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2 四日目の夜 その2

 今夜、丸山さんのお宅に伺います、という話を通枝がした時、照富士親方は、

「では儂も同行しよう」

と言った。

 

 通枝は、

「親方には、正式なお話を進めていくにあたって、後日、あらためてご挨拶をお願いしたいと思いますが、今夜は、緊急の要件ということになりますし、私だけで伺います」

と答えた。


「そうか、ではよろしく頼む。じゃが、お前が、利菜さんのお父上と面識があるというのは、儂も知らなかったな」

「実は、お会いしたことがあるわけではありません。照也が、お父様が経営なさっている会社のパーティーに伺ったあと、ご自筆の礼状を頂戴したのです。こちらこそ、ありがとうございましたという旨のご返事を差し上げたら、それに対しても懇切なご返事をいただきました。きちんとされたお父様と思いました。」


その丸山からの二通目の手紙には、そのパーティーをきっかけに、次女は、ご子息と交際させていただいているようです、今後ともよろしくお願いいたします、との記載があった。


そのことは、通枝は、知らなかった。

その後、荒岩の大関昇進パーティーの記事がネットにアップされ、利菜が話題になったとき、このお嬢さんは、照也と交際していたはずだが、と思ったが、照也の日頃の行状も分かっていただけに、将来のことを堅実に考えるお嬢さんなら、それは、荒岩関を選ぶでしょうね、と納得していたのであった。


ただ、ネットで流れる利菜の美貌は、角界関係者の中でも美人として名高い通枝をも驚かせた。

ただ単に可愛いというだけではない。高貴、気品、あるいは、神秘的と形容されるのがふさわしいような美。見るものを感動させずにはおかない圧倒的な美。通枝は、そう感じた。

この女の子と付き合っていて、照也は、別れたのか。

通枝は、信じられなかった。


元々、凄く可愛い、と言われ続けていた利菜。

照也に別れを告げられたあとの思い悩む日々、愁いの感情が、利菜の美貌に更なる奥行きを与え、人間離れしたとでも言いたくなるような領域まで、その美を押し上げていた、ということまでは、通枝には、分からなかった。


通枝は、その後、ファンとでも言えるような気持ちを、利菜に対して抱くようになった。

その後の利菜に関してアップされた記事も結構読み込んでいた。

利菜が、制服が可愛いことで有名な、名門と言われている女子高校の三年生であることも、既に知っていたのであった。


三人を乗せ、部屋のマネージャー、武田が運転する車は、閑静な高級住宅地にある丸山邸に到着した。


待ち構えていたのであろう、直ぐに利菜の両親と、利菜によく似た妙齢の女性が、玄関先に現れ、三人を応接室に案内した。


その妙齢の女性は、予想通り、利菜の姉である、と紹介された。

丸山は、訊かれたわけでもないのに、戸塚大学の政経の三年です。と重ねて長女のことを紹介した。

都の西北に位置する私立の名門で、政経学部は、その大学の中でも最も偏差値が高いと言われている。


あら、学部は違うけど、私の後輩。

通枝はそう思ったが、口には出さなかった。

通枝は、文学部で社会学を専攻していた。


挨拶もそこそこに、照也が、立ったまま

「このたびは、お騒がせして、誠に申し訳ありませんでした。」

と、頭を下げた。

「つきましては、利菜さんと私の」

「あ、いやいや。その前に」

利菜の父親が、遮った。

「どうぞ、お座り下さい」

着座を促した。

三人ずつ、向き合って座った。


「利菜」

「はい」

「今日の件に関する、荒岩関のコメントがネットにアップされている。読んだか」

「はい、車の中で読みました」

「あれは、全て本当のことなのか」

「敏昭さんは、ひとつだけ、嘘をついてくれています」

その場の全員が身構えた。


特に照也は緊張した。

荒岩関のついている嘘は、ひとつだけではないはずだ。

(後日、照也は、母親に、あのとき、僕のほうから、別れを告げられたこと、言わなかったなのは何故なのかな、と訊いてみた。

心の中では、女の子は付き合っている相手の方から別れを告げられるというのは、プライドが許さないのだろうな、と思った。

「お前、バカだね。女の子は付き合っている相手、ましてや結婚しようと思っている相手を親に紹介するときは、どんなに素晴らしい人かと力説するのですよ。酷いことを言って別れを告げられた人だ、などと、自分から親に言うわけがないでしょう」というのが、通枝の答えだった。)


「敏昭さんと私が、結婚の約束を交わしていたというのは、本当のことです。

私のほうから、言ったのですよ。利菜は、敏昭さんのお嫁さんになりますって」


 この言葉を言ったあと、利菜の眼からまた涙が零れた。

荒岩に対して、利菜のほうから結婚を口にした、そのことは、通枝も、照也も、照富士部屋での、これまで三人の間で何があったのかと説明をしている際に、やはり利菜から聞かされていた。


