×13 雷鳴と共に 後編
「エルク!」
「はい」
ジュリアンテが合図をし、エルクと素早く左右に分かれ、シェリィたちを挟み込むように動く。
連携をとる事など最初から考えていない。個の力に圧倒的な自信があるからこそ可能な立ち回り。
「ライトニングスネイク」
エルクが走りながら雷の蛇を生成。今回も四体だ。生み出された大蛇は一斉にシェリィたちへと向かって行く。
「欲望の力よ……」
ジュリアンテは握った拳に向かってボソボソと何かを呟くと……
「強く広がれ! くははは!」
拳を開く。その手の平からは赤い閃光が放たれた。
雷の蛇と閃光が、シェリィたちへ別方向から同時に襲い掛かる。
「聖王結界! 広域護光壁!」
札を持ったメリルがその手を振り上げて唱える。
するとジュリアンテとの間に光の壁が出現し、閃光を防いだ。
「神速剣!」
光の壁とは反対方向に飛び、シェリィが魔力を込めた剣を振る。一瞬にして雷の蛇を切り刻んだ。
「ナイス! シェリィ!」
「助かったわ! メリル」
シェリィの隣をルキが抜け、光の壁を破ってクイナが走り出す。
短剣を逆手に持ち、低い姿勢で獣のようにエルクへ急接近したルキ。短剣と刀で互角に切り結ぶ。
一方クイナはお手本のようなフォームで力強く走る。目標は魔女ジュリアンテ。
「だっりゃあああああ」
走りながら飛び、空中から鋭い蹴りを放つクイナ。
「いいぞ? かかってこいポニーテールよ!」
両腕を交差させ、クイナの飛び蹴りを防いだジュリアンテ。
あえて避けずに受けたのは、正面から迎え撃つという意思表示。
「くく……私はこちらの方にも自信があるのだよ?」
楽しそうに拳を構えるジュリアンテ。
「へぇ、アタシと肉弾戦しようって?」
クイナは綺麗に着地を決め、笑みを浮かべる。
「後悔すんじゃねーわよ!」
再び走り近付く、そして、互いの拳が激しくぶつかり合った!
「ライトニング――」
「させるか!」
ルキの拳がエルクの顔面に向かう。仕方なく詠唱を中断し回避、刀を振るう。
魔法を発動する場合、詠唱し魔力を指輪に込める手順は必須である。
その隙をルキは見逃さない。拳で、蹴りで、頭突きで、とにかく妨害をしながら切り結ぶ。
魔法が使えないとあっては流石のエルクもただの速い剣士である。
速さならば二人は互角……いや、ルキの方がやや速い。
生まれ持った優秀な反射神経も含めればさらに動きの差は広がる。
「やぁっ!」
エルクの死角からシェリィが剣の腹で殴りつける。
間一髪でエルクは回避、距離を取ろうとするもルキがすぐに踏み込み息をつかせない。
「うっ……く……」
二人の波状攻撃によって徐々に追い詰められていくエルク。
「ルキちゃん離れて!」
シェリィが突撃しながら叫んだ。エルクに向かって真上から剣を振り下ろす。
「ライトニングランス!」
咄嗟に雷の槍を生成、槍を盾にし刀で抑え、どうにか剣を受け止める。
「あまり調子に――」
「メリルちゃん! お願い!」
たん、とシェリィの背中にメリルの手が置かれる。ずっとシェリィの後ろでチャンスをうかがっていた。
「転移!」
シェリィとエルクの二人がその場から消える。最初からこれを狙って戦っていた。
「シェリィ、こっちはすぐ終わらせるから、絶対負けないでね」
心配そうに、ルキは呟いた。
「ハイィ! ハイハイハイハイ!」
「くはははは!」
拳と拳、蹴りと蹴りの応酬。
クイナはひたすら真面目に、ジュリアンテは高笑いをしながら、拳で語り合う。
クイナの繰り出す正拳をジュリアンテは平然と受け止める。
そして力任せに反撃の蹴りを放つ。その蹴りを綺麗に受け流すクイナ。
恵まれた体躯を持つジュリアンテはパワーとリーチを存分に活かし、クイナは磨き抜かれた技でその差を埋める。
「楽しいなぁポニーテールよ! クイナといったか? 私とまともに殴り合いが出来る人間は初めてだぞ?」
「その言い方、納得いかないわね」
初めてクイナがニヤッと笑った。
少し飛び上がり、ジュリアンテの頭を狙い蹴りを放つ。すかさず腕で防ごうとするが……
「それだとアンタとアタシが互角みたいでしょ?」
ギリギリで蹴りを引っ込め、空中で体制を変える。
そして頭を守ろうとしてがら空きになった脇腹へ、渾身の力で蹴りを打ち込んだ!
