第8話 1年A組の推理(後編)
「――皆、ちょっといいかな?」
香助や桂と異なり、歩はわざわざ自分から目立つ行動をとるタイプの人間ではない。
山田を始め、クラスの全員が普段は控えめな歩が、いきなり手を挙げて発言したので、曲がり角からいきなり車が飛び出してきたような顔で驚いている。
「何?」
山田が怪訝な顔をして、歩にその意図を訊く。
「橋本君は犯人じゃないと思うよ」
「えっ!」
歩の発言に、意表を突かれたせいか、山田は目を丸くして驚きの言葉を放った。
「どういうこと?」
「確かに橋本君は一度教室に戻ったのかもしれない。でも、それがCDを盗んだこととは直接結びつかないはずだよ。忘れ物があって戻ったのかもしれないし、誰にも見られないように教室で体育をさぼっていたのかもしれない」
「で、でも……」
橋本を犯人と決め掛かっていたが、実は状況証拠だけであり、直接的な証拠が何もないことを指摘された山田は動揺している。
「それにもっと根本的な問題がある」
「何?」
「冷静にこの事件を考え直してほしいんだ。山田さんはさっきからA組にばっかり注目しているけど、本当に重要なことはそこじゃないんだ」
「だって、A組の生徒のCDが盗まれたのよ。他のクラスは関係ないわ」
「それがそうとは言い切れない。山田さんは女子のことしか考えていなかったかもしれないけど、CDを持ってきたのは女子だけじゃないはずだよ」
「別に忘れてないわよ。桜井君でしょ。それがどうしたの?」
「桂は今朝CD持って学校に来た?」
歩が桂にCDをきちんと持ってきていたか確認する。
「ああ、確かに家を出る時に鞄にケースが入っていることを確認したぜ。もちろん、今は盗まれたんで、ないが……」
「それも体育の時間に橋本君が盗んだんでしょ」
「それは無理なんだ。桂はいつも体育の時間に移動するときに、通学鞄ごと隣の教室に移動するんだ。だよね、桂?」
清海高校の男子には2つの学生鞄が支給されている。1つは通学用の大きい鞄、もう1つは体操服や上履きを入れる用の小さい鞄。前者は通学鞄と呼ばれていることに対して、後者はサブバッグと呼ばれている。学園側は体育の教室移動時にはサブバッグに体操服を詰めて、移動することを想定していたが、実情は異なっている。
「ん、まあな。制汗剤とかタオルとかいろいろ入っているからな。サブバッグに分けて持って行くより、通学鞄で全部まとめて移動したほう楽だろ」
桂同様に、体育で着替えるために、通学鞄ごと隣の教室に移動する男子は多かった。
歩は体操服をサブバッグに入れて移動するが、香助は女子が着替えている間、教室の外で待つのが退屈だという理由で、通学鞄に漫画を入れて、隣の教室に移動している。
桂はサブバッグを学校に持って来ていないので、CDは必然的に通学鞄に入っていたことになる。
「つまり、体育の時間、桂のCDだけはA組じゃなくて、B組にあったんだよ」
「何ですって……」
「B組の鍵はさっきの丸山さんの証言だと職員室にあったんだよね。じゃあ体育の時間、B組の鍵は掛かっていたことになる。B組の委員長が教室の鍵を閉めて、職員室に鍵を戻した後の光景を丸山さんは見たんだろうね」
歩の言う通り、B組の教室は体育の時間、鍵が掛かっていた。歩は一息ついて、それから一気に話を続ける。
「そして、職員室に橋本君はB組の鍵は取りに行ってないはずだよ。いくら何でも体操服で授業中に職員室に入ったら、先生が不審に思うはずだからね。つまり、橋本君は鍵が開いていたA組にあった女子のCDは盗めても、鍵が閉まっていたB組にあった桂のCDを盗むことはできなかったんだ」
「うっ……」
山田は歩に自分の推理の穴を見抜かれ、顔を真っ赤にして動揺している。
「じゃあ、なんで橋本君は教室に行ったのよ!」
「おそらくだけど……」
歩は橋本の方を向いて言った。
「こっそり4時間目の数学の宿題をしてたんじゃないかな」
