×39 思い出シーカー 『エルク』
シェリィとメリルがヴィスタリアに飛んだ頃。
ジュリ屋一階、ジュリアンテの部屋。
床に寝転がったエルクはぼーっと天井を眺めていた。
昨日シェリィの話を聞いた後、オウカに事情を説明した後でこの部屋に上がり込み、それからずっとこうしている。
睡眠も食事も摂らず、ずっとこうしている。
考えていたのは……シェリィのこと。
(彼女は姫様の仇……だが……刀を抜く気になれないのは何故だろう……)
そもそもシェリィを殺したところで、アルシアは戻っては来ない。
(ではどうする? このまま放っておくのか?)
そんなこと、認められるわけがない。
(そもそもヴィスタリアという国は既にない……何が彼女を裁く? 誰が裁く? 何のために裁く?)
罪とはなんだろう。罰とは何のため、誰のためにあるのだろう。
(罰は悪に与えられるもの……彼女は悪だ……姫様の仇……だが彼女は――)
シェリィはエルクを救うため、命をかけて戦ってくれた。
(分からない……こんな時どうすればいい……どんな本にも書かれてはいなかった……姫様……わたくしはどうすれば……)
彼女はアルシアの仇である。大勢を殺害した重罪人である。
だが戦う気にはなれない。『何か』がエルクの邪魔をしている。
エルクの思考は迷宮にはまり、答えの出ない自問自答を繰り替えす。
気付けば何時間も経っていて、この状態に陥ってから既に丸一日が経とうとしていた。
シェリィの悲惨な生い立ちを聞かされた時、クイナやメリルは涙を流したが、エルクが感じたのはまったく逆の感情だった。
それは怒り。
そんなものが、悪事を働く理由になるものか。
まず思ったことがそれ。そこにはエルクの生い立ちも関係している。
エルクは親の顔を知らない。物心つく頃には貧しい孤児院で暮らしていた。
七歳の頃。強制的に受けさせられた魔法の資質試験の結果で、彼女はその才能を高く評価され、魔法戦士を養成する学院への入学を許される。
特待生となって孤児院を出た彼女の生活は一変した。
着る者や食べ物に困ることが無くなり、努力をして結果を出せば出すほど評価されるのだ。
そこに希望を感じたエルクは頑張った。
周りの誰よりも魔力訓練をし、体を鍛え、自由な時間も勉強に費やした。
入学して三年が経つ頃には、学院の中に並ぶ者はいなくなり、天才と呼ばれるようになる。
そんな時だった――
「エルクというのは君か! 手合わせ願いたい!」
本を買いに大きな町まで来ていたエルク。
いきなり、剣を背負った銀髪の女に呼び止められた。
「……面倒なので嫌です。子供相手に剣など持ちだして……人を呼びますよ?」
「ハッハッハ! 噂通りの奴だな! 君よりも遥かに弱い人間など呼んでどうする! 私の名はアルシア! 天才と呼ばれる君に興味があって来た! 実力を見せてもらうぞ?」
「なっ!? か、勝手な……」
いきなり剣を抜いて襲い掛かって来たアルシア。エルクも魔法で応戦する。
少し戦って――
「もういい、君のことはよぉく分かった」
そう言ってアルシアは剣を引く。
「勝手に襲い掛かってきて勝手にやめるのか!?」
仕方なく、エルクも雷の槍を消した。
「君を天才と呼んでいる連中は何も分かっていないな。少し向き合ってみれば手に取るように分かるとい
うのに……」
「今の戦いでわたくしの何が分かる……?」
「分かるさ! 本当に鋭い奴なら見ただけでも分かる。その手は生まれ持った資質で戦っている奴の手じゃない。訓練も良いが、もう少し体を大事にしろ!」
「勝手に襲ってきて勝手にやめて勝手に説教か。何様のつもりだ貴様!」
「直に分かるさ! ハッハッハッハッハ!」
嬉しそうに高笑いをしながら、アルシアと名乗った女は去っていった。
「……な、なんだったんだ……?」
しばらくして、エルクのもとに一通の手紙が届く。
差出人は……ヴィスタリア王国の王女、アルシア。
こうして、彼女はヴィスタリア王国の客員魔導士となる。
貧しい孤児であった彼女は、自らの力によって道を切り開き、若くして城仕えにまでなった。
こういった経験から、エルクは努力の大切さを身に染みて分かっている。
