鞭を振るう者 5
「右目を治す方法なら、僕が以前、古代医療の取材で聞いた方法があるはずだ。友達の額の目を塞ぐ方法もあるかもしれないよ。ともあれ奶流、鍵は風蓮渓谷にある。うまくいくといいのだが」
ローリーは言って、赤いジープのスピードを上げた。
気づけばジープは風を切る速さで疾走していた。
あれ、そういえば私、啓羅の額に目があるなんて言った覚えはない。
額に目が?それはどういうことなんだろう。
奶流は不意に思い出した。
傷の手当てをした時に、啓羅が激しい頭痛を訴えて動けなくなった時のこと。
そう、あの時彼の額に何かが。
そうだ、目ってそれのことなの?
「額の目って、どういうことですかローリーさん?私、そんなこと言っていませんけど、なぜ?」
そう問いかけると、ローリーはちらりと鋭い視線を走らせてきた。
「おや、僕はそんなことを言いましたっけ?」
とぼけるような、それでいて関心を誘うような口調で言うと彼は口角を持ち上げた。
「ええ、額の目ってどういう意味ですか?」
「あくまで仮定の話なんだけどね。本当はあなたに話すべきじゃないのかもしれない、そう思ったのだが」
そんな風に言われたら、ますます知りたくなるばかりだ。
啓羅の害になることだったら、そう思うと。
「聞かせてください」
「あなたがそこまで言うなら」
物々しく前置きしてローリーは語り出した。
「お友達は、地底世界に棲むよからぬものの言いなりにされているのかも知れませんよ。目を失ったのは恐らく、タイタン族という連中との間で交わされた何らかの契約の証でしょう。そして、額の目は連中の持つ力の究極の表れです。あんな力を植え付けられたら、体の苦痛ばかりかいずれは精神までも崩壊してしまうかも知れない」
契約って何?
でも啓羅は何も言ってなかった。
ただ、戦いを手助けしてくれる人たちがいるってことしか。
その人たちに口止めされているんだろうか。
やっぱり、あの失った右目も体の傷も、その人たちが啓羅を脅してひどい目に合わせたんじゃ?
頭痛に苦しんでいた啓羅の姿が蘇る。
精神が崩壊するかもなんて。
早く、早く何とかしなきゃ!方法を見つけなきゃ。
急激に焦りが押し寄せ、奶流は組み合わせた両手を強く握りしめていた。
道はだんだんと険しく細くうねり、周囲の景色は山間から、さらに切り立った崖の間を抜けて行く。
そうして二人を乗せた赤いジープは、針葉樹の緑も深い森の中に吸い込まれて行った。
給油もせずに、もう何時間走り続けたろう。そう思った時、森の向こうに湖が現れた。
「お疲れでしょう、奶流さん。ひとまず湖のほとりで車を停めましょう」
ローリーは言うと、静かに水をたたえた透明度の高い湖のほとりにジープを停めた。
エンジン音が途絶えると、静寂に包まれて時折鳥の鳴き声がする。
二人とも車を降りて、こわばった体を木陰で伸ばした。
「ローリーさん、運転お疲れ様です」
「たいした事はありません。少し休んだらこの湖の先に、あなたの目指す風連渓谷があります。村もありますよ、まあ秘境とも言うべき田舎ですが、そこできっと何かわかるでしょう。どうぞ訪ねてお行きなさい」
「ローリーさんは、一緒に村に入らないんですか?」
「ええ。僕は今夜この辺りにテントを立てて、これまで取材した話のノートを作るつもりですよ。そういう作業はむしろ、人に煩わされたくないものでね」
実のところ楼焔は、風連渓谷に住む風の血統の者たちに姿を晒し、素性を知られることを恐れていた。
魔力に精通した連中は気づくかもしれぬ。
俺のこの瞳と隠しきれない気配を読み取るやもしれぬ。
ローリーは車のシートから水筒を取り出し、手に取ると近づいてきた。
「奶流さん、水分補給にこれを」
でも、奶流が手を伸ばすとローリーは水筒を目の前で地面に落とした。
代わりに奶流の手首を掴むとにじり寄る。
「お前は知りたいだろう?啓羅の失われた目の秘密を。額の目の秘密をなあ」
急にローリーの口調が変わり、彼の瞳が赤く怪しい光を放つ。
奶流は恐怖に襲われた。
この人が怖い!
