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新月の忌み子  作者: のすけ
38/47

紅龍と蒼龍 3

 楼焔を追っていきたい。奴は地球に何をする気なんだ?

 でもこっちはあと一息で三つの太陽を封じ込められそうだというのに、ひどくもどかしい。


 地底に向けて心の中で語りかけた。

「プロメデ、月から楼焔が消えた。あいつ地球を狙ってる」

「何だと!卑怯な奴め。俺たちが応戦するからお前はそっちを仕留めろ!」

 なぜか頭の中にイオの声が響いた。

「わかった。イオ、無茶しないでよ」

「誰に向かって言ってる!」


 両脚義足のくせにいきり立ったバトルモードのイオが目に浮かぶ。

 落ち着け俺、集中だ。

 でも早く楼焔を食い止めないと。


 ダメージで動きが鈍った太陽たちの目の前まで氷塊弾を撃ち込みながら勢いをつけて近づき、中でもひときわ黒い弾道が目立つ一個を至近距離から雷の短剣で斬りつけた。

 弱っているとは言え、太陽が発する白熱の光で全身が焼け付くようだ。


「畜生、捕まった!あの空間に食われちまう」

 刻々と形の変わる黒い切り口を開く空間を前にそう叫ぶと、一個の太陽が異空間に噛まれたように落ちていき、やがて奴を呑み込んだ空間は口を閉じて消滅した。


 もう一つの太陽が短剣が生んだ異空間を避けてもう一度俺の背後に回る。

 すかさずゴウッ!と炎を吹き出して焼き付けてきたが、タイタンの目の力で死角を持たない今の俺には無意味だ。

 振り向きざまに再び両腕をクロスし、奴に向けて磁気嵐を放つ。

 周囲の空間がビリビリ震えてた。

 黒い無数の針が放たれたように太陽に吸い込まれ、奴の全体に黒点が現れる。

「痛い痛い!電磁波が突き刺さって何も見えない!周りが闇に変わっていくう!」

 そう声を上げて、太陽の発する熱と光が急激に引いていく。


 よし今だ、お前も異空間に放り込むぞ。

 再び雷の短剣を振るって空間を切り裂く。


「見えない、方向がわからない!どこに逃げたらいいかわからん。おおい、兄弟どこにいる?」

 めちゃくちゃな軌道を描いてもがき暴れる太陽の姿は、虚空に紫がかった色で揺らめく異空間に消えた。


 やったぞ、これであともう一つだ!

 時間がない、早く、早く仕留めなきゃ!


 しかし二度目の磁気嵐から逃げた残りの一個は、方向感覚を失い異空間に吸われた仲間を見捨て、流星さながらすごい速さで地球めがけて飛び去った。


 あいつ、楼焔と一緒になって地球を襲うつもりだな。

 地上世界、俺の育った場所、村を。

 奴ら今度は地底世界までも焼き尽くすつもりだろう。


 太陽のない暗い宇宙空間に浮かぶ今の地球は、ぼんやりと淡く青白い光に包まれて弱った小さなホタルみたいだ。

 でもあの場所に限りない命が、みんながいる。


「プロメデ、あと一個の太陽が逃げて地球に飛んだ!俺も地球に戻る」

「啓羅、早く!楼焔はすごい規模の流星雨を呼ぶつもりだろう。気をつけろ、地上には姿がない。上空だ」

「わかった!」

 短剣で目の前の空間を裂くと、月に来た時同様に俺は異空間に飛び込んだ。


 俺の居た村を連中が最初に襲撃したのは、みんなが無防備に眠っている午前三時だった。

 そう思った時。

 突然に、何かが心に還ってきた。

 ものすごい速さで駆け巡る人や会話、物と場所ああ、これは……?

 思い出?ああ、記憶!記憶だ!


 激しい頭痛とともにタイタンの目が開き、人を超えた力を手にした時。

 俺はこれまで過ごした日々の記憶を一部失った。

 その時に遠ざかってしまったはずの、顔立ちもおぼろな人々や時間の記憶が突如押し寄せてきた。

 いくつもの記憶の断片が次々とよぎる。

 これが走馬灯のようにって言うやつか?


 ある記憶の中で、俺は家のガレージで愛車のバイクをいじってる。

 通りをはさんだ向かいには別の家が見えて、ただそれだけでひどく懐かしい。


 その向かいの家では時々キャンキャンと犬が吠えてる。

 そうだ、あの家は奶流の家で、吠えてるのは彼女が飼ってる犬のアニスだ。

 向かいの家の扉が開いた。


 白いTシャツとデニムのショートパンツ姿の奶流が、腕に小ぶりなバスケットを提げて出てきた。

 銀色の長い髪を風に揺らし、奶流は真っすぐ通りを渡って俺のいるガレージに入ってくると、腕のバスケットを掲げて言った。

『啓羅、今年採れた初物のサクランボだよ。食べるでしょ』

「食べたい、ちょっと待って」

 機械油で汚れていた手を拭こうとすると、『いいよ、はい』と奶流が俺の口にサクランボの粒を押し込んできて、唇に彼女の白い指先が触れた。

 それを妙に意識して「ん、うまい」と言ったきり俺は口をモグモグしてる。

 そうしたら目の前の水色の瞳が笑って、明るく弾んだ声で奶流が言った。


『今度の啓羅の誕生日には私、タルトを焼くね。啓羅が好きな、うちで取れたサクランボを使ったのにしようかな』


 月から地球へ。

 異空間を抜けるほんの一瞬に、俺の失くした記憶が、奶流との思い出が還ってきた。

 奶流、どこにいるんだ。

 楼焔を倒して迎えに行くから無事でいてくれ。

 また会いたいんだ、必ず!




