4話
「ヒュドラを見つける」
「ヒュ……ヒュドラ!?」
ダニエルの顔色が変わった。動揺しながら肩を縮こめ、リディアの顔をのぞき込む。
「ヒュドラって、あの……」
「それは知ってるのね。そりゃそうか、あなたに近い業界での有名人でしょ」
リディアはそう言って、言葉を続けた。
「最強の暗殺者。美貌の女スパイ。数え切れないほどの権力者や大富豪を毒殺したっていう、あのヒュドラよ」
「ヒュドラを見つけてどうすんだよ?」
「そんなの決まってる。組織のボス、ハーヴェイ・グロットを暗殺してもらうの」
「あんさつ……!」
「何よ、傭兵のくせにビビっちゃって」
リディアは腰に片手を当て、震え上がるダニエルを一瞥した。
「穏やかじゃねぇな。話し合いでなんとかならない?」
「無茶言わないで! それに、ハーヴェイは……っ」
言葉が詰まる。リディアは体の横で拳を強く握りしめ、ダニエルを睨んだ。
「ハーヴェイは、あたしのお父さんを監禁してるのよ!」
ダニエルが「えーっ!?」と叫んでのけぞった。その後ろにいたポチとタマも、ピクリと眉を上げる。
「爆弾を作ったのは、あたしのお父さん。ハーヴェイに脅されたの。でもお父さんは起爆コードを作ってあたしに託してくれた。これを持って逃げなさいって」
「…………でもさ。ウワサによれば、ヒュドラは何年も前に失踪したんだろ?」
「そうね。だけど、彼女は復活したの!」
「えっ!?」
ダニエルはまたもや目を白黒させた。
「これからヒュドラに会いに行くわ。だからそれまであたしを守って。それがあなたの仕事」
リディアはそう言ってダニエルの腕に触れ、一人でさっさと歩いていく。ダニエルとポチタマがすぐに追いついてきた。
「怪しいと思うけどなぁ〜。やめといた方がいんじゃね?」
「うるさいな。もう決めたことよ」
「殺しは犯罪だぞ。悪いことだぞ。一線超えたら、どれだけ後悔したって戻ってこられないんだぞ」
「オッパイ揉んだくせに説教しないで!」
「だからあれは事故だってば!」
事故か事故じゃないか言い合っているうちに、一行は裏路地の片隅にある小さな酒場の前に来ていた。
「大人の酒場、入ったことあるの?」
「何のための用心棒なのよ」
リディアは張り詰めた表情で酒場の入り口を見つめている。
「アニキとタマは、何度か入ったことがありますよね」
「酔い潰れたおやびんを迎えにね」
「余計なこと思い出さなくていいから」
リディアがドアを開けた。全く馴染みのないバーの風景。数少ない席にちらほら座っている客も、なんだかガラが悪い。
リディアは毅然としてカウンター席に向かった。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん。何にする?」
「“蛇の巣穴”」
マスターに向けて口にしたのは、合言葉だ。
「……奥へ行きな」
「どうも」
リディアはカウンターを離れ、店の奥の“関係者以外立ち入り禁止”のドアをくぐろうとした。「待ちな」と呼び止められる。
「そんな大人数で押しかけられちゃ困る」
マスターがしかめっ面で言った。
「ボクたちはここで待ってるよ」
「いってらっしゃい、おやびん」
ポチとタマはそう言って、カウンター席に戻る。
「大丈夫か?」
ダニエルが尋ねると、二人はひらひらと手を振った。
「行こう」
「いいの?」
「まあ……大丈夫だろ。クソガキだしな」
ダニエルはあまり気にもとめない様子で前を向く。リディアは少し後ろ髪を引かれる思いだったが、意を決して、足元の階段を降りていった。
そこは地下室だった。真ん中にテーブルがただ一つあって、イスが二つ対面で置かれている。奥のイスには、胸元が大きく開いたドレスを着た女が腰掛けていた。
テーブルに肘をついていた女は、なまめかしく目を細め、リディアを手招きする。リディアは緊張の面持ちでイスに座った。
「いらっしゃい、お嬢さん」
「リディアです」
「そちらは?」
「ダニエル」
「リディアさんと、ダニエルさんね」
女はそれぞれに視線を配り、微笑んだ。
「あなたがヒュドラ……?」
「ええ」
リディアが問うと、女――“ヒュドラ”は頬杖から顎を離した。
