第2話 依頼は突然に(後編)
歩が将棋にこだわるには理由がある。それは歩がかつて奨励会という、将棋のプロ棋士の養成所に通っていたからである。
かつて歩はプロの棋士を目指していた。しかし、とある事情により自ら奨励会の退会を余儀なくされた。奨励会を辞め、プロの棋士をあきらめたとはいえ、歩は将棋そのものを愛していた。将棋の修練は怠らず、日々、プロ棋士の対局を分析し、将棋の戦術を研究していた。ゆえに、将棋に関する事柄はあらゆることを知りたいという渇望が歩の根幹に存在した。
そんな歩が将棋自体とは無関係であるが、事件に将棋の駒が関与しているならば、興味を持たないわけがなかった。
殺人事件の被害者の口の中に将棋の駒が詰め込まれていた? いったいどういう状況なんだ? 動機は? 死因は? 将棋の駒が詰め込まれていた理由は?
思い付く限りの疑問が歩の体中を駆け巡った。
「――わかった。相談に乗るよ。事件のこと、詳しく教えてもらっていい?」
「はい。といっても、こんな道端ではゆっくりお話することはできないので、明日お暇でしたら喫茶店とかでお話ししませんか?」
「わかった、いいよ。ただ……」
歩は、あくまでも自分は興味本位で少女の話を聞くのであり、事件の解決を期待しないでほしい旨を伝えた。
「わかっています。私は瀬川さんに……」
そう少女が言い掛けたところで、思いも寄らない人物が二人の会話に乱入した。
「その会話、ちょっと待ったああああぁぁ!」
二人の間にいきなり割って入ってきたのは、歩が通う清海高校の生徒会長にして、将棋探究部の部長、さらに歩の幼馴染といった複数の肩書きを持つ女性、葉月珠姫だった。
「うわっ、びっくりした! たまちゃん、いつから聞いてたの?」
「歩が『将棋マン!』の新巻を買おうと心の中で思っていた時からよ」
「なんで人の心を読んでるのさ……。せめて、彼女が僕に話し掛けるときからって言って欲しかったな……」
「そんなことはどうでもいいのよ! ちょっとあなた!」
「は、はい!」
いきなり登場した上級生らしい女性に、少女は戸惑っている。
「なに歩を勝手に厄介ごとに巻き込もうとしているのよ! 私の見ていないところで歩にちょっかい出すのはやめてちょうだい!」
「いや思い切り見てたけどね。しかも結構前から僕の跡をつけているんじゃ……」
「歩は黙ってて! あなた名前は?」
「鈴原弥生です」
鈴原と名乗った少女は珠姫の質問にただ答えるしかなかった。質問に答えなければ今にも噛み千切られそうな雰囲気である。そう言えば、まだ彼女の名前すら聞いていなかったな、と歩は思った。
「そう。私は清海高校二年の葉月珠姫。よろしく」
自分の自己紹介を簡潔に終わらせ、珠姫は鈴原に矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「鈴原さん、その制服を見ると東寺高校の生徒のようだけど、学年は?」
「一年です……」
東寺高校とは私立の高校で、歩達の通う清海高校とは電車で三駅ぐらい離れたところにある。生徒会長として、様々な高校と交流を持っている珠姫は、当然他校の制服についても熟知している。
「東寺高校一年の鈴原弥生さんね。オッケー、覚えたわ。来週から平穏な高校生活を過ごせるとは思わないことね! 私は清海高校の生徒会長もしているし、結構顔が広いのよ。私を怒らせたらあなたの存在なんて、まるでたんぽぽの綿毛のように吹き飛ばしてしまうわ!」
「ひっ!」
鈴原は完全に怯えている。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことである。
それはそうだろう。いきなり違う高校の上級生に「お前の高校生活終わらすぞ!」的なことを言われて、平常心を維持できる下級生はまずいない。
「落ち着いて、たまちゃん。鈴原さんは別に厄介な相談事を持ってきたわけじゃないんだよ」
「そうなの?」
「そうだよね、鈴原さん」
「は、はい! 友達の高校で起きた事件に関して、瀬川さんの意見を聞かせてもらうだけでいいんです」
歩に伝えたときよりもニュアンスが柔らかくなってはいるが……。
「事件ね……。歩をどこにも連れて行ったりしない? 殺人事件の現場とか山奥の廃墟とか……?」
「し、しません! するとしても、もっと段階を踏んでからします!」
