田舎は玄関に鍵かけない
from:正谷慎二郎
subject:隣に誰か引っ越してきた
一昨日隣に誰か引っ越してきたみたいなんだけど、未だに何の音沙汰も無い……
こっちから挨拶に行って良いものかね?
◇
from:淀島昂司
subject:Re: 隣に誰か引っ越してきた
知らねえよ………
挨拶しに行ってもいいんじゃね?別に
つうか、そんな辺鄙な所に本当に引っ越す奴なんているのか?
ちょっと津波来たら家ごとさらわれそうだし
◇
from:正谷慎二郎
subject:Re2: 隣に誰か引っ越してきた
〔画像添付あり〕
証拠画像。
ほら、確かに引っ越してきてる
◇
from:淀島昂司
subject:Re:Re2: 隣に誰か引っ越してきた
だから、重い写真送られても見られないんだって…
「ああー……疲れた………」
引っ越してきて3日目。俺はコンビニの袋をどさりとダイニングテーブルの上に置き、椅子に腰を下ろした。背もたれに寄りかかる。
たかだかコンビニ行ってくるだけでこんなに精神力を使うとは、先が思いやられるとは自分でも思う。だが、少なくとも一人でコンビニに出かけるようになっただけ進歩のような気もする。
うー、と呻きながら眼帯を外し、髪の毛を縛りなおす。ここ何年か床屋にも行っていないので、肩の下まで好き放題に伸びている。他人からだと見苦しいだろう事は分かるが、自分で切ってもろくな事にならないのは分かっていたし、床屋にまで行くのは個人的に論外だった。最近では、これはこれでもう良いじゃないかという気分になってきている。
未だに隣の家に挨拶しに行ってはいない。尋ねに行くくらいなら無作法と思われるほうが余程マシだった。柄束さんが置いていった蕎麦をどうしようか。
再び眼帯を着け、ため息をついて体を起こす。
テーブルの上に置いた袋の中を漁り、弁当を取り出す。ただ義務のように買いに出かけただけで、食欲は無い。一体何をしに行ったんだろうとは思わないでもない。
「後でいいか………」
そう呟いて、机の上に突っ伏した。一食ぐらい抜いた所で死ぬわけじゃないし、このまま食べ物を目の前にして餓死するというのも、それはそれで一興のような気もした。
「………」
組んだ腕の上に頭を乗せ、目を閉じる。
ざざぁ、と海の音が聞こえる。
海辺特有の、湿気た風が体に纏わりつく。
玄関と反対側、階段を下りて道路を渡り、もう一回階段を下りたところに海がある。遊泳できる場所ではないようで、短い砂浜の後に黒っぽい岩が並んでいる。
そのうち降りて行ってみよう、と思う。
いつになるかは、分からないが。
がん!がんがんっ!
……どれくらいそうしていただろうか。
何やら音がして、とろとろとした眠りから覚めた。
「…?」
頭を上げると、部屋の中はいつの間にか夕日に染まっている。玄関を誰かが叩いているようだ。
「柳田さーん?いらっしゃらないんですかー?えーと、隣の正谷です」
何故インターホンを鳴らさないかとしばし考え、そう言えば壊れていたんだっけということに思い至った。そしてコンビニから帰ってきて、玄関に鍵を掛けなかったことも思い出した。
「ふざけんな……」
玄関に聞こえないように小さく呟く。隣に越して来たからなんだってんだ。お願いだから放っておいて欲しい。
「うーん、まあいいか、じゃあ玄関とこに置いとくか」
扉の向こうで、隣人がぶつぶつと呟いた。
そしてもう二度と来ないでくれ、と俺も呟こうとして、
がらっ、と玄関が開いた。
「!!」
な、なにすんだこの田舎民が!
玄関とこってそういう意味かよ!?
「ん?あれ、なんだ、いらっしゃるじゃないですか」
しかも居留守が分かった!?嘘だろっ、何が………
反射的に振り向くと、
開けっ放しにしておいたリビングのガラスに反射した、男の影と目が合った。
「っ!」
立ち上がると、椅子がけたたましい音を立てて後ろに倒れた。つまづいて転ぶ。
「慌てなくていいですよー?」
明らかに笑いを含んでいる、玄関からの声。お前のせいだろと言ってやりたい。立ち上がり、仕方なしに玄関まで出て行く。
「………あ、…あー……」
「隣の正谷慎二郎と申します。これからよろしくお願いしますね」
逆光の玄関に立った男が言った。年の頃は30……いや、20代後半くらいだろうか。俺より少し年上に見える。銀縁の眼鏡を掛けていて、大人しくて善良な小市民といった雰囲気だ。これからよろしくすることがない事を祈る。
「………やー…柳田、哲」
自分でも情けなくなるほど小さな声で返すと、「うん、哲くんだね」と隣人は俺を名前呼びしやがってくださることに決めたようだった。
「哲くんは甘い物好き?」
「……」
特に好きでも嫌いでもない。とりあえず頷いておく。
「よかった、じゃ、これ、お近づきの印にどうぞ」
ゼリーなんだけどね、と手に箱を押し付けられる。
「っ、あ………あり、がとうございます」
軽く頭を下げる。ああ、こんなの貰って俺どうする気だ、と思い、柄束さんの置いていった蕎麦がまだ手付けずで置いてあったことを思い出した。ええいもう!
