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第71話

 撮影に遭遇した日、翼くんはホテルの部屋へ戻ってくるや否や、真剣な表情で顔を覗き込んできた。


「な、何?そんなにじぃ~っと見て……何か顔に付いている?」

「百合ちゃん……何かあった?」

「えっ?な、何で?!」

「撮影の時、元気無いように見えたから……」


嘘っ!あんなに離れていたのに、私に気が付いたの?しかも、表情まで……だけど、翼くんに心配を掛ける訳にはいかない……


「な、何も無いわよ!それよりびっくりしたわ!まさか翼くんの撮影現場に出くわすなんてね!」

「百合ちゃんを見た時、すぐに声を掛けようかと思ったんだけど、そうも行かなくて……」

「気にしないで。遠くからでも、翼くんの将来の姿な見れて嬉しかったわ。」

「スクリーンじゃぁ無く、直で百合ちゃんに見られるのは、ちょっと恥ずかしいかも……」

「ふふ!ご老人も中々似合ってたよ。」


話が逸れた事に少し安堵しながら、今日廻った観光地の話をして、その日はベッドに入った。




 次の日は出掛ける事無く、ホテルの部屋で過ごした。一人で出掛けると、また寂しくなるだけかもしれないけど、明日には翼くんと一緒にストラトフォード・アポン・エイボンの町を散策出来るし、完璧な計画を立てておきたいと思ったのもある。


「えっと、まずはシェークスピアの生家かな……それから、奥さんのアン・ハサウェイが結婚前に住んでいた家……へぇ~、車で10分くらいしか離れてないんだ……」


翼くんと一緒に過ごせると思っただけで、昨日までの寂しさが嘘のように思えてくるから不思議だ。


「我ながら、単純な人間ね……って、そうそう、シェークスピアが眠るホーリー・トリニティ教会は外せない……」


ふむふむ……祭壇まで行くのは、お金がいるのね……クリスマス休暇に入っている店が増えてきたけど、ランチ出来る所はあるかな……

ふふ!一日しか無いんだから、翼くんと思いっきり楽しまなきゃ♪


こうして簡単なスケジュールをメモに取り、明日の楽しい時間を思い描きながら、イギリス滞在三日目を過ごした。




 ところがその夜、落ち込んだ様子で翼くんが帰ってきた。


「百合ちゃん、ごめん……明日の予備日だけど、撮影になった……」

「えっ?何かあったの?」

「それが機材トラブルで、今日中に予定してた撮影が終わらなかったんだ……あとワンカットなんだけど……」

「えっ……?」


そ、そんな……頑張って散策コースを考えたのに……明日こそは一緒に過ごせると思っていたのに……


「本当にごめん……今夜中に治っていれば明日の午前中に終わるけど、駄目なら代わりの機材が届くまで待機で……」


翼くんは本当に申し訳無さそうに、謝ってくる。


でも、翼くんのせいでは無い……散策コースを考えたのは自分で勝手にやった事……

昨日、心配させないようにしようと決めたばかりじゃない……それに元々翼くんは仕事で来ている……


寂しさを押し殺し、翼くんにおどけた笑顔を向ける。


「な~んだ!残念!悪いけどストラトフォード・アポン・エイボンは私だけで楽しんでくるわ♪」


少しだけ私の顔を窺うように無言になった翼くんだけど、すぐに私に合わせるよう大袈裟に肩を竦めた。


「悔しいけど、百合ちゃんの土産話で我慢するよ。」

「ふふ!たっぷりと聞かせるわね♪」

「よろしく~♪ところで今日の土産話は?」

「今日は……」


一日中部屋に籠って明日の散策コースを考えていたなんて言ったら、余計に気を遣わせてしまう……


「ふ、二日間歩き回ったから疲れちゃって……今日はゆっくり休んだの!」

「……何処にも行かなかったの?」

「う、うん!最近疲れやすくてさ!歳は取りたく無いね!あはは……」


取り繕うよう、曖昧に笑って誤魔化した。




 「はぁ……」


泣いても笑っても、今日がイギリス泊最終日。一番行きたかったストラトフォード・アポン・エイボンの地に、ため息をつきながら一人で降り立った。


行かなきゃ……翼くんに楽しい話が出来るように……


頭ではわかっていても、中々前向きな気分になれない。翼くんと一緒に来れなかった事が、自分でも思った以上にショックを受けている。


40歳にもなった大人が、恋人がいないと出掛けられないなんて、いい笑い者だわ……

それでも、寂しい……一緒に居たい……でも、仕事の邪魔はしたくない……


複雑な思いを胸に仕舞い込み、誰からも握られる事の無い右手にロンドンの冷たい空気を感じながら、中世の古き良き時代の町並みを散策した。




 この日、最後に訪れたのはホーリー・トリニティ教会だ。厳かな雰囲気のある教会へ向かう並木道を通り、教会の中へ入る。


「綺麗……」


シェークスピアが家族と共に眠る祭壇の壁にある、見事なステンドグラスに目を奪われた。外の明るさに助けられ、色鮮やかな宗教画となっている。


「翼くん……」


この場に居ない愛しい人の名前が、自然と口元から零れる。


一緒に見たかったな……今ごろ撮影しているかな……


「呼んだ?」


その時、聞き慣れた心地よい声と共に、後ろからふわっと温もりに包まれた。


嘘っ……


振り向かなくても誰だかわかる……この声、温もり、微かに香る私が選んだ柑橘系のコロン……


「撮影が予定より早く終わったんだ!ここなら百合ちゃんと逢えると思ってさ♪」


翼くんだ……逢いたかった翼くんだ……


思わず目頭が熱くなり、涙が零れそうになる。くるっと身体を翼くんに向けて、じわっと潤む目を見られないよう抱きつく。翼くんは微かに笑って、そっと抱き締め返してくれた。




 気分も落ち着いた頃、翼くんは私の腰に手を回したまま、少しだけ距離を取った。


「健やかなる時も、病める時も……」

「えっ?」


その言葉に驚いて顔を上げる。


「びっくりした?」

「う、うん……」


翼くんの顔には、ふんわりとした笑顔が浮かんでいる。


「俺はいつでも、すぐにでも百合ちゃんと一緒になりたい。」

「……」

「でも、百合ちゃんが結婚に二の足を踏んでいるのも、何となくわかってる。」

「うん……」

「だから、百合ちゃんが気持ちを固めてくれるまで待つから……ずっと待つから……」

「な、何で、そんな事……」


翼くんは、まだまだこれから沢山の出逢いに恵まれる人……私なんかに……


「何となく俺の気持ちを、改めて伝えておきたかったんだ。二人を結び付けてくれたシェークスピアの前で……」

「でも……私は翼くんに守って貰ってばかりで……」

「そんな事を気にしてたの?俺の弱い面も、格好悪いところも、甘ったれた部分も、素の俺を全てさらけ出せるのは、百合ちゃんだけだよ。」

「……」

「嫌な事があっても頑張ろうと思えるのは、百合ちゃんがいてくれるからなんだ。だから、百合ちゃんは俺の心を守ってくれてるんだよ。」


心を……守る……


その言葉が、ストンと胸に落ちてきた。


「私……翼くんの力になれてるの?」

「充分過ぎる程にね♪」


迷惑ばかり掛けていると思ってた……翼くんは、どうしてこうも欲しい言葉ばかりをくれるのか……

傍にいる理由を……本当に私を必要としてくれる……


「ありがとう……」


この人を……翼くんを好きになって良かった……


自然とそう思えた。


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