第9話 終幕
密室トリックの謎を解明し、一息付くように、歩は日本酒をぐいっと飲む。
「まず、犯人は何らかの用件で被害者をマンションの自室に呼び出した。そこで、被害者に睡眠薬を飲ませ眠らせる。
眠らせた後、犯人は被害者の靴を履き、外へ出る。勿論、まずは自分の靴を履いて、路地の直前で履き替えた可能性もあるけどね。
次に、被害者の自宅に歩いて向かう。この時、マンションの前の道路にも被害者の靴の足跡が付いてしまうけど、マンション前の道路は車が頻繁に通るため、雪が荒らされていて、誰の足跡があるかは判別不可能だから犯人としては気を遣う必要はかっただろう。
そして、予め被害者から拝借した鍵を使い、家に入り二階のベランダまで上がる。そして、ベランダにたどり着いた犯人は一旦靴を脱ぐ。
家の中の足跡をバックステップで、ぴったり重なるように辿るのは難しいからね。
おそらく、被害者の自宅の入り口で、再び被害者の靴を履き、そこから後ろ向きに歩き、往路で付けた足跡をなぞるようにして、舗装された北側の道路まで辿り着いたんだ。舗装されていない路地で、かつ当日は雪が降っていた。だから、バックステップで足跡が多少にじんでも誰も気にしないと犯人は思ったんだろう。
あとはさっさとマンションの自室に戻って、被害者にさっきまで自分が履いていた靴を履かせる。そして、いよいよマンションの自室のベランダから被害者の自宅の二階にあるベランダを目掛けて、被害者の体を放り投げたんだ。
放り投げられた被害者は、自宅のベランダ下の中庭に落下し、頭部に致命傷を負い絶命する。死体の周りには足跡や争った形跡及び死体を引きずった形跡がないことから、自宅のベランダから転落したように見えるというわけさ。
次に自分のアリバイを確保するために、被害者を放り投げた直後に、二階の鈴木さんの部屋を訪れ、不審な音がしたので一緒に確認してほしいと頼む。そして、鈴木さんと二人で被害者の死体を発見し、警察に通報する。
もし、被害者が死んでからしばらく時間が経ち、足跡が消えた後に死体が発見されれば、せっかく作った密室の意味がなくなるからね。これが犯人の行動の全てさ」
勿論、歩の言う被害者は橋本、犯人は橋本の愛人の田中を指している。
「なるほど、それにしても橋本を放り投げるなんてできるのか? 正確な体重はわからんが、成人男性なんだから、橋本は50キロ以上あると思うぜ。それを四メートルも、いやベランダ間の距離が四メートルで、間にある中庭に落とすだけなら正確には三メートル半くらいか、放り投げるなんて、田中が一人でできるのか」
「別に一人でする必要はないけどね。共犯者を用意して、何人か人手を集めて放り投げるという手もある。ただ、この事件ではおそらく物干し竿が使われたと思う」
「物干し竿? ああ、確か田中のベランダにあったな。それも二本。田中はあれをどうやって使ったんだ?」
「おそらく田中さんは二本の物干し竿を用いて、即席の担架を作ったんだ」
「即席担架? よく防災訓練なんかで教えられているやつか」
「そうそう、応急担架とも言われているね。二本の棒と毛布のような丈夫な布さえあれば作れるやつだよ。作り方は省略するけど、丈夫な布の上に長い棒を置き、折りたたんで作るだけで簡単さ。即席といえども、結構丈夫で人を一人運ぶくらいのことはできる。田中さんはこれを使ったんだ」
「確かに担架を作ることは簡単だな」
「まずは、橋本さんの自宅に向けて、即席担架を、ベランダの欄干に対して交差するように斜めに立てかける。この時、窓を開けて、部屋の中に担架の端を入れて、できるだけ緩やかな角度で立て掛けるのが重要なんだ」
「ほうほう」
俺は歩の話を聞きながら、頭の中にイメージを浮かべる。
