スリープモード 1
俺は眼球再生を受けると奶流に言った。
タイタン族の者たちと相談して決めたと。でも、それは嘘だった。
右目のことを俺はサイオンにも、地底の誰にも相談できなかった。
いや、正確にはしなかった。
風蓮渓谷と風の血統についてはプロメデがこう言っていたからだ。
「啓羅、風蓮渓谷がいたく気に入ったようだな。あそこに住まう風の血統と呼ばれる者たちは、古くは天候を操り白魔術を使うものの末裔たちだ。人間にとっては優れた癒し手となり、能く呪いを行う。ただ、気をつけろよ。彼女らの技術はもともと俺たちの能力とは反発し合うものなんだ」
「でも、気をつけろって。警戒するようなことも別にないけど」
俺はなぜか素直に聞けず、そう反論した。
親しくなった奶流や摂津さんたちを悪く言われたような気がしたせいもある。
「今は時期が悪い。何か起こってからでは遅い、それを忘れるなよ」
プロメデも念を押して来たけど、俺は彼の言葉を胸の奥深くに沈めてしまっていた。
俺は奶流と一緒に摂津さんの家に向かった。
摂津さんはルーペを使って、細かい文字がビッシリと書かれた書物を読んでいるところだった。
「おかえりなさい、奶流。いらっしゃい、啓羅。真剣な顔をして、もしかして目の事を決めたの?」
ルーペを置いて彼女は言った。
「ええ、摂津さん。お願いすることにしました」
そう答えると摂津さんは椅子から立ち上がった。
「ちょうどいいところだったのよ。核が十分に成長して状態も良いわ。そうね、こちらは今日か明日でも構わない。ただし、丸一日はここを離れないで欲しいの。それが守れるかしら」
「構いません、今日でも良いんですか」
「良いわよ。それなら先にシャワーを使ってから、居間で待っていて。今夜は私の寝室を使うと良いわ」
「摂津さん、私の使わせてもらっているお部屋を空けます。そうさせてください、本当はそこが診察室なんだもの」そう奶流が言って摂津さんを気遣った。
それから俺はシャワーを浴びて、用意されたガウンみたいな寝間着姿になり居間で待っていた。
白い割烹着みたいな上着を羽織った姿で動く摂津さんと奶流が、あの緑のビー玉みたいな眼球の核を置いてある部屋で準備をしている。
「では啓羅、こちらに来てちょうだい」
摂津さんに呼ばれて二人のいる部屋に入った。
室内は照明を集めて眩しいくらいに明るく、高さの調節ができる背もたれ付きの椅子が置かれている。
「その椅子に腰掛けて。手順を話すわ、いいかしら」
「はい」
「まず、右目の中を一度綺麗に洗うわ。それから、核を馴染ませる薬を入れて目の周りに小さい電極を貼って電流を流すの。これはちょっとピリピリするけど、周りの細胞を活性化させるためなのよ。十分くらいかかるわ。そうしてまた目の中の状態を診てから核を入れ込む。手順は以上です、オーケー?」
女医さんのように淀みなく説明した摂津さんは、俺に尋ねた。
「大丈夫です」
「ここまで一連の間は中断できないわよ。痛みが心配なら、麻酔を使うこともできるわ。どうする?」
「どうかな、俺、右目を取られたときは突然えぐられて意識が飛んだけど」
そう言うと奶流は辛そうな顔をして息を呑んだけど、摂津さんは苦笑いした。
「キュクロプスって荒っぽいのね。でもまあそれに比べたら大したことはないと言えるわ」
そうして処置が始まった。
瞼を持ち上げて目を開けた状態に保つ器具を扱う奶流が俺の右隣に立って、正面から摂津さんがハーブの香りのするぬるま湯で眼球のないくぼみを洗っては布を巻きつけた細い棒で汚れを落とした。
これは少し痛いが辛抱できる。
それから何かひやっとする感じの薬を注ぎ込まれて、瞼を閉じた上からテープを貼られ、目の周りに電極がつけられた。
「電流を流すわよ」
摂津さんが言って、目の周りにピリピリした感触を感じて来た。
「痛みはどう、辛くない?」奶流が尋ねてくる。
「まあ、ちょっとイラっとする感じの痛さだけど、大したことないよ」
