×32 暗く濁った記憶という海の底で ⑥
「お待ちしておりました。アルシア様ですね」
ヴィスタリアの港に入ったアルシア、エルク、ルキの三人。
まるで彼女たちがここに来るのを知っていたかのように、待ち構えていた女の子に声を掛けられた。
ピンク色の髪を二つ結びにした女の子だ。
「私はメリルと申します。妖精族の長、レイカ様の命令で参りました。魔王討伐に協力させていただきます」
メリルと名乗った彼女は、アルシアに向かって頭を下げる。
「…………あまりにも怪しいんで疑う気が無くなって来た。エルク、ルキ、どう思う?」
メリルから目を逸らさず、アルシアはお供の二人に聞く。
「ルキにも知られていたので姫様のことは置いておくにしても、わたくしたちの目的である妖精のことまで知られているのはおかしいですね。しかもその妖精の命令で来たなどと……捕らえて聞き出すべきです」
「ルキはどうだ?」
「う~~~~ん…………多分……あたしの知る中で最大最強の予感……」
ルキの視線はメリルの顔より少し下に。
「あっ、信用していいと思うよー。嫌なニオイはしないね。あたし職業柄こういうのなんとなく分かるんだ」
ついでのように意見を言ったルキ。
「……ルキの勘は頼りになりそうだな。よし! メリル、君を信用しよう。話を聞かせてくれ」
「ありがとうございます。アルシア様」
顔を上げ、花が咲くようにメリルは笑う。
「ひっ、姫様! そんな理由で信用するのですか!?」
「どちらにせよ話を聞くのは同じだからな。それに……相手は二人だ。五人で暴れては周りの迷惑にもなってしまう」
そう言って、アルシアは視線をメリルからずらす。
メリルの後ろで、腕組みをしながら建物に寄りかかり、鋭い視線でこちらを見る、ポニーテールの女の子と目が合った。
「……あいつ、強いよ。間違いなく」
小声で、アルシアにルキが言う。
「それも勘か?」
「うんにゃ、経験。ああいう目をした奴が弱かった試しがない」
「……なるほど、目か。ふふ……確かにいい目をしている。武器も魔導輪も身に着けていないな。武道家……かな」
仲間について、心配することは無かったかもしれない。
集まった四人を見て、アルシアはどこか運命的なものを感じていた。
目立たない所まで移動して、五人は話を始める。
「メリルよ、君は妖精なのか?」
「いいえ、人間です。レイカ様には最近お会いし、アルシア様のことを教えていただきました。魔王復活より既に十年以上、ヴィスタリアは荒れ、世界でも徐々に魔族による被害が拡大しています。妖精族も動かねばならない状況にあると、レイカ様は仰りました」
「何故妖精は私を知っている?」
「アニタ様の子孫については代々監視されているそうです。近々旅立つことも、ヴィスタリア王が妖精を頼ることも見抜いておられました。私には港でアルシア様を待つようにと……」
アルシアは露骨に嫌な顔をする。これではプライバシーも何もあったものでは無い。
「……それで、メリルは私を妖精のもとに案内してくれるのか?」
「はい、ですがそれは先の話。まずは私と共に聖地アマダに向かっていただきます」
「アマダか。聞いたことはあるが……」
「神の聖なる気に守られた地です。そこでは闇の力を十分に発揮することが出来ません。レイカ様はアマダの山を魔王との決戦の場にするようにと……。これからそのための下準備に向かいます」
「なるほど……しかしそう都合よく魔王をおびき出せるのか?」
「私の術であれば可能です。詳しいことは道中にでもじっくり……」
何やら自信あり気に、メリルは笑みを浮かべる。
「んっ? あれ……」
その時、何かに気が付くルキ。
「シェリィ! シェリィじゃないか」
近くにいたのは、黒い猫。素早く近付いて抱き上げた。
「ルキ、その猫はなんだ?」
「あたしが飼ってた猫のシェリィだよ。変な奴でさ。長いこと姿を見せなかったと思ったら、ある時ふらっと現れたりもするんだ」
ルキは愛しそうにシェリィを撫でる。
「シェリィを見てると……お姉ちゃんのこと、思い出すんだ……」
「アイリーン……か。魔王と戦う前に、彼女とぶつからねばならんな」
アルシアとルキ。何気ない二人のやり取りに、メリルが反応する。
「まさか、魔王軍のアイリーンのことですか!?」
「うん……あたしのお姉ちゃんなんだ」
「メリルも知っているのか?」
「名前程度ですが……レイカ様が言うには、ある意味魔王よりも危険な魔族だと……」
「お姉ちゃんは世界中で暴れてるみたいだからね……どうにかして止めたいんだ」
ルキはシェリィをぎゅっと抱きしめる。
「…………甘ったれたこと言ってんじゃないわよ」
険しい顔で、ずっと黙っていた彼女が口を開いた。
「クイナ! やめて!」
慌ててメリルが抑えるが、彼女は言葉を続ける。
「止める? 何言ってんの。魔族なんでしょそいつ。戦って殺す以外ありえないじゃない」