「が……あ……」
脇腹を抑えよろめくジュリアンテ。
「所詮才能だけで戦ってんのよね、アンタ。力も目も凄いのは認めるけど……目に頼りすぎてるから、こうして緩急をつけられると対応しきれなくなる」
勢いをつけてもう一度クイナは飛ぶ、今度こそ頭に必殺の一撃を入れるために。
「アタシとやり合うにゃ三年はえーわよ!」
「……がらがらへ~びがやってきた~♪」
ぼそっと呟き、飛び掛かるクイナに何かを投げつけたジュリアンテ。それは、小さな蛇の玩具。
「えっ!?」
投げられた蛇の玩具は空中でどんどん大きくなり動き出す。目は赤く光り牙が生える。
そのまま空中でクイナに絡みつき縛り上げた。
「や、やめなさい! 服の中に入って来るなぁ!」
床に落ちて蛇を何とかしようともがくクイナ。
しかし暴れれば暴れるほど、蛇はにゅるにゅると体に絡みつく。
「まじっくさぁ~べる♪」
今度は筒のようなものを取り出して握る。すると筒の先端から光が溢れ出し、輝く刃を形成した。
「今の蹴りは効いたぞぉ? クイナ。タンスに足の指をぶつけるのと同じくらい……いや、あれよりはマシだな?」
もがくクイナを見下ろし笑う。そして光の剣を振り上げ、力いっぱい振り下ろした。
「おや?」
光の剣が何かにぶつかり止められる。よく見れば、クイナの体を覆うように、障壁のようなものが張られていた。
「間に合って良かった……」
クイナに向かって手をかざしているメリル、ギリギリで札を投げ込んでいた。
「ボインちゃんか、エルクはどうしたのかな?」
言った直後に、背後に殺気。
「うしーろ♪」
「うげっ!」
ジュリアンテは頭を思いっきり後ろに下げた。後頭部に何かが当たる。
「いってー……」
「あはぁ? ちっこい君か」
後ろを振り返り、襲ってきた相手を確認。
そこには手で鼻を抑えたルキがいた。指の隙間からは血が垂れている。
「首じゃなくて背中を狙えば良かったよ……」
「おお、怖い。今のは完全に殺すつもりで狙ったな? 酷いなぁ、私は君たちの命まで奪う気はないのに」
そう言いながらジュリアンテは横に飛ぶ。
ルキ、クイナ、メリルを同時に視界に捉えることが出来る位置へ移動。
「ありがとメリル、助かったわ」
クイナに取り付いていた蛇をメリルが玩具に戻した。込められていた魔力を封じたようだ。
「ごめん、しくった」
ルキがクイナとメリルの隣へ。三人で並び、あらためてジュリアンテへ向かい構える。
「やはりエルクがいないな? それともう一人……落ちたか、もしくは移動させたか」
きょろきょろと辺りを見回しながらジュリアンテは呟く。
「まぁいい、君たちを部下にしてから迎えに行けばいいだけだな?」
光の剣を解除し、筒をしまう。そしてマントの裏に括りつけられている、他の道具へと手を掛けた。
「瞬間移動の能力……便利なモノですね。術者が直接手を触れていなくても、他人や物を介すれば、離れた相手も同時に飛ばせるわけだ」
ここは、以前彼女たちが戦った橋の上。エルクがシェリィに話し掛ける。
「一つ質問をよろしいですか?」
「……なぁに? エルクちゃん」
「わたくしの読みでは、すぐに瞬間移動の術者があなただけを回収しにくると思ったのですが、いっこうに現れません。何故です?」
ジュリアンテとエルクの分断が目的ならば、シェリィがここにいる必要は無い。
「だって、あなたを一人にしたら、何処に行っちゃうか分からないでしょ?」
「それが何か不都合なのですか?」
「あの人がどんな方法でエルクちゃんを操っているのか分からないから……あなたを助けるには誰かが傍にいないと」
「色々と甘い考えだ」
