第7話 3人の来訪者(中編)
歩は、自分と鈴原が議論したところは一部省略し、事件概要、捜査内容だけを簡潔に説明した。
これは三人に自由な議論をしてもらうためである。ゆえに、歩と鈴原と重複した推理を三人が行う可能性があるが、その点はご了承していただきたい。事件の推理に先入観のない議論は必要不可欠である。
「――なるほど、実に奇妙な事件だな」
一通り事件の説明を聞くと桂は感想を漏らした。
「将棋の駒が被害者の口に大量に詰め込まれていたとか、かなり異常な光景だな……」
香助も桂と同様、この事件の異常さに驚いている。
一方、真剣に歩の説明を聞いていた二人と違って、銀子は珠姫と携帯ゲーム機で通信対戦をしていた。二人がプレイしているソフトは「ラブ対戦」という女子用の恋愛ゲームだ。
「ラブ大戦」とは、プレイヤーの分身である主人公の女性キャラと、ゲームに登場する男性キャラが恋愛するアドベンチャーゲーム、いわゆる乙女ゲーである。また、タイプの異なる男性キャラが複数登場するが、「ラブ対戦」では現実の世界で撮影した相手の顔をキャラに張り付けることができるという特徴がある。
二人ともソフトの発売と同時に歩の顔を撮影して、お気に入りの男性キャラに貼りつけて遊んでいる。お気に入りといっても顔は歩の写真を貼り付けているので、性格や趣味でお気に入りか判断しているらしい。以前、二人のプレイ画面を歩が見せてもらったら、本当に自分の顔が登場キャラの顔と取り替えられていて、登場キャラの一人みたいになっていた。
さらに、このゲームの特徴は恋人になったキャラを自分好みの性格やファッションセンスの持ち主に育てられることも特徴である。二人とも自分好みの男性(顔は歩だが)と恋愛が楽しめるこのソフトをかなり気に入っている。
これだけではなく、「ラブ対戦」は恋愛相手の男性キャラの名前を変えられることもアピールポイントの一つであり、二人とも歩の写真を貼り付けたキャラの名前を「瀬川歩」に変えて遊んでいるので、歩としては何とも複雑な心境だ。
おまけに、このゲームは恋愛ゲームとしては画期的なことだが、――なんと通信対戦ができる。通信対戦は「どちらが恋人により深く愛されているか」を競い合うという、対戦内容が全く想像できないものになっている。
「私のほうが愛されているわ!」「いえ、私への愛のほうが深いわ!」「あなた達の愛は偽物よ!」「あなたは彼のことを何一つ理解していない!」と言いながら、この二人が通信対戦している様子は、ありとあらゆる女性と付き合ってきた桂でさえ、「こいつは狂気の沙汰だぜ……」と思わず呟き、背筋を凍らせる程に恐ろしい光景だったそうだ。
ともかく珠姫と銀子の二人は事件の内容もどこ吹く風、ゲームに夢中になって通信対戦をして遊んでいた。
「お前ら少し話し聞けよ……」
普段はボケ役の香助がつっこむのも無理はない。鈴原の相談に対して、女性陣のやる気が全然感じられなかった。
「ほらほら、たまちゃんはともかく、銀子はもうちょっとしたら映画に行っちゃうわけだし、それまで意見聞かせてよ」
「わかった。歩が言うならそうする」
歩がそう言うと、銀子は携帯ゲーム機を鞄にしまい、事件のことを話し始めた。画面には、繁華街で軍服姿の歩とデートしている場面が映っていた。こういうのが趣味なのだろうか。
ようやく、後から来た三人を中心に事件の推理が開始された。
「第一の問題はどうやって犯人は被害者に毒を飲ませたのかだな」
桂が議論を円滑に行うため、司会役を引き受け、問題提起を行う。将棋探究部で何かを話し合う時は、だいたい珠姫が司会を引き受けるが、不在の時は冷静かつ視野の広い桂が司会をすることが多い。
「そんなもん簡単だろ。昼に死んだんだから、犯人が毒入り弁当でも作って渡したんじゃないのか?」
「ふむ、普通ならそれもあっただろうな。だが思い出してくれ、香助。被害者である川本さんの胃の中からは、当日の朝に食べたトーストとサラダ以外は発見されなかったそうだ。だよな、鈴原さん」
「ええ。正確には、将棋の駒も見つかりましたが」
「胃の中の将棋の駒か……、俺の動物的直感がこれが怪しいと叫んでいるぜ」
「どう怪しいの、香助?」
「直感だからわからん」
「何だそりゃ……」
香助は直感的に被害者の胃の中から見つかった将棋の駒に何かを嗅ぎとったらしい。ただ、それを上手く説明することはできないようだ。
「まあ、将棋の駒はいいや。他にはほんとに何もなかったのか? 昼飯に食べそうな弁当の食材とか、米とかプロテインとかはなかったのか?」
「昼にプロテインはお前しか食べないだろ……」
「ええ、警察の人も不審に思っていました。いったい犯人はどうやって被害者に毒を飲ませたのだろうかって」
