風の血統 3
啓羅がタイタン族の血を引いていて、新月の生まれかもしれない。
摂津にそう言われてから奶流は食らいつくように勉強していた。
啓羅の出自を聞いても、一緒に過ごして来た時間の記憶は変わらない。
私の気持ちも変わらない。
特にタイタンの目について、できるだけ詳しく知りたいと思った。
タイタン族の中でもランダムに現れるそれは戦闘能力を飛躍的に高める。
視界は自分の周辺全周を見渡せるようになり、闘うことに対して恐怖心が薄れ気分が高揚する。
戦いを好み、力を求めるようになる傾向があるから「覇王の目」とも呼ばれている。
テレパシー能力や動物などとも意思疎通できるようになると言われている。
つまり超能力者になるってことね。
目はひたいの中央に現れるけれど、いつ開眼するかなどについては詳しくわかっていない。
目が最初に開く前には身体的な苦痛が現れるので、その苦痛のため錯乱してしまったり、性格が変化することもある。
傷を負った啓羅の手当てに行った時、彼はひどい頭痛がすると言っていた。
あの時にもうきっと体に影響が出て苦しんでいたのに、眠った啓羅のそばを離れるんじゃなかった。
後悔しても遅いけれど。
あの後啓羅は村を出てしまった。いつ昔の記憶が消えちゃったんだろう。
タイタンの目の力は自分でコントロールする力を身につけないと危険だ。
「いつも強力にドーピングしてるような状態が続くから、体も心も疲れ切ってしまう。それが精神の崩壊を招くと言えなくもないわね」と摂津。
「啓羅はもう、その方法を身につけたのかな、心配です」
「まだ十分じゃないと思うわ。私は体のオーラ診断もするのだけど、うちにあなたを運んできたときの啓羅からは、湯気でも上がるみたいに闘気がでてたのよ」
「闘気って」
「バトルオーラと言って、戦いに臨む時に体から発するオーラなの。彼のは暗いブルーだった。啓羅はうちに来る直前に戦っていたのよね?」
「そうです。楼焔ていう相手と」
「あの日、啓羅は帽子で額のタイタンの目を隠していたのね。最初は、女性の前で帽子も取らないなんて、最近の若い紳士ときたらって思ったわ。でも、あの子は優しかったし、今風のファッションなのだからって自分に言い聞かせたけれど」
お行儀に厳しい摂津はそう言って微笑んだ。
「タイタンの目って取り除くことはできないんですか?」
「それはわからないし聞いたこともない。でも古代の伝承では目を縫い閉じる方法があるの」
アルテミスの糸という女神の弓に張るツルで縫い閉じるらしい。
すごく痛そう。それにアルテミスの糸は神様の持ち物だという。手に入れられるはずがないではないか。
呪文で封じる方法もあるようだけど、それはやはり人間には不可能のようだった。
「つまり、開いた目を閉じる方法はないのね」
「啓羅の体や心を守る方法はとても難しいわ」と博識な摂津も考え込んだ。
「でも、何か薬を飲むとかそういうことはできないかしら」
「せめて戦いの後には、鎮静作用のあるハーブを摂るようにしてもらうといいと思う。消耗を軽くできると思うの」
それなら私にもできそう。何か美味しくて効果のあるハーブで飲み物を作ってあげるのはどうかな。
「それと摂津さん、啓羅のなくなった右目を治すことはできるでしょうか?」
そう奶流が訪ねた時、テーブルについていた摂津が急に立ち上がった。
「そう、それだわ奶流!」
風の血統には再生医療についての伝承が存在した。
核となるものを合成して再生したい部分に埋め込むのだけど「もしかしたら、右目を再生することでタイタンの目の影響を中和して、啓羅を守ることができるかもしれない」摂津は晴れやかに言った。
「目となる核の合成は簡単じゃないけど、やりましょう。でも再生はうまくいくとは限らないし、色んなことを啓羅にちゃんと話して聞いてもらえたらいいんだけど」
やっと希望が湧いて来た。
ああ早く啓羅が訪ねて来てくれないかな、話したいことがたくさんある。
でも、どこから話せばいいんだろう。
今の啓羅は私たちが幼馴染みだったという記憶が消えちゃっているせいか、なんだか距離感がつかめない。
もうずっと、遊んだり友達とふざけたるする無邪気な啓羅を見てない。
