蜃気楼の館 3
「啓羅、戻らなきゃ。地底からプロメデが呼んでる、ヘパイストス様も来られるよ」
突然、サイオンが言った。
「きっと何かの知らせだね」
俺たちは再び地底世界に帰った。
「プロメデの家に行くよ」
初めて訪ねたプロメデの家は、深い緑色のツヤがある岩で築かれた古代ギリシャ風の邸宅だった。
どこか重々しく品格がある外観は、普段のプロメデそのものみたい。
岩がむき出しの質素で素朴なイオの工房とはまるで趣が違う。
プロメデは、タイタン族の執政官なんだ。それなのにイオと一緒にバトルに飛び込んで来ていたなんて、本当に無茶もいいところだったんだな。
初めて会うプロメデの奥さん、物静かで上品なキュクロプスの女性イザベルさんが、館の客間に俺たちを案内してくれた。
父さん、パンドーラー姉さん。そして赤い髪と髭が威厳のある火の眷属の長、紅焔の姿があった。
紅焔はやはり今も険しい顔つきで、緑色をした椅子に掛けていた。
俺はみんなに会釈して、席についた。
「揃ったな。本日は紅焔様直々の来訪により、ここにいくつかの案件を協議し決定する」とプロメデが言った。
そして、紅焔が重々しく口を開いた。
「まず、この度は愚息が土の眷属とその領分である地上を脅かした所業について、火の眷属は平伏してお詫び申し上げたい」
紅焔は椅子を降りて緑色の石の床に膝をつき、低頭した。
「紅焔殿、お立ちください」
父さんは紅焔のそばにより、彼の手をとって立たせた。
紅焔の顔色が良くないのがわかったけど、椅子に戻った彼は険しい表情を崩さずに続けた。
「そして我らが太陽の鞭は現在、ジュピター様にお預けしております。しかし、土の眷属が望めば今後はその権限を譲りたいと考えています」
「啓羅、太陽の鞭とはつまり、太陽を運行させ監督する力を意味する。だから火の眷属は、『鞭を振るう者』と呼ばれてきた」
父さんが、そう俺に教えてくれた。
「火の眷属と我ら土の眷属とは、これまで様々な物質を生み出す力として手を携えてきた。しかし紅焔殿、『鞭を振るう者』の呼び名は火の眷属そのものをさす言葉でもあるが」父さんは紅焔に問いかけた。
「ええ。実質的にあなた方タイタン族が、我ら火の眷属を治めることになる。我らの思いを汲んでいただけますまいか」
そう言った紅焔は一層苦しげな顔つきだった。
「そんな力を手放すんですか」俺はつぶやいた。
「愚息は、眷属の長子として幼少より厳しく養育したつもりでおりました。太陽の鞭についても、これまではまあ遜色ない勤めぶりでしたので預けて来たのです。しかし、成長するにつれ、龍に変化し周辺の星系を荒らすなど、放蕩ぶりが際立ち、しまいにはこの有様」
楼焔は、本当なら父親の紅焔の後継ぎとして火の眷属を率いていかなくてはならないのに、ひどい問題児だったんだな。
「愚息は、我ら火の眷属にとっての忌み子に他なりません」
うつむき加減で双の拳をきつく握った紅焔が言った。
忌み子、か。
その言葉に俺の胸がちくりと痛んだ。
「啓羅どう思う。今のお前ならば太陽を制御する能力は十分にある」
突然、父さんが俺に言った。
え、俺がその力を受け継ぐっていうことなの。父さんではなくて。
「お前は俺の子だ。今やタイタン族の戦士で、土の眷属とその領分を守り抜いた者だ。そしてこれは紅焔殿より、闘いの成果として与えられる権限だ。考えてみろ」
父さんは深く黒い瞳でじっと俺を見つめて言った。
「勇者のお前が手にした栄光だ。ためらうことはないのだぞ」パンドーラー姉さんも言う。
「闘いの結果、大きな栄光が自分のものになる、と言うことに啓羅は馴染みがないからな」
プロメデがサイオンに言って、二人ともうなづく。
闘いの成果。権限。栄光。
そうなの。
でもそんなこと一度も考えたことがない。
俺はただ、地上のみんなとこの世界を守りたかった。安心して欲しかっただけ、それだけだ。
