第6話 青のパーカー、緑のパーカー
「それでね、昨日黒金公園の横を歩いている途中で、誰かが走って公園から出てくるところを目撃したのよ」
「うそっ! あんた犯人に顔を見られているじゃない。何かされなかったの? 犯人としては目撃者をそのまま放置しておくわけにはいかないでしょ」
「私が昨日見た人は、私に気付かなかったと思う。私が黒金公園の出口を通る前に、その人は公園から出てきたんだけど。黒金公園の出口を飛び出してくるなり、私がいる方と反対方向へ全速力で走り去っていたんだもん」
「なら大丈夫か。それにしても危ないところだったわね」
「そうなの。私もびっくりしちゃって」
「ん、それって何時ぐらい?」
「警察に聞かれるかもと思って、時間は確認したわ。午後九時四十五分だった」
「萩原が大澤を刺した時間が、新聞によると午後九時四十二分だから、ほぼ一致するわね」
私はそう言って、一旦コーヒーに口を付けた。喫茶店に入ってすぐに注文したはずなのに、三〇分以上経っても、まだ一口も飲んでいなかった。私達が頼んだホットコーヒーは、既に冷たくなっていた。
「それで相談って、いった何なのよ。警察に、昨日目撃した人のことを言いに行ったほうがいいんじゃないかってこと? だったら、もう犯人は逮捕されているんだし、その必要はないと思うわ。萩原自身も既に犯行を認めているしね」
「違うの。新聞記事を読んで、ちょっと不思議なことがあって」
「不思議なこと? 何よそれ?」
「新聞記事によると、犯人の萩原さんの服装は青のパーカーに黒のジーパンよね」
「それがどうしたの?」
「私が見た人と服装が違うのよ」
「えっ! 奈央が昨日見た人はどんな服装だったの?」
「黒のジーパンは同じだったけど、私が見た人は緑のパーカーだったの」
これには私も度肝を抜かれた。昨日逮捕された犯人の服装は新聞によると、青のパーカーに黒のジーパン、昨日奈央が見た人物は緑のパーカーに黒のジーパン。パーカーの色が異なっている。
さらに葵が奈央の話を聞くと、フード付きでジップがないという、パーカーの細かい特徴まで同じだったらしい。犯人が公園を出てくる瞬間にパーカーの前面が見えたらしいので、間違いないだろう。
「奈央が昨日目撃した人と大澤を刺した萩原は同じ人なのに、どうして服の色が違うのかしら。血痕は? 新聞記事には、萩原のパーカーに血痕が付着していたって書いてるけど」
「確かに付いていたわ。それで私も怪しいと思ったの。緑のパーカーに赤い血がね」
「見間違いじゃない? 奈央が昨日見た人のパーカーは、本当は青だったとか」
「でも、黒金公園を出たところって、街灯が設置されてて、結構明るいのよ。見間違えってことはないと思うわ」
「それもそうね」
私は頭の中に黒金公園の出口を思い浮かべた。
確かに公園の中は薄暗いが、出口には街灯があり、それなりに明るい。少なくとも青と緑を見間違える程度の暗さではない。
「顔は見た? 新聞には萩原の顔写真が載っているけど、あんたが見た人と同じ顔?」
「顔はよく見えなかったの。私の方を振り向かずに走っていったから。でも公園を出てくる時に、服に付いていた血痕がはっきり見えたわ」
「包丁は?」
「持っていたわ。それも新聞で載っている通り、赤く輝いていたから、被害者の大澤さんの血が付いていたんだと思う」
「うーん。じゃあ、やっぱり萩原を見たのかなあ。でも服が違うってどういうことだろう」
「今朝、新聞を読んで、それが気になって。そういうわけで、今日葵を呼んで相談したのよ」
それで呼ばれたのか。なら納得できる用事だな。しょうもない用事なら叱り飛ばそうと思っていたのだが、傷害事件の犯人を目撃したとなれば、話は別だ。話を聞いた以上、何とか奈央の悩みを晴らしたいのだが……。
「ちょっと話を整理しましょう。昨日、午後九時四十二分、萩原が黒金公園付近の路上で、大澤を包丁で刺した。午後九時四十五分、公園から出てきた人物を奈央が目撃する。服装は、緑のパーカーに黒のジーパン。パーカー、そしてその人物が持っていた包丁には被害者を刺した時に付いたと思われる血痕が付着していた。そして、午後十時三分に大澤を刺した萩原が逮捕される。血痕が付着したパーカーと包丁、黒のジーパン、これらは奈央が目撃したときと同じ。しかし、逮捕時の萩原のパーカーの色は、奈央が目撃した緑ではなく、青だった。どう、ここまでは合ってる?」
「うん。合ってると思う」
私は、犯行時刻、奈央が犯人を目撃した時間、逮捕時刻を時系列順に並べた。
