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新月の忌み子  作者: のすけ
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蜃気楼の館 4

 重苦しい協議の後で地上に出た俺は、バイクで風蓮渓谷にある摂津さんの家に向かった。


 曲がりくねった林道には今日も涼しい風が吹き渡っている。

 けれど、気高くほろ苦く心を落ち着かせる芳香を放っていた針葉樹の森林は、あちこちが無残に焼けただれて焦げ臭い。

 風の血統の人々が暮らす村も、屋根に風穴が開いたり畑が焼けて作物が倒れてしまっている。


 摂津さんの家も、臙脂(えんじ)色の屋根とキャラメル色の外壁が(すす)けて周りの木々や庭の生垣が折れたり焼けている。

 でも火事は免れていたことに俺は安心した。

 静かにドアをノックする。

「摂津さん。啓羅です」

 少しの間があり、細く扉が開かれて懐かしい小柄な姿が(のぞ)いた。


「摂津さん。こんにちは」

「ああ、ああ啓羅!無事だったのね。どうぞ入って。今、お茶を入れるわ」

 俺を認めた彼女の顔が一気に明るくなり、扉を大きく開いて迎えてくれた。


 椅子にかけるよう勧めてくれるや、いつも冷静で理知的な摂津さんがキッチンから立て続けに話し始めた。

「太陽がちゃんと昇って沈むようになった。もう何の心配もない。それはあなたのおかげ。でも、この世界を救ったのは誰か理解している人はわずかよ」

「けど俺……。あの流星雨を防ぎきれなくて、この土地も焼かれてしまいました」

「私たちが為すすべもなく逃げ惑う中、あなたは自分を捧げてこの世界の全てを守ろうとした。そんな風に考えてはいけないわ」

 摂津さんはキッチンから顔を覗かせ、首を横に振った。

「あの日、大きな白鳥の群れが空を舞うのを見たわ。彼らの翼が星屑の川を描いて、流星雨を受け止めた。彼らも啓羅の味方なのね?」

「ええ。ベガという白鳥とその仲間です」

「ベガと言うの?大神ジュピター様の使いとして神話に(うた)われる白鳥の名前ね」

 瞳を輝かせてそう言った摂津さんは少女のようで、俺は小さくて元気な瀬識流を思い出した。


「瀬識流と坩堝さんはどうしてますか?」

「二人とも無事よ。でも、家の屋根に穴が空いて修理中。雨漏りもしてしまってね」


 それなら俺にも手伝える。

「そういうことなら俺、得意です。このタイタンの目を隠せば、他にも困ってる人のところに行ってあげられるし」

 でも、摂津さんは心配そうに言った。

「人のことばかり気にして。啓羅、あなた怪我は?見たところは元気そうだけど。それに、奶流はどこに連れていかれたのか、わかったの」

「俺は大丈夫。奶流は見つかりました。摂津さん、そのことでお願いがあってきたんです」


 お茶が用意されたテーブルに向かい、奶流のことについて摂津さんに相談した。

「行方が分かって良かった。もちろん、ここに彼女を連れていらっしゃい。この土地のケガ人の手当てもひと段落したところよ」

 摂津さんは微笑んで力強く言ってくれた。


「啓羅は落ち着いたらここで暮らすの?村には古い空き家もあるわ。あなたなら、自分で好きなようにリノベーションができるんじゃないかしら」


 なんて魅力的な、楽しそうな話だろう。

 俺はこの場所が好きだ。

 この隠れ里みたいな渓谷で暮らす生活か。


 風の血統の人たちは古代からの伝承について、また現代の医学では解明できない異形の存在や力について知っている。

 ヒーリングや気の力を活かした独特な医術も受け継いでいる。

 ここでなら俺の存在も受け容れられる、のかな。

 タイタンの目があるままでも、ここでなら暮らしていけるだろうか。


 でも俺はいつか、みんなと。


 サイオンと話した自分の寿命のことを思い出した。

 ふっと自分の思いに沈んだ俺はしばらく沈黙していたようで、気づくと摂津さんの水色の瞳に見守られていた。


「あ、ごめんなさい。ぼーっとして」

「いいのよ。あなたは若いのだし、これからのことに悩む頃だわ。それと啓羅、目のことだけど」

「ええ」

「尊い大きな力を持つその額の目だけど、塞ぐ方法もある。それを聞いたことはあるかしら」

「はい。俺は最近聞いたばかりだけど」


 摂津さんは、やっぱりすごいな。

 地上で、人間の立場でタイタンの目のことを相談できるとしたら、この人しかいない。

「もし、私に何かできることがあったら言ってちょうだい」

「ありがとう、摂津さん。そうします」



 摂津さんの家を後にして、今度は坩堝さんと瀬識流を尋ねた。

 バイクで近づくと、家の扉が勢いよく開いて瀬識流が飛び出してきた。

「やっぱり啓羅だ!会いたかったよ。怪我してない?ねえ、坩堝ばあちゃん!啓羅が来たよ」

 瀬識流が大声で坩堝さんを呼んだ。


 ひょこひょこと戸口に現れた坩堝さんは、俺を見るなり涙ぐんで白いエプロンを顔に押し当てた。

「無事に戻ってきたのね。ああ、奶流も帰ってきたの?」

「いえ奶流はまだ。でも、居場所がわかって、もうじきこの土地に帰してもらうことになりました。さっき摂津さんにお願いしてきたところです」