 今この場にいる六人の中で、そのことを、それよりも以前に知っていたのは、利菜以外には、ひとり。姉の沙紀だけであった。


「そうか、そうだろうな。じゃあ、荒岩関は、お前のことを気遣って、ああいう話にしてくれた、ということか」

「そうです」


 豊後富士と交際していると言っていた時の、利菜の楽しげな様子。それから一転して、ひどく落ち込み、塞ぎこんでいた様子。荒岩との交際が始まり、また明るくなった利菜の様子。

丸山春雄は、そういう娘をずっと見てきた。


 荒岩関と別れて、結局、元の豊後富士か。

丸山は、利菜に、豊後富士関と付き合っている、と初めて教えられた時の自分の、はしゃいだ気持ちを思い出した。

また同じ気持ちにはなれなかった。

父親としてみては、娘をやる相手としては、豊後富士より、荒岩のほうがはるかに安心できる。


 丸山は、あらためて、豊後富士照也を見た。


いやあ、おそろしいほど、綺麗な顔をしているな。

丸山は思う。

うちの利菜も、最近また、どんどん綺麗になってきて、父親の私から見ても眩しくて正視できないような気持ちになっていたが、この男も凄いな。

うん、なんかずっと見ていると、疲れる。

この男が私の息子になって、これから身近で見続けることになるのか、私の精神、持つかな。


 だが利菜の気持ちが、今は、この男にあるというのなら、心配だが仕方ない。

 もうここまでの話題になってしまったし、貰ってもらうしかないだろう。


 それにしても、と丸山は、あらためて、荒岩のことを思った。


 丸山の経営する企業も、リスクマネジメントは、行っている。企業が直面する可能性のある様々なリスクについて、どう対応するかの、リスク管理規定も制定している。だが、今回のことは、全くの想定外。


 荒岩については、いずれ、息子になる男として見てきたので、好漢というニックネーム通りの、角界でも評判の好人物であるということは、充分に認識していた。

 今回の件、荒岩が、実際にあったとおりにマスコミに説明していたら・・・


 利菜は、極めて誠実で善良な男と将来を誓いあっていながら、あの豊後富士に、好意を寄せられたら、あっさりと乗り換える、男の値打ちを顔でしか判断できない、軽薄な娘として、世間から指弾されたであろう。


 その子が、丸山グループの最高責任者の娘である、となれば、グループ全体のイメージは、大きく損なわれたであろう。


 あの男は、もちろん、そんなことまでは、考えていなかったろうが、利菜だけでなく、丸山グループも救ってくれたのだ。


 荒岩亀之助。息子になってもらいたかった、とあらためて思う。惜しい。


 器量の小さい好人物は、単なるお人好し。だが、あの男は、私も測ることができない種類の、人としての大きさがあったと思う。身近で、あの男のこれからを眺めて見たかった。


 うん。

春雄は、続けて思った。

おっと、うちにはもうひとり、娘がいるぞ。利菜によく似た。


 が、浮かび上がってきた想念を、丸山は直ぐに打ち消した。

息子のいない丸山にとって、長女の沙紀は、丸山グループの後継者と思い定めていたからである。

沙紀も企業の経営に興味を持ち、その将来に向けて進路を決め、学業に励んでいる。

長女まで、相撲取りの嫁にする訳にはいかない。


 そして次女の相手は、老若男女、万人に好感を持たれるに違いない荒岩ではなく、絶世の美少年力士、豊後富士照也。


 丸山の事業家としての本能が、照也を息子という観点とは、別の観点からも眺めさせた。


 利菜と豊後富士照也のペアか。

芸能人同士のカップルを含めても、これほど美男美女のペアは、稀だろう。しかもふたりともまだ十代。


 荒岩の大関昇進パーティー以来、利菜がネットで大きな話題になっていることも、丸山は充分に認識していた。

このペアは、世間の耳目を集め、話題の中心となり続けるに違いない。


 これは、丸山グループが飛躍する大きなチャンスなのだろう。


 だが、もし、何かスキャンダルにまみれるようなことがあれば・・・

 豊後富士照也。この男は劇薬だ。俺にこの男を御していくだけの器量があるだろうか。

我が娘ながら、利菜の天性の美質を思うと、普通の男と結ばれることはないだろう、とは思っていたが、そうか、この男が俺の息子になるのか。


 ここで、照也があらためて、立ち上がり、丸山に対して、謝罪の言葉と、先ほど口にしかけたお嬢さんと、結婚を前提にしたお付き合いを、と言った。


とりあえず、今は殊勝だな。では、普通に対応するか。


「親としては、色々と言いたいこともありますが、心変わりしたのは、うちの利菜も同じ。あなただけを責める訳にもいきますまい。」


丸山も立ち上がった。それを見て、利菜の母親も。

合わせて通枝も。


「不束な娘ですが、末長く可愛がってやってください。よろしくお願いいたします」

照也と通枝に対して、深々とお辞儀した。


 一座の話題は、暫くの間、このあと、利菜をどうするか、ということに移った。

学校は、暫く休ませましょうということで、意見は一致した。

今、通学しても、平穏な学校生活が送れるとはとても思えない。


「利菜は、姉の沙紀ほどではありませんが、学校の成績、なかなか良いのですよ。暫く休んでも、卒業が危ないといったようなことはありません」

父親は、次女自慢。ついでのように長女の自慢もした。


お嬢様を暫く、照富士部屋で預かりたい。

ということについては、利菜の両親は難色を示した


通枝は、

「お嬢様は、もう有名人です。今までどおり、こちらに住まわれるということになれば、取材対象として、この界隈に、マスコミの方々が、連日のように出没されることになるでしょう。

