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新月の忌み子  作者: のすけ
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鞭を振るう者 6

 いやにあっさり消えたなあ。

 何だったんだあの男。

 戦いはこれからだったというのに物足りない!

 多少傷つこうが俺はもっと戦っていたかったのに、あいつを打ち倒したかったのに!


 戦闘に黒髪を乱した啓羅はそう思った。

 でも地面に打ち捨てられたニット帽を被り直して額の龍紋と一つ目を隠すと、木の根元に倒れている女の子のそばに膝をつく。


「君、大丈夫?気分悪い、怪我してるの」

 答えはなく銀色の長い髪にすんなりと細身な体つきのその子は、ぐったりしている。

 息はちゃんとあるが朦朧としているみたいだ。

「ねえ君、聞こえる?」

 啓羅は彼女の肩に触れ顔を寄せて話しかけた。


 女の子の瞳は閉ざされたままだけど、髪と同じ銀色をしたまつ毛が長くてサクランボみたいな色の唇が視界に入る。


 綺麗な子だよな。

 ん?

 背後から別の女の子が近づいてくる。


 振り返らなくてもわかるのは帽子で隠しても発動しているタイタンの目の力のせいだ。

「あ、白鳥の王子様」

 背後に来た女の子が言って、啓羅は立ち上がった。

 声の主は銀色のショートヘアーで水色の目を見開いた小柄な女の子だった。

 この子の髪も銀色か。

「君は、この辺の村の人?」

「そうよ、私は瀬識流。この先の村に住んでる。ねえ、あなたは何て名?何してるの、人間なの?どこかの王子様じゃなくって」

 好奇心でいっぱいの瀬識流は早口で尋ねた。


「瀬識流。僕は啓羅、人間だよ。ねえ瀬識流、それよりこの子が大変なんだ。悪いやつに脅されてて倒れてたんだ。きっと医者に診てもらったほうがいい、僕がこの子を運ぶから君の村に案内してくれよ」

「わかった。私の村にお医者はいないけど、うちの摂津婆ちゃんなら、きっと何とかしてくれるはず」

「お婆ちゃんが病人を診るの、じゃあすぐに行こう」


 倒れていた女の子のそばにもう一度ひざまづくと、彼女を抱き上げた。

 女の子の長い銀の髪が腕に触れて、ふっと何かハーブのようないい香りがする。

 腕の中でくたりと後ろに少しのけぞった首元からは鎖骨が覗いて、一瞬、啓羅は彼女を意識した。


「うわあ、王子様のお姫様抱っこ。羨ましいな」

 瀬識流に言われて、少しだけ困る。

「緊急事態だから仕方ないよ。俺のバイクじゃ無理だろ」

 照れくさいのを隠して、女の子を抱いたまま瀬識流の村を目指して歩き始めた。

「瀬識流と、この女の子、二人とも銀色の髪で見た目が似てるね」

「髪の色は同じだけど。でも、その子うちの村の子じゃないよ。全然知らない子。どこから来たんだろうね」

「悪いやつの車があったんだけど、やつと一緒に消えちまった。車で連れてこられたのかな」

「そいつって人さらいかな、でもどうしてこんな山奥に来たんだろうね」

 話しながら歩くと、ポツポツと家が見えて来た。


「ねえ啓羅、あなたはどうしてここに来てたの?」

「俺ここが好きなんだ。静かだし、涼しいし山道はアップダウンがあるから、林の中をバイクで走ると楽しいんだ。気晴らしにちょうどいいよ」

 一度来てから本当に、静かで気持ちが落ち着くこの場所が気に入っていた。

「でも、このあたりの人じゃないよね。あの、私本当は、前に啓羅を見たことがあるんだ」

 瀬識流は少し戸惑うように啓羅を水色の瞳で見上げて言った。


 そうだ、パンドーラーとこの場所でベガに太陽のやつを引き渡した日、俺たちは誰かに姿をみられた。

 父さんがそう言っていたな。


「知ってた。瀬識流だったのか」

「地面に開いた穴から、光と一緒にアラビアンナイトの物語の王子様とお姫様みたいな二人の人が現れたから、私、釘付けだったの。空から来た大きい綺麗な白鳥と会ったんでしょう?だから私、啓羅を地底の王子様だと思ってた」

