風の血統 2
風蓮渓谷に啓羅はなかなか現れなかった。
また来るから、そう約束したのに。
口には出さず奶流は過ごしていたけれど、気を抜くとふとした拍子にため息が漏れた。
しばらくここで過ごさせてもらおう、そう決めた奶流は摂津に相談した。
「かまわないわ、でもお家にはちゃんと知らせてちょうだい。沙或の姉妹のところにいるから安心して、と言わなけりゃダメよ」そう言われて奶流は両親に宛てて手紙を書いた。
それと風の血統と呼ばれる人間が存在すること、そして自分自身がその特徴を備えていることを知った。
祖母沙或の故郷であるここ、風蓮渓谷の一部の女性だけに現れる特徴。
銀色の髪に水色の瞳という独特の容姿、まじないや癒し、占いの力についても。そのことは沙或の口からは一度も聞いたことがなくて、奶流は祖母の個性や特技だとばかり思っていた。
そして、その力が人に付け狙われる理由になることも。
ローリーとの道中のことが記憶に登ったけれど、彼と別れる間際の記憶はなぜか曖昧なままで、スッキリしなかった。
ローリーは私に何をしたかったのだろう。でも、怖くてそれ以上思い出すのは苦痛だった。
「それぞれ得意なことは違うの。坩堝は占いが得意で瀬識流はまじない、そして私は癒し。姉の沙或も癒し、そして姉さんはとても研究熱心だったわ。奶流はどうかしら」
「私はお婆ちゃんのおかげで癒しには昔から興味があって、お薬の調合を見るのが好きだったわ。簡単なお薬も作れます」
「ここに来たのも理由があったのよね、啓羅の目を治すため」奶流はうなづいた。
「彼の生年月日や、最近のことをできるだけ詳しく知りたいわ」
摂津に言われて、奶流は啓羅が地面の穴に引き込まれた日からのことを話した。
それから数日後に摂津が言った。
「奶流、啓羅のことで聞いて欲しいことがあるの」
「どんなことですか?」
「この事は信じるのが難しいかもしれない。あなたに啓羅の誕生年月日を聞いたわよね。でも彼の誕生日は多分、その日ではないわ」
「なぜ、摂津さん」
「坩堝とよく調べたけど、その日だと彼の宿命や運命の流れに全く説明がつかないの。彼の辿った人生や、これからの運命が、ちぐはぐになるの。全くの別人て言うくらいにね」
驚きと、理解が追いつかなくて言葉が返せない。
「それに、彼の両手首の内側に青い紋章があるのを覚えてる」
そう、ここを去る間際に啓羅の手に触れた、あの時見た青色の入れ墨で刻んだ紋章。
「あれは文字を持たない太古の種族が用いる魔法陣。地底の種族、タイタン族の紋章よ」
摂津の言葉に奶流は、手助けしてくれる人たちがいると言っていた啓羅を思い出した。
「形に意味があるの。あれは多分戦いのために刻まれた魔法陣よ」
「タイタン族ですか、啓羅の戦いを助けてくれる人たちって」
「ええ。間違いない、なぜならあの紋章は人間の体に刻んでも使えない。啓羅自身がタイタン族、純粋な人間ではないわ」
「純粋な人間じゃない。啓羅が」
「啓羅は養子なのよね、沙或が取り上げた子。それで私と坩堝はある仮説を立てたの。啓羅の身分証に届けられた誕生年月日から一番近い新月の日付を探して、それで啓羅のことを調べてみたわ。そうしたら全てに説明がつくの」
「新月。でもこの世では、新月に人間は生まれませんよね」
「そうよ。異形の血を引く、二人といない忌み子よ。啓羅は新月の生まれでタイタン族の血を引く、戦士の宿命にある子よ。沙或はきっと何か事情を知って出産を助けて、違う誕生日を届けていたんだと思う」
「啓羅はすごく優しいんです。異形だなんて、信じられません」
「わかるわ奶流。あの子はね、戦いを求めて戦いに魂が震える宿命なの。誰かのためになると考えたら、自分の命を投げ出しても戦うかも知れない。今のまま運命が流れるとしたら、きっとあの子は戦いで命を落とす」
「そんなの嫌です。絶対いや!」奶流は反射的に答えていた。
「そうね、坩堝の占いではこうなるの。でも聞いて奶流、運命の流れっていうのは変えられるわ」
「どうしたらいいの」
「それはまだわからない。でも啓羅を助けたい、そう思うならきっと何かできるはず」
摂津は、唇を噛み締めて肩を震わせる奶流を小柄な体で抱きしめた。
火星の赤い土の上に啓羅はうつ伏せに倒れていた。
その姿を見つめるのは、赤い土に片膝をつき肩で荒く呼吸をする、父ヘパイストス。
つい今し方まで、火星での戦闘訓練が繰り広げられていて、波動と重力を駆使した戦いの応酬を啓羅は学んだ。
けれど容赦ないヘパイストスの攻撃に、啓羅はついにダウンし、意識を失った。
「私が今のお前に与えられるものといえば、ここまでだ」倒れた息子に父は語りかけた。
ここから先は、地球に生きるものとしてお前自身が力を尽くすしかない。度がすぎた介入は、地球の命運を決定づける摂理に反する。
その時、倒れていた啓羅の片手が動き、赤土を掻いて握りしめた。
「うう」と唸り、倒れたまま顔を横に向け、うっすらと瞳を開く。右目につけていた眼帯は失われて、落ち窪んだ瞼が痛ましく父の目に映った。
「帰るぞ啓羅。よく耐えた」ヘパイストスは啓羅を仰向けると、両腕に抱きかかえた。その後すぐに、火星の大地から父子の姿がかき消えた。




