第19話 推理問答の終わり
翔子の一言に春香は衝撃を受けた。
証拠があるだって……、何を言っているんだ、この人は――。
しかし、動揺する一方で
、これまでの翔子の名探偵としての功績を知る春香は、
翔子の言葉が虚言でないことを心のどこかでわかっていた。
「証拠は――これだ」
翔子がポケットから、
警察が証拠を保存する時に使うビニールパックに入った、
あるものを春香に提示する。
「こ、これは……」
春香は驚愕する。それもそのはずだ。
翔子がポケットから出したもの
――それは権蔵が本来自らの犯行でしようするはずだった、
鳥籠ウイルスが入ったスポイトだった。
実際には犯行には使用されなかっため、
スポイト内部は透明な液体で満たされている。
「春香、私は君に嘘を付いた。
この推理問答が始まる前に私がトイレに行っただろ?
すまない、あれは嘘だ。
私はトイレではなく、君の部屋に行っていたんだ。
そして、許可も取らずに申し訳ないが、
君の部屋でこれが隠れていそうなところを急いで探させてもらった。
といっても、意外と簡単に見つかったよ。
机の引き出しに無造作にしまっておくなんて……、
誰も探すわけがないと油断していたね」
春香は悔しそうに翔子に尋ねる。
「何故……、それが私の部屋にあると?」
「外に出られない君が隠せる場所といったら、
自分の部屋の中にしかないだろう」
翔子が最初に春香の服装を確認したのは、
この場にスポイトを隠し持っていないか確認するためである。
「そういうことではなく、何故そのスポイトが存在していると思ったのですか?
そもそも、翔子さんの言うように
鳥籠ウイルスの毒をスポイトごとすり替える必要なんて、
私にはなかった。
山本さんに頼んで、
父に農薬の入ったスポイトを渡すように言えば、
それで私は計画を成し遂げられたはずです。
鳥籠ウイルスを用意するのは
父にはできないでしょうから、
毒の準備は山本さんの担当だったはずです」
「君が山本さんに出した指示はこうだ。
『まず、父に本来渡す予定である鳥籠ウイルスの入ったスポイトを渡せ。
そして、晩餐会開催前に隙を見て農薬の入ったスポイトとすり替えろ』、
この一見面倒に見える手順を君は踏む必要があった。それは何故か――」
もう駄目だ、眼前の名探偵は全てを
――本当に全てを見抜いている。
既に春香は戦意を失いつつあった。
「君は証拠が欲しかった。
自分が犯行に関わった証拠が。
――君の計画には一つだけ問題がある。
それは、君がことを成し遂げたとしても、
近藤さんが逮捕されてしまうことだ。
もっとも、これは権蔵氏の計画がそうだったから仕方がないとも言える。
君の犯行動機はわからなかったが、
君が取る行動は予測できた。
近藤さんの無実を証明するため、
折を見て、君は警察に自分が事件の首謀者だと
名乗りでるつもりだったんだろう。
その際に、ただ自分が犯人ですと言っても、
何の証拠もない。
そこで、君は自分が犯人であることを示す何かを
警察に提示する必要があった。
そして、それは本来権蔵氏が使用するはずだった、
鳥籠ウイルスが入ったスポイトに他ならない。
そう私は当たりを付けた。
それは共犯者の山本さんに持たせる訳にはいかない。
山本さんが犯行の露呈を恐れて処分するかもしれないし、
いざ春香が自首する時に彼に止められる可能性があるからだ。
君は山本さんから受け取っていたはずだ、
鳥籠病のワクチンが入ったスポイトを――」
「私が……、近藤さんを見捨てるとは思わなかったのですか?」
「そんなこと私は微塵にも思わなかったよ。
春香、私は一ヶ月間ずっと君と一緒にいたからわかる。
君は優しい人間だ。
君の口から誰かを恨む言葉を私は一度も聞かなかった。
そんな君が無実の罪で逮捕された近藤さんを
いつまでも黙って見ているわけがない。そうだろう、春香」
「何もかもお見通しなんですね、
私が折を見て自首しようと思っていたことも、
そのために敢えて証拠を残したことも……」
翔子は自身の推理力により、
事件のトリックを解いただけではない
近藤の逮捕を見逃せない春香の優しさを、
そしてそれを防ぐために春香がどういう行動を取るかまで、
翔子は読み切っていた。
もはや、春香に反論の余地は残されていなかった。
ついに、長かった最後の推理問答は終わりを迎えようとしていた。
「これで、証拠は揃った。
君の部屋にあった鳥籠病のワクチンが入ったスポイト。
このスポイトの表面には、君の指紋、山本さんの指紋、
そして権蔵氏の指紋が付いているはずだ。
そして、内部の液体の成分を分析すれば、
鳥籠病の病原体がスポイトの中から
大量に検出されるだろう。
そうすれば、このスポイトは権蔵氏が本来の自らの計画に用意した凶器であり、
君にすり替えられたものであることが確定できる。
私の推理は以上だ。
私はここに断言する。
御堂春香、山本優作を教唆し、
毒をすり替えることによって、
御堂権蔵を殺害したのは君だ」
翔子が結末を告げる言葉をついに口にする。
翔子に対し、春香は潔く負けを認めた。
「――降参です。負けを認めます、翔子さん。
仰る通り、私が毒をすり替え、父を殺害しました」
自分の犯行を暴かれたにも関わらず、
何かが吹っ切れたような爽やかな笑顔で、
春香は翔子に微笑みかける。
「最後の推理問答も私の負けですね。
結局、私は何一つ、あなたに勝つことができなかった……」
春香は悔しそうに言葉を漏らした。
「春香……、どうしてこんなことを……。
理由を――君が父親を殺さなくてはならなかった理由を教えてくれ。
それだけが……私にもわからないんだ」
名探偵である翔子をもってしても、
解けない謎がまだ残っていた。
娘が父親を殺す動機、
それだけは当人の口から聞く必要があった。
翔子の春香に対する要求は、
もはや懇願に近いものになっていた。
心を通じ合わせた春香が自分で何も言わずに
父親を間接的に殺害したことは、
翔子に多大な動揺を与えていた。
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