「どうやら第一の問題はそこだな。銀子、どう思う?」
「うーん、何もお弁当とかじゃなくて、その日はバレンタインデーだからチョコレートに毒を混ぜて食べさせたんじゃないかしら。それならチョコレートは溶けて胃の中には何も残らないかもしれない」
「警察もその可能性は検討したんですけど、否定したみたいです」
「どうして?」
「何でも被害者の口や、食道、胃の中からチョコレートが発見されなかったみたいです。いくらチョコレートが溶けるとはいえ、一度口に入ればその痕跡は解剖すれば、すぐにわかるらしいです。特にチョコレートを食べて死ねば、歯にチョコレートがくっ付くそうです。口の中にチョコレートの跡がないのはおかしいと」
「つまり、今回は被害者がチョコレートを口にした痕跡は発見されなかったわけだな?」
「そうみたいです」
「なにぃ! じゃあ犯人はチョコレートに毒を混ぜて食べさせたわけじゃないってことか!」
「そういうことになるわね。じゃあジュースにでも混ぜて飲ませたのかしら」
「でもそれだったら死んだ瞬間に、ペットボトルなりコップなり落とすんじゃねえか」
香助の意見に桂も同意する。
「俺もそう思うな。毒殺をテーマにしたドラマや映画でも被害者が毒殺された瞬間は持っていた飲み物を落としているのが一般的だ。鈴原さん、話を聞く限りでは、今回の現場にはそんなものはなかったんだよな?」
「ええ、飲み物は近くに落ちていなかったそうです。もっとも、犯人が回収した可能性は否定できませんが、解剖の結果、被害者の川本さんが飲み物を口にした痕跡も発見されなかったそうです」
鈴原の指摘に桂も頭を悩ませる。
「しかし、それでは犯人はどうやって毒を飲ませたんだろうな」
「固形物に入れるのも無理、飲料水に入れるのも無理。それなら毒を直接被害者に飲ませるしかないわ。でもそんなことできるはずない」
「そうだな。被害者の体内から睡眠薬とか薬物も検出されなかったんだろ?」
「その通りです。警察は薬物が使用された痕跡がないことから、被害者は自分から毒物を口にしたに違いないと思っているらしいです」
新しく出てきた情報に歩も口を挟む。
「被害者の体内から睡眠薬が検出されなかったことは新しい情報だね。その調子でよろしく、三人とも。こうやって三人が意見を言い合い、推理に必要な情報をかき集めてくれると、その間は推理に集中できて助かるよ」
「任せとけって」
桂が力強く頷いた。
「犯人は被害者が毒物自体を口に入れる状況を作り出したわけか」
「わかんねえな。まあいい、わかんないことは置いといて、次の謎にいこうぜ」
香助の言う通り、答えのでない論点は一旦置いといて、次の論点に移ることが事件を推理する上で重要である。後の論点が前の論点を解くヒントになる可能性があるからだ。
「そうだな。時間も限られているし、テンポよく進めよう」
既に時刻は午後2時15分となっていた。午後3時から始まる映画を観るためには、午後2時30分に出なければならない。桂と香助と銀子に残された時間はあと15分程度しかなかった。
「次はどうして被害者の口の中に将棋の駒が詰め込まれ、さらに口内に液体の青酸カリが流し込まれたのかだな。もちろん、この二つの行動は被害者が死んだ後に行われていたことになるが」
「こればっかりは全くわからないわね。将棋の駒を使うなんて何かのメッセージかしら」
「その可能性はあるな。犯人は将棋の駒を使うことによって、何かを伝えたかったのかもしれない」
「でもよ、その場合、いったい何を伝えるんだ? 将棋の駒だけ見ても、何も伝わらねえよ。せめてメッセージカードでも置いとけよな」
「香助の言うことも一理あるわね。メッセージを伝えたいなら、手紙なりもっと他に手段があったはず。それに高校で起きた殺人事件にメッセージ性があるとは思えないわね」
「同感だ。つまり、将棋の駒は何らかのメッセージを伝える目的で被害者の口内に詰め込まれたわけではないということだな」
「そういうことになるわね」
「単に遊び心で詰め込んだんじゃねえか、もしくは捜査を撹乱するためとか」
「確かにそれ自体には何の意味もないという可能性はあるな。だが犯人にはどうしてもそれをすること必要だったという視点も重要だ」
桂は、結論を急がずに、様々な可能性を検討しようとする。
「つまり、犯人は必要に迫られて被害者の口に将棋の駒を詰め込み、その後、青酸カリを流し込んだっていうことね」
「この問題も結論が出ねえなあ。時間もないし、次にいこうぜ」
こうして、論点はヘアピンに移る。
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