蜃気楼の館 5
スカラはしばらく工房に滞在することになった。
「まずは戦いで使った武器のメンテナンスをしよう」
スカラの仕事を見せてもらい、青い炎と金属を打ち付ける音が工房に響くと気分も明るくなった。
プロメデの緑の屋敷では、また小さな協議がいくつかあって俺も参加している。
楼焔に破壊された星々の復興にタイタン族も協力する事になった。
無論、火の眷属も謝罪とともに人員や経済的な負担を申し出たが、多くの星々がそれを拒んでいた。
確かに自分たちに酷いことをした奴の国からの援助など受けたくない、信用ならないというのもわかる。
けど火の眷属も苦しんでる、と俺は思った。
「破壊された星々の嘆きやプライドもわかるが、」
と、腕組みしたプロメデが言った。
「すみずみまで復興の手が届くように、せめて経済的な支援の申し出は受け入れるように俺たちからも説得しよう」
「それがいい。弱い者、貧しい者の声は細いからな。各星系に向けて、火の眷属からの支援を受け入れるようにと、父上からの声明をいただこう」
そうパンドーラー姉さんも言った。
そして、いよいよ風蓮渓谷に奶流が移送される日を迎えた。
風蓮渓谷の森にある湖のほとりで、俺は摂津さんと一緒に奶流の到着を待っていた。
やがて遠く中空に、金色に揺らめく炎でできた四頭の馬が引く馬車が現れた。
摂津さんは息を呑み、両手を胸に当てて空を見上げている。
金色に輝くその馬車がゆっくりと湖の岸辺に降りると、四頭の炎の馬は四人の従者の姿になった。
そして彼らは馬車の中から、台座に乗せたカプセルを静かに引き出した。
上蓋が透明になったカプセルは、金色の直方体の角を落とした八角形をしている。
全面に炎と太陽をかたどった繊細な紋様が刻まれていて、華やかな蓋つきベッドのようだ。
その上蓋を通して、中に奶流が横たわっているのが見えた。
四人の従者は揃ってこちらを向くと俺たちに深々とお辞儀をし、カプセルのロックを解除して上蓋を開いた。
俺と摂津さんは、横たわっている奶流に近づいた。
奶流、大丈夫か。
やっと帰ってこられたんだ、待ってたんだよ。
そう伝えたくて気持ちがはやる。
彼女は確かに怪我を負っている様子はなくて、顔色も悪くはないと思った。
呼吸も整っているし。でも、眠ったままで身動きはしない。
摂津さんは、提げてきた黒い往診カバンから聴診器を取り出すと、奶流の呼吸や脈を診て診察した。
しばらくして、彼女は俺に向かってうなづいた。
「確かに眠っているようだわ。動かして問題ないと思う」
俺はカプセルから奶流を抱き起こして、摂津さんの家まで横抱きに抱きかかえて運んだ。
この場所で、ローリーと名乗っていた楼焔と旅をして来た奶流に再会したときのことを思い出す。
あの時もこうして奶流を抱いて、摂津さんの家に向かったんだ。
奶流の体温や息遣い、俺の両腕に預けられたその柔らかさ。
確かに俺は彼女を取り戻した、そう感じた。
けどそうして動かしても、摂津さんの家に着いて坩堝さんと瀬識流が寝巻きに着替えさせてくれても、奶流は全く目覚めなかった。
「確かに傷ひとつないわ。まずは、よかったわね」と坩堝さん。
「でも奶流、全然起きないね。ほんとに病気ではないの?摂津婆ちゃん」瀬識流が尋ねた。
「体には取り立てて異常はないはず。今は確かに眠っているの。でも、随分深く眠っているようだわ」
俺は、闘いの場で紅焔に連れ去られる間際に楼焔の言った言葉を思い出した。
楼焔は奶流に、俺はもう死んだと言った。
その時に彼女が自殺しようとした、という話だ。
「だから眠らせた、と楼焔が言っていました。その時に、術でもかけられて深く眠らされたのかな」
「そんな嘘ついて卑怯だよ。奶流がかわいそう、楼焔て本当にひどいやつ」
瀬識流が悔しそうに言った。
「そうなのかしら。でも、奶流がひどくショックを受けたのも確かだと思うわ」
そう言って摂津さんは考えていた。
こんなことになる前に奶流を助け出せていたら、そう思った。
「啓羅、考えすぎは良くないよ」
「そうよ。一緒に考えましょう」瀬識流と坩堝さんがそう言ってくれた。
「何とかなるわよ、啓羅。私もこれから方法を考えるわ」摂津さんも明るく言ってくれた。
「ありがとう。俺、明日また来ますね」
そうして俺はもう一度、眠っている奶流の姿を見てから地底に戻った。
それからさらに数日たったけど、奶流は目を覚まさなかった。
摂津さんが気付けをしても、瀬識流が呼びかけても。
彼女の周りの時間まで一緒に眠っているみたいに変化がなかった。
「カプセルから出て、食事もとれないのに体の様子は変わらない。これは仮死状態のようだわ」
