬も安堵しているように見える。ヴェルデ樹海を無事に抜けたヴァン達は野営の後に再び移動を開始していた。
「……かなりショートカット出来た。お得」
馬車内から感情の薄い声が聞こえる。前日の戦いで魔力をほとんど消費してしまい、まだ本調子ではないアトリである。野営の見張りを一人免除になるほど昨晩はぐったりしていたが、多少は良くなったようである。
「情けないわね。オーガキングに立ち向かった勇敢な剣士さんは何処に行ったの?」
「……あれは、俺一人の力じゃねーよ。みんなのフォローがあったからこそ活きた剣だ」
魔物の戦意を奪う一番の活躍をして見せたヴァン。討伐難易度A以上の強敵を撃退した剣士に驕りはない。まだまだ上が存在することを知っているからだ。
「どうしたのヴァン? 随分謙虚になっちゃって」
「……失恋は少年を大人にした」
「おい、ホントに止めろよな! いつまでこれを続けるんだよ!」
エリスとアトリの悪ノリは相変わらず続いていた。ヴァンからすればいい迷惑だが、結果的に和やかな空気がパーティ内に流れていた。
「ったく……嫌でも謙虚になるだろ。あいつなら一人でどうにかしそうだしな」
「……容易に想像つくのが恐ろしいわね」
「だろ? 一人で樹海を制圧して邪悪な笑みを浮かべているかもしれないぞ」
苦笑いのエリスに若干引いているヴァン。あながち間違いではないのかもしれない。
「さて、皆さん。改めて我々の目的を確認しておきましょうか」
グランツの一言により全員が目と耳を傾ける。
「奇病『魔力硬化症』により倒れたヴァンさんの祖父、マスフェルトさんの治療を行う。そのためにフィーニス領を目指しています」
国一の剣士であり歴代最強と謳われた剣聖マスフェルト・フリーク。祖父であり師匠であるマスフェルトを救うためにヴァンの旅は始まった。
「マリア教会の優れた神官ですらマスフェルトさんの病を取り除くことは出来ませんでした」
フリーク商会の一員として各地を回っていた時に届いた凶報。急いで駆けつけた時には既に意識を失っていた。
「我々がたどり着いた一つの答えが五年前に『魔力硬化症』を克服した少年。そのきっかけとなった特効薬の存在でした」
特効薬の要となる毒竜バジリスク。危険な魔物であると同時に数が少ない希少種。それを探すために冒険者協会で依頼をこなしながら情報収集を続けてきた。
「結果的に特効薬の入手は出来ませんでしたが、それ以上の存在に巡り会うことになりました」
神の奇跡とまで言われている神聖術。命さえあれば全ての不幸を覆す御業。銀の髪を受け継ぐ王族達とマリア教会の枢機卿クラスの数人しか使い手がいない人知を超えた力。色々な思惑があるにせよ、その協力を得ることに成功した。
「シエルさん。お任せしてよろしいでしょうか?」
「はい、その為に私はこの場にいます」
力強く頷く銀の聖女。聞けばヴァンよりも一つだけ年齢が上という彼女。一年後にシエルのようなしっかりとした存在になれるのか甚だ疑問に感じる。覚悟の違いを見せつけられているようである。
「……シエル、本当にありがとう。結局最後は頼りきることになっちまって」
「ヴァンさん。大まかではありますが、あなたのこれまでの話は聞きました。ヴァンさんが諦めなかったからこそ未来へ繋がった。この出会いは決して偶然ではないと私は思っています」
初めは一人だった。家族からの協力は得られず自分で何とかするしかないと絶望していた時にアトリは側にいてくれた。
未開のダンジョンの情報を集めていた時に再会した冒険者のエリス。どんな状況でも常に前を向き、時には厳しく叱責してくれた。
「私の神聖術は国や公爵家の為に存在するのではありません。多くの悲しみを喜びへと変える為に手にした力です」
類い稀な才能と叡智を持つ賢者。ヴァンが忘れていた大切なことを思い出させてくれたグランツ。自分達を後ろから支え、ここまで導いてくれた。
「最後は……みんなで笑いましょう」
出会ってまだ日は浅いが共に死戦を乗り越えたセレンとシエル。何年も前からお互いを知っている。そんな感覚を抱く程に信頼出来る新たな存在。