「――どういうこと?」
「実はずっと気になってたんだ。4時間目の数学の時間、上岡先生が皆の宿題を集めたよね。あの時、提出できていなかったのは香助だけだったけど、実は橋本君もやってなかったんじゃないかな? 今朝宿題の話をした時に動揺していたからね。それで、体育の時間に、さぼって宿題をやるために教室に戻ったんだ。今日の体育の時間はサッカーで、先生が女子と交代で見回っている。それなら少しくらい抜けてもいいだろ。そう橋本君は思ったんじゃないかな。だよね、橋本君?」
歩が優しく問いかけると、橋本は救いの手が舞い降りたと言わんばかりに頷いた。
「う、うん。瀬川君の言う通り、実は数学の宿題を全くやっていなかったんだ。とても昼休みにやって終わる量じゃなかったし。それで少しでも宿題をやっておこうと思って、体育の時間に教室に戻って30分くらいやってたんだ。30分で全部終わらせることはできなかったけど、おかげで昼休みに何とか宿題を終わらせることができたよ」
橋本は体育の時間が始まる前に、A組の教室から鍵が紛失している可能性について、既に気がついていたらしい。そこで、もしかして教室の鍵が開いているのではないかという、一縷の望みに賭けて、体育の授業を抜けだして、教室に戻ったそうだ。実際に、橋本の期待通り、鍵が空いていたので、30分程度、中で数学の宿題をしていたそうだ。
「それで体育の時間に30分抜けたんだね。ありがとう」
「なんだよ。それならそうとさっさと言えよ」
香助がそう不満を漏らすと、
「土橋君が一人だけやってないって、上岡先生に厳しく怒られたからさ。僕だけずるして体育の時間に宿題していたことがばれたら、土橋君に怒られると思って……」
「んなことで怒らねえよ。――ただ俺だけ説教された憂さ晴らしにお前が泣くまで全力で殴り続けるけどな!」
「ひっ……」
橋本は真実を打ち明けることができ、安心したのもつかの間、香助の発言に顔を青ざめていている。
「大丈夫、香助には僕から言っておくよ。隠さず言ってくれてありがとう、橋本君」
橋本は、歩にこう言われ、安堵の表情を浮かべながら座った。
「で、でも……、まだ橋本君が嘘をついている可能性があるわ! 彼が犯人でないという証拠は何一つない。ほらっ、桜井君のCDは体育の時間が終わってから盗んだのかもしれないわよ!」
頑なに橋本が犯人だと主張する山田に歩は諭すように言った。
「それはないよ。だってCDは焼却炉で発見されたからね。橋本君が体育の時間が終わってからCDを盗んだとしても、教室の外へ一歩も出ずに、昼休みに黙々と数学の宿題をしていた橋本君が、どうやって焼却炉まで盗んだCDを持っていったのさ」
歩に、橋本が桂のCDを焼却炉まで運ぶことができなかったことを指摘されたが、まだ山田は完全に納得できなかった。歩は、そんな山田の不満を解消するために、さらに話を続ける。
「それにね、実はもっと重要なことがあるんだ」
「何よそれは! 早く言ってちょうだい!」
山田が急かすように、歩に続きを促す。
「CDが発見されたのは、確か昼休みが始まった直後の時間だったよね?」
「ええ。昼休みが始まってすぐに、焼却炉にゴミを捨てに行った生徒が発見したらしいわ。時間は午後12時5分頃ね」
「最初に山田さんが話したように、それだとCDを盗んだ犯人は体育の時間に焼却炉に行ってCDを処分したことになるよね」
「ええ、それのどこがおかしいの?」
「ここが非常に重要なんだ。確認するけど、清海高校の中で、焼却炉までの道は二つあるよね? 正門を入って左側のグラウンド脇を通る道と、裏門を入って警備員室右の通路を通る道。裏門の警備員さんは、体育の時間に焼却炉までの道を通った人は見ていないんだよね?」
「当然よ。そんな人がいたら、そいつが犯人に決まっているじゃない」
「じゃあ、犯人はどこから焼却炉へ行ったのかな?」