 今や全身を紅い鱗に覆われた姿で、楼焔は成層圏から地表を見下ろして中空に立っていた。

 そして諸手を挙げると大規模な流星雨を巻き起こした。


「降り注げ、この星に死の輝きをくれてやる。土の眷属もろとも滅びるがいい」

 数えきれない白銀の炎の雨がヒュウと空を切って、ぼんやりと紺青に見える地表に向けて飛んでいく。

 しかし、それと同時に赤い鱗を貫いて何かが鋭く体を射抜いて、激しい痛みを覚えた。


 体を軋ませる痛み、これは電磁波。忌み子め、もう現れたか。


「楼焔、俺が相手をする!」

 そう言って、やはりあの忌み子が背後に現れた。

「また貴様か」

 楼焔は舌打ちし、長剣を振るうと炎の矢を放った。


 啓羅の髪を腕を赤い炎が舐め上げて焼く。

 しかし啓羅も怯まず電磁波攻撃を放って、楼焔は苦痛に顔を歪めた。

「貴様も死の輝きをくらえ!」

 楼焔は啓羅に向けて流星雨を放出した。


 啓羅も咄嗟に強い電磁波で爆破したが、避けきれず直撃をいくつか受けて体のあちこちから血が流れ出た。

 啓羅は目の前の空間を雷の短剣で斬ると中に飛び込んで姿を消し、次の瞬間、楼焔の前の空間を切り裂いて現れ、鋭く切りつけた。剣を構えるいとまもない。

「うあっ!」

 赤い鱗が光る左腕が落ちて、音もなく短剣が作った異空間に吸い込まれて消えた。

 紅蓮に燃える両目を吊り上げて紅い龍の正体を表し、左肩口から血を流しながらも楼焔は右腕を挙げ鞭を振るう。

 その軌跡から赤い閃光が放たれ、啓羅の左脚に激痛が走った。


 まずい、左脚がやられた。でも俺がここで倒れることはできない。


 そう思った時、暗い空のどこからともなく一羽の白鳥が現れた。

 そして優雅に流星雨の中を縫って羽ばたく。


 あれはベガじゃないか。

 ゆったりと飛行するベガの大きな翼が描く軌跡に沿って、その後方に星屑を溶かしたように光り輝いて流れる小川が現れた。

 その川面に吸い込まれた流星は、小爆発を起こし地球に到達することなく粉々に散っていくのだった。


「私はジュピター様の命により参上しました。微力ながらお手伝いいたします」

 ベガは啓羅の心にそう語りかけた。


 なんて心強いことだろう、ならば俺も挫けずにこの闘いに死力を尽くす。


 一方で、月に置かれていた太陽の光を失いまたもや暗くなった地球では、全世界に向けて緊急のニュース速報が流され、地上はパニック状態に陥っていた。

 強大な流星群が地球に向かっている。

 突然の襲来でどこからやって来たものかは不明。

 そしてかなりの規模の隕石が地上に降り注ぐことが予想されている、という内容だ。

 しかもまた衛星を使った通信が難しくなり、世界的な状況は掴めなくなりつつあった。

 そのため地下の空間や各家庭の核シェルターなどへ一刻を争う避難が呼びかけられた。



 瀬識流たちの風蓮渓谷でも住民が避難を始めていた。

「森も村も焼かれたばかりなのにまたなの。ああ、今度こそおしまいよ」

 摂津の家で臨時ニュースを聞き気弱になった坩堝が、ヘルメットや避難用品を詰めたリュックを手に言った。

 今は午前十時だけれど外は暗い。

「坩堝婆ちゃん、逃げてとにかく生き残ろう。啓羅を信じようよ」

 そう坩堝を励ましてヘルメットを被った瀬識流が家のドアを開け、暗い空を見上げると叫んだ。

「あ、あれは。森の火を消してくれた白鳥さんだわ。翼の後ろに天の川ができて、そこに流れ星が落ちては消えていく」

「何言ってるの瀬識流?」

「坩堝婆ちゃん、見てよ。天から私たちを助けに、白鳥さんが来たのよ!」

「本当だ。あんな大きな白鳥、確かにこの世のものとは思えないね」

「坩堝、瀬識流、危ないわ。早くシェルターに入って」

 そう二人を促しながら荷物を手に空を仰ぎ見た摂津も、大きな白鳥が空を舞い流星雨を消し去るのを目撃した。

「こんな時なのに、優雅で美しいわ。本当に天の助けかしら」

「また助けにきてくれたんだね、啓羅の友達の白鳥さん。ありがとうー、あなたを信じてるよー」そう瀬識流は叫んだ。

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