 こちらの家は、窓の数カ所に新しい木の板が打ち付けてあり、家の周りはやはり焼けていた。


「坩堝さん、家が壊れて修理中だって聞いたけど。俺、手伝いますよ。道具を貸してください」

「啓羅、せっかく会えたのにい」

 俺の腕をとった瀬識流が唇を尖らせて言う。

「でも、雨漏りは困るだろう。風邪引くよ」

 坩堝さんも家で休むように言ってくれたけど、午後の日差しがあるうちに、と俺は梯子や大工道具を借りて屋根の修理に取りかかった。


 銀色の髪を二つに分けて結び、ピンクのギンガムチェックのワンピースを着た瀬識流は、幼い妹みたいに水色の瞳を見開いて俺の後を付いて回る。

 修理の間も、洋服が汚れるのも気にせず外の地面に座って見上げていた。

 屋根の上から手を振ってやると、ニコニコして両手を振ってきた。


 流星雨の、あの炎の雨が降り注いだときはすごく怖かったろうな。

「坩堝さんも瀬識流も無事で良かった。瀬識流はまた森に行ってるのかい?」

「ううん。行きたいんだけど、村の他のおうちの片付けを手伝ったりしてるの」

「そうだな。早く落ち着くといいね」

「うん。ねえ、もう直った?」

「ああ。あとは緑のペンキを塗り直しておしまい」


 ペンキを塗り直して梯子を降りると、「手を洗って、ジンジャークッキーを食べて行ってよ。私が焼いたんだよ」と瀬識流は言った。

 再びティータイムに迎えられて、坩堝さんは夕食も一緒にと誘ってくれた。


 しかし地底世界も楼焔のことが決着するまでは気を抜けない。

 俺はひとまず地底に帰ることを伝えた。

 そうしたら急に、瀬識流がポロポロ涙をこぼしてすすりあげた。

「啓羅、また来るよね?」

「どうした瀬識流、怖いの?もう大丈夫だよ。安心していいんだよ」

 俺は小柄な瀬識流のそばに近づくと、プラチナ色の頭を撫でて言った。

「うん。わかってる。わかってるけど、心配になるの。啓羅、絶対来てね」

「来るよ。だからもう泣かないで、な。それに俺、二度とみんなに怖い思いはさせないからね」

 瀬識流は少しの間、俺の腕に頭を押し当てていた。

 でもやがて泣き止んで顔を上げ、笑顔になって言った。

「私、鼻が赤いよね。みっともない」

 確かに色白な瀬識流のまぶたも、鼻も赤くなっていたけど。

「赤いな。でも、みっともなくなんかない。そうして笑ってくれてたら、それでいいんだ」



 地底に帰りイオの工房に戻ると、外に青白い光が漏れていた。

 あれ、どうして炉に火が入ってるんだろう。

 けれど金属を打つ音はしない。

 そして人影が動いていた。


 誰かいる、誰なんだ?


 俺はバイクを降りるなり工房に駆け込んだ。

 そこには見たことのないキュクロプスが炉の前に立っていて、青い炎を見つめている。


 彼は俺を振り向くと一つ目を柔和に細めて言った。

「やあ、君が地上を救った啓羅だね。初めまして、俺はスカランティウス。親方にはスカラって呼ばれてた」

「初めまして。よろしくスカラ」

 細身だけど筋肉質な彼はイオよりもだいぶ若いようで、話し方も少し年上の兄さんのようだ。

「俺はイオ親方の一番弟子で、親方の遺言でここに呼ばれた。啓羅に会いに来たんだ」


 一番弟子、と聞いた時すごく羨ましい気持ちになった。

 俺も、イオの弟子になりたかったのにな。

 スカラはイオの遺言で、この工房を預かることになったそうだ。

「でも俺は今、仕事のかたわら地底だけじゃなく他の星系を含めた諸国を巡って勉強をしているところなんだ。この場所に戻ったのは随分と久しぶりだよ」

「スカラはどんな仕事をしているの?」

「俺は親方とは違って、宝飾品や芸術品としての刀剣や盾とか鎧を作るのが得意なんだ」

 鍛治職人もいろんな得意分野があるんだな。


「啓羅はどういうことに興味があるんだい?」

「俺は正直そこまで考えたこと、なかった。でも、昔から武器に関心があったんだ」

「そうか。じゃあ、イオ親方と同じだね。親方の、本当の後継者になるかもしれないってことだ」


 スカラにそう言われると、本当にイオの跡を継げたらいいのにとやはり思う。

 そうなれたら。

 でも、できるならもっと勉強したい。

 もっと広い世界を見たいんだ。


「スカラのように他の世界を巡って、もっとたくさんの物を見たり。俺も出来るかな」

「出来るさ。君、本当に鍛治職人として俺の弟子になるか」

 スカラはそう言うと腕を組んで俺を見つめた。

「イオ親方は遺言で、もし啓羅が望むのなら俺の弟子にするようにって言ってたそうだ。俺は親方みたいな豪気な性格じゃないけど、でも厳しいっちゃあ厳しいぜ」


 俺はスカラの向こうで燃える炉心の青い美しい炎を眺めた。

 それはイオの魂の色のような気がする。

 スカラもまた、その炎を見やると言った。

「今日は別に、ここで仕事しようってわけじゃない。ただ、火を入れたかったんだ。ここで燃える火を見ると、親方を思い出す。俺は親方に最後の挨拶ができなかったからね」


 スカラって、何となく人間の感覚に近いものを持っている気がするな。

 彼が知っているイオのことを聞いてみたい、そう思った。


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