「俺、正直に言います。紅焔さん、あなたがいるじゃないですか。太陽の鞭は、火の眷属の人たちが力を合わせて守っていくほうがいいと思うんです。そうお願いできませんか」
俺がそう言うと、父さんの目が急に柔和に笑った。
「そうか、わかった。紅焔殿、太陽の鞭はこれからも火の眷属が持つのが良かろう。土の眷属は望まない」
紅焔はひどく驚いた様子で目を見開き「しかし、ヘパイストス様……」と言いかけた。
でも、父さんはそれを制した。
「紅焔殿、確かに啓羅はタイタンの目を持つ者ではあるが、覇者となることは望まぬ気性のようだ。互いに、息子の性分と言うものは分らぬものよ」
それを聞いた紅焔は、再び深々と頭を下げた。
そして協議は続く。
「では二つ目に申し上げる。啓羅様の許嫁である奶流嬢の身柄は、他の星系の惑星に築かれた愚息の根城にて眠らされた状態で発見しました」
奶流が見つかった。
でも、許嫁じゃあないんだけど、なあ。
彼女は、生命維持と耐久性に優れたカプセルに横たわった状態で、一見した限りでは無事と思われる様子だった。
楼焔を問い詰めたけど、奶流に危害は加えていないと言っていたそうだ。
奶流は生身の人間だから、カプセルに眠ったままで地上の、こちらが望む場所に移送してくれるということだ。
良かった。
見つかったんだ、奶流。
喜びがこみ上げる。
けど一方の紅焔は、息子が俺の婚約者をさらって我が物にしようとしていたと考えて、酷く恥じ入っていた。
紅焔を責める気はないけど、確かに楼焔はそのつもりだったに違いないから、それは許せない。
「彼女は人間だから、地上に返してもらわなきゃだよ」サイオンが言う。
「そうだね。地上の、風蓮渓谷に連れて来てほしい。俺の右目を再生した摂津さん達がいるから、診察も受けられます」と俺は答えた。
そして最後に、重い話が待ち受けていた。
ひたいに浮んだ汗を拭って、紅焔は言った。
「近日中に執り行います楼焔めの処刑に、立ち会うことを望まれますか」
紅焔が自分で手を下す、そう言っていた。
自分の後継として育てて来た息子を自分の手で。楼焔め、そう他人のように呼んで。
「立ち会うって、目の前で処刑されるのを見るのですか」
俺は尋ねて、父さんはうなづいた。
「処刑は、決まっているんですか」
「そうだ。楼焔に破壊された星系の諸国から極刑を望む声があると聞いている。また、処刑を公開するよう強く求めて来た国もあるそうだ。この地上のみならず、彼が諸国に与えた傷はそれだけ深く、犯した罪は大きいのだよ」
父さんは静かに、厳然と言った。
確かにそれは。
俺は、楼焔が奪ったこの世界の命を思った。
でも同時に。
みんなの前で、父が息子に刑を下す。
父と息子。俺はヘパイストス様と俺を思った。
「父さん、俺は立ち合いを望みません。父さんは、行かれるんですか」
「いや。俺は行かぬよ」
こうして紅焔との会談は終わり、彼は深々と一礼した後にプロメデの館から消え去った。
説明できない疲れが一気に押し寄せる。話が重すぎたんだ。
父さんも、最後に小さな子供にするみたいに、ポンと俺の頭に手をおくと青い霞の中に消え去った。
「紅焔は、息子を火の眷属の忌み子って言ってたね」とサイオン。
「うん。あれは俺、刺さったな」
「楼焔は自分がそう思われてるって知ってて、だから忌み子と呼ばれながらも地上を守って、いろんな人に慕われる啓羅が気に入らなくて、しつこく攻撃して来たのかもね」
確かに楼焔は、初めから俺を随分おとしめてくれたよな。
「そうか、そうなのかなあ。俺は『お前は俺の子だ』と言ってくれる父さんがいることが本当に幸せだと思った」
「父上は啓羅が太陽の鞭を望まない、とわかっておいでだったな」パンドーラー姉さんが言う。
「そうなの」
「ああ。ヘパイストス様は温情の神だ。他の眷属の誇りをいたずらに奪うことはされぬよ」
緑の岩の椅子に掛けたプロメデが、珍しく微笑を浮かべて言った。