そして、どんな酷い環境に生まれようと、正しく頑張る者は救われる……という意識が強い。
だからこそシェリィの話を聞いた時には憤った。
貧困を理由にあげる犯罪者にも容赦をしたことはない。
ルキに対しても最初は良い感情を持ってはいなかった。
他人の為といいながら平気で盗みを行い、挙句の果てには魔族に墜ちた身内を止めたいなどと言い出す。
常に正しく生きて来たエルクには理解不能だ。
しかし……今、彼女は同じことで悩んでいる。
止まってしまったアイリーンをどうするのだ? とアルシアに問われた時の……あの時のルキと。
(ルキさんはあの時何を考えたんだろう……こんな気持ちだったのだろうか……)
考え込んでしまったルキに投げつけた、自身の言葉を思い出す。
(シェリィさん……)
今度は、シェリィと共にいた記憶がよみがえる。
いくら考えても答えは出ずに、相も変わらずぼーっと天井を見つめるエルク。
時間だけがただ、過ぎ去っていく…………
ガラッ! と大きな音を立てて、エルクが寝転んだ部屋に入って来た者がいた。
「ンン? エルクではないか! オウカ殿は行方が分からんと言っていたな? 私の部屋にいるではないか! 記憶が戻ったと聞いたぞ? おめでとう!」
入って来たのはやたら背と声と態度のデカい金髪の女、魔女ジュリアンテ。
「…………貴様か……何もこんな時に帰ってこなくてもいいだろうに……」
仰向けになったまま顔だけをジュリアンテに向けて、エルクは力なくそう言った。
「酷い言い草だな? そもそも何故私の部屋にいる……? ハッ!? 下着でも狙いに来たか! ククク……」
エルクは答えない。再び天井をぼーっと見つめ始めた。
「…………ふむ、普段なら烈火のごとく怒るはずだが……重症らしい……な?」
ジュリアンテは懐から何かを取り出すと、それをエルクに投げつけた。
「いたっ……何をする……あっ!? こっ、これは!」
慌てて体を起こしたエルク。
投げつけられたのは……小さな道具袋。
「龍の胃袋ではないか!」
「大変だったぞ? ランジール王が馬鹿でなければ不可能だったろう」
「まさか……最近出かけていたのは、これを取り戻すためか……?」
「もちろん! 君との取引に使うためだからな!」
取引……? と呟いたエルクにジュリアンテは……
「忘れたとは言わせんぞ? イカホに来たばかりの時に全員でメシを食いながら話したではないか。これを返したら私の部下になるとな!」
「…………あっ」
思い出した。確かにそんなこと言ってしまった気がする。
「よぅし思い出したな? だが事情が少し変わった。えるくの奴に泣きつかれてね。シェリィとケンカをしているらしいな」
「うっ……別に、喧嘩では……」
「これを返す代わりにすぐに仲直りをしろ! ふさぎ込んでいるのも禁止する。期限は今夜までだな? 約束は守れよエルク」
「なにっ!? まっ、待て! そんな勝手な!」
一方的に言ってジュリアンテは何処かへ行ってしまった。
「く、くそ! 姫様といいジュリアンテといい……どうしてわたくしの周りには勝手な奴ばかり……」
ぶつぶつと呟きながら、龍の胃袋を開けて中を確認する。
「あった……」
一番取り返したかったものは残っていた。
聖剣フィルナノグ。
アルシアが使っていた勇者の剣。
記憶を無くした時に訪れた妖精の城で、エルクが回収してそのままだった。
「はぁ……姫様ならなんと言うだろう……」
聖剣を見つめてアルシアを思う。
心の中の彼女は……相変わらず笑っていた。
「………………ふっ……死んでからも勝手な人だ……」
龍の胃袋を持ってエルクは立ち上がる。
「今夜までだったか……まったく無茶なことを……」
転がっていた仕込み杖も拾い、気合を入れる。
「だが、約束は守らなければな。正しくあろうとするのなら……」
決意を固め、彼女は力強く歩き出した――
「失礼します。シェリィさんはいますか?」
ジュリ屋の二階に上がり、エルクは声を出した。
そこにいたのはシェリィ、ルキ、クイナ、メリル。
再び、この部屋に五人が揃った。
「エルクちゃん……」
シェリィが前に出る。
