第2話 歩、謎の男に同行する
「その……、どうしてこんな深夜に匍匐前進をしているのですか……」
「そ、それは……」
男は痛いところを疲れたと言わんばかりに、押し黙る。
人には言えない理由があるのだろうか。
「ひょっとしてトレーニングか何かですか? 深夜に秘密特訓をしているとか」
僕がそう尋ねると、男は悩んでいた表情を止め、
「実はそうなんだ。僕はバスケットをやっていてね。上半身を鍛えるには匍匐前進が最適なんだ。こうやって全身を動かすことで、バランスよく筋肉を鍛えているんだ。昼間にやると目立つからね。こうして誰もいない深夜にトレーニングしているわけさ」
男は平然とそう言い放つ。自分で言っておきながら、まさかトレーニングと応えるとは思っていなかった。冗談半分で尋ねただけなのに、まさか当たっていたのか。
「それじゃ、トレーニングの続きなので、失礼するよ」
男は僕に別れの言葉を告げて、匍匐前進を再開した。品川駅の方に向かって這っていく。
男が匍匐前進する理由に納得がいっていない僕は、その不審な男に付いて行くことにしたトコトコと男の背後を歩く。
「何で付いてくるんだ君は……」
「どんなトレーニングをするのか、興味があって……。しばらく付いていってもいいですか。こう見えて僕の特技は道端の石ころをどかすことなんですよ。高校もその特技が認められて推薦入学したくらいで。入学面接では石がなかったので、わざわざ石を大量に持っていき、面接前に会場でばらまきました。僕がせっせと石を拾う様子を見て試験官が『これは……千年に一人の逸材だ!』と騒いでいたほどです。連れて行ってもらえたら、あなたの道を防ぐ石を全て取り除きましょう」
「嘘つけ……」
僕は適当なでまかせを並べ、強引にその男に付いて行こうとした。男は嫌そうな顔をしたが、何を言っても無駄だろうと察したのか、
「変なのに絡まれたな……。まあいい、好きにしろ」
と渋々僕の同行を認めた。ありがとうございます、と礼を言い、僕は男と共に進み始めた。
歩きながら、地面を這う男を背中から観察する。黒のTシャツに青いジーパンと服装は至って普通だ。
青のジーパンの後ろのポケットには缶コーヒーが挿さっている。自動販売機か、コンビニか、どちらかで買ったのだろう。
さらに、男が腰を動かす度に、じゃらじゃらと小銭が擦れるような音がなっていることから、男がポケットに直接小銭を入れていることがわかった。
ひと通り男の外見を観察し、品川駅の方向に五分くらい進んだ頃、僕は思い切って男に尋ねた。
「いつまでトレーニングをするんですか。時間で区切っているとか、目的地があるとか、目安のようなものは設定しているんですか?」
男は僕の質問に少し時間を置いてから返事をする。返事の内容を考えていたのだろう。
「品川駅付近まで付いたら、タクシーに乗って家まで帰るつもりだ。それまではほふく前進で進む。君が付いてくるのは品川駅までだぞ」
「わかりました。それまでは石拾い係として同行します。道端の石を拾ってはあなたの前に置きますね」
「嫌がらせか!」
石拾い係というより、直立して歩く人間と匍匐前進して地面を這う人間、それはまるでブリーダーとその飼い犬のようである。
男は宣言通り、品川駅に向かって、ひたすら這いつづけた。当初は興味深そうに後ろから付いてあった僕だったが、観察することに次第に飽きてきた。
観察を切り上げて、男がほふく前進している理由について、僕は思索を巡らす。こんな夜遅くにトレーニングとして匍匐前進しているなんて、誰も信じないだろう。
深夜に屋外でするのは変だし、匍匐前進で体を鍛えるアスリートなんて聞いたことがない。路上を匍匐前進で進めば体を痛める可能性すらあるだろう。トレーニングなんてのは、間違いなく嘘だ。