「……分かってるさ。それでも……あたしにとっては大切なお姉ちゃんなんだよ。話が……したいんだ」
「そういうのが甘ったれてるっつってんのよ! そいつのせいでどれだけの人が死んだか分かってんの? アンタちょっとおかしいんじゃない!? 殺された人たちの墓の前で同じこと言えるの!?」
ルキは何も言い返さない……いや、言い返せない。
黙って視線を落としている。
「クイナやめて! その子だってきっと悩んで苦しんでる!」
「――クソッ! 気分悪い、アタシ向こう行ってる……」
クイナは早足で何処かへ行ってしまった。
「ご、ごめんね? クイナには後でよく言っておくから――」
「ダイジョブへーき! あたしは気にしてないよ!」
謝るメリルに、ルキは笑顔を作って答える。痛む心の内を悟られないように……不器用に作って。
そんなルキの作った笑顔を、メリルはすぐに見抜いた。その目に涙を浮かべ、ゆっくりと口を開く。
「……あの子、クイナはね。大好きだった武術の先生を魔族に殺されてるの。それからずっと、あんな風に怖い顔をするようになっちゃったんだ……本当はね、大きな声で笑って、お調子者で、食いしん坊で……意外と繊細で傷付きやすいところもある子なんだよ?……今怒っちゃったことも、きっと後悔してる……」
「そっか…………あはは、元々嫌な奴だなんて思ってないよ。あたしそういうの勘で分かるからさー」
ルキは八重歯を見せて笑う。今度は作らずに。
(だが、あのクイナという女が言っていたことは正論だ。ルキはわたくしたちについてくるべきではない……)
エルクは二人を見てそう考える。
そんなエルクの前を通り、アルシアが二人に近付いた。
「うん! やっぱりルキの勘は頼りになるな!」
そう言って、ルキとメリルを両腕で抱き寄せた。
「うおお! なんつー馬鹿力、逃げられねー……」
「はええ!? な、なんですかぁ?」
「ハッハッハ! メリルは良い奴だ! クイナはきっと強くて良い奴だ! そういうことさ!」
(相変わらず、姫様はよく分からないお方だ)
二人を抱き、高笑いするアルシアを見て、そんなことを考えはするものの、何故だか笑顔になってしまうエルクだった。
港から船に乗り込んでいくルキたちを、建物の影から覗いていたのは……黒髪の魔人、アイリーン。
彼女に一匹の黒猫が近づいて行く。
「上手く気配を消していたつもりだったのだけど、気付かれちゃったわ。あの子は本当に鋭いわね」
黒猫の体が変化し、赤い瞳の少女に変わっていく。
「お疲れ様、エリーヌ」
「うふふ……でも色々分かったわ。面白くなってきたわよ……」
エリーヌは盗み聞きした内容をアイリーンに説明していく――
アルシアが直接魔王城に来ない理由、今後の目的について、そして……ルキがアイリーンを諦めていないということ。
(…………ルキ)
アイリーンは目を閉じてルキを思う。
ライザを殺し、逃げ出した時点で見放されたものだと思っていた。
魔族となり大きな力を得てからも、あえて関わろうとはしなかった。
元気にたくましく生きているという報告だけをエリーヌから聞き、彼女の心からは目を逸らし続けてきてしまった。
「うふふ、困ったわね……このままじゃルキと戦うことになっちゃうわ。ねぇアイリーン、あなたはどうするの?」
「…………逆に聞いてもいい? エリーヌはどうするの、私に協力してくれるのかな?」
少し考えてから、アイリーンは聞き返した。
「当然じゃない、私はアイリーンが好きなの。今一番興味があるのは、あなたとルキがどうなってしまうのかなんだから……」
「そう……ありがとうエリーヌ……私もあなたが大好きよ……」
ルキとは違い、アイリーンの作った笑顔は本物と見分けがつかない。
言葉も笑顔も作り物。
胸の内は誰にも悟らせない。
「エリーヌ、あなたはこのままルキたちを監視してほしいの。お願いしていい?」
「ええ、構わないわ。それも楽しそうだし……ね」
エリーヌは再び黒猫に姿を変え、ルキたちが乗った船に向かって行った。
「……ラモン、出てきて」
一人になったアイリーンが呟く。
すると彼女の影が地面に広がり、そこから這い上がるようにトカゲの魔族が現れた。
「ごめんなさいね、そんなところで待たせちゃって、あなたの姿はここだと目立っちゃうから……」
「いえ、大丈夫です……城に帰還しますか?」
「私はいい、あなたは一人で戻りなさい。戻ったら人魔隊を招集、集まり次第ここに送り込んで。指揮は私が執るから」
「…………は?」
自分の聞き間違いだろうか? という顔をするラモン。
「命令はこれだけよ。さぁ戻りなさい」
「あの、アイリーン様……? そのような事をすれば、ヴィスタリアはとんでもないことになってしまうのでは?」
「ええ、それがどうかした?」
妖しく笑うアイリーン。
「い、いえ……では……」
ラモンは怯えながらも城に向かって転移していった。
