第4話 乱入する少年
確かツチノコを見かけた翌日に黒金公園内のツチノコを見つけた場所にいった辺りからだったか。
「ツチノコがまだいればいいなあ、と思って行ったのよ。そしたらなんと!」
「もしかしていたの?」
「いや、いなかったわ」
「なあんだ……」
いないのかよ! 私は暇潰しに、勝手に聞いていただけだが、何だか時間を無駄にした気分になっていた。
「でもね、ツチノコがいた痕跡あったのよ」
「どんな痕跡?」
「さっきも言ったけど、昨日はベンチの裏の、芝生が広がっているところの茂みの裏から顔を出しているツチノコを見たのよ。今日見たら、その場所が黒ずんでいたのよ! その周りの芝生は綺麗な緑色なのに、そこだけ黒ずんでて。私がツチノコを見たところだけね! これってもうツチノコがいた証拠じゃない!」
吉田さんは興奮しているのか、鼻息を荒くして自説を展開する。
「それって、土が跳ねた跡とか動物の糞の跡とかじゃないの?」
吉田さんのテンションが上がれば上がるほど、話を聞いている婦人達は冷めていっているのが、他人の私にもわかる。
「違うって! 私、何の跡だろうと思って、その黒ずんでいるところに手を当てたのよ!」
「すごいことするわね、あなた……」
そんな正体のわからないところを触るなんて、私には気持ち悪くて到底考えられない。
「そしたら、黒ずんでいる部分が固まっててね。臭っても何の臭いもしないし。実はその跡を剥がして、ここに持ってきたのよ」
うわっ、持ってきたんだ……。正直ちょっと引くなあ、まさか動物の糞じゃないだろうね。糞だったら店員に言って、吉田さんをつまみ出してもらおう。とは思いつつ、どんなものか見てみたいのも私の本音だった。
吉田さんは鞄の中からビニール袋を取り出し、黒ずんだ草を取り出す。どうやら、該当する箇所の芝生を引っこ抜いて持ってきたようだ。
私が横目で確認すると、確かに芝生の草の先端から半ばにかけて、黒ずんでいる。
「ほら! 先がおかしいでしょ! 泥でも糞でもない! おそらくツチノコが出す特殊な体液だと思うのよ」
「ちょっと吉田さん! 喫茶店で、大声で糞とか言わないで!」
「あら、ごめんなさい」
そう言いながら、吉田さんは持ってきた草を爪で掻く。
「ほら、見てみて。何だと思う、これ?」
吉田さんが喫茶店のナプキンを広げ、その上に爪で剥ぎとった黒い物質を置いて、周囲の婦人達に見せた。見せられた婦人達は首を傾げている。草に付着していた黒い物質は土に似ているが、石や砂が混じってできたものではなさそうなので、どうやら土ではないことは明らかだ。
「うーん、わからないわねえ。全然見当もつかないわ」
持ってきた吉田さんを含め、それが何なのか知恵を絞るがいっこうに答えが出ない。私も吉田さんが主張する、ツチノコの体液ではないと思うが、その物質が何かを言い当てることはできなかった。
私が目を瞑って考えていると、見知らぬ声が聞こえてきた。
「ちょっといいですか?」
この声は初めて聞いた。しかも男の声だ。声のトーンからして、かなり若い。誰の声だろう。
そう思って葵は目を開けて、吉田さんの方を見ると、その声の主は、さっき目が合った、私の左隣に座っていた学生服の少年だった。
ここでお前が入るんかい! と私は心の中でつっこみを入れる。
私は目を閉じていたので気付かなかったが、私から見て吉田さんとは反対側に座っていた少年がいつの間にか、席を立ち、彼女達の方へ近寄っていたらしい。
「え、何ですか?」
吉田さんは突然話し掛けられ、驚きながら応える。
「失礼かと思いましたが、ツチノコの話。興味深かったので、聞かせていただきました。そこで、少しだけお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「な、なに?」
少年の年齢らしからぬ、丁寧に物言いに、吉田さんが恐る恐る返事をする。私達がいる「ペナント」は、席の間に仕切りがなく、さらに今日はかなり混んでいるので、話を聞かれること自体は仕方ないと我慢できるが、さらに質問されるとなると、全く予想外の出来事である。