「摂津さん、火の眷属に相談して、向こうのお医者に来てもらうのはどうですか」
「そうね。別の方法があるかも、そうしましょう」
摂津さんと話したあと、俺は眠る奶流の手をとって「また明日ね、奶流」と声をかけた。
「啓羅、お帰り。彼女はどうだった?」
工房に戻るとスカラがそう声をかけてきたけど、俺の浮かない顔を目にすると言った。
「なんだ、その顔。姫は今日も目覚めなかったか」
「うん。うまくいかないや」
「心配だよな。でも悩んでも結果は出ない。そんな時は風呂だな。ちょうど一仕事終えたところなんだが、付き合わないか」
立ち上がって伸びをしながらスカラは言った。
「風呂か、そうだね。あの河の温泉に、スカラもイオと行ってたの」
「もちろん。親方は温泉好きだったからな」
俺たちは滝の温泉に向かった。
そしてイオが俺のために作った場所を見るとスカラは笑った。
「ここは人間にはちと熱すぎるからね。親方は湯に浸かると、いつもすぐ寝ちまったなあ」
「そう。そしてイビキがすごいよね」
湯に浸かって俺たちは笑い合い、俺はスカラに言った。
「スカラ、俺あんたの弟子にしてほしい。でも、色々なことが落ち着いたら、改めてこれからのことを相談させて」
「ああ了解。いつでもいいさ。焦らなくていいぜ」
そう、奶流が目を覚ましたら。
元どおり笑ってくれたら、これからのことを決めるんだ。
その時、俺の心にプロメデが語りかけてきた。
「啓羅、まずいことになった!楼焔が、紅焔様を殺して逃走した」
「え!どうしてそんなことに」
思わず湯の中から立ち上がり、俺は叫んだ。
急いで戻ると工房にはもうプロメデとサイオン、パンドーラー姉さんが集まり、プロメデは苦い顔で話し出した。
「牢から引き出されて公開処刑に臨んだ楼焔が、龍に変化して暴れだした。そして、それを止めようとした紅焰様と側近を殺害した。さらにその直後、龍の姿で上空に現れて、流星雨を巻き起こしたそうだ」
火の眷属の国民や、処刑に立ち会うために紅焔の国を訪れていた他国の人々は、激しい流星雨に直撃されてその多くが焼き殺された。
そして奴はそのまま行方をくらました。
その事実に、今や多くの星系の国々が騒然となって、楼焔の再来に怯えている。
話を聞きながら、俺の脳裏には闘いのさなかに見た地上の焼け焦げた景色と臭いがよぎった。
「実の父である紅焔様を手にかけるとは……」
パンドーラー姉さんがつぶやく。
そうだ、あの紅焔を。自分の父親を殺したなんて!
楼焔め、と息子の処刑の話を切り出した時の、紅焔の苦渋の表情を思った。
晒し者として処刑される自分の最後を前に、プライドを砕かれまいとした楼焔は、狂ったように暴れたのだろうか。
奴が以前よりももっと凶暴に、いたるところに攻撃を仕掛けてきたら。
絶対ダメだ!
またあんな真似だけはさせたくない。
「当然ながら、奴の行方は捜索中だ」プロメデが言った。
楼焔も手下の太陽を失って、今は一人きりのはず。
こうなった以上、一刻も早く討伐に向かうべきだ。
今度こそ、そしてもう二度と楼焔の好きにはさせない。
それに俺と奴と今度こそ、一対一の戦いになる。
俺は奴を探し出し、決着をつけてやる。そう、俺は必ず楼焔を倒す。必ずだ。
戦いについて思いを巡らすと、たちまち額のタイタンの目が闘気を高めるのがはっきりとわかった。
「啓羅、ものすごいバトルオーラが出てるぞ」
側にいたスカラが驚いた顔でそう言って、俺は彼にうなづくと言った。
「プロメデ。俺、もう待ってはいられない。火の眷属の星にまず向かうよ、楼焔に動きがあったら知らせて」
「弟よ、またも戦いに赴くことになったな。しかしこの先はあまたの国々が情報を送り、お前を支えるから案ずるなよ」
パンドーラー姉さんが俺の頬を撫でて言った。
「姉さん、ありがとう」
それから俺はスカラに言った。
「スカラ。あの話はやっぱり、もう少し待ってよ」
「ああ、新月の子よ。その戦いの宿命をどうか勝利で飾ってくれ」
新月の子か。そして戦いの宿命。
スカラのその言葉を聞いた時、俺は今までになくタイタンの目の存在を強く意識した。
でも気がかりと言えば、やはりまだ目覚めない奶流のことだった。
俺がまた戦いに行くってことも、この先しばらく会えないかもしれないことも奶流に言えない。
そして摂津さん、坩堝さん、瀬識流にも。
それに、しばらくって言っても楼焔を探し出して倒すまでは。
どのくらいの間になるのか、俺にもわからないんだ。
風蓮渓谷での小さな安らぎの時間が、か細いリボンのように解けて心をすり抜けた。




