表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/41

×28 暗く濁った記憶という海の底で ②



「はい、着いた! ここがあたしの家だよ!」


 小さなルキに手を引かれ、アイリーンは彼女の家に入って行く。


「父ちゃーん! ただいまー!」

「おかえりルキ、今日は喧嘩しなかっただろうな?」


 奥の部屋から出て来たのは、髭を生やした、熊のような大男。


「にへへ、やっちゃった!」


 大男に笑って飛びつくルキ。


「ルキ、約束しただろう? たとえ頭にくる事があったとしても、人を傷つけてはいけない。悪い事をすれば、いつか必ず自分に返ってくるんだ」


 低く、落ち着いた声でルキを叱る大男。


「ごめんなさい……」

「ん? ルキ、そこのお嬢さんは?」

「ヒッ……ぅぁ……」


 大男と目が合って、ビクっと体が引きつるアイリーン。


「悪い奴らからシェリィを守ってくれたお姉ちゃん! 怪我してるみたいなんだ。診てあげてよ!」

「うむ……ルキ、もしやお前は、このお嬢さんを助けるために戦ってきたのか?」

「そうだよ! 危ないとこだったんだからー」

「そうか、すまなかったな。愚かな父を許せ。お前は素晴らしい事をした。お母さんも、神の国できっと喜んでいるはずだ」


 そう言って笑い、ガシガシと乱暴にルキの頭を撫でる。


「お嬢さん、私の名はラルゴ。ルキの父親だ。怪我をしているのかな? 少し見せてくれないか」


 ラルゴは優しく語り掛けるが……


「……ぅ……ぅぅ……」


 顔の前に両手を上げ、震えながら後ずさるアイリーン。

 それを見たラルゴは、これ以上彼女を怖がらせないために少し距離を取る。


(この怯え方は普通じゃない……)


 顔を守るように上げたアイリーンの痩せこけた腕と、そこに無数の痣があるのを確認したラルゴは、何かを察し、一瞬強い怒りに満ちた表情をする。

 しかしすぐ元に戻ると、奥の部屋に入って行き、大きな斧を背負って戻って来た。


「ルキ、貴重品を持ちなさい。用事が出来た。出かけるぞ。今日は食事も外で摂ろう。三人でな」


 その言葉を聞いたルキは嬉しそうに返事をして、奥の部屋に入って行く。

 二人きりになったラルゴとアイリーン。

 ラルゴは満面の笑みを作ってから、優しくアイリーンに話し掛けた。


「お嬢さん、私とルキはこの町に越してきたばかりでね。知り合いがいなくてとても寂しいんだ。良ければ、ルキと友達になってやってはくれないか? 私には君のお父さんとお母さんを紹介してほしい」