「あーっと………ち、ちょっ、待っ…てて、ください」
どこにあったっけか。押し付けられた箱を抱えて台所に引っ込む。確か乾物は乾物で一纏めにしていたような気がする。
「ちくしょ…どこだこれ」
5つほど引き出しを開けてところでようやく発見した。何の因果かばきばきに折れているような手応えがするが、知ったことではない。生じゃないから賞味期限も平気だろう。そしてゼリーの箱を持ったまま玄関に戻る。あ、置いてくりゃよかった。
「………」
「これ、貰ってもいいの?」
差し出すと、目の前に突きつけられた蕎麦の袋と俺の顔を見比べながら隣人…名前なんだっけ?は首を傾げた。軽く頷く…お前に渡さずに何のために人が持ってきたと思ってやがるんだ大人しく受け取れ!
「ありがとー」
軽薄そうに笑いながら男が蕎麦を受け取る。そしてそこで満足して帰ってくれるかと思いきや、
「ねえ、哲くんて何歳?」
雑談モードに突入した。もういいよ!帰れよお前!お願いだから帰ってくれ…
「………………2、2」
つうか俺に年齢聞いてくんな…うるさいなもう……
そっかそっか、と隣人は勝手に頷き、更に質問を重ねてくる。
「えっ、じゃあさー、やっぱ恋人とかいるわけ?」
「…………………………」
軽く首を振る。うるさいな………年齢=彼女いない年数だよ!童貞で悪いか!むしろ俺みたいな野郎にに彼女がいたらビックリだろうがバーカ!
……というか、これ以上人の傷に塩を塗りこんでくるような質問をしないで欲しい…
もうお願いだから帰ってくれよー……
「仕事は何してんの?」
「…………んー…」
少し迷ったが、結局これも横に首を振る。株なら少しやってはいるが、職業とは言えないだろう。するとどこをどう解釈したのか、「若いのに大変だねー」などと好き勝手な言葉を返してきた。
あんまり年は違わないと思うんだが。眼帯を着けた右目と繋げて、何か誤解したのだろうか。
「んーと、じゃあ、洋菓子と和菓子だったら、どっちが好き?」
そして質問は続く。空気の読めない人なのか読んでも無視しているのか、それとも俺がそういう空気を醸し出していないのかどうかは不明だ。
「………」
洋菓子と和菓子?どっちも好きでも嫌いでもないけどなー……
俺が困って首を傾げると、「じゃあどっちも好き?」と隣人が笑う。とりあえず今回も頷くと、隣人は凄く嬉しそうに手を叩いた。思ったことが即顔と行動に出るタイプなのかもしれない。
「それじゃあ、今度何か持ってくるよ。ぼく一人じゃ食べきれないから」
え、えええええ?い、要らねえ…!お裾分けするのはいいが、俺に寄越さないでくれ……
「………」
そうは思ったが口には出せず、つい頷いてしまう。
とりあえず、前言撤回。少なくとも、この人は大人しくはない。
んー、と隣人は数秒間考え込んで、もう俺に聞きたい事はなくなったのか、
「あっ、それじゃあお邪魔しました。これからよろしくね」
さっさと帰る事に決めたようだった。くるりと俺に背を向けて、玄関から出て行く。
やっとか……
「それじゃあまたね。失礼しましたー」
そしてガラガラと玄関扉を閉めた。
タイル敷きの階段を下りて、門から外に出て行く音がする。
本来ならそこまで送りに行くべきなのかな、と思ったがもう後の祭りだ。
「………………」
えーと。
と言うか……いま、俺の聞き間違いじゃなければ、「またね」っつったよな…?
「また来る気か………」
ああ、とため息をついて、ゆっくりとリビングへ戻る。放置された弁当の横に、今貰った箱を落とすように置く。
そしてどさりとソファに倒れこんだ。
「………疲れた…」
何だったんだ今の人は……何だったんだ一体…
人に質問するだけしてさっさと撤退しやがって……
ただ隣の家にいるから何だってんだ。さっきの感触からすると隣人はまたやって来そうな気がした。とりあえず玄関には鍵をかけようと思う。
ニートと言ってしまった以上、もう居留守は通じないだろうか。何か働いてるとでも言えばよかったのかも知れなかったが、今繕っても、隣に住んでいる以上そのうちバレてしまうだろう。
俺のことなんて放って置いてくれればいいのに、と思う。その方が向こうも楽だろうに。
酷く邪魔で、憂ざったい。また来るかと思うだけで憂鬱だ。
「………死ねばいいのに」
前に、伯母が俺のことを「人嫌い」と言ったことがある。あの時はそうでもないと思っていたが、今なら肯定できる。
俺は多分、人と向かい合うのが嫌いだったし、人と話すのが嫌いだ。
だからこうやって、特に働きもせず、毎日を惰性で過ごしている。
本人が気づく前にその事に気がついていた母と伯母は、もう既に死んでいると言うのは皮肉な事だ。あるいは片方だけでも生きていれば違ったのかもしれない。
……ここら辺なら、普段人なんていないと思ったのに。