告ったが反応がない。まるでしかばねのようだ
from:正谷慎二郎
subject:この前の
チョコムースってお酒入ってただろ!
◇
from:淀島昂司
subject:Re: この前の
え?そうだった?
別によくね?
◇
from:正谷慎二郎
subject:Re2: この前の
「そうだった?」じゃねーこの馬鹿が!
そのちょっとがこっちには一大事なんだ!
ニンジンの刑に処すぞ貴様!
……ニートってさぁ、監禁してもばれないかな
◇
from:淀島昂司
subject:Re: Re2: この前の
な、何なんだよ……何があったんだ?
意味分からないんだが
と……とにかく早まるな!
三度寝から目を覚ますと、ざざあ、と波の音が聞こえて来た。
今日はいつもよりも音が大きい。これから天候が悪くなるのだろうか。手を伸ばして目覚まし時計を確認すると、時刻は二時過ぎだ。
「………」
寝返りを打ってしばらく考えたが、喉が渇いているので起きることにする。半身を起こすと、ガラス窓の外に、いつもとそう変わらない海がうねっている。
………今日こそ、海まで行ってみよう、と思った。
のそりと起き上がる。だるいのが単に寝すぎのせいなのか、それともここ何日かろくに食べていないせいなのかは分からない。
洗面所まで行き、水を飲むついでに顔も洗う。
ふと顔を上げると、片目が濁っている、醜い男と目が合った。見慣れない顔だ。手櫛で髪をとかして輪ゴムで縛り、洗顔の際に外した眼帯を着ける。
そして寝巻き代わりの鼠色のトレーナーを着たまま、素足にスニーカーを突っかけて、玄関の外に出た。扉を閉め、鍵を持って出てくることを忘れたことに気づく。
「……ちっ」
舌打ちしたが、取りに戻る気はない。どうせ訪ねて来るのは慎二さんだけで、その彼は今日はいないようだ。泥棒が来る所とも思えないし、鍵を掛ける必要もないだろう。
午後の日差しの中、ゆっくりと門を出て、左手にある階段を下りる。ほとんど通行量のない細い道路を渡り、再び階段を下りるともう砂浜だ。30メートルほど先には岩場があり、その先はもう海だ。部屋からよりも波の音が大きい。
ざり、と一歩出すごとに砂が小さく鳴る。少し沈み込むような感触が面白く、無駄に数メートルほど行き来する。振り返ると、スニーカーの底の後が綺麗に残っている。
不意に大きな波が岩に砕け、小さな飛沫が顔に飛んできた。つられて海の方を眺めると、不透明で青灰色の波間には船の姿も鳥の姿も見えない。
何となく、それでいい、と思った。
自然には、人工も動物も似つかわしくない。
人間なんかは、特に。
引き寄せられるように岩場へと歩いていく。黒い穴だらけの岩の上に乗ると、容赦なく波が足元を洗い、スニーカーを濡らした。それでも少し岩場の上を歩いたが、がぽがぽと水を含んだスニーカーが鬱陶しく、両方とも脱いで砂浜へと投げ、自分は海水に漬かった岩の上に腰を下ろした。海苔のようなものが生えていて少し滑っている。
寄せては引く波が、尻の下と岩に付いた腕を徐々に濡らしてゆく。暦の上ではまだ春になりかけのはずだが、意外に水は温かい。泳げるのではないのだろうか。
「………あー」
ただ何をするというでもなく、ぼうっと海を見る。太陽光を反射して時折きらきらと眩しく光っている。
自分が溶けて、そしてこの海の泡になってしまえばいいのにと思う。人魚姫のように。このまま風景と同化して、この岩や砂になってしまうのもいいだろう。
だが現実問題として、ここで俺が死んだ時に出来るのはそんなメルヘンチックなものではなく、ぶよぶよに膨れ上がった死体でしかない。
醜くて、迷惑な代物。
この俺に、うってつけじゃないか。
人が嫌いだと言いつつ、山中にでも籠もって、自分独りで生活出来ない自分が嫌だった。家事もろくにしようとせず、結局コンビニやスーパーといった文明と他人に頼っている。
今どうやって生きているかと言えば、既に死んだ親の脛齧りだ。阿呆息子にも加減があろうというものだ。
ぴしゃりと岩に跳ねた波が、胸まで飛沫を飛ばす。
立ち上がり、一段低い岩に降りる。一気に胸まで海水に漬かった。時折頭にまで波が被る。
次に海中に足を踏み出したら、恐らく頭より深くなるだろう。
明日はきっと、今日よりいい日になるだろう。
ぎぃ、と自転車のブレーキの軋む音が聞こえた。
「て、哲くん!」
叫ぶ声が聞こえて、
逃げなきゃ、と思った。
全身が温かな海中に漬かる。
口を開くと、体内に一気に海水が流れ込んできた。
目に海水が
空が輝いて
苦し
でも
これで
「………がっ、がは、おえっ」
激しく咳き込むと、体を横にされた。吐いた水が、だらだらと付近の砂に染み込む。ひゅぅ、と喉が鳴ったが肺には空気が届かず、更に咳き込んで水を吐く。
寒い、と思った。息をするたびに肺が痛む。
「哲くん?」
肩を叩かれて薄目を開けると、刺すような日の光が目に入った。海水が染みる。どうやら砂浜に寝かされているようだった。
「………哲、くん?」
うるさい。目を閉じて頭を振る。と、「よかったあぁぁー」とため息をついて、慎二さんは座り込んだ。口の中に砂の感触があり、喉も妙に渇いている。
まだ、俺は………生きている、ようだった。
……………全く、余計な事をしてくれる人だ。
偽善は、楽しいですか?