手首を掴まれた力も強いけど、この紅蓮の瞳に心ごと飲み込まれそうで気が遠くなる。
「やめてください、離して!」
ジリジリと太い木の前に追いこまれ、幹を背にした奶流は逃場を失った。
心臓が激しく脈打ち、めまいに襲われる。
ローリーは奶流の体を挟むように、太い木の幹の左右に奶流の両手を押さえつけて追い詰めた。
「奶流、俺の目を見ろ!お前は啓羅の、タイタンの目を塞ぐ方法を手に入れろ。奴の力を削ぐんだ」
「どうして急に?ローリーさん、お願いです。やめてください!」
しかし楼焔は奶流の顎に手をかけると、顔を上げさせて水色の瞳を覗き込んだ。
ああ、紅いその瞳が迫るとなぜか視線をそらせない……心が囚われる。
「あいにく、ローリーじゃないんでねえ。俺の名は、……」
その時、遠くからバイクのモーター音が響いた。
その音はどんどん近づいて来る。
このバイクの音、聞き覚えがある。
村にいた時、啓羅が家のガレージで改造して走らせてたバイクの音に似てる。
まさか、啓羅がそばに来てるの。
「やめて、誰か助けて。啓羅、助けてーっ!!」
夢中で奶流は叫んだ。
一段と高く、エンジンが唸る音がして、森の中からバイクが現れた。
「啓羅っ!」
やっぱり啓羅だ。
愛車を駆り、黒いニット帽に右目の黒い眼帯をつけた啓羅は、驚いた顔でバイクを飛び降りると、真っ直ぐこちらに向かってきた。
「やめなよ、おじさん!何してんの?」
そう言った啓羅は躊躇なく楼焔の腕に手をかけた。
楼焔は眼光鋭く赤い瞳で啓羅を睨みつける。
「おいガキめ、口の利き方に気をつけろ!」
啓羅の手を振り払った楼焔は、啓羅のかぶっていた黒いニット帽をむしり取った。
楼焔の眼力に朦朧とする奶流の目に飛び込んだのは、啓羅の額に刻まれた青い龍の紋章。
そしてその中心に開いた褐色の一つ目だった。
目がある!
啓羅の額に、どうして?
楼焔が手を離すと、糸が切れた操り人形のように、奶流はそのまま木の根元に崩れ落ちた。
黒髪に黒い瞳、褐色の一つ目とやや浅黒い肌の啓羅を見据えて楼焔は言った。
「貴様が啓羅か、忌々しいタイタン族め。その額の龍紋はヘパイストスの紋章。タイタンの目を増幅させる呪いだな」
「おじさん、ごちゃごちゃ言ってるけど、つまりやる気?」
左目で楼焔を捉える啓羅は体の血が滾るのを感じていた。
再び三百六十度の視界がひらけて気分が高揚し、全身が戦いを欲して目の前の相手を挑発する言葉が口をつく。
「俺の名は、楼焔だっ!」
名乗るが早いか楼焔は、紅蓮に輝く一振りの長刀を呼び出すと斬りつけてきた。
すかさず空中に飛び上がった啓羅も、手首の紋章から呼び出した銀色のランチャーで長刀の斬撃を受け止める。
周囲に火花が散った。
二人は何度か渡り合ったがお互いにかわしあい、啓羅のランチャーから発射した弾は轟音とともに楼焔の背後の岩肌を砕き、土埃を散らした。
決着はつかず、啓羅は胸元にかけた金の短剣のペンダントに触れた。
ベガから受け取った探検。
やつの懐に飛び込んでやる!
反応した短剣は黄金の光を放って、次元を切り裂く雷の短剣に変わる。
楼焔が目を見張った。
「それはジュピターの、雷の短剣か?」
「こっちで行くよ!ランチャーだとこの辺りを破壊するから」
短剣を繰り出し長剣の隙をついて応戦すると、楼焔は身を翻してかわした。
「物騒なもの持ち出しやがって、面倒だ。今度会った時、貴様を葬る!」というなり、赤いジープもろとも忽然と姿を消した。




