8話
工具を引っ張り出してきて、三人がかりでポチとタマの部品を組み立てる。分解されたパーツを取り戻したポチとタマが、抱き合って喜んだ。
「ポチ。治ったばかりで悪いけど……匂い、追えるよな?」
ダニエルが尋ねると、ポチが愉快そうに目を細める。
「あ、そーゆーこと?」
「困りましたね。タマたち、治してくれたらなんでも言うこと聞くって言っちゃいましたよ」
タマは全く困っていなさそうな笑顔を浮かべた。
「試運転といきますか。んじゃ、ごあんなーい」
☆
工房から遠く離れた、廃工場。
『もうダメよ! 私たちここで死ぬんだわ!』
『娘よ! 一人じゃないからな!』
『ママー! ママー!』
『アニキー!』
『アネキー!』
ハーヴェイは悲鳴を上げるだけになったラジオの電源を切り、部下に投げ渡した。向き合っているのは今回の取引相手だ。ハーヴェイの足元には、黒いトランクケースが置いてある。
「では、爆弾の威力を見ていただきましょう」
小型の遠隔起爆装置と、リディアから奪ったネックレスを見せた。ネックレスの石を遠隔起爆装置にかざす――直前。
ネックレスが、手の中から消えた。
「はい、アネキ」
「わぁ!」
いつの間にか現れたポチとタマが、キャッキャとはしゃいでいる。キラキラのネックレスを首にかけてもらって、タマはゴキゲンだ。
そして、十数人いたはずの部下たちがみんな倒れていた。
その真ん中で舞い踊るのは、アラビア風の踊り子衣装に身を包んだ美女――にしか見えない男、ダニエル。
華麗な回し蹴りで取引相手を吹っ飛ばしたダニエルが、軽やかなステップでハーヴェイに近づく。
それはさながら情熱的な舞いのようで。
振りまく微笑みは、敵だと思えないほど魅力的だ。
あまりに魅力的すぎて、銃を抜くのを忘れた。
一緒に踊ろうと誘うように、ダニエルが両手を伸ばす。その手がハーヴェイの輪郭に触れた。
次の瞬間、襲ってくるめまい。体から力が抜け、ハーヴェイは床に倒れ込んだ。
しびれ薬だ。
「キマった! おやびんの女装暗殺拳です!」
「…………(ゴクリ)」
「アニキも思わずドキドキしちゃうレベルの、磨き抜かれた女装スキル!」
美女にしか見えないダニエルは、野太い声で「見るな」と言い、恥ずかしそうにポチとタマを睨む。透けたヴェールの衣装を脱ぎ捨て、いつもの服装に戻った。
「ヒュ、ドラ……美しい毒の娘の、息子……」
舞踏を終えると同時に精悍な顔つきに戻ったダニエルを見上げ、ハーヴェイは言った。
「なぜ殺さない……?」
これは、ただしびれるだけの薬。相手を殺す毒ではない。
「お前は……母親の体質を、受け継いでいるんだろう……」
「そうだ」
ダニエルが答えた。
「俺の体液は致死の猛毒。お前の体内に俺の血液一滴でも入れれば、一瞬で殺せる」
「ヒュドラが死んだ今……唯一の後継者のお前が、次のヒュドラになるはずだ……」
「ヒュドラが死んだ証拠がどこにある?」
ダニエルの声が、静かに響く。
「ママは不死身だ。いつまでも死なないんだよ」
骨も、歯も、髪の一本さえ残さず、ヒュドラは消えた。
だからたとえ永遠にヒュドラが現れなくても、決定的な証拠が無い限り、誰にも彼女の死は確信できない。
「だから俺は、ヒュドラになれない。暗殺者にはならない」
ダニエルが片手を見せる。
黒い手袋をはめた小指に、銀色の指輪が光っていた。
「誰も殺さない牙が、俺を守ってくれる」
銀色の指輪から、極小のトゲが飛び出す。さっき触れられたとき、おそらくあれに刺されたのだ。殺意のないしびれ薬を塗った、小さな牙に。
「そうか……。あの女、本当に母親になったんだな……」
ハーヴェイは安堵のような、諦めのような笑みを浮かべた。
☆
朝だ。
ハーヴェイ・グロットの一味が逮捕されたという記事を持ったリディアは、自宅の廊下を歩いていた。客人用の寝室のドアをノックする。
「みんなー? いつになったら起きて……」
ドアを押し開けた。
空っぽのベッド。きちんとシーツが整えられている。割と遠慮なく散らかされていた部屋が、すっかり整理整頓されていた。
「くるの……よ……」
テーブルの上には、書き置きと、タマがしばらく返さなかったネックレスが置いてあった。
「嘘ーーー!?」
――同刻、駅にて。
ダニエルたちは、停車している鉄道に乗っていた。向かい合っている席で、一方にダニエル、その反対側にポチとタマが座っている。
「脳に作用する毒、ですか」
「毒じゃない、薬。ハーヴェイのヤツ、めっちゃ俺のこと知ってて怖いから、忘れてもらったの」
「アンタの方が恐ろしいよ、オッサン」
ダニエルが持っている弁当箱から、二人がひょいひょいとおかずをつまんでは口に放り込む。ダニエルの分が残らないペースだ。
「うぅ……どうしてみんな、俺を誤解するの? 俺は最初から、暗殺稼業なんかに手を出すつもりはないのに……」
「カタギにしておくのはもったいないですから」
「そーそー。カッコいい二代目ヒュドラ先生のそばで、暗殺技術を盗み……じゃなくて、お勉強したいなー」
「殺しません! そして何度も言ってるけど、俺はヒュドラの後継者じゃない! ヒュドラは不死身なんだから、後継者なんていらないんだよ!」
そのとき、窓がコンコン叩かれた。
「ポチくん! タマちゃん! ダニエルーーーっ!!」
「あ……」
別れを告げなかったリディアが、一生懸命窓に拳をぶつけていた。
「なんで行っちゃうのよ! ずっといなさいよ!」
「ずっと同じ街には住めないんだよぅ……」
「それにしたってフツー何も言わずに出ていく!? この薄情者ー!」
「お、お世話になりました!」
「お世話になったのはこっちだ、バカっ!」
列車が走り出す。リディアは窓越しに三人を見つめながら歩き、小走りになって、全速力で走った。
「みんなのこと、忘れないからねっ! さようなら!」
「お姉ちゃん、さよならー」
「楽しかったです、お姉ちゃん」
ぶんぶん手を振るリディアに、ポチとタマが手を振り返す。
「おいマザコンスナイパー!」
「スナイパーじゃないんだけど。今回一発も撃ってないし」
「なんだかんだ言って、お母さんを大事にするのって、とってもステキな気持ちだと思うわっ!」
ダニエルは少し驚いた顔をして、それから笑った。
「バイバイ、リディアちゃん!」
列車のスピードが上がる。駅の端までたどり着いたリディアは、走り去る汽車を、いつまでも見送っていた。