「あなたがツチノコを目撃したのは黒金公園ですよね。午後九時から始めたランニングの途中に黒金公園で休憩した時に目撃した。正確に午後九時の何分から何分まで休憩したか覚えていますか?」
「えっと、公園に時計があったわ。午後九時四〇分から五〇分の間だったと思うわ。いつもお決まりのコースを一周するのに約三〇分。黒金公園はコースの真ん中にあって、午後九時に家を出て、二週目だったから、だいたい合っているはず」
「なるほど。ちなみに、あなたの家は黒金公園を出てから、どの方向にありますか?」
「えっ! 住所ってこと? それはちょっと……」
少年に住所を聞かれたと思った吉田さんは、個人情報をそう簡単に見知らぬ人間に言うことにためらいがあるのだろう、返事に戸惑う。
「住所とかではなく、黒金公園のどの出口を通ったかを教えてほしいんです。あそこって、東と西に、二つの出口があるじゃないですか。東口と西口、吉田さんの家からは、どちらの出口が近いですか?」
「ああそういうこと。それなら東口ね。いつも家を出て、東口から公園に入って、西口から抜けて走っているわ」
「そうですか。それでは最後に一つだけいいですか? これは質問というより、お願いなんですけど」
「何かしら?」
「その吉田さんが持ってきた黒い固まり、僕にも少し分けてもらえませんか?」
「うーん」
吉田さんは顎に手を当てて悩んでいる。彼女としては自分が発見したツチノコらしきものの体液は、非常に貴重なものだと思っているはずだ。そうやすやすと他人に渡せるわけがない。
「どうして?」
「僕の知り合いに生物学の教授の方がいるのですが、その方に分析をお願いしようと思いまして。もし未知の物質、あなたの言うツチノコの体液だったりしたら、これは世紀の大発見です。ここで話し合っても正体がわからないので、専門家に分析してもらうことをお勧めします」
「うーん。それもそうね」
学生服の少年にそう言われては吉田さんとしても断る理由はない。自分達だけでは何かわからないし、専門家に分析して、もしそれがツチノコの体液であれば、第一発見者としてマスコミに取材されることになるだろう。
ついに私もテレビデビューか! 吉田さんの頭の中には、テレビに華々しく映る自分の姿が映っているに違いない。吉田さんは満面の笑みを浮かべて、黒い物質の付着した草が入ったビニール袋から、草を何本か取り出して渡した。
「ありがとうございます」
「結果は絶対教えてね!」
吉田さんはそう強く言って、自分の電話番号を少年に教えた。吉田さんの電話番号を聞いた少年は自分の席に戻り、草を学生鞄から取り出したクリアファイルに納めて、鞄にしまった。
何だこいつは、どうにも胡散臭い。それに、ツチノコの体液かどうかなんて、どうやってわかるんだよ。ツチノコ自体発見されていないのに、何を無責任なことを言っているんだ。
もしかしたら適当なデマカセを言っているんじゃないだろうか。そうに決まっている。ただ、そうだとしても、目的がわからない。ツチノコの体液だという可能性は皆無だと思うが、少年はどうして黒ずんだ物質に興味がわいたのだろうか。
しかも、何だあの質問は。公園の出口がどうとか。お前はマダムキラーか! 私は心の中でツッコミを入れる。漫才のように、本当は思い切り頭をはたいてやりたいが、いきなり他人の頭をはたくのは気が引けるし、そんなことをしたら間違いなく私は変な人と思われるだろう。
少年に草を渡して一段落したのか、それともそろそろ帰る時間だったのか、吉田さん一行は話を切り上げ、飲んでいたコーヒーを片付けて、ぞろぞろと帰って行った。
「やっと静かになった……」
私はそう呟いて、少年の方をちらりと見た。少年はようやく勉強を再開したようだ。数学の問題集を解き始めた。
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