 瀬識流は水色の瞳を輝かせ、ほんのり頬を染めていた。


 メルヘンチックなこと言うけど、この子の水色の瞳って空を閉じ込めたみたいで綺麗だよな。

 綺麗で懐かしい気がする。


「残念だけど俺、王子様じゃないよ。一緒にいた女の人は俺の姉さんで、今は一緒にあの五つの太陽たちと戦っているんだ」

「そうなの!啓羅が太陽を退治したの。すごい、すごいよ。ねえ、どうやったの」

「それはちょっと、まあ作戦の関係上詳しく言えないんだ」

 一応そういうことにしておく。

 瀬識流って、物怖じしないし好奇心が強い子なんだなあ。


「ここだよ」

 瀬識流がキャラメル色の外壁に臙脂色の屋根の一軒家をさした。

 呼び鈴を押しながら「摂津ばあちゃーん、入るねー!」と元気よく声をかけて、ズカズカ上がり込む。


「瀬識流、またそうやって。お行儀が悪い」

 小さいけど理知的で通る声が瀬識流を叱って、銀髪を小さな髷に結った臙脂色のワンピースの老婆が家の中から現れた。

 老婆の瞳もまた、水色をしている。


「瀬識流、その人たちはよそ者ね?でも」と言うと、老婆は啓羅の腕の中でぐったりしている女の子に鋭い一瞥をくれた。

「緊急事態ってわけね。その子はこっちへ寝かせなさい」

「さすが摂津ばあちゃん」


 案内されるまま部屋に向かう。

 瀬識流は植物を美しく刺繍した図案のベッドカバーを避けた。

 そこに朦朧としている女の子を横たえる。


 白いガウンを羽織り首と腰の後ろで紐を結わえながら部屋に来た摂津は、まるで医者みたいに女の子の呼吸や脈を確かめた。


「怪我はない、気付けをするよ」

 そう言うとガウンのポケットから栓をした茶色の小瓶を取り出して底に白布をあてがい、摂津は栓を抜いた。

 あたりに苦味走った強いミントの香りがする。


「ううっ」と声をあげて女の子が目を開いた。


 あ、この子も水色の瞳をしてる!


「気づいたね、まずは何か温かいものを飲ませましょう。瀬識流もお茶の支度を手伝って」

 摂津は微笑んで言うと、瀬識流を伴って部屋を出た。



「瀬識流、どこであの子達に会ったの」

 台所に入ってやかんを火にかけると、摂津は少し厳しい口調で孫娘に言った。

「森で。男の子は啓羅って言うの。あの五つの太陽と戦ってるんだって、女の子はまだ名前も知らない。どうしてここに来たのかも。でもあの子、私たちと同じ風の血統よね?」

「瀬識流、風の血統のことは口にするんじゃない。この力を利用したがるものは多いのよ、いいわね」

「わかった。でもあの女の子、誰かに脅されてたようだって啓羅言ってた」

「それならますます気をつけなくちゃ」



 摂津と瀬識流が台所で話している間。


「啓羅、やっと会えた。どこにいたの?ねえ」

 意識が戻った奶流の目に飛び込んだのは、会いたかった啓羅。

 彼が目の前にいる。

 恐怖も、体の気だるさも忘れて奶流は問いかけた。


 ところが彼は言った。

「君、俺のこと、知ってるんだね?でも今は自分のことを考えなきゃ、辛いところはないの?そうだ、君はなんて名前なの?」


 どうして私の名前なんか?

 確かに啓羅だよね。

 心配してくれてるみたいだけど、おかしな態度。


「啓羅、どうしてそんなこと言うの?なぜ、私のこと知らないフリなんかするの」

 そう言いながら、啓羅が困った顔をしているのに気づいた。

 困って、済まなそうな表情。


 恐る恐る尋ねた。

「ねえまさか、私のこと覚えてないの?」


 ちらっと啓羅はこちらを見たけど、困惑の色は消えていない。

「俺、昔の記憶が飛んでるみたいなんだ。誓って悪気じゃないんだ。君とは友達だったんだね?元気になったら、君が知ってる俺を教えてくれる?」


 唇が乾いて、しばらく言葉が出なかった。

 啓羅の記憶が飛んでる?

 そんなのってあんまりだ。

 そしてローリーが言っていたことを思い出した。

『精神が崩壊するかも』って言葉を。


「あの、私はあなたの向かいの家に住んでた……」

 一度そう言いかけたけど、泣きそうでうまく声にならない。

 その様子を見た啓羅が言った。

「そんなに近くにいた子のこと忘れてるなんて、俺の記憶喪失かなりやばいね。許してくれる?」


 その口調はすごく優しくて、嘘じゃないと確信した。

 本当に私のこと、覚えてないんだ。

 でも記憶が飛んでるなんて。

 啓羅、あんたにとって大変なことが起きたんだよね。


 ショックで頬と唇が震え、涙が溢れそうになるのをこらえて深呼吸する。

 奶流は笑顔を見せて言った。

「ううん、そんなこと気にしなくていいの。私、奶流。啓羅、助けてくれてありがとう」

「奶流。君の名前、もう絶対忘れたりしないから」

 啓羅は奶流のベッドの横の床に膝をついて言った。


「ここは風蓮渓谷にある村で、摂津さんていう人の家だよ。君は楼焔って怖いやつに脅されて、俺が来た時には気を失ってた」

「楼焔?私が一緒にいたのはローリーさんて言う新聞記者さんだけど……。でもあの時、急に彼が怖い目で私を見て、後のことはわからない」


 そこに、木のワゴンにお茶の支度をして、瀬識流と摂津が戻って来た。

「助けていただいてありがとうございます。摂津さんと、……」

「私は瀬識流、あなたは?」

 そう尋ねて来たショートヘアの可愛らしい女の子は、自分と同じ髪と瞳の色をしている。

 そして摂津もまた同じであることに気づいて不思議に思った。

「私、奶流って言います」

 そう答えると「えっ、あなた」と瀬識流が驚いた顔をした。

「私のサイトにメールをくれた人かな?」

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