「そして、担架の片側、地面に付いている方に、寝ている橋本さんを乗せる。このとき、頭を打って確実に殺すために、橋本さんの頭は外側、つまり橋本さんの家の方を向ける」
「さっき、できるだけ緩やかな角度で立てかけたのは、橋本の死体を担架に乗せやすくするためか」
「そういうこと。そして、欄干を起点にして、部屋の中から担架の端を持ち上げる。
テコの原理やシーソーをイメージしてくれればわかりやすいかな。橋本さんの体を直接担ぐわけではなかったから、少し頑張れば女性の田中さんでも持ち上げることはできただろう。
そして、担架の端を持ったまま、前進し、ベランダの欄干のそばまで接近したら、欄干以上の高さに、端を持ち上げる。すると、片側が持ち上げられたため、橋本さんの体は担架をするすると反対側に滑り、終いには担架の端から落ちて、自宅のベランダ下の中庭の地面に頭から突撃するわけさ。物干し竿の長さは約三メートル。ベランダ間の距離は約四メートル。物干し竿で作った担架に眠った橋本さんを乗せて、マンションのベランダから、担架を突き出すようにして端から落としたとすれば距離的には充分だ」
「ほぉー、だから物干し竿が二本あったのか」
「二本あったのは犯行のために用意した可能性もあるし、偶然二本持っていたから利用した可能性もあるけどね」
「なるほど。それにしても、橋本に靴を履かせたのは何故だ? 橋本の靴は内々に処分して、靴を履かせなかった方が自宅のベランダから転落したように見えるんじゃないのか」
「それはね。橋本さんの自宅前の雪に、橋本さんのと思われる足跡が付いている以上、警察は当然足跡に該当する靴を捜索するからさ。もし靴が発見されなければ、そのことを不審に思った警察は殺人事件の可能性を思い付くかもしれない。犯人としては事故死に見せかけたかったから、靴を処分するわけにはいかなかったんだ」
「そういうことか。それにさっき言ったバックステップの方法で、橋本の自宅から立ち去ろうと思ったら、玄関に靴を置いておくこともできない。なら多少不自然でも、橋本に履かせとけばいいだろう、ってわけか」
「田中さんは橋本さんから同僚とお酒を飲んでいたことを聞いていたんじゃないかな。橋本さんの同僚から証言が取れれば、単なる酔っぱらいの転落死と警察が解釈してくれると期待したんだろうと思うよ。酔っぱらいだから、土足で自宅に上がりこんでもおかしくないだろう、とね」
「まっ、この俺様が見事に犯人の企みに気付いたがな!」
歩に助けを求めたはずの俺はしたり顔で発言する。
「密室トリックを解けなかったのに、よく偉そうにできるね……」
「それはそれ、これはこれさ。殺人事件の可能性に真っ先に気付いたのは俺だろ」
「まっ、桂が捜査責任者じゃなかったら、ここまで推理はできなかったのは本当のことか」
「そういうことさ」
その後、俺達は日本酒を空にすると、いそいそと店を出て別れた。
俺は直後に部下の羽田に連絡し、二人で橋本の愛人である田中を訪ね、歩に教えてもらった密室トリックの全容を語った。
歩の推理は全て当たっており、俺の話を聞いた田中は青ざめ、観念して、すぐに犯行を認めたそうだ。
ちなみに、羽田曰く、密室トリックを語る俺の顔はいかにも得意げだったらしい……。
「密室ダイビング編」はこれで終了です。
ご愛読頂き、ありがとうございます。
明日はまた休憩編としてショートコメディを2本挟み、
その後、新編「深夜の行進」が始まります。
歩と桂の高校生時代のエピソードです。
「密室ダイビング」よりもコメディ要素が多めでお送りします!
まずは明日8時と22時にショートコメディを2本更新しますので、よろしくお願いします。