冷たく吐き捨てる。シェリィがずっと敵であるエルクを気遣っていたのにも気付いていた。
さらにこの作戦は、シェリィが一対一でエルクを殺さずに生き延びることが前提だ。
そういう意味でも甘い。
「お姉さん、わたくしはあなたを殺してから、ジュリアンテ様の元に戻る事にします」
右手に刀を、左手に雷の槍を持ち、シェリィに対する。
「戦わずに済んだらって……思ったんだけど……」
両手で剣を握り、エルクへと向けた。
「どこまでも、甘い人だ」
エルクはシェリィに向かい、橋の上をまっすぐ走って行く。
走り込んだ勢いを利用し槍で突いた。
その槍を、体を少し横に動かし、シェリィは避ける。
間髪入れずにエルクは突き出した槍を横に薙いだ。
今度は大きくしゃがんで回避する。
そして半歩踏み込んでその剣を振るった。狙いはエルクの持つ雷の槍だ。
「バレてますよ?」
一瞬で槍を魔力に戻し回収、すぐさま右手の刀で切りつけた。
「うっ! く……」
切られた腹を抑え、後ずさるシェリィ。距離があったため傷は浅いが……
(どんどん魔法を使わせて、魔力切れを狙いたかったんだけど……やっぱりバレてるか)
「こういった生成魔法ならば、破壊されない限りは魔力を回収出来ます。残念、でしたね」
再び雷の槍を生み出す。
「そろそろ手抜きはやめたらどうですか? このままだと間違いなくあなたは死にます。容赦なくあの技を使えば勝てるかもしれませんよ」
もちろん対策は考えていますがね、とエルクは付け加える。
「……操られて、嫌々戦わされている人を斬るなんて、私は嫌だよ……」
「チッ……」
思わず舌打ちが出るエルク。敵が全力を出せないというのであれば好都合だ。
それは分かっているはずだが、このもどかしい気持ちは何なのだろう。
「ならば……そのまま死んで行け!」
二人の戦いは続く――
「ウサギとカメの夫婦」
ジュリアンテが取り出したのは二つの腕輪。
兎が描かれている白い腕輪と、亀が描かれている緑の腕輪だ。それをさっと両腕にはめた。
「これは強力だがその分魔力の消耗も激しくてな? いざという時のための切り札なのだが……使わせてもらうぞ?」
「勝手にしろ! こっちには時間が無いんだ! すぐに終わらせてやる」
焦って駆け出すルキ。頭の中はシェリィのことでいっぱいだった。
そんなルキの姿を見てニヤけるジュリアンテ、直後に、動き出す。
「!?」
これまでとは比べものにならない圧倒的なスピード。
ルキの目を持ってしてなお、捉えきる事は出来なかった。
人間を超越した速度でいともたやすくルキの隣を抜き去って行く。
「う……あ……」
ルキが振り返った時には既に、ジュリアンテの拳がメリルの腹に深く突き刺さっていた。
膝から崩れ落ちるメリル。そのまま意識を失ってしまう。
「最強の運動能力、と――」
「メリル! よくも!」
飛び上がったクイナの回し蹴りがジュリアンテの側頭部に直撃、しかし……
「最強の防御力。素晴らしいだろ?」
けろっとした顔でクイナの足を掴む、ダメージは皆無。そのまま力任せに床に叩きつけた。
「かはっ……」
「これで二人、あと一人だな? うん?」
そう言ってルキを見て笑う。次の瞬間にはその場から消え――
「フン!」
拳を振り下ろしている。
全神経を集中させて回避するルキ。
だがジュリアンテの攻撃は止まらない。
次から次へと、豪雨のように攻撃を繰り出してくる。
ルキは目、耳、肌、そして反射神経と体のバネ。全てを回避のためだけに費やす。
どれか一つでも欠ければすぐに倒されてしまうだろう。
(こ、こんなのどうしようもないぞ!?)