「えっ、段階踏んだらそんなところに連れて行かれるの!? 絶対に嫌だ……」
「冗談です……。すみません、勢いで言ってしまいました」
「落ち着きなさい。鈴原さんは歩に知り合いが関わっている事件を相談して、意見を聞きたいだけということでいいのかしら?」
「は、はい! そうです 」
「ならいいわ」
「よかった……」
歩が事件に興味を持った時よりも鈴原はホッとしている。よほど珠姫が恐かったのだろう。
「それで、明日でいいんだっけ?」
改めて、歩が鈴原に相談に乗る日程を訊く。
「はい。明日のお昼とかはいかがですか?」
「いいよ。明日は特に予定ないし、じゃあ午後1時でいいかな? 場所は高台駅の近くに行きつけの喫茶店があるからそこでいい? 小さな店だけど、あまりお客さんがいなくて静かなところだから、こういう話をするにはちょうどいい場所だと思うんだ」
高台駅というのは歩達が通う清海高校の最寄り駅の名前である。
「わかりました。それでは高台駅の改札前で待ち合わせしましょう」
待ち合わせの場所と時間が確定したところで、鈴原が恥ずかしさからか、顔をほんのり赤らめながら言った。
「せ、瀬川さん! よかったら携帯の連絡先、教えてもらえませんか? もし遅刻する場合とかに、連絡したほうがいいと思いますし!」
「ああ、いい……」
「ごめんね、歩は携帯持ってないのよ。代わりに香助の連絡先教えてあげるから、それで我慢してね」
「だ、誰ですかそれ!」
「歩と同じクラスの体格がやたらいい、ちょっと頭の悪い子よ。今なら桂も付けるけどどう?」
「い、いりませんよ……。そんな知らない人のアドレスばかりもらってどうするんですか……」
「ちょっとたまちゃん。アドレスくらい教えてもいいけど」
それにどうして彼女が知らないであろう名前ばっかり出すのか。
「だめよ、歩」
「なんで?」
「女の勘よ。この女にアドレスを教えると多分ろくなことがないわ」
「初対面でさっきからひどい言いようですね……」
先程から続く一連の珠姫の嫌がらせとも言える、口撃に慣れたのか、鈴原も恐怖を通り越して、さすがにむっと来るものがあるようだ。
「ごめんね、たまちゃん、初対面の人を傷つける癖があって」
「どんな癖ですかそれ……。人として致命的じゃないですか」
「誰が人として致命的な欠陥を抱えているですって!」
「ひっ、ごめんなさい!」
といっても、やはり恐いので反射的に謝ってしまう。
「まあまあ、たまちゃん。じゃあアドレス交換しようか」
歩と鈴原は赤外線で携帯のアドレスを交換した。ちなみにその時珠姫が「赤外線泥棒参上!」と言って何度も妨害したが。
どうも、この生徒会長は普段は冷静沈着であるが、幼馴染の歩が絡んだ途端、17歳という、歳相応の子供っぽい部分が姿を現すようだ。
「それじゃあ、明日よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします!」
そう言って鈴原は歩に背を向け、
「それでは失礼します!」
二人の前から駆け足で去っていった。
「むー」
「どうしたの、たまちゃん。さっきから不機嫌だけど」
「なんでもないわよ。ただ……」
「ただ?」
「もういい! さっさと帰るわよ!」
「りょーかい」
「それにしても、たまちゃん。もしかして正門の側で僕のこと待ってた?」
「ま、まあね。玄関で正門に向かって歩いている歩を見かけたから、こっそり追い抜いて、正門出たところで待ってたのよ。ちょうど、鈴原さんが歩を待っていた方と反対方向でね」
どうやら珠姫は歩と鈴原が出会う一分前ぐらいに正門を出て、鈴原とは反対側で歩を驚かせようと思って、待機していたらしい。しかし、先に鈴原が歩に話し掛けたため、少し様子を見た後、二人の間に割って入ったとのことである。
「一緒に帰るなら呼び止めてくれればよかったのに」
「突然声を掛けて驚かそうと思ったのよ。そしたら、私が歩の背中から声を掛ける前に、あの子が歩に話し掛けたのよ。私が正門を出て、鈴原さんの姿は目に入ったんだけど、まさか歩を待っていたとはね。誰かを待っている様子だったのに、私としたことが迂闊だったわ……。あの子を見た時に追い払っておけばよかったわ」
「まあまあ。とにかく、今日は帰ろうよ」
こうして歩と珠姫は帰路についた。
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