「……フッ、人間を半端に苦しめる事だけが目的だなんて……本当にくだらない種族ね……」
アイリーンは笑みを浮かべたまま、ヴィスタリアの町中へ向かって行く。
(あと数年は力を蓄えておきたかったけど……ルキが来ちゃうんじゃ、そんなこと言ってられないな)
長い黒髪をなびかせ歩く、彼女の美しい姿に、すれ違う者は皆振り返る。
(ガルドやエリーヌはどうとでもなる。問題は魔王……力の表層を探った程度ではあるけど、今の私でも勝つのは難しい)
足元の影が浮き上がり、黒い剣を作っていく。
(妖精か……フフフ……どんな秘策を用意しているのかしら……死ぬときは、人間や魔族とは違う表情をするのかな? フッ、フフ……)
含み笑いをしながら歩く、彼女を見て立ち止まる者を一瞬で分解しながら。
(人間で遊ぶのはこれが最後ね……今まではルキがいたから我慢していたけど、旅立ってしまったのならもうどうでもいい……この国にはあんなに嫌な思いをさせられたんだもの……楽しませてもらわなくちゃ……)
人間も魔族も妖精も、彼女にとって、命あるものは全て欲望の捌け口。
…………たった一人を除いて。
「フッ、フフ……アハハハハハハ! ルキィ! 私があなたを……英雄にしてあげるからね!」
彼女の影は爆発するように広がり、ヴィスタリアを死の国に変えていく……
ヴィスタリアから出港した船の上。
甲板に座り込んだルキは、手に持った短剣を見つめていた。
アイリーンが持っていた、ルクセリアの短剣。
「ちょ……ちょっと!」
声を掛けられた。
顔を上げるとそこには……
「クイナ……だっけ? なんか用?」
気まずそうな顔をしたクイナが立っていた。潮風でポニーテールが揺れている。
「……さっきはゴメン……それだけ」
目を逸らしたまま言って、返事も待たずにつかつかと歩いて行ってしまった。
クイナが向かって行く先には笑顔のメリルがいた。
ルキと目が合って小さく手を振る。
「ルキの勘は百発百中だな。少し恐ろしくなってきたよ」
ずっと見ていたのか、嬉しそうにアルシアが近付いてくる。
隣には両手を後ろで組んだエルクもいた。
アルシアはルキの隣にどかっと豪快に腰を下ろす。
「姫様! 服が汚れますよ」
「構わん、エルクも座れ」
「わたくしは遠慮しておきます」
「ハハ! そう言うと思ったよ!」
アルシアは笑いながら、ルキの肩に手を置いた。
「……なぁルキ、私はな。魔王を討つことが出来たら、国を一から作り直したいと思っているんだよ。何があっても負けない、誰も飢えない。強くて優しい国を作りたい」
「ふーん……普通のお姫様が言うんだったら笑っちゃうけどさ、アルシアならホントにやりそうだなー」
「それだけでは終わらんぞ? 倒されても数百年で復活してしまう魔王……なにかカラクリがあるはずなんだ。もしかしたら、魔王以上に強大な存在が裏にいるのやもしれんと私は睨んでいる」
魔王以上の存在……考えもしなかった話だ。
ルキとエルクは揃って耳を傾ける。
「それも何とかしたい。魔王を倒し今の世を救っても、また復活してしまうようであれば、未来の子供たちが大勢苦しむことになる。また人が沢山死ぬ。クイナのように笑顔を奪われてしまう者も増える」
大本を絶たねば、悲しみと悪意の連鎖は終わらない。
それはルキも考えていたことだった。
「で、だ。ここからが大切な話だぞ? それだけの大事、私一人の力で成し遂げる事は難しい……だからこっそりと信頼できる仲間を集めているんだ。今のところはエルクしかいないがな」
聞いてませんよ!? とエルクは表情でアピールするが無視して続ける。
「ルキ、私は君が気に入った! アイリーンの問題が片付いた時……私のもとに来てはくれないか? 城の中しか知らん私にはない視点を君は持っているんだ。新たな国や時代を作るため、その力を貸してほしい」
「あはははは、大げさに言うんだなー。でもそういうのって必要なんだよね。大勢の人をまとめるにはさ。別に手伝ってもいいよー? あたしにそんな大した事の手伝いが出来るとは思えないけど」
ルキの言葉を聞いた途端アルシアは立ち上がる。
「出来るさッ! 実は私も勘は良い方でね。ルキからはなにか不思議なものを感じている。ビビビッと来たのさ!」
「えー? 何だよソレ! あははは」
「じゃあ約束だからな! 忘れるなよ!? 私はメリルとクイナにも声を掛けてくる! 行くぞエルク! ついてこい! ハッハッハ!」
疲れた顔のエルクを連れ、上機嫌にアルシアは去って行った。
(正しいと思ったことに自分の力を使いなさいって、父ちゃんが言ってたっけ……)
ルクセリアの短剣を再びを見つめるルキ。
(ねぇ父ちゃん、お姉ちゃんを助けるために戦ったあたしのこと、褒めてくれたよね。素晴らしいことをしたって……でも、もし、今のお姉ちゃんのために、あたしが何かしてあげようとしたら……それは――)
心の中でいくら語り掛けても、ルクセリアの短剣は――――答えてくれない。