第70話
・
・
・
《翼目線》
翌日、早朝からシュウを呼び出した。
「朝から何だよ。俺、寝てね~んだよ……」
「シュウはいつもこの時間から寝るもんな。」
「翼は今から仕事か?」
「いや。昼からだけど、この時間しかシュウと話が出来ないと思ってな。」
「そっか……」
深夜まで営業していた店は、やっと店閉まいが終わった時間だ。コンビニで買ったコーヒーをポケットから取り出し、シュウに一本渡す。
「ほらよ。」
「サンキュー。」
渋沢駅前のビルの壁に凭れながらコーヒーに口をつけ、いつもより人通りの少ない駅を眺める。
「昨日は悪かったな。」
「あぁ、別に……俺も悪かったよ。」
「ん?何でシュウが謝るんだ?」
「マンションにいる時、百合さん怖がってただろ?あれはたぶん俺が原因だ。」
「……百合ちゃんは、シュウに庇って貰ったって言ってたぞ。」
「それも間違い無いが……抱き締めたからな。」
ぶっ!
思わずコーヒーを吹き出しそうになる。
「ど、どういう事だ?!」
真意を確かめる為、シュウに目を向ける。シュウは駅を眺めたまま俺に目を向けること無く、口を開いた。
「誤解するなよ。お前達の事は応援してるし、翼が側に居ない時には、俺なりに百合さんを守るつもりだったんだ。」
「……」
「庇ったつもりだったんだが……百合さん、その後から急に怯えだしてな……」
「そっか……」
「何だか思い知らされたっつ~か、百合さんの心まで守れるのは、翼だけなんだってな。腕っぷしだけでは、どうしようも無いんだってよ。」
「どういう意味だ?」
「お前が抱き締めたら震えが止まっただろ?」
震えを止めようとしたのは咄嗟の事だけど、シュウにはそう見えたんだ……シュウには悪いけど、嬉し過ぎかも♪
溢れそうな笑みを抑えるよう、また駅へ目を向けて、コーヒーを口にする。
暫くして、シュウはポツリと呟いた。
「翼……」
「何だ?」
「お前、フラれた事あるか?」
「無いな。」
「くそっ……お前も一度、失恋を味わってみろ。」
「やだね。百合ちゃんと別れる気は無いしな。」
「百戦錬磨のまま、勝ち逃げかよ。」
「悪いな♪」
やっぱシュウも百合ちゃんを気に入ってたか……気が合うだけに、女の子の趣味まで被ってた……
出来れば、シュウとは本気で仲違いするような争いをしたくない。シュウが利益のある女しか結婚出来ないって事に同情してたけど、この時ばかりはシュウの親父さんに感謝した。
その後は二人とも、黙ってコーヒーを飲んだ。
・
・
・
《百合子目線》
「イギリスだ!ロンドンだ♪」
学生時代から憧れていたイギリス、そのヒースロー空港に到着してから、興奮が抑えられない。
パン屋の引き継ぎも終って退職した日、翼くんからイギリスへ映画の撮影で行く事を告げられ、一緒に行こうと誘われたのだ。
「ぷぷっ!百合ちゃん、興奮し過ぎ♪」
「だって、憧れのイギリスよ~♪」
「クリスマスイヴの最終日は撮影の予備日だから、空いたら一緒に出掛けようね♪」
「あ~、本場のアフタヌーンティーが楽しみ♪」
「……百合ちゃん、俺の話聞いてる?」
翼くんからジト目を向けられ、焦って苦笑いを浮かべる。
「も、もちろん聞いてるよ~!」
「比較的治安はいいけど、あまり一人で遠くに出歩かないようにね。」
「心配しなくても、ストラトフォード・アポン・エイボンは一人で行かないわよ。」
ストラトフォード・アポン・エイボンは、シェークスピア縁の地だ。シェークスピアは翼くんと私にとって最初の共通の話題で、二人を結び付けてくれたと言っても過言では無い。そこだけは一緒に行く約束をしている。
「そ~ゆ~問題じゃぁ無いんだけど……まぁいっか。」
翼くんは私の浮かれっぷりに降参したのか、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
翌日、撮影へ向かう翼くんをホテルの部屋から送り出して、ガイドブックを広げる。
「ウエストミンスター大寺院やビッグベン、ロンドンアイを散歩がてら行くのもいいし、大英博物館は外せないし……でも、クリスマス休暇に入る前に、お土産は買わないと!」
こうしてその日はリバティへ行ってお土産を買いに行った。
「あっ!これ、翼くん好きかも♪」
買い物の途中で見かけたティールームでアフタヌーンティーを楽しんだ。
「翼くん、今ごろ何してるかな……」
って、気付けば翼くんの事ばかり考えているような……
次の日は、ホテルから行ける範囲で散策をすることにした。まずは、待ち時間が掛かるロンドンアイだ。
「わぁ~!ロンドンが一望出来る!」
ゆっくりと小さくなっていく町並みに感動を覚えるものの、上昇するにつれ、溜め息が増えてくる。
「翼くんと一緒に乗りたかったな……」
やっぱり一人は寂しいな……翼くんが傍にいてくれたら、どんなに楽しいか……
「……」
誰の手も握る事の無い右手に寂しさを感じながら、ロンドンアイから降りた。
テムズ川に掛かるウエストミンスター橋から見えるビッグベンは、ザ・ロンドンというべき有名な風景だ。その橋を渡ってウエストミンスター大寺院へ行く途中、カメラなどの機材を持った人混みが目に入った。
「何かの撮影かな……」
人混みを気にしながら通り過ぎようとした時、その中から日本語が聞こえてきた。
『そろそろ、翼くんを呼んできて!』
『はい!』
えっ?翼くんの撮影なの?
思わず足を止めて、撮影隊を眺める。すると、ワンボックスカーから一人のご老人が出てきた。
「えっ?もしかして……」
そういえば今回は、イギリスに仕事で来ている間に、流行り病で息を引きとるシーンだって言ってたような……
仕立ての良いスーツを着て、頭にはお洒落なハットを被り、顔には皺が入り、少しだけ背中を曲げて杖を突きながらゆっくりと歩いている。何処からどう見ても品の良いご老人だけど、間違い無く翼くんだ。
「す、凄い……」
完璧なまでに老人役に徹している翼くんに、息を飲んだ。
やっぱり翼くんはみんなの翼くん……私だけが独り占めしていいような人では無い……
「……」
翼くんは、私が泣き言を言っても全てを受け入れてくれる。寂しい時は幸せで満たしてくれる。トラブルがあっても、全力で守ってくれる。でも、翼くんから与えられてばかりで、私は何も翼くんにしてあげられて無い……
せめて、独り占めしたいなんて我が儘を言うのは止めよう……翼くんを困らせたり、心配掛けないようにしないと……
翼くんに気付かれないよう、コソッとその場を立ち去った。




