プロローグ: 瀬川歩と仲間たち
某月某日 将棋探究部の部室
「おせーぞ歩! 午後一時に部室に集合と言っただろうが!」
「いや、間違えてよその学校の部室に行っちゃって……」
「よくその間違いが出来たな!」
私立清海高校のとある一室で、集合時刻に遅れたにもかかわらず、適当な言い訳をした気の弱そうな少年が体格のいい少年に怒られている。
気の弱そうな少年の名前は瀬川歩、体格のいい少年の名前は土橋香助。
瀬川歩は、同学年の男子高校生の平均身長よりも少し低く、見た目は気の弱そうな少年だが、顔立ちが整っており、誰からでも好かれる顔をしている。
一方、土橋香助は大柄な体格に筋肉質の体、ぼさぼさの髪、いかにもラグビー部にいそうなタイプである。実際に彼はプロボクサーを目指していた過去があり、清海高校最強の存在と言われている。
「歩に文句を言うな、香助。次、歩に何か言ったら、学校から追放するからね」
「お前すごい権力者だな……」
眼鏡の似合う、肩まで黒髪を伸ばした女子、中村銀子が歩をかばう。
中村銀子は銀縁の眼鏡を掛けた、大きな瞳をした少女である。一見読書好きで内向的な外見だが、その言葉は厳しい。
銀子は歩に惚れており、そのことを全く隠そうとしていない。しかし、ことあるごとに歩にアプローチをかけているが、毎回綺麗にかわされているのが現状である。歩には激甘だが、歩以外にはそっけない態度を取るのが玉に瑕だ。
「おい、桂! お前も何か歩に言ってやれ!」
「ん? まあ別にいいんじゃねえか」
香助の呼びかけに、興味なさげに返事をしたのは桜井桂。
清海高校で最もルックスが優れていると言われている少年であり、いわゆるイケメンである。その優雅な佇まいは西洋の貴族のような気品を感じさせる。少し茶色がかった髪は丁寧にセットされており、本人の極めて優れた顔立ちから、校内にファンクラブが設立されているほど女子から人気がある。
彼ら四人は私立清海高校に通う、高校一年生である。
「ちっ、お前は歩に甘いんだよ。部長、お前も何か言ってやれ!」
「先輩には敬語を使えと言っているでしょうが!」
部長と呼ばれた女性が香助の頭をはりせんでバシッと叩く。
彼女の名前は葉月珠姫、清海高校の生徒会長であり、歩達四人が所属するクラブの部長でもある。珠姫は高校二年生であり、彼ら五人の中で唯一の上級生である。
彼女は目が若干釣り上がっており、その目は鋭い眼光を放っている。この会長に睨まれては、大半の学生が萎縮してしまうことだろう。彼女は容姿端麗、頭脳明晰を体現しているような人間であり、歴代最高の生徒会長と謳われ、生徒の間だけでなく、教師にまで大きな影響力を持っている。
銀子よりも長い背中までかかる黒髪は艶やかで、前髪はブルーのヘアピンで留められている。
「ごめんね、たまちゃん。遅れちゃって」
「いいのよ、歩。香助のあほに付き合ってたらきりがないわ」
珠姫は上級生であるが、歩が四歳、珠姫が五歳からの幼馴染であり、二人が小学校時代は毎日のように顔を合わせていた。歩が小学六年生の時に引っ越して、疎遠になっていたが、歩が高校になり、郷里に戻ってきたため、二人は三年ぶりに再会することになった。
歩は小さい頃、珠姫のことをたまちゃんと呼んでいた。高校でもたまちゃんと呼ぶかどうか一度話し合いが行われたが、珠姫はたまちゃんという愛称に、歩との特別な絆を感じられるので、昔のまま呼ばせている。
彼ら五人は将棋探究部という、一般的な高校にはないであろう変な名前の付いた部活に所属している。
瀬川歩、土橋香助、中村銀子、桜井桂、葉月珠姫。
他の部員もいることにはいるが、めったに部室に顔を出さない。
この五人が将棋探究部の主要なメンバーである。
全員名前に将棋の駒の漢字が入っているので、名前が覚えやすいともっぱらの評判である。歩は「歩兵」、香助は「香車」、銀子は「銀将」、桂は「桂馬」、そして珠姫は「王将」の漢字がそれぞれ含まれている。
今日が休日にもかかわらず、五人が集まっているのは将棋探究部の部活を行うためである。といっても、将棋探究部と聞いて、どういう部活なのか疑問に思う人は多いだろう。
将棋部とどう違うの? というつっこみも最もだ。
結論から言うと、彼ら五人は部活において、将棋をほとんどしない。
そもそも、まともに将棋を指せるのは歩と珠姫だけである。残りの三人は将棋のルールさえ完全に理解していない。香助に至っては「将棋」という感じすら書けるかあやしい。
「それぐらい書けるわ! ざっくりだけどな!」
「うわっ、びっくりした! 香助、誰につっこんるの?」
「まぁ、強いて言うなら--天かな……」
「すごい特技だね、それ……」
「しかもざっくりとしか書けないのか。なかなか頭が悪いなお前は……」
桂もつっこみを入れる。
香助の特技はさておき、将棋探究部はいったい何をする部活なのかというと、将棋の可能性を探究するという名目で、将棋を使って、ただ遊んでいるだけの部活である。
歩と珠姫は真面目に将棋の戦術を研究しているが、他の三人は将棋のルールすら理解していないので、将棋の新しい可能性を試すと言って、将棋を使って様々な遊びをしている。
将棋探究部の部員は一日ごとに交代で活動日誌を担当しており、その日を担当した部員が、活動内容を記載することになっている。
前回、香助が担当した日の日誌には、将棋を使って桂とチェスをしたと記載されている。
チェスの駒である「キング」「クイーン」「ルーク」「ビショップ」「ナイト」「ポーン」を、将棋の駒である「王」「金将」「飛車」「角行」「歩兵」に置き換えて、将棋盤で将棋の駒を使ってチェスをした。
香助と桂はその日のために、前日に必死にチェスのルールを頭に叩き込んだらしい。
「将棋のルールは全く覚えないのに、チェスのルールは何で全力で覚えるのさ……」
「何が何でも将棋をやりたくないのかあんたらは……」
「ていうか、もうチェスの駒使いなよ……」
勝負に白熱する二人を歩、珠姫、銀子は冷めた目で横から見ていた。
結局その日の日誌に香助は「将棋チェスサイコー!」という一言で締めくくられ、当然ながら部長の珠姫に説教された。
要は将棋探究部とは、将棋を使って何らかの活動をする部である。
この物語は、将棋探究部という一風変わった部活に所属する五人が、時にシリアスに、時にコミカルに、謎に満ちた事件を解決する推理小説である。