第11話 事件の証拠
「そんな馬鹿な! ええい、そんなはったりはよせ」
「さて、どうでしょうか」
歩は葵に不敵な笑みを浮かべ、奈央の方を向き、
「奈央さん、申し訳ありませんが、カウンターの方へいって、水を持って来てもらえませんか?」
「えっ、うん。わかった」
奈央は歩の突然の指示に驚きながらも、「ペナント」のカウンターへ行き、水を持ってくる。「ペナント」では、カウンターの隅に、水が注がれたポットと紙コップが設置されており、セルフサービスであるが、客は自由に水を飲むことができる。
奈央は紙コップに水を入れ、それを歩の目の前に置いた。
「おい、いったいどういうつもりだ? なんで……」
「静かに」
奈央に水を持ってこさせた意味がわからず、私は文句を言おうとしたが、歩に遮られた。
歩は私を手で制し、所持していた学生鞄に手をつっこみ、あるものを取り出した。
奈央は「何それ?」と歩に訊いたが、葵には見覚えがあった。歩が取り出したものは、吉田さんから、知り合いの教授に分析してもらうと言って受け取った、黒ずんだ草だった。
「これは吉田さんが発見したという、ツチノコの跡です。この草にこびり付いている黒い物質、これこそが公園で誰かが刺されたことを示す証拠になります」
懐疑的な視線で見つめる私達をよそに、歩は黒い物質がこびり付いている草の一部をちぎった。そして、紙コップの中に投入し、アイスコーヒーを飲んでいたストローで水をかき回した。
「な、なんだこれは!?」
紙コップの中の水で発生した現象に私は驚愕する。黒い物質を投入したはずなのに、コップの中の水が徐々に赤色に染まっていったのだから。
「何がどうなっているの?」
奈央は仕掛けの分からない手品を見たように、コップの中を夢中で覗き込んでいる。
「仕掛けは至って簡単です。吉田さんが発見した、草に付着していた黒ずんだ物質の正体――それは血痕です」
歩は手品の種を明かすように、仕掛けを話す。
「優人さんが包丁で刺されて倒れた時、地面に生えていた芝生には、体から流れ出る血が掛かったはずです。血液というのは飛び散った直後は赤色をしていますが、時間が経てば凝固し、次第に色は黒く変色します。付着してから時間が立ち、凝固して変色した部分を、吉田さんはツチノコの痕跡と思い、採取したのでしょう。これを警察に提出して、成分を鑑定してもらえば、この血痕が人間の血液により形成されたものであることがはっきりします。後は、DNA鑑定をするなりして、警察が捜査すれば、簡単に黒金公園の事件の真相が明らかになるでしょう」
歩はアイスコーヒーの入ったグラスに直接口を付け、一呼吸置いて、長かった推理の最後を締める。
「さて、葵さん。僕の推理は以上です。まだ納得してもらえませんか?」
歩はこれで納得してもらえないなら仕方ないといった口調で、私に問い掛ける。これまで散々歩に噛み付いてきたが、ここまで論理的に、さらに自説を補強する証拠まで出されては納得せざるを得ない。
「……吉田さんから、それをもらう時に、黒金公園でもう一件の傷害事件があったことを予想してたわけじゃないよな?」
「勿論そうではありません。ただ、あの時からもしかしたら血痕ではないか、という可能性は懸念していました。僕は何故か厄介な事件や面倒事に巻き込まれることが多く、そのせいで血液が固まった跡を何回か見たことがあります。吉田さんの持ってきたものがそれと似ていたので、知り合いの警察官に提出して調べてもらうつもりでした。まさかこんなことに使うとは、奈央さんの話を聞くまで、僕も思ってもいませんでしたよ」
持って生まれた運命からか、歩は幼い頃から難事件、怪事件に度々巻き込まれていたらしい。その縁で多くの警察官の知り合い、その警察官に吉田から受け取った血痕を提出して科学鑑定してもらうつもりだったと彼は言った。奈央の話と自分が偶然受け取った血痕が結びつくなんてことは、彼も予想してはいなかったようだ。
「それで、これからどうするんだ? 昨日、黒金公園で実はもう一件傷害事件があった。私達は偶然そのことに気付いた。さすがに知らん顔するわけにはいかんだろ」
「そうですね……」
私にこの後どう行動するか訊かれて、しばし歩は黙考する。
「これから僕は警察に行って自分の推理を話し、この血痕が付着した草を提出します。それでも信じてもらえるかはわからないので、昨日、もう一つの傷害事件の犯人を目撃した奈央さんに、できたら付いて来てもらえると嬉しいのですが」
歩は奈央の様子を窺う。奈央はうーんと呟き、少し悩んでから言った。
「わかった。私も付いていくわ。そもそも悩みがあるって、葵に相談したのは私だしね」
「どうも、ありがとうございます。葵さんはどうしますか?」
歩は奈央の次に、私に問い掛ける。
「私も行くよ。高校一年のあんたより、ニ年の私が行って説明したほうが説得力があるだろ。それにあんた何か放っておけないわ。危なっかしいというか……」
「あれー、葵ちゃん、もしかして惚れた? 男勝りで評判の葵ちゃんにもついに恋が……」
奈央が冷やかすように言い、私をからかったので、冗談じゃないと私は反論した。
「そんなんじゃないわよ馬鹿!」
歩は必死に反論する私を見て、ニヤニヤ笑っている。
「葵さん、照れなくてもいいですよ」
「う、うるさい! とにかくもう行くわよ!」
こうして、私達三人は喫茶店を出て、近くの警察署へ向かった。
後日談になるが、結局、歩の推理は全て的中していた。
優人さんが警察で証言した話によると、黒金公園で刺された優人さんは母親に見捨てられた後、わずかな体力を振り絞り、医学部の友人に携帯電話で連絡をしたそうだ。その友人に着替えと治療道具を持ってきてもらい、簡単な処置を受けて着替えてから、自宅に戻ったとのことである。腹部の怪我は、出血量は多かったものの、包丁は皮膚の表面を切り裂いただけで、出血量の割に傷は浅かったようだ。
警察から事件の顛末を聞いた私は、歩の推理がことごとく的中していたことが相当悔しかったので、その後、事あるごとに歩に推理勝負を挑んでいるが、見事に返り討ちにあっている。
いつかは勝ちたいものだ、このにっくき名探偵に――。
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