「シェリィさん。わたくしなりにあなたのことを少し考えてみたのですが……聞いていただけますか?」
「うん……」
五人で畳に座り会話を始める。
「わたくしの結論としては、あなたはやはり裁かれるべきだと思うのです。正しい法のもとで……」
「うん」
「しかし、ヴィスタリアは既にありません。そんな権限を持つ人間もいない。なによりあなたはただの悪ではない。魔王を倒しているなどの功績もある。生まれ付いた環境なども…………やはり、考慮すべきでしょう」
「……はい」
シェリィはまっすぐにエルクを見て話を聞く。
他の三人も黙って耳を傾ける。
「他の国や人間では正しい判断は出来ません。かと言ってわたくしたちでは冷静な判断が出来ません。あなたと共に過ごした時間が……邪魔をするからです」
「はい……」
エルクは立ち上がり、その場の全員を順番に見ながら語り始めた。
「良い機会なので皆さんにも聞いてほしい。わたくしは……姫様の遺志を継いで、『国』を作りたいんです。絶対的にとは言えぬまでも公正で、全ての人間が正しく生きることが出来る国をです」
皆、聞き入る。
「何年……何十年掛かるかは分かりません……わたくしが生きている間には無理かもしれません。ですが、わたくしが死んでもこの意志は残ります。姫様の志をわたくしが継いだように、いつか必ず形に成ります。してみせます」
再びシェリィを見て、エルクは言う。
「ですからシェリィさん、あなたのことはその時まで保留ということになります。わたくしではなく、わたくしの作る国があなたを正しく裁きます。魔族としての寿命ならば人間の何倍もありますよね? お待たせしてしまって申し訳ないのですが……」
ペコリ、と頭を下げるエルク。ジパング式の謝罪だ。
「……あ……えっと……凄い話で……びっくりしちゃったよ……エルクちゃん」
笑顔を作ってシェリィは言った。
「実は、今夜中に解決するとジュリアンテと約束してしまって……勢いで決めてしまった部分もあるんです。今までとは比較にもならない程の勉強をしなくては……仲間も作らないと……金も必要ですね……」
問題は山積みだ……と青い顔をするエルク。自分で言ったクセに。
「よく言ったぞエルク! 最高に面白いな? 私たちも手伝ってやる!」
「ゲッ!?」
広間に入って来たのはジュリアンテとえるくの二人。
美味しそうな匂いを放つ皿をいくつも持ってきた。
「君たちの記憶が戻った祝いと私の帰還祝い、ついでに『エルク王国』の建国祝いだ! くははははは!!!」
「そんなふざけた名前にするものか! 後世に恥が残ってしまうではないか! というか貴様付いてくるつもりかぁ!?」
エルク、キレる。
「わたくしもてつだってやるぞ! おりじなる! だからいまはりょうりをはこぶのをてつだえ! こんやはさいこう!」
「美味しそうな匂い……よっしゃー! アタシも手伝ったるわよ! ルキ! アンタも手伝いなさい! 下から全部運んでくるわよ!」
「あはははは! まっかせろー!」
クイナとルキはドタドタと階段を下りていく。騒がしく嬉しそうに。
「よし、わたしも手伝うよ! 下からどんどんお皿を転移させるから受け取ってね~」
メリルも下に向かって行った。
「エルク、話は聞いていたぞ。自信を持て、君なら必ず出来る! 私が保障しよう。なんせヴィスタリアはあのアホが作ったんだからな! エルク王国! 良いじゃないか! ハハハ」
いつの間にかやってきていたオウカ。
既に酔っぱらっているのか、赤い顔でエルクの肩をバンバン叩く。
「ほ……本当にエルク王国にされてしまう……嫌だ……嫌だ……」
エルクは泣きそうな顔でぶつぶつ呟いている。
ジュリアンテやえるくがその気になってしまっているので手遅れっぽい。
「おらおらぁ! 料理並べるわよー! ぼーっとしてんじゃねーわよ!」
戻って来たクイナとルキが料理を並べ始め、いよいよ宴が始まる。
彼女たちは食べて、飲んで、騒いで、歌って、とびっきりの笑顔で夜を楽しむ。
楽しそうな全員の姿を見て、シェリィは幸せそうな、どこか満たされたような表情で――
「…………未来……か……」
そう、呟いた。