スリープモード 4
「奶流を離せ!」
宙を駆け、楼焔の正面に向き直ると啓羅は言った。
「馬鹿が、離せと言われて聞くものか。彼女の目の前で貴様を殺す」楼焔は低く言った。
顔の右から左上にかけて斜めに走る紅い傷跡がその表情に一層凄みを与え、彼が腰の長剣を抜いて一振りすると、火の粉が散って炎の矢が啓羅に向かって飛んで来た。
また炎か。
あいつとここで戦うほどにこの森を破壊してしまう。
畜生!静かで美しいこの場所で闘いたくはないのに。
首に掛けた金色のペンダントに触れて手の内に伸びたその鞘を払い、現れた雷の短剣で空を切り裂くと、裂けた空間が生き物のように黒く歪んだ口を開いて炎の矢を吸い込む。
楼焔は舌打ちをして言った。
「厄介な」
「啓羅、イオがランチャーとサブマシンガンに、触れると凍る氷結弾を用意したって」
猫目石のピアスを通してサイオンの声がした。
「わかった」
すかさずサブマシンガンをリロードし、長剣を持つ楼焔の手元を狙って連射すると、ヒュンヒュンと音を立てて空を切り白銀の弾が飛ぶ。
しかし、弾はわずかに逸れて、なぎ払おうとした楼焔の長剣の刀身に当たり、掠った面を樹氷のように凍結させた。
さらにランチャーで畳み掛けると、また楼焔は躱して背後の樹々が一瞬にして枝の先まで白く凍りついた。
それを見さだめた楼焔は長剣を鞘に収め、今度は腰にベルトのように巻きつけていた赤く光る鞭を解き放って振るいながら向かって来た。
空を割く鞭の軌道から再び無数の炎の矢が飛んでくる。
啓羅も宙を駆けて躱しながらサブマシンガンを連射し氷結弾で応戦したが、楼焔はダンスでもするように流麗な動作で俊敏に弾を躱し続ける。
何かがおかしい、攻撃の精度が低いんだ。
俺は楼焔の動きに遅れを取っている。
そうだ、この状況にタイタンの目が反応しないのはなぜだ。
そして一瞬注意がそれて楼焔を見失ったその時。
「啓羅、後ろよ!」
奶流の声が叫び、次の瞬間背中に灼熱の激痛が走った。
二度、三度と背後でジュッと音がしてズキズキと脈打つ痛みが増していく。
しまった!こんなに簡単に背後を取られるなんて。
なぜタイタンの目が開かない、何が邪魔してるんだ。
これまでは、戦いに臨む気持になっただけで視界が開けて気持ちが高揚し、研ぎ澄まされた知覚が敵の攻撃を躱して隙を突く判断を与えてくれたのに。
楼焔の気配を察知しようと懸命に集中し、サブマシンガンを構えて周囲を伺いながら、啓羅は額の目に意識を向けた。
開いてくれ、タイタンの目よ。
しかしやはり額の目は一向に反応しない。
「啓羅何してる?奴は上だ、撃て!タイタンの目はどうした」耳元で聞こえたイオの声に応えて、上空から向かって来た楼焔に何とか氷結弾で応戦した。
弾は彼の紅く翻るマントに黒い風穴を開けては貫通し、穴の周りを一瞬白く氷結させるが、ジュウッと音がして穴は緩やかに融解するように閉じていく。
「イオ、目が開かない。バトルに反応しないんだ」
「何だと!」とイオが、そして「やられた、謀られたな。やはり封じ手に嵌められたんじゃないか」とプロメデの声がした。
楼焔が高笑いして再び長剣を抜いた。
「遅い遅い、間抜けな忌み子よ。水色の瞳で男前を上げたつもりが運の尽きだ。くらえ!」
長剣からまたもや炎の矢が襲いかかり、啓羅はそれを吸収させるべく雷の短剣で空を切り裂いた。
が、一瞬遅れて両腕と両脚に赤く燃える無数の矢が突き刺さった。
「焼かれる、啓羅が……」
奶流は立木に繋がれていることも忘れて駆け出そうとしたが、固定された手枷と首枷に阻まれて体に灼熱の痛みが走り、木の根元にうずくまった。
啓羅の額の目が閉じたまま開かない、何が起こったの。
さっき楼焔が、水色の瞳が運の尽きって言ったのはどういうことなの。
せっかく再生したあの右目が啓羅をこんな目に合わせたと言うの。
「奶流、これが奴の実力だ。なあに、君が思い煩うことではない」
気付けば目の前に楼焔が現れ、くずおれた体を抱えるようにして奶流を立たせた。
その背後で、啓羅が黒く焼け焦げた手足で宙を掻いて起き上がろうとしているのが見えた。
「触らないで!」
水色の瞳に強い怒りを込めて奶流は言った。
「そう睨むんじゃない、奴はもうおしまいだ。君は俺が連れて行く。この星は俺の太陽たちがただの砂漠に変えるのだ」
そう言うと楼焔は目線を落とすと、奶流の左の首筋にある紅い痣をなぞった。
「さて、思い出の清算といこうか」
彼のその言葉とともに、奶流の脳裏にある記憶が蘇った。
啓羅と一緒に坩堝さんの家を訪ねた、その夜の帰り道で。
映画でも見るように啓羅と自分の姿が見えている。
星明かりの中で、啓羅を見つめる自分の瞳にほの赤く火のような色がオーロラのように浮かんで、それを啓羅が吸い寄せられたように見つめている。
それから私が啓羅の胸に頭をもたせかけて。
少し苦しそうな表情で、啓羅が私に向かって少し身をかがめた。
「俺は。奶流、君を想ってもいいのか?」
ゆっくりとうなづいて、何かに浮かされたように少し背伸びをした私が彼の右の瞼に唇を寄せた。
「奶流、俺は君と同じ人間じゃない。それでも?」
その彼の言葉を遮って、私が言う。
「啓羅も私を想って。そして右目を取り戻して、私を見つめて」
私、あの時啓羅に何をしたの?