 いつの間にか、アイリーンの震えは止まっていた。




 ラルゴの職業は傭兵。

 魔王軍との戦争中であるヴィスタリアならば、しばらく仕事には困らない。

 そう考え、娘のルキと共に最近引っ越してきていた。


 彼はある日、ルキが連れて来たアイリーンと出会う。

 痩せた体は痣だらけ、彼女が親から虐待を受けている事は一目で分かった。


 ラルゴはアイリーンの家まで乗り込み、母親であるライザと話をする。

 虐待を止めるよう強く説得し、彼女たちの生活が苦しい事を知ると金も渡した。


 その後もラルゴは定期的にアイリーンの家を訪ねる。

 彼が仕事でしばらく帰れない時は、娘の面倒を見てもらうという建前でルキを泊まらせ、ライザとアイリーンが二人きりにならないようにした。


 その甲斐あってかライザの虐待は無くなり、ルキという友を得たアイリーンの心と体は回復していく。

 次第にアイリーンの動物虐待も無くなり、ラルゴとルキの愛によって、彼女は徐々に人間らしさを取り戻していった。





 それから、四年の月日が流れ――


「お父さん! 帰ってたんだね」


 部屋に入ってきてそう言ったのは、美しく成長したアイリーン。

 ラルゴを見て、嬉しそうに声を掛ける。


「ただいま。アイリーン。ライザとルキはどうした?」


 一人で酒を飲んでいたラルゴ。

 いつしか四人は共に暮らすようになっていた。


「ルキはまだ遊んでるよ。私だけシェリィのご飯のために帰って来たの。あの女は……知らない」


 ライザの話をする時だけ、冷たい表情に変わる。


「アイリーン……」

「私の家族はルキとお父さんだけ。あんな女は知らない。どうせ今だって、お父さんが命懸けで稼いだお金で遊んでるんだ」


 アイリーンはラルゴの事を父と呼び、慕うようになっていた。

 だがライザの事は……


「どうせならこのまま帰ってこなければいいのに……どうして私はあの女から生まれたのかな……お父さんの子供に生まれて来ることが出来れば、ルキとも本当の姉妹になれたのに」


 憎しみを絞り出すようにアイリーンは言った。

 その言葉を聞いて、ラルゴは酒を飲む手を止める。

 そして、ゆったりとした口調で語り始めた。


「いいかい、アイリーン。人間の魂というのはね。元々神様から生まれてきたものなんだ。それがこの世界にやって来る時に、自分の親を選んで生まれて来る。ライザの元に生まれてきたのも、アイリーンが何か目的を持って、選んでやって来たのだよ。だから……そんな悲しい事を言うな。ライザにも苦しみや悲しみはある。許せとは言わないが、憎んでしまえば、それは必ずお前自身を不幸にする」


 アイリーンは言い返す事をしなかったが、表情を見る限り納得はしていない。


「……それは、お父さんがいつも読んでる本に書いてあること?」

「そうだよ、アイリーンは良く見ているね。あれにはアレス様という方の事が書かれている。この世界の成り立ちを語り、神の子として、模範となる生き方を示されたお方だ」

「アレス様を見習っているから、お父さんは良い人なんだね」

「そんな事はない。そうでありたいと思ってはいるが、中々アレス様のような生き方は出来ない」


 ラルゴはそう言って笑いながら、一本の短剣を取り出した。


「アイリーンもそろそろ自分で生き方を考えられる歳だな。誕生日プレゼントには少し早いが、これをあげよう」

「わぁ……立派な短剣……」

「これはね、ルクセリアという珍しい金属で作られた短剣なんだ。武器としても強力だが、売れば結構な額にもなる。私には分からないが、気という力にも反応するらしい」

「どうしてこれを私に?」

「生きていくためには力も金も必要だからな、武器はその両方を与えてくれる。これの使い方は自分でよく考えて決めなさい。人間は何をするのも自由だが、行動には必ず責任が伴う……それだけは忘れないようにな」


