第6話 名探偵、登場
午後六時過ぎに警察署を出た俺は、呼び出した友人と大学生時代によく飲みに行っていた居酒屋「のんこ」にタクシーで向かった。大学時代は週に一回はその友人と飲みに行っていたのだが、俺が警察に就職してからは、めっきり飲みに行く回数が減ってしまった。
俺は現在の署に人事異動で来る前は、愛知県のとある警察署の交通課で勤務していた。キャリア警察官は、都道府県の警察官と異なり、幅広い経験を積ませるためという理由で、全国各地の警察署を転々とさせられるのだ。
俺が二年間弱愛知県に赴任していたこともあり、会うのは実に二年ぶりである。
俺が居酒屋に着き、店の中に入った時に、その友人は既にカウンターに座りで、一人日本酒を熱燗で傾けていた。二人が「のんこ」で待ち合わせるときはいつもこうである。
店の前で待ち合わせするのではなく、先に着いたほうが、つまみを食べながら酒をちびちび飲む。大学時代と何一つ変わらない光景に俺は安堵した。
「よっ、歩。待ったか?」
「久しぶり、桂。僕もさっき来たところだよ」
そう笑いながら返事をする、俺が待ち合わせた相手の名前は瀬川歩。
俺と歩は同じ高校、同じ部活に所属し、高校生の頃は毎日顔を合わせていた。ちなみに2人が所属していたのは将棋探究部という真面目なのか怪しいのかわからない名前の部活だ。
活動はまぁ……歩をはじめ一部の部員は真面目に将棋をしていたが、俺を含めそれ以外の大多数は、ただただ部室で遊んでいただけだ。高校の1年生の頃、歩が部長と真剣に将棋を指している横で、俺は香助と銀子という他の部員と将棋の駒を使ってジェンガをしていた。
香助が「飛車と角が最強の駒と言われている理由がようやくわかったぜ……。飛車と角で積み上げるとジェンガの安定感が半端ないぜえ……」と言い、部長に「そういう意味じゃねえだろ!」と蹴り飛ばされていたのが懐かしい。
俺は将棋に興味があったわけではないが、一年生の頃、同じクラスの歩に誘われて何となく入部した。飽き性な俺のこと、すぐに辞めるかと思ったら、3年間もいついてしまった。ただただ、あの空間が心地よかった。
昔から女の尻ばかり追い回していたせいか、俺は男友達が少ない。少ないどころかほとんどいない。男友達が少ない俺にとって、最も心を許せる友達、それが瀬川歩なのである。
歩は俺と違い、幼い頃から将棋を始め神童と呼ばれていた。小学生で奨励会という日本将棋連盟のプロ棋士養成機関に入り、将棋のプロを目指していた。奨励会に入った人間が全てプロ棋士になれるわけではない
奨励会に入った時点からの6級という級段位が与えられる。そこから奨励会員同士が昇級・昇段を賭け、熾烈な争いを繰り広げる。将棋に全てを注いできたライバルに打ち勝ち、4段に昇段できたものだけがプロ棋士になれる、まさに狭き門だ。
歩は奨励会に入会後、無敗の成績を誇り、小学生を卒業するまでにはプロ棋士の資格を得ていた。ただし、歩はとある事件のせいで、師匠により将棋界を追放され、中学や高校では将棋界で将棋を指すことが許されなかった。しかし、高校3年生の頃、師匠の許しを得て、将棋界に復帰し、プロ棋士として活動を始めた。
それから連戦連勝を重ね、現在の段位は七段、将棋界で最も期待されている若手の一人だそうだ。
今日は対局がなかった日らしく、仕事帰りでスーツ姿の俺とは対照的に、パーカーにジーンズといった、ラフな服装をしていた。顔は童顔で整っており、俺ほどではないが、高校時代は女子に人気があった。現在でもそのルックスのため、テレビでよく取り上げられている。
大学生の頃から、風貌はあまり変化しておらず、今日の緩い服装と合わせれば、未だに大学生のように見える。
「何飲む?」
2年ぶりに会ったにもかかわらず、まるで昨日も会ったかのように、自然に会話が始まる。俺と歩の間に会っていない時間は全く問題なかった。親友はいつ会っても親友だった。
「まずはビールだな。あと串焼きの盛り合わせとだし巻き玉子とタコの唐揚げで」
歩の友情に感謝しつつ、照れくさい気持ちを隠すように、俺はいつものように気取った口調でカウンターの向こうにいる店員注文した
「注文に迷いがないとこ、大学生の時と変わってないね」