厳しい戦いがそうさせたのか、ここで見た啓羅は急に大人っぽくなった気がして奶流は胸が苦しくなった。
その頃、火星での訓練の後ヘパイストスに抱えられて地底に戻った啓羅はイオの工房で意識を取り戻した。
「啓羅はやり遂げた、と父上が言われていたぞ」
枕元でパンドーラーが言って、気づくと俺は出かけたときの衣服ではなくガウンのような寝巻き姿だった。
誰が、いつの間に。
「火星の赤い土埃にまみれていたから、体を拭いて着替えさせたぞ。あちこち傷もあったからな」
うう、なんと答えたらいいんだ、この大らかな姉に。
恥ずかしいけど、羞恥心の概念が違いすぎて今回もお手上げだ。
「ごめん。世話かけて。姉さんありがとう」
「気遣いは無用。お前が成長できて何よりだ」
艶やかな黒髪のパンドーラーは、さっぱりとそう言って美しく微笑んだ。
そして体中にある傷の痛みとともに俺は思い出した。
風蓮渓谷で手当てを受けた奶流はどうしたろう。回復しただろうか。
再び見舞う約束をしていたんだった、瀬識流とも。
すぐに様子を見に行かなけりゃ。
「啓羅、嬉しい。来てくれたのね」
バイクで摂津の家に着くと、奶流が扉を開けて出迎えてくれた。
あのプラチナ色の長い髪がふわり、と揺れてふっとまたいい香りがする。
それと今日は家の中から焼き菓子の甘い匂いがして気持ちが和らぐ。
「摂津さんは出かけてるけど、じきに戻るわ。お茶でもどうぞ」と招き入れてもらった。
「奶流すっかり元気になったみたいだね、良かった」
彼女の左の首筋に小さく赤い痣があるけど、あれは元からあったのだったっけ。
「そういう啓羅は、あちこち傷だらけ。どうしたの?」
こちらを訪ねる前に地底の滝の温泉で体を洗い流して来たけど、訓練でできた治り切らない傷があちこちにある。
「秘密の特訓をしていたからね、心配ない。大丈夫」と答える。
心配そうに俺を見上げた奶流の水色に透き通る瞳に胸が騒いだ。
この子やっぱり綺麗だな。
奶流のサクランボみたいな唇がまた視界に入って意識する。その唇からこぼれた彼女の声を聞くと、懐かしい気がした。
「バイクの音で啓羅だってわかったの。いいタイミングで来たね、大好物があるよ。さっきできたとこなの」
この焼き菓子の匂いが、そうなの。
「もしかして、これサクランボのタルト」
「あたり。啓羅、覚えててくれたの。誕生日の約束」
嬉しそうに声を弾ませて奶流は言った。けど俺の曖昧な顔つきを見て口をつぐんだ。
俺がそう言ったのは、断片的な記憶の中で焼き付いたように蘇ってきた誰かの言葉があったから。
「誰かが、今度の俺の誕生日にはタルトを焼くって。俺の好きな、うちで取れたサクランボを使うからって言ってくれてたのを覚えてて」
正直に告げると「それ、私だよ」と、少しかすれた声で奶流が言った。
俺の中に残っていたのは奶流の言葉の記憶だったのか。
今、目の前で幸せそうに奶流が笑っている。
両目にいっぱい涙をためてるのに、すごく嬉しそうに。ここで会ってからそんな顔初めて見た。
その表情から目が離せなくて俺は言った。
「俺たち前にもこんな風に話してたの?奶流、君の知ってる俺のことをおしえて」
「うん啓羅。そうだ、今年の啓羅の誕生日もう過ぎちゃったね。十六になったら鍛治職人に弟子入りするって言ってたんだよ」
「そうか」
それなら今はもう、念願通りキュクロプスの鍛治職人イオ親方に弟子入りしたようなものだ。
「機械をいじるのも大好きだし、バイクも大好き。だから私も啓羅のバイクの音ならわかるんだ」
「それは俺も覚えてる。機械や武器を手入れするのって楽しいんだ。ねえ、あのさ」
ふと、奶流に尋ねそうになった。
俺と奶流って、幼なじみのただの友達だったの。
それだけなの?
奶流のそばにいると気持ちが和んで、笑顔を見せてくれたらすごく嬉しいんだ。ずっと見ていたい気持ちになるんだ。でも、やっぱりそれは聞けない。
別の質問に、俺は逃げた。
「奶流も俺と同い年?」
「ううん。私は二つ年上で十八」
俺のことを教えて、なんて言ったけどもっと奶流のことが知りたい。どこかに行ってしまった俺の中の奶流の記憶を取り戻したいと思った。