涙目になりながらも回避を続けるが……体力の限界は近付いて来ていた。
「くははは! もう限界かなぁ?」
疲労によって動きの鈍くなったルキに、大きく振りかぶったジュリアンテの拳が迫る。
(これはかわせない……終わった……)
諦めて目を瞑るルキ。
「まだ諦めるには……」
どこからともなく聞こえてくる。やかましい声。
「はえーってのよ!」
ジュリアンテの拳よりも一手早く、その背中にクイナの全身全霊を込めた掌底打ちが決まる。
「おげえ!?」
剛ではなく柔の拳、体内に衝撃を伝えることを優先させた技だ。固い防御を見事に貫通させた。
苦しみながらよろよろと距離を取るジュリアンテ。
「逃がすか! さらにもう一発!」
「二度は、ないぞ?」
振り返りクイナの顔面に拳を打ち込む。不意打ちでなければ当てる事は難しい。
「はぁ、はぁ……何故だ? 動き回れるようなダメージではなかったはずだ……」
呼吸を整えながら呟き、殴り飛ばしたクイナを見る。
「大丈夫、この程度すぐに治るよ」
メリルが触れていた。するとあっという間に元気を取り戻すクイナ。
「あれか? だが彼女も気を失っていたはずだが……」
「気絶したフリですよ。わたしも防御には自信があるんです」
そう言って可憐に笑う。
「メリル! 設置終わったよ!」
ジュリアンテの後ろでルキが大きな声を出した。よく見れば辺りの床には札が散らばっている。
「ルキちゃんありがとう! 相変わらず一瞬だね!」
メリルはぱんっと両手の平を合わせ、唱える。
「捕縛の鎖よ! 悪しきものを捉えよ!」
散らばった札から鎖が伸び、猛スピードでジュリアンテに向かって行く。
「ちっ!」
慌てて避けようとするも……
「逃がさない!」
進行方向にルキが入り邪魔をする。掌底打ちのダメージで思った以上に動きが鈍っていた。
「じゃ、邪魔だぁ」
ルキを殴り飛ばすも既に遅い、札から伸びる鎖はジュリアンテの足に絡みつき、自由を奪っていた。
「クイナちゃん! お願い!」
手にした札に気を練り込み、クイナの背中に張る。
「まっかせなさい!」
全力でクイナは走る、今度こそ決着をつけるために。
それを見たジュリアンテは白い腕輪を外す。
そして新たに盾の形をした小さな玩具を取り出すと、それに魔力を込め始めた。
「亀の防御力に加え盾の結界だ! どうあっても破れんぞぉ!」
「破る! 破ってみせる!」
正拳の構えを取り、強く床を蹴り、肉薄する。
「……昔の事は忘れちゃったけど、一緒に戦っていると良く分かる。きっとわたしたちはずっと前から、こうして共に戦っていた」
メリルは指をクイナの札に向け、込めた気を爆発させる。
光り輝くそのエネルギーはクイナの拳に集中し、さらに強く光を増していく。
「食らいなさい! ひ~~っさつ!」
メリルとクイナ、何も覚えていないはずの二人だったが、自然と体は動き、同時に叫んでいた。
『聖光闘気拳!』
クイナの輝く正拳が炸裂。光が拳を極限まで強化し、それに乗って撃ち出される光の爆発がジュリアンテに襲い掛かる。
「がっっは!!!」
結界も、堅牢な防御も貫き、その拳はジュリアンテの腹に突き刺さった。
血走った目が大きく開かれ、口からは血を吐き出す。
「や……やるな……さす……がだ……」
無理矢理笑顔を作った後で、その場に倒れるジュリアンテ。
「か……勝った……シェリィを、迎えに行かないと」
とは言うものの、倒れて気絶してしまうルキ。とっくに限界を超えていた。
(神速剣を使うには魔力を大きく消耗する……恐らくあと一回が限度)
エルクの雷槍による猛攻を凌ぎながら、シェリィは打開策を練る。
(一応メリルちゃんからお守りを預かっては来たけど……使うタイミングあるかな)
「動いてないと串刺しですよ?」
「くっ……」
どうにかして武器を破壊したいシェリィだったが、エルクは雷槍のリーチを活かし、ギリギリの間合いをキープし続ける。決して剣の間合いには入らない。
