新月の生まれ 3
不安とか、未練とか。
そういう感情に追いつかれる前に村を出て行く。
バイクで一気に村はずれまで駆け抜け、人気の全くない山手の林で一旦止まると俺はサイオンに呼びかけた。
「サイオン、ここから頼むよ」
「よし。啓羅来いよ」
彼が答えて再び、あの蟻地獄のような穴が地表に現れ、俺は地底世界にバイクで飛び込んだ。
タイヤが軽くバウンドして硬い岩盤に着地した。エンジン音が周囲に反響する。
「こりゃ、派手なお出ましだなあ」
のんびりした声が言ってサイオンが迎えてくれた。
彼の大きな六本指の手がバイクの車体を撫で、青い炎の模様のアクセントに気づくとコツコツ指でつつく。「魔法陣の刺青と同じ文様を描くとは。愛車にまで戦士の気合か?」
「いや、それはこの刺青よりずっと前に描いたんだ。偶然さ」
「偶然か。人間は自分が命運を予知できるって、意外と信じてないんだな。もったいないね」
「そういうもんなの?」
「そうだよ。ちょっと気をつけていれば、わかるんだ。人間は文明が栄えるのと一緒にそういう力をなくしてるみたいだけどねえ」
「そう言うけど俺は今まさに、これからどうなるって不安でしょうがないよ」
そう話すと軽くため息が漏れた。
スローペースで話しやすいサイオンに俺はつい弱気を見せてしまう。
サイオンは黙って大きな手を伸ばすと、俺の肩にそっと触れた。
大きな手の感触はゴワゴワしてるけど、温かく俺の肩から背中までも包んでくれた。
「ここで暮らすなら、イオのところがいいと思って話しておいたよ」
「え、サイオンとじゃなくて?」
てっきり、温厚で穏やかなサイオンと俺は過ごすことになると思い込んでいた。
イオは俺の右目を喰らった相手で、その一件を思い出しても相当に短気で獰猛に思える。
「俺、イオとうまくやれるのかなあ……」
「イオは思ったことはすぐやりたいタイプだからねえ、そのための時間が惜しくて短気になる。でも職人だから物を作ることにはすごく熱心だ。自分と違う意見を聞いても、それが有意義だと認めればあっさり受け入れる。割と啓羅と似てると思うんだよねえ」
サイオンはそう言って俺たちはイオの工房に向かった。
俺はバイクをのんびり走らせ、サイオンが隣を歩く。
そうだ。
俺の額のしこりのことを聞いてみよう。
「サイオン、この前の戦いの後でひどい頭痛がして、おでこに何かできたみたい。これ何だと思う?」
俺は顔の周りに流れる前髪を少し避けて額を見せた。
途端にサイオンが一つ目を見開いた。
「おお啓羅!まさかそれは、いや、きっとそうだ!イオにも見せよう」
サイオンは興奮して一人で盛んにうなづいていた。
なんのことやらさっぱりだ。
「触ると痛いんだけど、悪いもんじゃないのかな?」
「とんでもない。吉兆だ!おそらく」
イオの工房が近づくと窓からチラチラと眩しい光が漏れて、何かを打ちつける金属音が高く響いた。
「おーい、来たぞー!」
サイオンが声を張り上げると「うおーい。勝手に入れよ」と唸るような低い声で返事があった。
しばらく待っていると金属音が止んで銀のエプロン姿のイオが現れた。
現れたイオの一つ目がちょっと赤く血走って、疲れた感じに見える。
「よーう、合いの子。部屋は用意してある、仲良くやろうなあ」
血走った目が怖いけど、そう言ってちょっと笑ったイオの機嫌は悪くなさそうだ。
そういえば戦いの後で頭痛がして寝込んでいる時、夢の中にイオが出て来た。
「どうも。これからお世話になります」
俺が挨拶するとサイオンが「イオ、まずは啓羅のこれを見てくれよ」と俺の前髪をよけて額をイオの前に晒した。
「おおっ!」
イオはやはりサイオンと同じく赤目を見開いた。
「こりゃタイタンの目じゃないか!しかも瞼が形成されつつある」
二人は顔を見合わせてうなづいた。
「啓羅、やっぱりそうだった。これはタイタンの目。別名を戦士の目、覇者の目とも言う。この前の戦いを通して、タイタン族の血の覚醒が始まったみたいだね」
「目って、おでこに目ができるってこと?よくわからない。もう少し詳しく話して」
「お前はタイタン族の血が流れている。タイタンの目はいわば千里眼で、自分の周りの全方位の景色が俯瞰できる。肉眼で見えるんじゃなく超能力として全方位の状況がわかる。テレパシー能力も飛躍的に伸びる。完全に目が開けば、動植物とさえ心を通じ話せるようになる。お前は最初からあの太陽の連中の話し声が聞こえるんだろう?それは多分、元からお前にその力が多少備わっていた証だろうな」
イオがそう話してくれた。
「そうだったのか」
やっと腑に落ちた。
「俺たちも一つ目だけど、周りの状況がわかるんだよ。啓羅が離れた場所で俺と話すとき、今はピアスが必要だけどいずれはいらなくなるねえ」とサイオン。
「人間がタイタン族の力を手にすることは、ものすごく稀だ!お前のように混血として生まれついた者にしか現れないからね。それに、人を超えた力を宿すことには苦痛も伴う。そのために開眼を待たずに死んだり気が狂うこともある」
イオがそう続けて俺はちょっと憂鬱になる。
「最初に起き上がれないくらいの頭痛がして、それがきっかけで気がついたんだ」
「そうか。それともう一つ。なかなか死ねなくなる」
そうイオが言って、俺はハッとした。
『お前は簡単には死なんよ、いや、死ねないんだ』
この前の夢で現れたイオが俺にそう言っていた。
「それは不死身になるということ?ゾンビみたいに」
「なんだ、ゾンビってのは」
イオが言って俺はゾンビについて彼らに説明させられた。
ゾンビっていう言葉はここにはないらしい。
映画やドラマの中だけの存在なんだなあ。
そう思ったら。
「ああ、ハデスのとこの腐れ亡者どものことか。中には未練タラタラの死に損ないもいるからなあ。執着から逃れられない奴らときたら腐って汚らしくて、見るに耐えんよ」イオは吐く真似をした。
ゾンビとは呼ばないけど、どこかにそういう存在がいるんだな。
「いや、そういうことじゃない。神に近い俺たちは生まれ出ることも少ない代わりに非常に長命だ。どいつもだいたい一万年くらいは生きる。だから人間から見るとまあ、死なないのだ。歳をとるスピードも遅くなる」
すごい、と思ったけど気が遠くなるような話だ。
それは周りの人間だけが先に死んで、いなくなってしまうってことか。
伯父も伯母も、友達も奶流も?
胸が痛くなる。
桁違いの長生きは、あまり幸せなこととは思えない。
「だんだんしけた顔になってきたなあ、啓羅。真実は易くないんだ。俺たちは日光に弱いから、光を浴びすぎると体が土くれのようにボロボロに崩れていく。日光浴して死ぬには最高の日ってやつさ。しかしお前の場合はわからない。並の人間とは比べ物にならない強靭な体を手に入れたことは確かだが」
サイオンが黙ったまま気遣わしげに俺を見た。
でもイオはさらっと言うと、両手の平を上に向けて腕を空に持ち上げ肩をすくめた。
のすけの推しキャラ、ハデスは「星を見る蛇と灰色のピスターシュ」「田園奇譚」の二つのお話にも登場。よろしければご一読ください。