「グラウンド脇の通路からに決まっているじゃない。あそこなら警備員の人達の目に入らないし、ましてや授業中なのだから目撃者はいないでしょう」
「そうなんだ。CDを焼却炉に捨てに行くために、犯人はグラウンド脇の通路を通るしか道はない。でも驚かないで聞いてほしいんだけど、体育の時間にその通路をずっと見ていた人を僕は知っているんだ」
「誰だそいつは! そんな奴がいれば事件は一瞬で解決するじゃねえか!」
香助が驚きのあまり、声を上げた。香助だけでなく、クラス中が歩の発言に驚いた。
しかし、歩の次の発言にさらに誰もが驚愕することになる。
「僕だよ僕。それに香助と桂も」
「――えっ! 俺達か!」
香助と桂にとっても、歩の発言は予想外だった。
「どういうこと?」
「実はね、3時間目にサッカーをしていたグラウンドから、焼却炉に行くための通路って、よく見えるんだ。焼却炉への道は2つしかない。このうち、裏門側の道は警備員室から見えることから、誰も通っていないことは間違いないと思う。だから、僕らが見ていたグラウンド脇の道を犯人は通ったはずだよね」
「じゃあ簡単じゃない! いったい誰を見たの!」
「それがね。落ち着いて聞いてほしんだけど……」
歩がゆっくりした声で証言した。
「――誰も通らなかったんだよ」
「なんですって!」
歩のこの証言には、クラス中の誰もが目を見開いて驚愕した。
今までの推理では、犯人は体育の時間に焼却炉でCDを捨てたはずである。それなのに、歩はその時間、焼却炉に至る通路には誰も通ってないと言う。いったいどういうことだろうか。
「で、でも体育の時間はサッカーをしてたんでしょう。それなら見逃してもおかしくないわ」
「うーん。――実は僕と香助と桂は体育の時間にサッカーせずに、ずっと焼却炉までの通路を見ながら雑談していたんだ。ね、香助、桂?」
「そういやそうだな」
「すっかり忘れてたぜ」
桂と香助は、ようやく思い出して同意する。
香助と桂が焼却炉までの通路に誰か人が通るか賭けをしたことを話すと、クラスの皆も見ていた理由を納得した。
「その時に誰か通った?」
「いや、誰も通らなかったかな。桂、お前はどうだ?」
「同じだ。少なくとも俺が見ていた限りでは誰も通らなかったぜ」
「そして、僕もあの通路を通った人は誰も見ていない」
三人は口を揃えて、体育の授業中、焼却炉までの通路に人が通っていないことを証言する。
「――ということは体育の時間にCDを焼却炉へ捨てに行くのは無理だってこと?」
「そういうことになるね」
「ちょっと待って! いったいこの事件で何が起きているの? 犯人はどうやって誰にも見られず焼却炉へ行ったのよ!」
歩の意見を採用すると、CDが盗まれたこの事件は物理的に実行が不可能な犯罪ということになる。
「おそらく、犯人は何らかのトリックを使ったんだ。推理小説で出てくるような奇抜なトリックを。そのトリックを解き明かせば、必然的に犯人は導き出される」
歩の発言により、もはや全員の脳裏から橋本の容疑は消え失せていた。誰もが歩の発言の続きに期待している。
「ど、どういうことなのよ! じゃあ犯人はいったい誰で、どういうトリックを使ったっていうの、瀬川君」
「それは……」
クラス全員が歩の発言に注目し、一言も聞き漏らすまいと固唾を飲んで、聞き入っていた。ここまで正確に山田の推理の欠点を指摘したのである。誰もが心の中で歩が華麗に犯人を暴くものだと思っていたのだが……。
「ごめん、僕にもわからないや」
「ってなんだそりゃ!」
クラス全員が口を揃えて、思わずつっこんだ。
だから皆の前で発言したくなかったんだよね、と歩は呟く。
「もー! いったい誰が私のCD壊したのよーーーー」
山田が虚しく叫んだと同時に、6時間目の授業の終了を告げるチャイムが鳴り、A組の犯人探しは終了した。
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