第9話 名探偵は幸せな未来を夢見る
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「翔子さん、私の人生に何か意味があるのでしょうか――」
遺産分割会議の一週間前の日、
春香は朝から体調を崩し、
何度も嘔吐していた。
今は自室のベッドで、
栄養補給のための点滴を痛々しく繋がれて
横になっている。
体調を崩し弱気になっていたためか、
春香は自らの人生を嘆く言葉を口にする。
「鳥籠病、名は体を表すとはまさにこのことですね。
病気という鳥籠に囚われた私は外に出ることは許されず、
窮屈な鳥籠の中から外を眺めるだけの毎日。
決して外に出ることはない。
このまま鳥籠の中で息絶えるのが私の人生なのでしょうか……」
自らの人生を悲観する彼女に、
翔子はどんな言葉を掛けていいかわからなかった。
もはや、優しい慰めの言葉も、
力強い励ましの言葉も、
彼女の前では何の力も発揮しない。
春香を想いながらも、
何もしてやれない翔子は、
ベッドの上に力なく放り出された彼女の手を握ることしか出来なかった。
自らの無力さを嘆き、
神への祈りを捧げるように、
翔子はすがるように春香の手を両手で握った。
翔子は意味のない行為だと思っていたが、
春香にとっては、それで充分だった。
自らの左手を握る翔子の手の力強さと温もりから、
翔子の優しい心を感じ、
春香は安心して眠りに付いた。
そして、翔子が権蔵の屋敷にやって来てから一ヶ月が過ぎた。
翔子の名探偵としての名声のおかげか、
はたまた別の原因か。
その間、権蔵と春香だけでなく、
脅迫状を送られた権蔵の弟達の身にも
何一つ危険が訪れることはなかった。
屋敷に滞在するように命じられた翔子は
可能な限り春香と同じ時間を過ごし、
幾度となく推理問答を繰り返した。
御堂家に滞在し、
無垢な少女と心ゆくまで語り合うその時間こそが、
名探偵として一切の安穏が許されない道程を歩んできた彼女にとって、
初めて心が安らぐ時間だった。
今までの殺伐とした人生を忘れられるほど、
翔子は心地よい時間を堪能するように、
御堂家で穏やかな時間を過ごしていた。
春香にとっての翔子は、
初めて心を開ける存在であると同時に憧れの存在でもあった。
名探偵と誉れ高い翔子を独り占めできる、
ただそれだけで彼女の孤独は満たされ、
病気と立ち向かう勇気が湧いてきた。
翔子にとっての春香は、
最初は依頼主の娘でしかなかったが、
次第に春香といる時間が心地よくなり、
春香の純真な性格に惹かれていった。
自分をまともな人間の世界に呼び戻してくれる、
ただただ愛おしい存在だった。
そして、翔子はいつしか夢を見ていた。
この近辺に小さな探偵事務所を開業し、
春香を助手に二人で仕事をするのも悪くない。
きっと今までのように、殺人事件や誘拐事件など、
重大な事件に遭遇することはなくなるだろう。
ペット探しや浮気調査、そんなありきたりな仕事が自分達を待っている。
それでも構わない。
春香と二人で、笑いながら楽しく仕事をするうちに、
山本さんが鳥籠病のち両方を見つけてくれるはずだ。
そして、いずれ春香の鳥籠病は完治し、
普通の人と同じような生活を送れるようになる。
春香の回復パーティは盛大にやろう。
できるだけ多くの人を呼びたい。
昔所属していた将棋探究部のメンバーを呼んでもいい。
自分を将棋探究部に無理やり入れた葉月珠姫、
自分を心から愛してくれた桜井桂、
瀬川歩を始め、こんな自分を受け入れた他の部員たち。
名探偵としての使命を全うするため、
余計な感情を捨て去り、事件解決に徹するために、
自分から距離を置き、離れてしまった。
ああ、彼らは元気だろうか。
春香の世話をするうちに、
彼女が元々持っていた慈愛の精神が蘇り、
翔子は友情や愛情といった、
人間的な感情を取り戻しつつあった。
みんなを呼べば、
きっと笑顔の溢れる素敵なパーティになるはずだ――
今なら彼らとも向き合える気がする。
捨てたはずだった幸福な未来を想像するぐらいに、
翔子の心は弛緩しきっていた。
ゆえに、彼女は気付かなかった、
御堂家で密かに進行しつつある陰謀に――。
名探偵としての運命と使命を忘れていた彼女は
気付くことができなかったのである。
そんな彼女に罰を下すように、
事件は突然発生した。




