×9 不思議な世界で出会った剣士 前編
無事山越えを果たし、ランジール王国の領内へと入ったシェリィ一行。
辺りには草原が広がっており、遠くには大きな城と城下町が見えている。
「……もう少しなんだけどな」
先頭を歩きながら、空を見上げるシェリィ。どんよりとした暗い雲に覆いつくされている。今にも雨が降り出しそうだ。
「みんな、あそこに小屋があるよ。少し休んでいかない?」
メリルが指差した方向を全員で確認する。そこには古ぼけた一軒の小屋があった。
「さんせー、濡れたくないし」
「アタシもいいわよ。雨の中歩くってのも嫌いじゃないけど」
ルキとクイナが賛同。四人は進路を変え、小屋へと向かって行った。
「ふー、本格的に降り出しちゃったな」
小屋の窓から外を見て、シェリィが呟く。近くではメリルが床に手を当て、目を瞑っていた。
「よし、印が張れた。シェリィさん、これで町に戻っても大丈夫だよ~」
「ありがとう、暗くなっちゃったら町へ飛ぼうか」
切りの良い所まで進んだら印を張り、レイドルの町へと戻る。
そして朝になったら印へ飛び、旅を再開。
メリルの能力があるからこそ出来るやり方だ。ちょっとズルい。
「雨っていいわよね。なんか心が落ち着く」
シェリィの隣までやって来たクイナが言った。リラックスした様子で外を眺めている。
「へぇ……ちょっと意外かも」
「うんうん、クイナちゃんってガオーってイメージだし」
「メリルの例えは良く分からないけど……音とか匂いが好きなのよね。瞑想でもしたくなっちゃう」
クイナは目を瞑って雨の音を楽しんでいる。
普段騒がしい彼女の意外な一面に、少し驚きながらも、シェリィとメリルは同じようにを目を瞑った。
遠く、雨の音が聞こえるだけの、優しい時間が流れる。
「おーい! おもしれーもんあったぞー!」
「んがっ!?」
そんな時間はあっさりと終わってしまった。小屋の奥から箱を持ったルキが現れる。
「……三人とも何やってたの?」
「えへへ、何もしないをしてたんだよ~」
「へー、意味わかんねーや! それよりこれ見てよ!」
持っていた箱を床にドンと置くルキ。
箱は鎖でがんじがらめにされており、厳重に封印されているような様子。
鎖にはカギまで付けられている。
「何かないかと思って奥漁ってたらこれ見つけてさー、きっと面白いもんが入ってるよ」
付いていたカギを一瞬で外し、手際よく鎖を解いていくルキ。
三人が覗き込む中、いとも簡単に箱を開けてしまう。
「……宝石……じゃないか」
中に入っていたものをひょいっと持ち上げたルキ。それは丸い水晶玉だった。中には黒い炎のようなものが揺らめいている。
「魔法の力で作られた魔道具……かな? どんなことが出来るんだろ」
角度を変え、様々な方向から覗き込んだ後に、水晶玉をブンブン振りはじめるルキ。
「ルキちゃん、危ないよ? 落としたら――」
シェリィが注意したその時、ルキの手からつるんと水晶玉が離れ、床に向かって落ちて行く。
「あ――」
瞬間、水晶玉から黒い光が放たれた。
光は一瞬で四人を飲み込み……小屋の中には、床に転がった水晶玉だけが残った……
シェリィは瞬きをしている。
意識的に何度も何度も繰り返す。
目に異常があると思ったからだ。
最後にぎゅーっと強く目を瞑り、ゆっくりと開いた。しかし目の前の光景は変わらない。目に異常はなさそうだ。
「……ここ……何処……」
辺りは一面砂だらけ、乾いた空気が喉や目の水分を奪う。
そこはまさに『砂漠』だった。シェリィはたった一人、砂漠の真ん中に立っている。
目ではなく頭の異常を疑い始めたところで、近くの砂が急に盛り上がる。
「……っ! モンスター!」
砂の中から現れたのは、サソリ型のモンスター。
毒針の付いた尾を高くあげ、触肢に付いた二つのハサミを開き、シェリィを威嚇する。
剣を抜き、構えたシェリィにモンスターのハサミが襲い掛かった。これに捕まってしまえば、すぐさま毒針を打ち込まれ、命は無いだろう。
ハサミを剣で打ち払い、どうにか攻撃をしのぐシェリィ。
バランスをやや崩しながらも敵の体を斬りつけ、慌てて距離を取る。
(くっ、硬い!)
