スリープモード 5
意識を取り戻した俺が最初に目にしたのは、上から覗き込むイオの一つ目だった。
「いよう、合いの子。気がついたな」
そう言うと彼はゴツい六本指の手でガシガシと俺の頭を撫でた。
楼焔の炎に焼かれて意識が途切れて、地底世界に運ばれたのか。
戦いに負けてしまった。
それもこれも俺がみんなに黙って右目を再生したから。
「イオ。俺、みんなに合わせる顔がないよ」
「そう言うな。お前は幻惑されたんだ。でもお前の彼女、あの風の血統の美人はそもそも楼焔に操られたんだな。あの子に罪はない」
そうだ、奶流はどうなったんだろう。
「奶流は、どうなったの?」
「奶流、それがあの子の名前か。あの子は、お前が気を失って墜落した後で楼焔に連れ去られた。ただ、恐らく楼焔は彼女を相当気に入ったんだろう。当分の間は悪いようにはしないと思う。が、彼女があいつに逆らい続けたりしたら、何とも言えんが」
紅い手枷と首枷をつけられた奶流を思うと、胃がキリキリした。
すぐにでも助けに行きたいのに。
「体はどうだ、痛むか。ヘパイストス様がお前を癒した。俺の時と同じようにお前は全身を焼かれていたんだぞ」
たしかに全身が痛んで重だるい。
でも、心の痛みの方が強くて体の感覚が鈍っているようだ。
「まあ、ちょっと。プロメデは怒っているよね」
「タイタンの目が開かなかった時は、嵌められたってわめいてたな。でも相手が楼焔だから、汚い手を使ってきた事はわかったし、奴もそこは理解している」
「右目の契約を俺はないがしろにしたんだよね。俺、みんなに謝りたいよ。ここまで力を貸してくれたのに」
「啓羅、お前はまだほんの子供だ。俺たちから見れば赤ん坊みたいなものだ。それなのに地上の命運を分ける戦いに命を捧げている。気負わなくていい、今は傷を癒せ」
イオの言葉に涙がにじんで俺は顔を背けた。
タイタンの目が発動しなかったことはショックだった。
このまま目の力は戻らないのだろうか。これからどうすればいいのだろう。
そうだ、いっそこの水色の右目をもう一度くり抜いてもらったなら、タイタンの目の力は戻るんだろうか。
「イオ、この右目が良くないのならもう一度俺の目をくり抜いてくれ」
俺がそう言うとイオは一つ目を細めて言った。
「啓羅、悪いが風の血統の瞳はヘルシー過ぎて俺の口には合わんよ。そもそも風の気と俺たち土の気は相反する力だ。お前も土の気の眷属なのに風の血統の瞳を宿したこと自体が奇跡だ。お前が半分人間だからなのか、よくわからんがその瞳をどうするかはもう少し落ち着いてから決めろ」
イオと話していると「啓羅、気がついたの」と言ってサイオンが部屋に現れた。
「サイオン、ごめんなさい。俺、みんなを裏切ってしまった」
「啓羅、可哀想に。お前は全身ひどい火傷で地面に堕ちて来たんだよ。パンドーラーもヘパイストス様と一緒に手当てしてずっと付き添ってた。今は休んでる」
そうだったのか、姉さんにも謝りたい。
でもサイオンは言った。
「それでも俺は、風の血統の瞳はそのままにしておいた方がいいと思う」
「でもこの目がある限りタイタンの目が開かないとしたら、俺は楼焔と闘えないよ」
「それはどうかな。傷が癒えたらヘパイストス様に相談してみようよ。せっかくお前の彼女が再生してくれたんだろ、また瞳を失えば彼女を悲しませるんじゃないか」
それは、もし俺が再びこの水色の瞳をくり抜いたら奶流は悲しんで、そして自分を責めるだろう。
「俺はさあ、この戦いが終わってからの啓羅のことを考えたら、その瞳は大事にした方がいいと思うんだよね」とまたサイオンが言った。