 短剣を差し出すラルゴ。


「……うん、ありがとう。お父さん」


 短剣を受け取り、アイリーンは笑顔で礼を言った。




 数日家に留まった後、ラルゴは再び傭兵として、魔族との戦いに戻って行った。

 アイリーンは受け取ったルクセリアの短剣をお守りとして、肌身離さず持ち歩くようになる。


 ラルゴが短剣を渡した意味はよく分からなかったが、アイリーンは彼から一人の人間として認めてもらえたような気がして、短剣を見る度に誇らしい気持ちになった。


 次にラルゴが戻ってきたら、なにか恩返しがしたい。

 そんな事を考えながら、ルキと共に料理の勉強などをしていた。


 しかし……二度とラルゴが帰ってくることはなかった。

 しばらくしてから、家を訪ねて来たラルゴの仲間によって、彼が戦場で命を落としたという事が伝えられる。


 実の娘であったルキ以上に、アイリーンが受けたショックは大きかった。

 ライザはラルゴの残していった金で遊び回るようになり、家にはほとんど帰ってこない。

 悲しみに打ちひしがれるアイリーンを、ルキだけが支えるようになっていた。



「ただいま」

「ルキ!」


 家に帰って来たルキに駆け寄り、抱きしめたアイリーン。


「遅かったじゃない、どこに行ってたの……あなたまでいなくなったら私……」


 自分よりも小さなルキにしがみついて泣く。


「あはは、ごめんごめん。ちょっと遠くまで買い物に行っててさ」


 持っていた袋を置き、アイリーンの頭を撫でるルキ。


「お姉ちゃん、お腹すいたでしょ? 食べるもの買ってきたよ! 二人で食べよ?」

「……うん」


 ライザが持ち出してしまった為、家に金はない。

 ルキがどうやって食糧などを手に入れてきているのか、本人は話さない。

 アイリーンもまた、聞こうとはしなかった。


「もぐもぐ……お母さん今日も帰ってこないねー」


 薄暗い家の中、二人で寄り添って食事を摂る。


「そうだね……」


 ルキはライザの本性を知らない。

 ラルゴの手前、ルキの前ではまともな母親を演じていたからだ。


「ルキ……ルキは、どこにも行かないでね……」


 アイリーンは震えながら言う。


「うん! どこにも行かないよ! 寂しいなら、あたしがずっとお姉ちゃんの傍にいてあげる!」

「ごめんね……お父さんがいなくなって……一番辛いのはルキなのにね……ごめんね……」

「あたしは大丈夫だよ。いつかこういう事になるかもしれないって、ずっと教えられてきたから。こっそり訓練も受けてたんだよ? あたし凄く強いんだから! お姉ちゃん一人くらいなら守ってあげられる。だからさ、何か困ったことがあったら、何でも相談してね!」

「うん、ありがとう。ありがとうね……」




 翌日、アイリーンは少し立ち直り、仕事を探すために町へ出ていた。

 しかし、なかなか条件のいい仕事は見つからない。

 既に日は沈みかけており、元気なく家に向かって歩く。


(男の人の相手をする仕事なら、私でも簡単に稼げるって聞いたけど……それは嫌だな……)


 家の前まで来て、ため息をついてから中に入った。


「おかえり」

「ッ!?」


 家の中にいたのは母ライザと、派手な格好をした、見知らぬ太った男の二人。


「母さんね。その人と結婚することになったの。挨拶しときなさい。アンタの新しいお父さんよ」

「えっ!?」

「よろしく、アイリーン。私はライオネルという。仕事は武器商人をやっている。君の事は前から度々見かけていてね。可愛らしい子だなとは思っていたのだが、まさか親子になるとはな! ハッハッハ!」