鎧のような甲殻に阻まれ、シェリィの斬撃はまるで通用していなかった。
(今、剣が一瞬折れそうになった……)
彼女の使っている剣は、扱いやすさのために刀身を薄くし、重量を減らしている。モンスターの体に振り下ろす事を想定した作りにはなっていない。
(どうしよう……私一人じゃ……)
剣を両手で構えながらも後ずさる。それに合わせるかのように、じりじりと前に出るモンスター。
そして……一気に動き出し、シェリィへと襲い掛かる!
『落ち着いて! 攻撃は相手の構えから予測して避けるのよ!』
突如、頭の中に何者かの声が響く。シェリィの体は考えるよりも先に反応し、見事にハサミによる攻撃を回避した。
『いい子ね、恵まれた目を持ってるわ。次は攻撃よ。こういう相手の場合は守りの薄い関節を狙うのが基本。突き出された腕か足を狙いなさい』
ハサミと尾による攻撃を的確にかわしながら、狙いをすまし、シェリィは剣を下から上に振るった。
「ハァッ!」
切り飛ばされたモンスターの脚が一本、宙に舞う。
「やった!」
勝てないと悟ったのか、モンスターは慌てて退散していった。
『ちょっと怖いくらい出来すぎね、最初の素人みたいな動きが信じられない』
「あなたはいったい……」
辺りを見回すも、人の姿は見えない。相変わらず声だけが響いてくる。
『やっぱり私の声が聞こえるのね? ちょっと待ってて』
言われた通りにしばし待つ。するとシェリィの目の前の空間に、一人の女性がすぅっと現れた。
「どお? 見えるかしら」
現れた女性は控えめに笑みを浮かべ、問いかけてくる。
三つ編みにした長い髪が印象的な、柔和な雰囲気を持つ女性だ。背中には剣を背負っていた。
「……見えます」
「よかった、私を認識できる人間は初めてだから、こっちも不安だったのよ」
「あの、私分からないことだらけで……あなたの事も、この場所の事も……」
「分かってるわ。説明はちゃんとする。私の名前は『アイラ』よ」
名を名乗り、アイラは続けた。
「全てを知ったうえで、あなたには……私を殺してほしいの」
「ううう……」
草も木も見えない、石だらけの荒れた地を、独りぼっちでとぼとぼと歩くクイナ。
寂しさからか目には涙が滲んでいる。
「オナカヘッタ……」
違う理由だったようだ。
「気付いたら誰もいないし……何処よここ……」
大きなため息をつくクイナに、背後から高速で近付く影があった。
「ッ! オラァ!」
殺気を感じ取り、飛び蹴りを放つクイナ。ドシャアと音を立てて地面に何かが落ちる。
「グエェ……」
落ちたのは鳥型のモンスター。強烈な蹴りによって顔が変形し、虫の息だ。
「モンスターか。ふん、アタシを不意打ちしようなんて百年早いわよ」
転がった相手を見下ろしながら、こいつもしかしたら食えるんじゃ……と考えるクイナ。その時、近くの地面に信じられないものが生えているのを見つける。
「うっ!」
そこには……美味しそうな青いキノコがあった。
(な、なんでこんなところにキノコが……食べない……食べないわよ? 一度それで酷い目にあったじゃない! あぁでもお腹減ったなぁ……冷静に考えたら独りぼっちなんだからあん時みたいになっても困らないわよね? ここで野垂れ死にしてみんなと会えなくなるよりはずっとマシじゃない!)
クイナの思考は一瞬で巡り、一つの答えに辿り着いた。
「いっただっきま~す!」
キノコを引き抜くと、大口を開けてかぶりつく。
「むしゃむしゃ……んまー!」
口の中いっぱいに幸せが広がる。
「……大丈夫よね?」
念のため下半身を触って確認するが、異常はない。
「ふぅ……良かった」
クイナは安堵し、再び歩き始めた……その時だった。
「おふぅ!?」
ぐーぎゅるるるる……という音が下腹部から聞こえる。
クイナは腹を抑え、その場にうずくまってしまう。
「くっ……うぅ……ん……あぁ……あ……はぁ……はぁ……」
うめき声を上げながら、彼女は腹の底から何かが下ってきているのを感じていた。
(い、嫌よ……こんな荒野で……トイレどころか、隠れる場所も拭く物もないじゃない!)