「萩原が大澤を刺した瞬間を目撃した人の証言によると、刺した時と逮捕された時の服装は同じだったんだから、刺した時の萩原の服装は青のパーカーに黒のジーパンだったはず」
「そうね」
「ということは、萩原は青のパーカーを着て、大澤を刺して、公園に逃げ込んだ。そこで青のパーカーから緑のパーカーに着替えた。そして、奈央に見られて逮捕されるまでの十八分の間に、また緑のパーカーに着替えた。そういうことになるのかな」
そう自分でまとめたが、私は頭を抱えた。
「自分で言ってても、何を言っているのか、わからなくなったわね……」
「でしょ。私も混乱しちゃって。今までの葵の話だと、萩原さんは一旦、緑のパーカーに着替えて、また青のパーカーに着替え直している。さらに、私は血痕の付いた緑のパーカーを目撃したんだから、萩原さんは血痕の付いた青のパーカーから血痕の付いた緑のパーカーに着替え直したことになるわ。これっておかしくない?」
「おかしいわね。もし犯行が計画的なもので、前もって、逃げるために公園に緑のパーカーを隠して、それに着替えたとしても、着替えた緑のパーカーにまで血痕が付着しているのはおかしいわね。人目を忍ぶために、綺麗なパーカーを用意しているはずよ。それに血痕が付着していたということは、犯行時の青のパーカーに付いていた血を、用意した緑のパーカーにわざわざ擦り付けて着たことになるわ。そんなことに何の意味があるのかしら……」
「それに、その緑のパーカーから、また青のパーカーに着替えた。萩原さんは、なんでこんな意味のわからないことをしたのかしら……」
「私に訊かれてもねえ。私は名探偵じゃないんだし。友達に名探偵はいないしねえ……」
犯人が服装を二回変えた理由。それも、血の付いた青のパーカーから、血の付いた緑のパーカーへ、さらに再び血の付いた青のパーカーへと。
そんな理由を、普通の女子高生の私に推理できるわけがなかった。
二人で頭をひねったが、どうにも良いアイデアが浮かんでこない。
私達が諦め掛けたその時、突然声を掛けられた。
「少しいいですか?」
私が声のした方を見ると、声の主は隣の勉強をしていた(はずの)少年だった。吉田さんの時とは異なり、席が隣り合っているため、立たずに座ったまま、体だけをこちらに向けて話し掛けていた。
「またお前か!」
私がそう言うのも当然だ。さっきのツチノコの話の時と、少年は同じことをしていた。
ん? 同じ? そう言えば、吉田さんの話も、昨日の午後九時四〇分頃で黒金公園だったな。何だろう、何かが引っかかる。
私の頭の中で、まるで絡まった糸のように、吉田さんのツチノコを見たという話と、奈央の怪しい人物を見たという話が交錯するが、それが何を意味しているのか、わからなかった。
「すみません。勝手で申し訳ないのですが、お二人の話を聞かせていただきました」
「知っとるわそんなこと!」
「まあまあ。落ち着いて、葵」
奈央が興奮する私をなだめる。
「別に話を聞いていたことは気にしないけど。それで、用件は何かしら?」
「今の話を聞いて、何点か奈央さんに質問したいことがあって」
「ツチノコと同じじゃないか! 駄目だ駄目だ! 奈央、こいつは信じるな! こういうのがこいつの手口なんだ! 高校一年のくせに、熟年のマダムだけでなく、上級生まで口説こうとしているのか! 何たる女ったらし!」
私は息も吐かせず、一気に少年を叱り飛ばす。
「落ち着いてください、葵さん。もしかしたら、奈央さんの疑問、僕が解けるかもしれませんよ」
「えっ!?」
少年のその一言に、私ははっと息を呑んだ。この頭脳明晰な私にもわからない謎が年下の小僧如きに解けるものか。
仮に少年の発言が事実だとしても、この少年には解かせたくない。何だか負けたような気がする。だが、少年の推理が気になる……。
「よし! そこまで言うならこの問題に立ち入ることを許してやろう! その代わり解けなかったら、私達に晩飯をおごれよ! 焼き肉とか!」
「葵、大人気ないって。下級生に何をたかろうとしているのよ。しかも、私が持ってきた相談でしょうが……」
私の挑発的な発言に、少年は一歩も引かない。
「いいですよ。その代わり奈央さんに、いくつか質問をさせてください。そうすれば、奈央さんが昨日目撃した男の服装に関する謎を解く自信があります」
「よし、なら質問を許そう! 奈央、答えてやれ」
「なんで葵が偉そうなのよ……」
少年が質問をする前に、私達は少年の名前を聞いた。
「お前の名前は?」
「僕の名前は瀬川歩と言います。三田高校の一年です」
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