シェリィが一歩踏み込めばエルクも一歩下がる。付かず離れず、完璧な間合い管理。
エルクは常にシェリィの足元に気を配っていた。
(あの剣速では回避も防御も不可能だ。ならば初めから間合いの外で戦えばいい)
それなりにリーチのある槍だが魔力によって作られているため重さは無いに等しい。
片手で軽々と振り回し、シェリィを追い詰める。
(他の魔法を迂闊に使うのは得策ではない。魔力が切れてしまえば武器はこの刀だけ。そうなってしまえばあの技が脅威だ。この状況の維持がベスト)
シェリィの剣が伸ばした雷槍に届きそうになればすぐさま回収、そしてその隙に刀で斬撃を刻む。
再び雷槍を作り距離をあけ攻撃、これを繰り返す。
致命傷にこそならないものの、シェリィの体はどんどん血に染まって行く。
このままでは力尽きるのも時間の問題だ。
(もう……持たない……時間を稼げばいいと思ってたけど……この子の言う通り……甘かったな……)
自嘲気味に笑みを浮かべ。覚悟を決める。
ならばせめて、この子だけは。
「うああああああああ!」
剣を構え吠える。そしてまっすぐに突進。
「手詰まりになってヤケを起こしたか」
シェリィの突進は止まる。足が動かなくなったからだ。
体全体が痺れ、腹部が異常に熱い。少し視線を下げ、状況を確認する。
そこには自らの腹を貫通している。エルクの雷槍があった……
「があ……あ……あ……」
「決着、ですね」
否、終わってはいない。
「……あ……ああああああああ!」
残された力を振り絞り、足を動かす。
前へ! ひたすら前へ!
「なっ!?」
剣の間合いに、入る。
(魔力が膨張した!? あの剣が来る! 相打ち狙いか、やられた……)
傷だらけの腕で、血を吐き出しながらも、神速の剣を振る。
「……なぜ?」
シェリィの剣は、エルクの刀だけをバラバラに破壊した。
そのまま剣を落とし、倒れるようにエルクに抱き付く。
「これで……もっと……時間が……稼げる……」
ぎゅうっと力を込めて、エルクを抱きしめる。逃がさないように。この場から動けないように。
「死にぞこないの……どこにこんな力が……」
雷槍を解除し、他の魔法で止めを刺そうとするが――
「わたくしの魔力が消えていく!?」
エルクを抱きしめながら、シェリィは札を持って彼女に押し付けていた。
予めメリルに術を仕込んでもらっていた、魔力封じの札。
力づくで追い払おうとするも、シェリィはエルクをきつく抱きしめ離さない。
「何故だ!? 何故ここまでする!? わたくしを助けてあなたに何の得が――」
シェリィは既に、意識を失っていた。
「死んだのか……」
それでもシェリィはエルクを離さない。
どうする事も出来ずに、シェリィに抱かれたまま立ち尽くすエルク。
「シェリィさぁああああああああん!!!」
突然近くに現れたメリルが叫んだ。その姿を見て、エルクはジュリアンテの敗北を察する。
「わたくしたちの負け、か……」
何もない真っ白な世界に、シェリィは立っていた。
ここは何処なのだろう? 分からない。
どうやって来たのだろう? 分からない。
ぼーっと立ったまま、しばらく困っていると、なにやら楽しそうな声が聞こえてくる。
無邪気に笑う、幼い女の子の声だ。
「ルキちゃん?」
何故だか声の主が分かった。自分の知っているルキよりも、はるかに幼いその声。
知らないはずなのに、知っている声。
聞いていると、幸せな気持ちで心がいっぱいになる、記憶にない笑い声。
声はたしかに聞こえてくるのだが、周りを見ても、ひたすら白い世界が広がっているだけだ。
声の主は見当たらない。
シェリィは目を瞑り、笑い声に意識を集中させる。
するとその声はどんどん大きくなって行く。はっとなって目を開けると、目の前には扉が現れていた。
何もない世界に、ぽつんと一つの扉が。
扉のノブに手を掛け、そっと開ける。そして中に入った――