歩は、私立の名門大学には進学したものの、棋士としての試合や解説、研究が忙しく、結局は卒業せずに中退した。本人は中退を少し後悔しているようだが、棋士として生きることが決まっているなら、わざわざ大学に行くこともないだろう、大学は人生の道筋を決めるための準備期間に過ぎない、と俺は偉そうに歩に言った記憶がある。
「それじゃあ、久しぶりの再会に乾杯」
俺はビールを注がれたグラス、歩は陶器で出来たお猪口を手にしていたが、俺達の再会を祝うように、二人が杯を合わせると、心地良く、カチンという音が高らかに響いた。
その後、だらだらと酒を飲みながら、しばらく疎遠になっていた期間の体験について語り合う。俺は最初に頼んだビールを飲み干し、追加で三杯のビールを消化した後、歩と同じように、日本酒を熱燗で頼み、お猪口で少しずつ口にしていた。
近況報告が一段落したところで、今日遭遇した事件について、歩に話し始めた。俺は警察官として、軽々しく自分が扱った事件のことを吹聴するようなことはしないが、歩に事件のことを相談するには、相応の理由があった。
歩は高校生の頃から複数の難事件を解決に導いてきた頭脳の持ち主であり、当時から名探偵と呼ばれていた。日常で起きた小さな謎から世間を騒がす殺人事件まで、ありとあらゆる事件に歩は遭遇し、その度に類まれな推理力により事件の解決に貢献してきた。
俺は歩が事件の謎、犯人を推理する姿を何度も間近で目撃している。俺も決して頭の回転が悪いわけではない。手前味噌になるが、東京大学に入学するどころか、首席卒業したことからもわかるように、俺は一般人と比較すると相当頭が切れる方だ。
しかし、瀬川歩のそれは全く別物である。幼少期から嗜んできた将棋により養成されたのか、それとも生まれついて持っていたものか、はたまたその両方か、歩は異常ともいえる程の推理力を発揮し、数々の難事件を解決に導いてきた。
自分と同じ物を見て、同じ情報を聞いている。しかし、彼だけが事件の真相に辿りつける。俺は歩と多くの時間を共にした高校時代、そんなことを何度も体験してきた。
最初は歩と張り合うように、遭遇した事件を推理するようにしていたが、いつの間にか、独力で考えることを諦め、すっかり歩のファンになっていた。自分で事件の謎を解くよりも、歩が華麗に謎を解く姿を見る方が俺の性に合った。コナン・ドイルの小説でいうと、ホームズ役が歩であり、ワトソン役が俺なのである。俺が警察に就職したのも、治安を維持して社会秩序を維持したいという高尚な理由ではなく、瀬川歩という名探偵に謎に満ちた事件を提供し、名探偵の活躍を間近で見たいというのが主な理由だった。
橋本の死が殺人事件だとすると、これは論理による推理を得意とする名探偵に向いている事件だ。ゆえに、俺は歩に今回の事件のことを相談することにより、解決とまではいかなくとも、何らかの示唆が得られるのではないかと思っていた。
「――というのが事件の概要と現状の捜査内容だ」
「へえ、相変わらず面白いことをしているね」
俺が今日関わった事件のことを歩は楽しそうに聞いていた。
歩は名探偵の宿命と言うべきか、昔から数多くの難事件、怪事件に遭遇してきた。しかし、そのことを嫌がる素振りを一切せず、それどころか、自分から事件の渦中に飛び込んでいくこともあった。桜井が怖くないのかと訊くと、「全然。だって面白いじゃない」と瞬時に笑顔で返した。どうやら強がりではなく、心からそう思っているようだ。
歩曰く、推理と将棋は似ているらしい。現状を観察し、丁寧に論理を組み立ていく。その過程に彼は快楽を感じているのだろう。
「こっちは面白いじゃ済まないんだって。もしここで事故と済まして、後で何かのきっかけで殺人事件だったことが判明してみろ。とんでもない失態だぜ」
「そうだね、そうなったら捜査責任者の桂の経歴に傷が付くね」
「そいつは何としてでも避けたいぜ……。でも今回の事件、不審な点が多く、殺人事件の匂いはするんだが、犯人が使ったトリックがわからないんだ。さすがに、歩もこれだけの情報じゃ無理だよなあ……」
「わかるよ」
「へっ?」
俺は駄目元で歩に訊いたが、予想に反した答えが歩から返ってきた。そして少し口角を上げて言った。
「それじゃあ解決編といこうか」
上記で問題編は終了です。
明日は休憩に8時と22時に超ショートコメディを投稿する予定です。
リラックスしてご覧ください!