お父様は、大きな企業を経営なさっている方ですから、取材には慣れておられるとは思います。

でも今回、取材対象としてお嬢様の周りに集まるのは、スポーツジャーナリストと、それ以上にワイドショー関係でしょう。

その種の関係者の方への対応でしたら、うちの部屋のほうが慣れています。」


「なるほど、それをお聞きしましたら、確かにそちらで暫くの間、ご厄介になるのが賢明かもしれません。でも結婚前の男女が、同じ屋根の下で同居するというのは、いかがなものでしょう。

 まして、相撲部屋となれば、若い独身男性が何十人も暮らしておられる訳ですよね。そういう中で、利菜を暮らさせるというのは、失礼ですが心配です」


「うちの部屋の力士は総勢二十三名です。では、うちの部屋についてご説明させていただきます。

四階建てで一階は稽古場。

二階は、若い力士たちが暮らしている大部屋。

三階は、関取用の個室が五部屋あります。うちの部屋の関取は、今、四人いますので、部屋はあとひとつ空いていますが、もちろん、利菜さんをそんなところには、入れません。

四階で家族が暮らしています。といっても息子三人は、みな三階で暮らしていますので、家族といっても四階で暮らしているのは、主人と私のふたりだけですから、余裕は充分にあります。

お嬢様は、四階で、この私が責任をもってお預かりします」


「分かりました。信子もそれで、いいかな。」

「そうですね。たしかに、ご近所の方々にご迷惑をおかけするのは、心苦しいです。お願いいたします。」


「沙紀は、どうだ。」

「ええ、おば様のお話をうかがうと、そのほうがよいと思います。でもおば様」

「はい」

「妹がお世話になっている間、私もお部屋に、遊びに行かせていただいてもよろしいでしょうか。時々は泊まらせていただいても」

「ええ、もちろん。むしろ、こちらからお願いしたいです。ぜひ」


「お姉さん」

利菜が言葉を挟んだ。


「よかったら、今夜も一緒にいてくれないかしら」

「そうね。今日は、色々あったものね。うん、分かった。私も一緒に行くわ。お相撲の部屋かあ。わあ、楽しみだわ。おば様、よろしいですね」

「ええ、もちろん。そうしてください。でも学校のほうは、よろしいのですか」

「おば様、お忘れですか。もうまもなく始まりますけど、大学はまだ夏休みですよ」

「あ、そうでしたね。」


「おば様は、同じ大学の先輩でいらっしゃいますよね」

「はい、そうです。でもなぜ、ご存知なのでしょう」

「以前、利菜から、照也さんとお付き合いさせていただいていると聞いて、失礼ですけど、照也さんと、照也さんのご家族のこと、調べてみたのです。皆様、有名な方なので、ネットで色々、検索しただけですけど。

その時、おば様が大学の先輩であること、知りました」

「そうなんですか。妹思いのお姉さまね」

「ええ、利菜からは、色々と相談されていました。」


 沙紀は、ちらっと、照也を見た。

私は、あなたと利菜の間にあったことは、みんな知っているわよ。

目でそのことを伝えた。

伝わったことは、照也が返してきた視線と表情で分かった。


 あらためて、近くで見ても、たしかに、怖いほどハンサムな男の子だわ。

 沙紀は、思った。

 そして沙紀は、利菜に対しても、同種のことを感じていた。元々の美少女が、最近はその美しさが何だか浮き世離れしてきているわ、と。

 もし、美という観点だけでカップルを決めるとしたら、利菜にふさわしいのは、この美少年しかいないでしょうね、とも思った。


 通枝は、あらためて、沙紀を見た。利菜さんとよく似ている。


 だが、利菜が、儚げで、言わば天上の美少女とでも表現したくなるような、神秘的な可憐さがあるのに対して、沙紀は、しっかりと地上に足をつけたイメージ。生き生きと活気に満ちた美しさだった。 


 顔は似ていても、その容姿から受ける印象はかなり異なっていた。

 髪も、利菜が背中まで伸びたロングヘアーなのに対して、沙紀は、肩までの長さだった。


 通枝が、利菜と沙紀に対して、今、感じたことは、沙紀が、日頃感じていることでもあった。

 沙紀は、顔、形は似ていても、自分は、妹のような、特別な、ごく稀にしか使われない形容詞が似合うような美は持っていない、と自覚していた。

 沙紀に、美について、妹に対抗する気持ちはなかった。利菜と同種の美を持ちたい、と憧れる気持ちもなかった。

 沙紀は、自分の身近に存在する、この最上の美を、私は守り続けたい、と思っていたのである。


 照富士部屋に向かう帰り道。

 車内にいた間、喋り続けていたのは、通枝と沙紀のふたりだった。


車が照富士部屋に到着した時、日付は既に変わっていた。





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