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6話

「おやびん、起きて」


 ポチの張り詰めた声が、ダニエルを起こした。ダニエルが真面目な顔つきでヨダレをすすって体を起こす。


「火薬の匂いだ。ヤツらが来た。まっすぐこっちに向かってくるみたい」

「なんでバレた?」

「わかんねーよ。逃げるか?」


 ダニエルは少しの間考え、首を横に振る。


「いや。これじゃいたちごっこだ。ここでケリをつける」


 そう言って、ゴミの山に目をやった。

 ――しばらくして。

 黒塗りの車の一団が、ゴミ捨て場に停車した。一斉にドアが開き、銃を持った男たちが降りてくる。

 周囲を警戒している男たちの中から、ハーヴェイ・グロットが進み出た。地面に焚き火の跡が黒く染み付いている。


「……まだ遠くへは行っていない」


 そう呟き、ズボンのポケットに手を突っ込んで振り返った。


「油断するなよ。やられるぞぉ」


 刹那。

 ゴミ山の後ろから、三つの影が躍り出た。見開いた目でとらえるのは敵のボス、ハーヴェイただ一人。鉄パイプを振り上げた。


「待ちな!」


 女の声が鋭く響く。


「コイツがどうなってもいいのかい?」


 ダニエルたちの動きが、ピタリと止まる。

 車のそばに、“ヒュドラ”が立っていた。その足元でひざまずいているのは無精ヒゲの男だ。こめかみに拳銃を押し付けられていた。


「お父さん!」

「リディア……!」


 誘拐された父の姿を見つけ、ゴミの山に隠れていたリディアが飛び出した。


「リディアちゃん! 出てきちゃダメだ!」


 ダニエルが叫ぶが、すでに遅い。

 数人の男たちが、暴れるリディアを羽交い締めにした。


「く……!」


 ダニエルは歯ぎしりした。ポチとタマが戸惑いの表情で彼を見上げる。ダニエルが鉄パイプを落として両手を挙げると、二人もそれにならった。

 ハーヴェイは拾った鉄パイプで肩を叩きながら、ダニエルの顔を眺める。


「べらぼうに強いって聞いてたからどんなヤツかと思いきや、ガキども連れた小僧かよ。幼稚園の年長さんか、てめーは」

「かわいい例えをするんじゃねぇ……!」


 ダニエルの腹めがけて、鉄パイプがフルスイングされる。ダニエルの両足が浮いた。


「ぐふ……っ」

「おやびん!」


 腹をかばって崩れ落ちるダニエルの両腕を、ハーヴェイの部下が拘束した。ポチとタマもなすすべなく両手首をしばられる。


「甘い」


 ハーヴェイが言う。


「殺しの才能を持って生まれただけの、ただの素人ってところだな」


 その言葉を浴びながら、ダニエルはよろよろと立ち上がった。息をするたびに肩が上下する。


「実はオレは、昔、本物のヒュドラを見たことがある」


 ダニエルは目を見開いた。

 ハーヴェイが背後に視線を向ける。一方的に痛めつけられるダニエルを見つめて、勝ち誇った笑みを浮かべている“ヒュドラ”がいた。


「あんなあばずれとは格が違う。ヒュドラは最高の娼婦だった。あの微笑みを向けられただけで、思わず――」


 ハーヴェイは含み笑いで言葉を切る。


「……ママをいじめるな……」


 青ざめ、こわばった顔をして、ダニエルは足を引きずるように一歩進んだ。

 ハーヴェイが彼の耳に顔を近づける。


「お前はママがベッドで殺した、薄汚い男の種から産まれたんだろ?」


 ダニエルから戦意が抜け落ちた。よろけながら数歩後ずさり、呼吸を乱す。


「うあ……ぁ……あああああぁ……いやだぁ……」


 その表情は、無力な幼い子どものそれだ。


「おやびん!」

「しっかり!」


 ポチとタマの声も届かない。ハーヴェイの言葉に揺さぶられている。


「違う……ママは、そんなことしない……。謝れ……謝れよぅ……」


 ダニエルは涙を浮かべながら、震えた声で必死に言い返した。ひゅっ、ひゅっ、と激しく喉が鳴る。


「ぼくのママは……いつだってやさしくて、きれいで、あったかくて、おひさまみたいな……」

「息子までたぶらかすなんて、たいした女だよ。お前、ママとヤったのか?」


 ハーヴェイの唇の端が歪む。ダニエルから、すべての表情が消えた。


「殺してやる」


 低く放たれる呪詛。


 ダニエルの近くにいた者全てが、その場に縫い付けられたように体の自由を奪われた。ポチとタマさえ例外ではない。

 ダニエルの両手の関節が鈍い音を立てて外れる。わずか一瞬でロープを抜け出したダニエルは、足元に落ちていた小さなガラス片を握りしめ、ハーヴェイの喉を切り裂こうとした。

 ガラス片の尖った先が、ハーヴェイの喉の手前で静止する。


「ハアッ、ハアッ、ハアッ……」


 自分の胸元に爪を立てた。しかめた顔を汗が伝う。

 過呼吸を起こしていた。

 震える手からガラス片が落ちる。崩れるように座り込み、うつ伏せに倒れた。


「毒蛇。そうして地面を這うのがお似合いだ」


 こめかみを濡らしたハーヴェイが、靴底でガラス片を踏み砕いた。「おい」と睨まれた部下たちが、ビクッと震えて我に返る。


「おやびん〜!」


 ポチとタマが声を揃えてダニエルを呼んだ。ダニエルは気を失っている。

 彼の変貌ぶりに立ち尽くしていた“ヒュドラ”が、ハーヴェイに視線を向けた。


「ハーヴェイ……まさかそいつ……」

「ヒュドラの息子だろうな」


 ハーヴェイが振り向く。


「ヒュドラの息子は死んだはずだろ!?」

「“死んだことにされていた”んだよ、マーゴ」


 ハーヴェイの手に握られた拳銃が、“ヒュドラ”の額に狙いを定めた。


「あんた、なんで私の名前を知ってんのさ……」

「分かるさ。少なくとも、お前がヒュドラの名を借りたニセモノだってことはすぐに分かった」


 引き金が引かれた。“ヒュドラ”が倒れる。リディアの父親が頭を抱えて悲鳴を上げた。


「暗殺者ってのは嫌だなぁ。殺した数の何倍もの人間に恨まれる」

「ターゲットを始末した旨、依頼主に連絡しておきます」

「任せた」


 ハーヴェイは何ごともなかったように、それどころか口元に微笑さえ含ませて拳銃をしまう。


「ダニエルが……最強の暗殺者の、息子……?」


 男たちに捕らえられたリディアは、倒れているダニエルを見つめた。


「全員つれていけ」


 ハーヴェイの指示で、男たちはリディアを車に押し込めた。

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