「いっ……いい加減にしてよっ! お父さんが死んじゃったばっかりなのに……」


 涙目で怒鳴るアイリーン。


「あの男はアンタの父親じゃないでしょ? あたしとも関係ないし」

「で、でも……ずっと助けてもらってたじゃない!」

「ふーん……そうか、分かった。アンタあの熊親父とデキてたんでしょ? 通りで誘ってもアタシには手ぇ出さなかったわけだわ」


 そう言ってライザは下品に笑った。


「お父さんのこと馬鹿にしないでよォッ!!!」


 ライザに掴みかかろうとしたアイリーンをライオネルが止める。


「まぁまぁ、暴力はイカンぞ? アイリーン。今日から私がパパになってやる。前の父親のことなどすぐに忘れるくらい可愛がってやるさ。いい子にしていれば小遣いもやろう」


 そう言って、いやらしい目付きでアイリーンの肩を撫でる。

 アイリーンはすぐに気が付いた。

 この男の目的はライザではなく……


「はっ、離してっ!」


 ライオネルを振り払い、アイリーンは家を飛び出した。

 泣きながら向かったのは……町外れにある空き家。

 ルキと知り合ってからは行かなくなった、アイリーンの最後の居場所。


「うっ……ひぐっ……ううう……」


 暗い、独りぼっちの世界で、アイリーンはルクセリアの短剣を抱いて泣く。

 深い悲しみと絶望の中で、封印されていた彼女の中の悪意が……再び鼓動を始めた。




 次の日、泣き腫らした顔で帰宅したアイリーン。

 家にいたのは……ライザ。


「……ルキは?」


 余計な会話をするつもりは一切なく、単刀直入に聞いた。


「彼と出かけたわ」


 ライザは椅子に座っていて、アイリーンの方を見ずに答える。

 彼とはライオネルの事だろうか。


「ッ!? どうして?」

「あんたに関係あるの?」

「いいから答えろッ!」

「……服買いに行ったんだよ」


 座ったままアイリーンの方を見て、面倒くさそうにライザは答えた。


「…………どうして?」

「チッ、めんどくさいわね……彼がね、あんたのことは面倒見てもいいけど、あの子は邪魔なんだってさ。元々アタシの子じゃないし、彼の知り合いに引き取ってもらうことになったってわけ。それにしたってあの小汚い恰好じゃ渡せないでしょ? 売り物なんだからさ」

「売り……物……?」


 アイリーンの表情が、冷たく沈んでいく。


「奴隷商人やってんだってさ、そいつ。随分高く買い取ってくれるみたいよ? 女のガキはお得意様が喜んでくれるんだって」

「ルキは? なんて言ってるの?」


 無表情のままライザに近付き、口だけを動かす。


「あんたにも金が行くんなら別にいいってさ。真面目に取り合うこと無いと思うんだけどねぇ、彼ったら本当にあんたにもいくらか渡すつもりみたいよ?」


 黙って服の中に手を入れるアイリーン。


「まぁ、あの子はアタシやあんたと違ってツラが良くないから、大した値段にはならないと思うんだけどねぇ、あはははは――」


 けらけらと笑うライザ。


「は……」


 ライザの笑い声が止まる。

 それはあまりにも自然に、大した事でもないように行われた。

 アイリーンはルクセリアの短剣を取り出すと、笑うライザの腹に突き刺していた。


「あっ!? ッは……ああ!」


 椅子から転げ落ちて、腹に刺さった短剣を抜こうともがくライザ。

 しかしアイリーンは馬乗りになって、短剣を強く押し込む。


「ガハッ! あっあっ……やめ……」


 そのまま、ライザの腹を横方向に切り裂く。

 そして両手で短剣を逆さに持ち、ライザの顔を目掛けて、思い切り振り下ろした。


「フッ……フフフ……アハハハハハハ!」


 アイリーンは短剣を何度も振り下ろす。

 ため込んだ悪意を吐き出すように。

 沸き上がる憎悪にその身をゆだねて。

 何度も何度も、何度も何度も何度も――


「――――ッ! …………気持ち良い……フフフ……」


 ライザの体に短剣を突き立てる度に、アイリーンの心と体に強い快感が走る。

 返り血を浴び、全身が赤く染まっても彼女は止まらない。

 馬乗りになったまま、既に絶命しているライザの体をさらに刻んでいく。


「アハッ! アハハッ! アハハハハハハ――――」

「おねえ……ちゃん……?」

「――ッ!!!?」


 後ろから聞こえてきたのは、困惑した女の子の声。

 アイリーンは慌てて振り返る。


「……ルキ」


 そこに立っていたのはルキと、ライオネルの二人だった。


「ア、ア、アイリーン! お前は……なんという事を! ひっ、人殺しめ!!!」


 怯えた様子のライオネル。刻まれたライザを見て、鼻と口に手を当てた。


「……ぁ……ぅぁ……ぅあああああ!!!」


 血に染まった短剣を投げ捨てて、アイリーンは逃げ出した。

 慌てて衛兵を呼びに行くライオネル。

 部屋の中には、ライザの死体とルキだけが残される。


「お母さん……」


 切り刻まれた死体を見て、落ちていた短剣を拾うルキ。

 父ラルゴが、アイリーンに渡した短剣。

 彼女はこれを何よりも大切にしていたはずだ。


「お姉ちゃん…………どうして……」


 短剣を見つめて、静かに涙を流すルキ。

 いくら泣いて願っても、時間が戻る事はない。

 互いを思う、二人の気持ちはすれ違い、この日を境にして、アイリーンとルキの人生は……一変する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