プライドを原動力に、尻に力を入れ耐える!
「ふぅ……はぁ……ふー……ふー」
波は去り、どうにか立ち上がることが出来た。一歩、また一歩と歩き出す。
(冗談じゃないわ。こんなところで……こんなところでアタシが!)
しかし……そんな彼女をさらに強力になった第二波が襲う!
「ぐぅっ……あ……あ……や……やだ……」
もはや、限界だった……
「いやだあああああああああああああああああ」
「あちゃー、出ちゃったか」
森……というよりはジャングルに近いだろうか。
草木が生い茂り、付近は緑一色だ。
邪魔なつるを短剣で払いながら、ルキは現れたモンスターを警戒する。
「植物に擬態してるんだろうけど、真っ赤な花がちょっと目立ちすぎかなー」
大きな花のようなモンスターは、つるをムチのように扱いルキを攻撃する。
「ほいほいほいほい」
合計五本のつるから繰り出される攻撃を、ひょいひょいとかわしていくルキ。
身のこなしで彼女の右に出る者はそうはいない。
あっさりと間合いに入り、赤い花のように見える頭を切り落とした。
「ここが頭かな? 残念でした」
切り落とした花を踏みつけ、死んだかどうかを確認。すると――
「ビュビュー! ビュルビュルビュル!」
「うわっぷ! な、なんだぁ!?」
切り落とした花は謎の白い液体をルキに吐きかけた。
最後の力を振り絞ってしまったのか、花はそのまま萎んで動かなくなってしまう。
「うええくっさ……なんかネバネバしてるし……もーサイアク!」
白濁液まみれになりながらも、念のため花には止めの一撃を入れておくルキ。
「髪や服にまでネバネバがついちゃってる……」
顔や髪についた白濁液を手で集め、地面に捨てる。
「はぁ、下はもう嫌だ。木の上を伝っていこう」
近くにあった木に手を掛け、猿のようにするすると登っていく。
「うわ! この森せっま!」
木のてっぺんまで登り、辺りを見回す。
森を抜けると荒野が広がっており、そこから先には大きな屋敷が見える。
「あっちの方には砂漠もある……もうめちゃくちゃだなー。やっぱりここ、あの水晶玉の中なのかな」
ここに移動する直前、水晶玉に引っ張り込まれるような感覚を、たしかにルキは感じていた。
「とりあえず……あの屋敷を目指すか。シェリィたちも来てるかもしれないし」
木を飛び移りながら、ルキは荒野に見える屋敷へと向かって行った。
ルキのいた森から少し離れた草原。
そこにメリルは立っていた。今、目の前の空間に手を置いている。
まるでそこには見えない壁が存在しているかのように、両手でぺたぺたと何度も触る。さながらパントマイムだ。
(壁があるように感じるけど、これは壁じゃない……ここまでしか空間が存在してないんだ)
見えない壁の向こうにも草原が広がっているのだが、よく見れば様子が変だ。
風も吹いていなければ虫の一匹もいない。
不自然に動きがない、まるで精巧に出来た風景画のよう。
(外の気が探せないから、転移で脱出も出来ない。それは恐らく、この空間そのものが巨大な結界になっているから……どうにか穴を見つける事が出来れば、こじ開けられるんだけど……)
見えない壁に手を置いたまま、目を瞑り、結界の隙間を探り続ける。
「こんにちは! あなた、何をしているのかしら?」
楽し気な女性の声で、突然後ろから話し掛けられた。
咄嗟に振り返るメリル。そこにいたのは、剣を背負い、鎧をまとった一人の女性。
三つ編みにした長い髪を揺らしながら、作りもののような、怪しい笑顔を浮かべていた。
「本当はね? あなたたち四人が、自然と私の屋敷に来てくれるのを待つつもりだったんだけど……結界に妙な事されちゃ困るのよね。私の命と繋がってるから、それ」
返事も聞かずに、怪しい笑顔のまま背中の剣をゆっくりと抜く。
右手で剣を持ち、左手を腰に当てながら、女はニヤニヤと笑いメリルに近付いてくる。
(この結界の主……! わたし一人だけど……やるしかない!)