「ルキちゃん……」
扉の向こうは、見たこともない場所。
どこかの町中にある空き地のようだった。遠くには大きな城が見えている。
その空き地で元気に駆けまわり、笑っている幼い女の子、聞こえていた声の主だという事はすぐに分かった。
シェリィの思考は停止し、ただただその子に見惚れる。
しばらくそうしていると、やがて一つの事に気付く、女の子は一人ではない。近くに、もう一人。
明るく笑うその子とは正反対に、存在感が無く、まるで影の中にいるような、そんな少女が近くにいた。
その子の顔は、長い黒髪で隠れており良く見えない。来ている服はボロボロで、サイズも合っていないようだった。
やぶれた服の隙間から覗く肌は傷だらけ。笑っている子より身長が高く、いくつか年上に見える。
まともに食事すらとっていないのか、酷くやせ細ってしまっていた。
「あら……ここに入って来ちゃったんだ」
黒髪の少女はシェリィに気付くと、声を掛け、ゆっくりと近付いてきた。
少女とは思えないような、大人の女性のような声だった。
「あなたは……私?」
ルキと同様、それも何故だか分かった。
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかな」
低い、落ち着いた声で、黒髪の少女は言う。
「あの子は……ルキちゃん?」
「ええ、そうよ。あの子はルキ。私たちの太陽」
「あの……教えて欲しいの、私はいったい――」
シェリィ、と彼女の名を呼んで、黒髪の少女は言葉を遮った。
「良い名前よね、シェリィって」
「え?」
「ルキがくれた名前……私にはもったいないくらい、美しくて素敵な名前……」
そう呟くと、黒髪の少女はシェリィの目を見た。そして険しい声で言う。
「過去を探す事なんてやめてしまいなさい」
「な、なんで……」
「あなたは自分がどれだけ幸せか分かっていない。どれほど望んでも、願っても、何を犠牲にしても得られない程の奇跡が、今の状況を作っている」
冷たい声で、黒髪の少女は続ける。
「あなたはそれを自分から手放そうとしているわ。旅なんてすぐにやめてしまいなさい。全てを忘れて、ルキと暮らしていけばいい。あの子ならきっと分かってくれる」
黙って聞き入るシェリィ。それほどまでに少女の声は重く響いた。
「私に戻る必要なんてない。あなたはシェリィのままでいればいい。過去なんてあなたには必要ない。どうしても困った時だけは、私が力を貸してあげるから、それでいいじゃない」
少女は前髪を分け、その目でシェリィを見つめる。
「ひっ!?」
驚くシェリィ、少女の顔は血で真っ赤に染まっていた。
「もう一度言うわ、私に戻る必要なんてない。あなたは……シェリィでいればいい」
「あ……あの……」
「フフ……ごめんね。びっくりさせちゃって。ほら、そろそろ時間みたいよ? あの子たちの元へ帰りなさい。私は、こうして思い出の中のルキといられるだけで幸せだから……」
少女がそう言うと、世界はぐにゃりと歪む。
シェリィの意識は消え、あるべき場所へと還って行った……
ふかふかのベッドの中で、シェリィは目を覚ました。
不思議な夢を見ていたような気がするのだが、上手く思い出すことが出来ない。
「おや、お目覚めですか」
上半身を起こしたタイミングで声を掛けられた。そこにいたのは……
「エルクちゃん!」
メイド服を着た小さな女の子、エルクだ。無表情にシェリィを見ている。
そこでようやく彼女と戦っていた事を思い出す。
「わ、私どうなったの!? ここは何処?」
「ここはランジールの宿です。シェリィさんは私と戦って意識を失いました。あの後メリルさんが来て、あなたは一命を取り留めたのです」
「エルクちゃんはもう大丈夫なの?」
「はい、皆さんが倒したジュリアンテを連れてきて、術を解いて頂きました。これもシェリィさんのおかげですね」
「そっか……みんなは?」