「ああ。必ず爺ちゃんを助けよう。最高の未来を俺達で掴むんだ」
マスフェルトを救う旅。アトリだけの仲間が今ではここまで増えた。背中を預けられる最高の仲間達が。どんな困難でも立ち向かえる――みんなとなら。
決意を胸にヴァンは進む。マスフェルトを救ってヴァン達の旅は終わるのだ。
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月夜に照らされた街道を進むヴァン達の馬車。空に輝く満天の星々が夜道に軌跡を描く。
「そろそろ止まった方がいいと思うのだけれど?」
「いや、大丈夫だ。今日は結構明るいし……それにこの道は覚えてる。もうすぐだ」
逸る気持ちを抑えられないヴァン。祖父であるマスフェルトを訪ねて何度も通った道である。一分一秒が惜しい。ここまで来たのなら多少の無理でも押し通す。治療以外のことは後で考えればいいのだから。
ヴァンの意思を尊重し馬車は止まることなく先を急ぐ。
「⁉︎ みなさん衝撃に備えてください!」
シエルが突然結界を張る。その後何かがぶつかるような衝撃と爆発音が広がる。馬は驚きの余り歩を止めてしまった。
「これはマジックミサイル……ということは」
「アハハッ、よく分かったね!」
聞き覚えのある声にセレンが苦い顔を浮かべている。シエルも何か思うことがあるのか、真剣な表情をしていた。
「誰だ! 出てこい……子供?」
闇夜に現れたのは宙を浮く不思議な人物。子供のような見た目をした襲撃者にヴァンは戸惑う。
「油断しないで。あれは敵よ……パリアーチだったかしら?」
セレンの発言により全員が馬車から飛び出し臨戦態勢となる。
「アンタは……フェルアート。今更何?」
「よぉ、久しぶりだな」
パリアーチの隣に立つ燃え盛る赤髪が特徴的な青年は不敵な笑みを浮かべている。
「フェルアート……何でお前は。いや、今はいい。俺達は急いでいるんだ」
「死にかけの剣聖の治療か? まだ諦めずに無駄なことをしていたのか……」
剣聖。その言葉に反応を示すヴァン。剣を抜き一気に魔力を練り上げる。
「悪りぃなヴァン。お前には当然だし剣聖にも恨みはねぇ。そもそも会ったこともないしな」
「……だったらそこを退け。冗談じゃ済まされねーぞ」
溢れ出る殺気。感情の高まりによりヴァンの周囲には熱を持った魔力が立ち込める。その様子を見てパリアーチは目を細め笑っている。
「分かるぜヴァン。俺もそうだった。大切な家族を失うのは辛えよな?」
空に広がる星の海を見て何処悲しげな表情をしているフェルアート。
「けどな――これは仕方がないことなんだ。もう全ては決まったことなんだよ」
「一応聞くが、何が決まっているんだ?」
「――剣聖は死ぬ。これは逃れようのない運命ってわけだ」
怒りが膨れ上がり突っ込もうとするヴァン。その肩にそっと手が置かれる。隣を見れば優しげな眼差しのグランツ。熱くなり過ぎた心が急激に冷やされ落ち着きを取り戻すヴァン。
「運命と言いましたね。何を根拠にそう仰られているのですか? フェルアートさん」
「あんたレベルなら違和感を覚えたことくらいあるんじゃねーか? ここはな、都合良く創られた世界なんだよ。剣聖は死ぬ。――おっとヴァン……お前だけ悲劇のヒロインみてーな顔をするなよ。剣聖だけじゃない。他にも沢山いる」
「無駄だってフェルアート。君の話を聞いてるようには見えないよ彼」
ヴァンの前に出るグランツ。挑発するパリアーチを遮るような立ち位置となる。
「貴方……ヒトではありませんね?」
「やっぱり気付いちゃうか……そうだよ。僕は君らと違って特別なんだ」
パリアーチから溢れ出す古の魔力に警戒感を露わにするグランツ。フェルアートの顔には術式が浮かび猛る炎を身に纏う。
「お前に変えられるのか? 腐りきった未来を」
「爺ちゃんは死なせない。だから……お前達を斬って先に進む」
「そうかよ。なら……見せてみろよヴァン! お前の炎をッ!」
ヴァンの緋剣とフェルアートの猛炎が衝突する。それが開戦の合図となった。