服の中から、まじないの書かれたお札を何枚か取り出し、気を込める。そして辺りにばらまいた。
「あひゃひゃひゃひゃひゃ! 私はアイラって言うの! よろしくねェ!」
女は地面を強く蹴り、メリルへと飛び掛かった――
「どういうことですか……アイラさんを殺すって……」
突如現れた幽霊のような女性、アイラに対してシェリィは聞いた。
「……長くなるから、順番に話すわ。まずここは、私が作った結界の世界なの」
頭の中で説明する内容を整理するように、考えながらアイラは話す。
「え~と、何故こんなところにいるかって言うとね。自分自身を封じ込める必要があったから」
こういうの苦手なんだよな、とぼやきながらアイラは続けた。
「私はずっと強くなりたかった。そして強くなるために魔族の力を取り込んだ。『闇の魔力』をね」
「闇の……魔力?」
「魔力性質の一種よ。人間にだって生まれつき炎とか水とかあるでしょ? 魔族の属性は闇なの」
レイドルで出会った少女の事を、シェリィは思い出していた。
彼女は雷の魔力を操っていたはずだ。
「人間の操る魔法と違って、魔族は闇の魔力を肉体や空間に作用させて戦うの。上級魔族ともなれば、武器の生成や肉体の強化、再生まで何でもありよ」
「なんだか、気の力みたいですね」
「アレス教で教えてる操気法の事かしら? そりゃそうよ。あれは闇の魔力を生命エネルギーで無理矢理再現する技だもの。しかもあの人たち変な思想持ってるから、防御や結界しか教えてない。ただでさえ劣化コピーなのにね」
今度はメリルのことを思い出す。確かに彼女は攻撃の技を持っていなかった。
あくまで身を守り、癒すための能力として気を語っていた。
「私はその闇の魔力を取り込んだ。どうしても力が欲しかったから……でもそれはやってはいけない事だった。確かに強くなることはできたけど、時間が経つにつれて、闇は私の魂をどんどん飲み込んで行ったわ。自分が自分で無くなっていくの」
胸に手を当てながら、悲しそうにアイラは語る。
「たまにね、我に返るのよ。その時に、自分がどれほど狂ってしまったのかを思い知らされる。罪もない人を何人も殺したわ……」
「アイラさん……」
「だから……最後に残った意識で自分を結界に封じた。結界と命を繋げてね。こうすれば、狂った私はここから出られない。もう百年近くも前の話よ」
「でも、アイラさんがそんな風にはとても見えませんよ」
「ふふ、今話してるのは私の意識の一部分にすぎないわ。本来の……狂った私は、まだ肉体を持ってこの世界にいる。だから……私を殺してほしいの。いずれにせよ、ここから出るにはそれしかない」
少し考え込んでから、シェリィは口を開いた。
「私が、アイラさんに勝てるとは思えません……」
「うふふ、今は多分……ね。あなたさえ良かったら、私に修行をつけさせてもらえないかしら? 必ず勝てるようにしてみせる。自信があるの」
「え? な、何故ですか?」
「だって……『あなたも持ってる』のよ。その闇の魔力を」
しばし、シェリィは固まる。言っていることの意味が分からない。
「ごく稀にいるの。あなたのように、生まれつき闇の性質を持った人間が。私のような紛い物じゃなくて、本物の力をね!」
嬉しそうに、興奮した様子でアイラは言う。
「魔力っていうのはね。その人の魂から生み出される力なのよ。今まで誰にも気付いてもらえなかった私が、あなたにだけ干渉出来るのも、闇の性質で繋がっているからだと思うの」
「私が……闇……」
アイラが求めた力。それを持っていると言われても、あまり嬉しくはなかった。
闇という響きを、何も知らぬはずの心が強く拒絶していた。
「あなたがここにやって来た事、きっとこれは運命だと思うの。お願い……私を……助けて……」
「……分かりました。私、やってみます」
気は乗らないが、一生この世界にいるわけにもいかない。
アイラの提案を受け入れ、シェリィの修行が始まった。