(これが本物の暗殺者……)
リディアは“ヒュドラ”の顔から目を離さずに、ゴクリと生暖かいツバを飲む。多少化粧が厚いけれど、確かに美人だ。
リディアはオーバーオールのポケットから豪華なブローチを取り出して、それを“ヒュドラ”の前に置いた。
「まあ……ステキ」
「あなたを雇います。――ハーヴェイ・グロットを殺して、あたしのお父さんを助けて」
丁寧にマニキュアの施された指でブローチを手に取った“ヒュドラ”は、唇に妖艶な曲線を描く。
「いいわね。ヒーローみたい」
「それなら……」
「でも、私――」
リディアの額に、銃口が向けられた。
「もうハーヴェイに雇われてるから」
乾いた銃声が地下室に響き渡る。
リディアはイスごと真後ろに倒れ込んでいた。
――撃たれる直前、ダニエルが彼女のイスをひっくり返したのだ。
「いっ……たぁーい! もっと優しくできないの!?」
「ごめん」
後頭部を床に打ち付けたリディアは、ダニエルの声の重さに驚いて言葉を失った。
彼の視線は、“ヒュドラ”一人だけを見つめている。
ダニエルは静かに“ヒュドラ”の真横に移動した。
「なぁに? アンタ……」
“ヒュドラ”は動揺しながらも、高圧的にダニエルを見上げる。
ダニエルの平手が、迷いなく彼女の頬を打った。
「何す……」
女に鋭く睨まれる。
全くひるまず、反対の頬にもう一発。
平手打ちだが、その音の大きさと盛大に乱れる髪を見る限り、相当強烈な威力だ。
両側の頬を真っ赤に腫らし、鼻血まで出した“ヒュドラ”は、ふらつきながらもダニエルの頭に向けて発砲した。弾丸が頬をかすり、赤い筋が顎へと伝う。
「いてぇだろが」
ダニエルは地の底から響くような声で言った。縦に亀裂の入った瞳に見据えられ、“ヒュドラ”が硬直する。
ダニエルは“ヒュドラ”の髪を掴み、その頭をテーブルに叩きつけた。
「逃げるぞ、リディアちゃん!」
「う……うん」
こちらを振り向いたダニエルは、すでに憑き物が落ちたようにいつもどおりの雰囲気になっている。リディアはダニエルの後ろについて、階段を駆け上がった。
「動くな!」
鋭い声で、二人は足を止めた。
「おやびん〜」
「助けてください〜」
客の一人だった男が、ポチとタマの首を腕でホールドして、拳銃の先を二人のこめかみに押し付けている。
「ポチくん! タマちゃ……」
「ポチタマ! 殺すなよ!」
リディアを遮ってダニエルが叫ぶ。えぐえぐ泣いていた二人から、表情が消えた。
「またか」
「つまらん」
タマの鉤爪が拳銃をスライスし、ポチの肘鉄が男の顎に命中する。
「このバケモノ……っ」
他の客たちが銃を抜いて立ち上がった。
「バケモノだってさ、アネキ」
「言われ慣れてますよね、アニキ」
二人は息を揃えて床を蹴った。銃弾の雨をかいくぐり、連携技で敵を仕留めていく。
「きゃあぁ! もうワケわかんない!」
「危ないから出てくんな!」
ダニエルとリディアは倒したテーブルを盾にしてうずくまっていた。飛んでくる弾丸が次々とテーブルにめり込む。
「外でやってくれ!」
マスターがカウンターの影に隠れて怒鳴った。
「言われなくても!」
ダニエルはリディアに目配せし、テーブルを押しながら走った。一気にドアまで近づくと、リディアを抱きかかえてテーブルの陰から飛び出した。ポチとタマがついてくる。
弾丸をよけながら酒場を出たダニエルは、ちょうど近くの曲がり角を曲がる、馬車らしき乗り物の後ろ姿を見つけた。
「馬車、借して!」
必死な形相でそれを追いかけ、曲がり角を急カーブする。
乗り物を引いていたのは家畜ではなく、おじさんだった。
「これ人力車だぞ!」
「そ……それでもいいや!」
「貸してください」
タマが鉤爪をギラリと光らせる。おじさんは悲鳴を上げ、人力車を置いて逃げ出した。
「なんで脅した!?」
「おやびんのマネです」
「俺そんなことしないもん!」
「“しないもん”じゃねーよ。とっととずらかるぞ」
酒場にいた男たちが追いかけてきている。
「ええい、乗れ!」
「はーい」
「おやびん、がんばれー」
ダニエルはリディアを人力車に載せた。