「皆さんは、捕まえたジュリアンテを城に引き渡しに行きましたよ。これで解呪の石が手に入りますね」
忘れそうになっていたが、そのために戦っていたのだ。
「まぁ……あれで腕輪が外せるわけではないのですが……」
「腕輪の事まで聞いてるの?」
「聞いている……というより」
そう言ってエルクはメイド服の袖をまくる。そこにはシェリィたちと同じ、黒い腕輪があった。
「あっ! それ、エルクちゃんも!?」
「はい、わたくしも記憶喪失です。シェリィさんたちと同じですね」
「それで解呪の石を狙って塔に行ったんだね?」
「石を欲したのは同じですが目的は違います。そもそもこの腕輪は呪物では無いので、あの石で外す事は出来ないでしょう」
「……そうなの? じゃあどうして?」
「それは……他の皆さんにも説明しなければならないことなので、その時にでも……」
少し黙ってから、エルクは口を開く。
「何故……わたくしを斬らなかったのですか? わざわざ死にかけてまで……」
「特別な理由なんてないよ。そうしたかっただけ」
シェリィは笑顔で答えた。
「そう……ですか」
声音は相変わらずだったが、少しだけ笑顔になるエルクだった。
「ただいまー、あー! シェリィ!」
「ルキちゃん!」
部屋に戻って来たルキが走ってシェリィに飛びついた。
「うわーん、心配したんだぞー」
「はは、ごめんね?」
「死にかけだったって聞いた時には心臓止まるかと思ったわよ……」
「クイナちゃんも」
続いて部屋に入ってきたのはクイナ。ささっとシェリィの近くに来て……
「じゃ~ん! 解呪の石を取って来たわよ!」
手に持った青い石を見せつけた。石には見慣れぬ文字が彫られている。
「これが……」
「使い方は分かんないけどね! ぎゃははは」
腰に手を当て下品に笑う、いつものクイナだ。
「賑やかになって来ましたね……」
ぼそっと呟くエルク。
「クイナはいつもあんなんだからなー、慣れないと辛いぞー」
「アタシを迷惑な奴みたいに言うな!」
そんな騒がしい部屋に最後に入ってきたのは、買い物袋を持ったメリルだ。
「メリルちゃんおかえり」
シェリィがすぐに気付いて声を掛けた。
「あ! シェリィさん、体は大丈夫!? 痛くない?」
「うん、メリルちゃんのおかげで大丈夫だよ。ありがとう」
「そ、そうなの? それならいいんだけど……あの……」
なにやら口ごもるメリル。
「わたくしからも礼を言わせてください、メリルさん。あの傷では、シェリィさんは絶対助からないと思っていました。気の力とは凄いものですね」
「う、うん……」
エルクに礼を言われるも、やはり何か引っかかる様子のメリル。
(違う……わたしじゃあんな深い傷は治せない……シェリィさんは……『傷が勝手に塞がっていた』の……)
「結構大変だったけど、目的の物は手に入ったし、仲間も増えたし、終わり良ければすべて良しって事で良いんじゃない?」
そう言ってクイナが纏めた。
「あー!」
何かを思い出したように、ルキが叫んだ。
「な、なによ。うるさいわね……」
「すっかり忘れてたよ、仲間が増えたんだからアレやらなきゃ」
「アレ……ですか?」
エルクが不思議そうに首をかしげる。
「はぁう!? 待ってルキちゃん! ダメだよ? それダメだから! 今回だけはダメ―!」
メリルも何かを思い出し、大慌てでルキを止めよとするが……
「えいっ!」
聞いちゃいなかった。エルクの短いスカートに向かってルキの手が神速で走る!
「なん……だと……」
「お……遅かった……」
青ざめるルキとがっくりとするメリル。
「や……やるな、エルク……ノーパンとは恐ろしい……」
「はぁっ!?」
顔を真っ赤にしてスカートを抑えるエルク。そういえば……と、塔に入ってからこれまでの流れを思い返した。
「ジュリアンテェエエエエエエエ! こっ、殺す! やはりこの手で殺してやるぅ!!!」
一番喧しいのはこの子だったね。