おそらく、この男が匍匐前進をしているには何か別の理由があるはずだ。なんだろうか、何がこの人をほふく前進させているのか。正直、検討がつかない。そこで、僕は次の策に打って出た。
「ちょっとストップ」
後ろから僕は男に声を掛けた。
「すみません。二人じゃ寂しいので、友達を呼んでもいいですか?」
「呼ぶってこんな時間に、しかもここにか?」
「大丈夫です。すぐに来るので少々お待ち下さい」
僕はポケットに入れていた携帯電話を使い、友人に電話する。缶コーヒーを買って五分くらいで自宅に戻るつもりだったが、何となく携帯電話を持って来てよかった。
友人の名前は桜井桂。学校のクラスメイトで同じ将棋探究部に所属する仲間だ。実は桂と2人で僕の家で勉強をしていたのだ。家まで10分ぐらい離れてしまったが、桂はすぐに来てくれるだろう。
僕は電話を掛け終わり、「友達がすぐに来ます。15分ぐらい待ってもらえますか?」
「そんなもの待ってられるか。先に行かせてもらうぞ」
男は僕の友人が来るのも待たずに、品川駅の方まで進み始めた。といっても、ほふく前進なので、進む速度はかなり遅い。
ここまで来るのに相当疲れたのか、疲労困憊といった様子で、男の速度は普通の人が歩くスピードよりも遅かった。
よちよちと赤ちゃんの這い這いのように進む男の足を僕は両脇に挟んで、がっと掴んだ。
「まあまあ、そんなせっかちなことを言わずに。旅は道連れ世は情けって、言うじゃないですか。仲間は増えたほうが楽しいですよ。――それとも、何か急ぐ事情でもあるのですか?」
僕は挑発するように言うと、男は眉をしかめて、歯切れ悪く応える。
「別に急いでいるわけではないが……」
「なら、僕とゆっくり待ちましょうよ。友達が来るのは、もうそろそろですし」
男の返答を聞き、僕は男が品川駅まで急いでいるわけではないことを確認した。当然のことではあるが、急いで品川駅まで行くのならば、ほふく前進なんてせずに、走っていけばいい。品川駅で誰かと待ち合わせをしているという可能性もどうやらなさそうだ。
僕は男が匍匐前進をしている理由に俄然興味が沸いた。
「ええい、とにかく私は行くんだ!」「いやいや、もう少しだけ、もう少しだけ待ってください!」「いい加減に離せ!」「離すぐらいならジャイアントスイングであなたを車道に飛ばします」「鬼か君は!」
僕と男はすったもんだの押し問答をしたが、僕が男の足を掴むという圧倒的に優位なポジションを確保しているため、何とか桂が来るまで粘ることに成功した。
「よっ、歩。待たせたな。ってどんな状況だよ……」
そう親しげに呼び掛けた男の名は桜井桂。極めて端正な顔立ちをしており、柔らかそうな髪は彼の美しい顔をいっそう際立たせている。僕が見知らぬ人の足をがっつりと掴んでいたので、怪訝な顔をしている。
桂は背中にはリュックサックを背負っていた。外側は膨らんでおり、中には窮屈そうに何かが詰まっている。
桂は僕と同様今は受験勉強のまっただ中である。しかし、この男は学年主席の成績を誇り、ろくに勉強もしないくせに名門国立大学合格間違いなしと言われている。軽そうな外見に比べ、勉強の才能は僕よりも圧倒的にある。
桂は僕に呼び掛けた後、異様な状況に眼を見張っているようだ。彼が驚くのも仕方がない。なんせ、今の僕は見知らぬ成人男性の両足を鷲掴みにし、逃亡を防いでいる最中なのだから。
「えっと……、何か新しいプレイか?」
桂がいけないものを見たような視線を送りながら、僕に尋ねる。
「か、勘違いしないでよ。誰にでもするわけじゃないんだからね!」
「恋する乙女みたいな返事はやめろ!」
ツンデレ女子のような僕の返事に男がつっこんだ。
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