「……っ…」
左手で砂を掻き、ゆっくりと体を起こす。ずっと体の下敷きになっていたせいか、右手が麻痺している。はぁはぁと荒い息を繰り返しても、酸素を取り込んでいるという実感がない。
「あっ、ちょっと、哲くん!?」
膝を突いて、それから立ち上がる。支えるように背中に伸びてきた手を、体全体で振り払う。
「……?」
だが、ぐるり、と世界全体が回るような感覚がして倒れかかり、結局慎二さんに抱きとめられた。
「…無理、しないで?」
「……だ、い、じょぶ…」
呟いたが、自分でも何が大丈夫なのかよく分からなかった。放って置いてくれればいいのに。
肩を貸され、半ば引きずられるように支えられる。濡れた素足に、細かな砂が張り付く。
「病院行かないと……保険証ある、よね?」
「………大、丈夫、ですから……」
「でも………」
鬱陶しい。本当に大丈夫だ、と腕を振り解こうとしたが離れない。温かく感じていたはずの水が冷たく、歯の根が合わない。初春の風が更に熱を奪ってゆく。
「お願いだから、病院……」
「………」
横に首を振る。慎二さんは諦めたようにため息を吐き、足元の鞄を拾い上げてゆっくりと歩き始めた。砂浜から階段を上ると、横倒しになった自転車をそのままに、俺が来た時と逆のルートを辿って家に戻る。
来た時は3分もかかっていないと思うのだが、今度はその距離を何倍にも感じる。
門の外で開放してもらいたかったのだが、やはりと言うか何と言うか、慎二さんは人の家の玄関内まで俺を引きずってきた。式台の上に下ろされる。
「ちょっと待ってて」
そう言うと、慎二さんは俺の隣に鞄を置き、濡れたジャケットとネクタイ、靴下を土間に脱ぎ捨て、勝手に人の家の仲へ侵入していく。目を開けて見る気力もなく壁に寄りかかっていると、しばらくして足音が戻ってきた。タオルと着替えを持ってきたようだった。
……人の家で勝手にタンス開けてんじゃねーよ…
「ねー、本当に大丈夫?」
「ん……」
どうなんだろう。とにかく疲れた。早く横になりたい。
乾きかけた顔をタオルで擦られ、砂がぽろぽろと落ちた。それからぐい、と抱き寄せられて、髪の毛のゴムと眼帯を外される。一緒に、輪ゴムに絡んだ髪も一緒に引きちぎられた。されるがままに髪の毛を絞られる。
「う、わ、何でこんなに髪の毛から水が出てくるのさ」
俺の髪の毛の保有していた水分量に驚いたのか、慎二さんがそう呟くのが聞こえた。
「まあいいか、ほら着替えて」
やはり水を含んでいて重くなったトレーナーをたくし上げられ、脱がされる。トレーナーはべちゃりと音を立ててジャケットの上に投げ捨てられる。
それからズボンにも手を掛けられ、パンツと一緒に脱がされた。
「………あ……」
裸になった体を拭かれる。
どうしよう、と思ったが、何事もなく乾いた服を着せられた。
「立てる?」
俺から少し体を離して聞かれた。小さく頷いて、壁に手を突いて立つ。
ふと見下ろすと、慎二さんの顔が目に入った。眼鏡はなく、髪の毛が濡れて額に張り付いている。
………潜った、のだろうか。
多分そうだろうな……
惨めな人間を見ると言うことはそんなにも面白い事柄なのかと思ったが、問う気にはなれない。
「うん、それじゃあぼくは一回家に戻るけど……」
慎二さんはため息をついて立ち上がり、やはり濡れた革靴をつっかけた。
「………ん」
頷くと、それでも心配そうな顔で覗き込まれる。
「すぐ戻って来るからね?」
………来なくていいです。放っておいてください。
でも面倒なのでまた頷いておく。
くしゃりと湿気た髪を撫でられ、慎二さんは玄関に積んであった濡れた洋服の塊を手に取った。
「ホントに来るからね?」
脅しのように念押しして、玄関から出てゆく。
そんなに人の心配をしている振りをして、何か得る物はありますか?
「………」
隣の玄関が開く音を聞くまで俺は立ち尽くしていたが、どこか妙なことに気がついた。
俺の服が、無いのだ。
確か脱がされて、それを山にして置いてあったから………
「……あ…あのやろう…」
慎二さんの服と一緒に持って行かれたのだ。ふざけるな。小さく呟いたが、それ以上は面倒で考える気にもなれなかった。
そして俺は寝室へと向かった。
とにかく疲れていて、早く横になりたかったのだ。