第73話
【本を読んでも、物語や歴史に聞くところからでも、真実の恋は滑らかに運んだためしがない。 ─ シェークスピア】
「百合ちゃん!ただいま~♪」
帰宅するなり、お昼ご飯の支度をしている私の後ろから抱きついてくるわんこ……翼くん。
透明な尻尾をフリフリしているのが見えるようだわ……
「あぁ~、久しぶりに百合ちゃんを満喫出来るっ♪」
そう言いながらチュッ♪と私の首筋にキスを落としてくる。
「もうっ!料理中は危ないって言ったじゃない!」
「だってぇ……やっとオフが貰えたんだもん……」
イギリスから帰国後、年明けから始まるドラマの撮影や番宣を兼ねたバラエティー出演など、スケジュールはびっしりと埋まっていた。お正月休みなんて、まったく無かったのだ。
「ドラマは今日から放映なのよね?翼くんは番宣しなくてもいいの?」
「うん、今日は主役の二人だけなんだ♪だから昼からオフ!」
「そっか。すぐにお昼ご飯にするからゆっくりしていてね。」
「ご飯よりも百合ちゃんが食べたいっ♪ねぇ、いい?」
甘えた声で後ろから顔を覗き込んでくる翼くん……イギリス旅行後から私といる時は、片時も離れようとしない。
忠犬……いや、こういうのをヤンデレって言うのかも……
「い、今は昼だし明るいし……」
「もう百合ちゃん不足が限界……そうだ!一緒にお風呂に入ろうよ♪」
お、お風呂?!
は、恥ずかし過ぎるっ!堂々と見せられる程のスタイルでは無いし、水も弾くピチピチのお肌はとうの昔に通り越してるしっ!
「駄目っ!」
「百合ちゃん……やっぱ俺とエッチするのも嫌だった?」
翼くんは捨てられる仔犬のように、うるうるとした懇願する目を向けてくる。
嫌なんて思う筈が無い……初めての夜は恐怖心が嘘のように感じられない程、本当に優しかった……むしろ……
って、何を思い出してるのよっ!
コホンと一つ咳払いをして、翼くんに向き直る。
「その……」
「なぁに?」
「よ、夜なら……」
翼くんは私を閉じ込めるよう、キッチンカウンターに手をついて、妖艶な笑みを浮かべた。
「じゃぁ、今夜は百合ちゃんが満足するよう、一晩中愛しちゃうね♪」
ひ、一晩中?!あの夜だって何回もリピートしたわよね?!一晩中なんて、身体が持たないっ!若い男の子と付き合うって、色々な意味で大変かも……
「そ、その……流石に一晩中は……」
「どうして?何なら今からと夜の二回戦でも構わないよ~♪」
「だ、だから今は無理だって!」
「ん……もう我慢の限界かも……今からキスして……」
翼くんは妖艶な笑みを浮かべたまま、唇が触れる直前まで顔を近づけてくる。
「それから頬、首筋にキスして……」
そう言いながら、顔を少しずつ下に落としていく。
「鎖骨を少し甘噛みして……」
肌にかかる翼くんの吐息に、指一本も触れられていないのに、まるで丁寧に触れられている気分になってくる。
こ、小悪魔全開……
「す、ストップ!」
あまりにも恥ずかしくなり、全力で翼くんを止める。だけど翼くんは止まるどころか、腰を抱き寄せて頬に手を添えてきた。
「そんな顔、他の男には見せないで……」
「わ、私……どんな顔に……」
「凄くエロい顔になってる……」
一体誰のせいだと……
「今キスしたらその先まで止める自信無いけど……してもいい?」
「で、でも……」
「愛してる……自分でもどうしていいのかわからないくらいに……」
「……」
「百合ちゃんが欲しい……」
小悪魔全開になった翼くんの色気に抗える筈が無い。翼くんにもっと触れて欲しい……むしろ心の何処かでそう望んでいる自分もいる。
無駄な抵抗をやめて、そっと目を閉じた。
「ん……」
ゆっくりと愛しむような深いキスの隙間から、どちらともわからない吐息が漏れる。
キスだけで、こんなにも心が満たされていくなんて……
愛してる……その気持ちを伝えるため、翼くんの首に腕をまわす。翼くんはひょいと私を横抱きにし、ふんわりとした笑みを向けてきた。
「百合ちゃん……俺、こんなに幸せを感じた事無いかも……」
「私も……幸せ過ぎて怖いくらい……」
「何も怖く無いよ……俺だけを感じて……」
「うん……」
ピンポーン!
私を横抱きにしたまま、翼くんが寝室へ足を向けた時、マンションエントランスの呼び鈴が鳴った。
翼くんは無視して、寝室へ行こうとする。
「翼くん、誰か来たみたいよ。」
「今は出たく無い……」
ピンポーン!ピンポーン!
中々応対しない事に痺れを切らしたのか、訪問者は更に呼び鈴を押してくる。
「あ~もうっ!こんな時に誰だよっ!」
しつこい呼び鈴に苛立ちを隠さないまま、翼くんは私を床へ降ろしてモニターへ目を向けた。
「何だよ、シュウか……」
渋々翼くんが応対すると、暫くして部屋の玄関までシュウくんがやってきた。しかも、小さな男の子を連れて……
「……シュウの隠し子か?」
「違げぇ~よ!翼に会わせろって、クラブに来たんだよ。」
「俺に?その子の親は?」
「さぁ、店の者が気付いた時には、この子一人だったみたいなんだ。それで知り合いかと思ってな。」
「いや、初めて見る気が……」
翼くんの頭の中に、大量の疑問符が浮かんでいるみたいだ。翼くんは少しだけ屈み、微笑みながら男の子と目線を合わせた。
「どうした?何か用事でもあるのか?」
「……おまえがつばさか?」
お、お前?
一瞬翼くんの顔がピクッ!とひきつったものの、笑顔を崩さないまま、再び男の子に話し掛けた。
「そ、そうだけど、君の名前は?」
「おれのなまえは“そら”だ。つばさはおれのパパだろ?」
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《翼目線》
『おれのなまえは“そら”だ。つばさはおれのパパだろ?』
シュウが連れてきた子供の言葉に、思考が停止した。
「………………ぱ、パパぁ~?!」
ちょっ!ど~ゆ~事だ?!覚えが無いぞ!いや、覚えは複数あるけど、毎回完璧に避妊してた筈……
「翼の子?有り得ね~よ。」
助け舟だ!シュウ、さんきゅ~♪
「同じ女と二回ヤる事ね~し、確率的に言っても低いだろ。」
うっ!泥舟だった!怖くて百合ちゃんの顔が見れない……
「なぁ、ヤるって何を?」
純粋無垢な質問を投げ掛ける子供に、百合ちゃんが焦って耳を塞いでいる。
「と、取り敢えず中で話そうか……」
無理して明るい声を出す百合ちゃんに促されて、みんなでリビングへ入った。