そう答えると、奶流はちょっとだけ笑顔を見せた。
そうして、しばらく時間をおいてからもう一度あの目を開けておく器具を使って、今度はペンライトを持った摂津さんが目の中をじっくりと覗いて診察した。
「どうですか?」
「うん、目をなくしてから時間が立っているけど、細胞が働いてくれて中の色が良くなってる。いよいよだわ」
そう言うと、摂津さんはガラス製の蓋つきのツボを手元に持って来た。
中にはあの緑色の核が透明な液体に浮かんでいる。
でも、以前に見たときより大きくなってちょうど眼球サイズと言った感じだ。
呼吸しているかのように緑のグラデーションが対流するように動いている。
「最後の段階よ。核を入れ込む時は痛みは感じないと思う。でも、その後体の細胞と反応を始めたら変化が起こり出すわ」
スポイト状の器具で摘み上げられた核が目の中に納められた。
今度は痛くもかゆくもない、摂津さんと奶流もホッとした様子で片付けを始めた。
その時だった。
「あ、熱い。目がすごく熱い感じだ、ズキズキする!」俺は言った。
核がグリグリと動きながら膨張するような感じがして灼熱の痛みが走る。
摂津さんが言った。
「触っちゃダメよ。奶流、横になってもらいましょう」
「はい」
奶流が手を取ってベッドのところへ案内してくれて、俺は横になった。
「反応がとても早いわ、でも変化が起こる過程は今の所普通ね。啓羅、目は閉じていて欲しいの、テープをつけるわね」
瞼にガーゼが当てられテープが貼られた。
それからしばらくそのまま過ごしたけど、寒気がして今度は熱が出て来たようだった。
喉もひどく渇く。
「水が欲しい」そう言っては何度も冷たい水を飲ませてもらった。
「熱が高いわね」
「ええ、摂津さん。体温計を振り切ってしまいそうです、大丈夫なんでしょうか?」
二人の会話が遠くに聞こえた。
「あ」と俺の方を見た摂津さんが声をあげた。
「どうしたんです?」と俺は言ったけど、気が付いた。
タイタンの目が開いてる。
横になってウトウトしかけていたのに、今度は視界が開けて気分が高揚して来た。
「核の様子を見なきゃ」と摂津さんが右目のガーゼを外した。
「ああ、核が少し溶かされている。拒絶反応っていうものかしら、弱ったわ」
摂津さんはしばらくの間顎に手を当て、目を閉じ理知的な顔の眉間に皺を寄せて考え込んでいたけど、やがて俺に言った。
「啓羅、これは一つ試してみる形になるけれど方法を考えたの」
「何ですか?」
「タイタンの目が開いたでしょう。熱が上がって体の危機に反応したせいだと思うの。でも、タイタンの目が核に反発しているのかも知れない。ストレスを減らすために、啓羅に眠ってもらおうかと思う。つまり、全身麻酔みたいなものね。やってみるか、それとも流れに任せるか」
「流れに任せたらどうなりますか、核はダメになるかも知れないってことですか?」
「最悪、そうね。そう思う。でも、麻酔は反応が収まるまで続ける。啓羅の場合、数時間かも知れないし、数日になるかも知れない。その間はずっと様子を見て、啓羅の体に害にならない形を最終的に選ぶわ」
「それは、俺の体の反応によっては右目を諦めるかもってことですか」
「そうね。これが拒絶反応っていうものならそうなるかも知れない」
「今、決めなきゃいけないんですよね」
「ごめんなさい、そうなの」
摂津さんは言って、奶流がそっと彼女と俺の様子を見守っていた。
でも俺に迷いはなかった。
「麻酔、してください。きっとその間世話かけちゃうけど」
「啓羅、安心して、私たちが付いているわ」奶流が言った。
うなづいた摂津さんは踵を返し早くも準備に取り掛かったようだ。
「じゃあ啓羅、これを嗅いで」
アロマポットにチューブ付きのマスクを取り付けた器具がワゴンで運ばれて来て、俺の顔にマスクを当てると摂津さんが言った。
「深呼吸をしてね」
言われるままに数回深呼吸した、ところまでで記憶が途切れた。