こんなこと、していたの?よく覚えていない、でもこれが事実なの?
啓羅が大好きだし、怪我をした右目を取り戻して欲しかった。
けど、副作用だってあるかも知れないから落ち着いて考えて欲しいって思っていたはずなのに。
この時の私は啓羅を幻惑して、彼の心を捕らえて自分の思い通りにさせたみたい。
「おや、泣いているじゃないか。クリスタルのような涙を流して」
知らず頬を伝う奶流の涙を目にした楼焔は、そう苦笑気味に言うと、ランチャーで体を支えてなおも立ち上がろうとした啓羅に向けて長剣を振るった。
啓羅は雷の探検で弱々しく空を切り裂いたが、再びいく筋かの炎の矢を浴びて膝をついた。
「君とこの場所を訪れて別れる際に、術を施したのだ。奴を幻惑し、風の血統の眼球再生が成功すればタイタンの目は封じられる。そして君たちの能力は実に素晴らしかったよ。俺は運がいい」
私がこの男に気を許してしまったから、こんな事になったんだ。
奶流は声を失ったまま涙を流した。
「君は計らずも自らの手で恋人を窮地に陥れた。騙されたと知って泣く美しい女、ドラマティックだよ」
「啓羅が私のせいでひどい傷を負ってしまった!私のせいで。ごめんなさい!ごめんなさい啓羅!」
奶流の声に啓羅は必死で顔を上げた。
「奶流、泣かないで。俺、必ず助けるから」
でも奶流は首を横に降った。
「だめよ啓羅。これ以上、無理よ。楼焔の術にかけられて、私のせいであんたを酷い目に遭わせてしまった。私のことはもういいの」
「ショックが強すぎたか、君は眠ったほうがいいな」
楼焔はそう言うと泣き続ける奶流の顎に手を掛けて持ち上げ、その瞳を覗き込んで呪文を唱えた。
奶流はその場にクタリと脱力し、瞳を閉ざした。
「貴様もこれで終わりだ」
冷徹な紅い瞳を啓羅に向けてそう言うと、楼焔は激しく立て続けに長剣で空を斬り、炎の矢が雨のようにあたり一面に降り注いだ。
森は爆音に包まれ、火柱がそこかしこに上がり、ついに啓羅は全身を炎に包まれて空中から地面に堕ちて行った。
その様子を認めると、奶流を抱きかかえた楼焔は紅い閃光とともに姿を消した。
「啓羅が堕ちた、堕ちちゃったよ!」
湖のほとりから空中を仰いで瞳を凝らしていた瀬識流が言った。
「ああ、啓羅が。奶流はどうなったろう」疲労をにじませた摂津が呟いた。
その時、遠い空中を白い光に包まれた何かが近づいて来た。
「あ、白鳥さんだわ」と瀬識流。
それは水瓶を一つ咥えてやって来たベガだった。
湖の上空に飛んできたベガが水瓶を水面に落とすと、そこから巨大な噴水のように水が吹き上がり、そのしぶきがやがて白く厚い雲となって立ち込めると、風連渓谷一帯に大粒の雨となって降りそそいだ。
「こうして、ここらの火を消してくれるんだね」と、ずぶ濡れになりながら摂津が言った。
やはりずぶ濡れの瀬識流は、空中をゆっくりと旋回するベガに向けて両手を振りながら言った。
「白鳥さん、助けてくれて本当にありがとう。あなたにお願いです。どうか、どうか啓羅たちを助けてください」