「タイタンの目があれば、啓羅はこの世の覇者になれるよ。でも、啓羅はどうしたいの。タイタンの目は戦いを求める宿命だから、お前はこの世の全てを手にするまで戦い続けることになるかも知れない。そうしたいならそれでいいけどさ、でもそれを望まないなら水色の瞳はお前を人間の世界に返す足がかりになるかもしれないと思うんだ」
サイオンは優しいよな。
でも今はまだ俺は楼焔と、太陽たちと戦わなきゃならない。
「サイオンありがとう。俺、傷を治しながら考えてみて、父さんに相談するよ」
そう言うと、褐色の一つ目でサイオンは何度もうなづいた。
「啓羅、明日はお前の大好きな温泉に行くぞ。地底の水の気は俺たち土の眷属を癒すからな」とイオが言った。
滝の温泉と周囲の温かい地盤を思うと、それだけで力が湧く気がした。
今度こそ負けたくない、必ず楼焔を倒して奶流を取り返す。
この地上を安心して暮らせる場所に戻してみせる。
俺は気持ちを新たにした。
翌日、イオに担がれて温泉にやってきた俺は、鈍く光る星くずのような輝きを放つ周囲の岩肌を眺め、絶え間なく落ちる滝の音を聴きながら湯に浸かり考えた。
額のタイタンの目の周りは父さんが施した青い龍紋が取り巻いている。
それはこの目の力を増大する助けになるものだ。
それをもっと強力にしてもらうことはできないだろうか。
ただそうすることで、摂津さんと奶流がくれたこの水色の右目に何か影響が出るのかも知れない。
けれどそれはもう、諦める。考えないことにしよう。
二人はきっとわかってくれるだろう。
「啓羅、考え事か?」
珍しく湯の中で眠り込まずにいたらしいイオが言った。
「え、うん。やっぱりこれからどうするかってさ」
「そうか。こうしてみるとお前の顔立ちはヘパイストス様にそっくりだな」
「どうしたのさ、急に」
「お前が全身焼かれて堕ちてきたときのヘパイストス様は、ともにこの一万年を生きてきた俺が見たこともないようなお顔をされていた。そして黙ってお前の手当をされていたのだ」
「そうだったの」
「半神半人とはいえ、どの程度神に近いのかもわからない。俺たちから見ればお前の体は壊れ物だ。しかもあのお方にとってお前は息子だ。癒しを施すときも、たおやかな花に触れるかのような扱いだったぞ」
父さんに心配をかけてしまったんだな。
身体中に負った火傷も紅い鞭で打ち据えられた傷の一筋さえも、俺の体には何の痕跡も残されていない。
みんな父さんの、神様の力のおかげだ。
「俺、父さんに会いたいんだ。ねえイオ、どうすれば……」
俺がそう言った時、急に目の前の岩盤にたくましい二本の脚が現れた。
「そう急くな。お前の心が騒がしく俺を呼ぶのでかなわんよ」
精悍な顔に暖かく深い声音でそう言いながら俺とイオの前に忽然と姿を現したのは、ヘパイストス様だった。
「父さん!」
「ヘパイストス様!」俺とイオは揃って驚きの声を上げた。
「風呂くらいゆったりと浸かればよかろうものを」
そう笑顔で言うと、ヘパイストス様は白い簡素な着物を脱ぎ捨て、ザブザブと湯を分けて俺たちの側に来た。
「啓羅、宝石のような右目だ。似合いだぞ」
正面から俺を見てヘパイストス様が言ったけど、俺はその目を見返すことができずに俯いた。
「すみません、父さん」
「何を謝る、全ては必然だ。なるべくしてなったことなのだ、啓羅。俺の言葉がわかるか」
「父さんはこれが間違いじゃないと言われるんですか?」
「そうだ、タイタンの目を眠らせたこの右目をただの邪眼とするか、試練の糧とするかはお前自身にかかっているのだからな」
この水色の瞳がタイタンの目を眠らせたのか、この右目も相当強い力を持ってるんだな。
俺がそう考えているとヘパイストス様がイオに向けて言った。
「イオ、風呂が済んだらこのせっかちな息子をしばし借りるぞ」




